第50話『なんてことのないむかしばなし』
「リウスってさ、恋人とかいなかったの?」
ユキの冗談めかした告白のようなものから少し経って。
変わらず「魔術基礎論」を読み進めていた2人だったが、不意にユキがそんなことを言い出した。
こうして本を読み始めて1時間弱が経過しようとしている。少し集中力も切れてきたのだろう。休憩の意味も込めて、リウスはその会話に応じることにした。
「そういう人はいなかったな」
「なら、好きな人とかは?」
「……意識したことはないな。そんな余裕もなかったから」
「じゃあ女友達とかでもいいや。友達が一人もいなかったってことはないでしょ?」
中々に痛い所をついてくる。
友達がいるかいないかで言えば、リウスは友達がいない人間だった。
小中高と同世代との人間関係を二の次にしてきた結果、友人と言えるような間柄の相手を得ることは少なかった。
ただ、意識的に思い返してみれば記憶は蘇ってくるもので。
「そういえば……子供の頃、よく一緒に遊んでた女の子がいたな」
◇◇◇◇◇
俺が小学5年生の頃。母親が再婚した。
父が死んでから数年が経ち、母は女手一つで俺のことを育ててくれていた。
しかし、元々体が弱かった母は満足に働けない日も多い。父が残した貯金を切り崩しながらの生活は、真綿で首を絞められるような緩やかな圧迫感があり、それは当時小学生だった俺でさえ感じていた。
きっとそれを俺以上に感じていた母が、生活のために再婚という道を選ぶのはそれほど不思議なことでもなかったように思う。
と、こんな風に言ってしまうと、母がお金のために嫌々結婚したように聞こえてしまうが、別にそういう訳ではない。勿論母の心の内は分からないが、再婚相手は俺も何度か会ったことのある人物で、俺から見ても母とその人は仲睦まじく思えた。
再婚相手は、母が事務員として働いていた会社の先輩だった。以前から仕事で色々と手助けをしてくれたり、母が体調不良の際は色々と便宜を図ってもらったりもしたそうだ。
苦しい生活の中で自分に手を差し伸べ、味方となってくれた人。たった一度だけならまだしも、理解を示し何度も手助けしてくれる相手に惹かれていくのは、ごく自然なことだろう。
母が会社で体調を崩した際などは家まで送ってくれたこともあり、そうした折に顔を合わせることは何度もあった。
だから、母から再婚について聞かされた時も特に驚かなかった。むしろそのほうが母の為になるとも思った。しかし母は俺に気遣ってか、すぐには再婚に踏み切らず、再婚相手――父と俺が互いを知るための期間を設けてくれた。
尤も、その試みはあまり成功したとは言い難かったが。
父となったその人はとても誠実で、有り体に言えば良い人だった。
しかし、その人を父親だと思えるほど、当時の俺は子供になれなかった。どこまで行っても、母親と再婚した男の人としか思えなかった。
それでも、再婚によって苗字が変わることを許容したのは、こちらからも歩み寄っているという意思表明だったのかもしれない。
父は体の弱い母を気遣ってか、毎日夕暮れ時には帰宅していた。少しでも俺と過ごす時間を長く取って、仲良くなりたいという思いもあったのかもしれない。
しかし、俺はそれに応えることが出来なかった。
家で父と顔を合わせるのがどこか気まずかった俺は、帰宅から夕食の時間まで家の近くの公園で時間を潰すようになった。
彼女と会ったのはその公園だった。
公園と言っても、住宅街にある小さなもので、遊具らしい遊具はブランコしかなかった。
それ以外には小さな砂場やベンチぐらいしかなく、休日でも人がほとんどいない寂れた公園だった。
ブランコで遊ぶ気にはなれず、専らベンチで時間を潰していた。
宿題をしたり、読書をしたり、夕飯時まで時間を潰す。そんな生活がひと月程続いた頃、彼女はやってきた。
一人で公園にやってきたその子は、背中にランドセルを背負っていた。
俺より幾つか年下のその子は、ベンチが既に使われていることに気付くと、ブランコに腰を落ち着けた。
遊ぶわけでもなく、ただ座っているだけ。
俺がそうであるように、別にその子にとってもこの公園である必要はなかったのだろう。
ただ、時間を潰せる場所が欲しかっただけ。
当然のように会話などはなく、俺が帰るよりも少しだけ早く、その子は公園を出ていった。
それ以来、その子とは公園でよく会うようになった。
見ず知らずの相手とはいえ、毎日のように同じ場所で会えば言葉は交わさずとも互いを認知はする訳で。
最初に声を掛けたのはいつだったか。
あまりにもよく会うものだから、こんにちは、と俺から声を掛けた気がする。
その時は軽い会釈程度の反応だったが、会う度に挨拶をしている内に、彼女の方からも挨拶してくれるようになった。
子供というのは素晴らしいもので、一度そうして言葉を交わしてしまえば、仲良くなるのに時間は掛からなかった。
時間潰しのために訪れていた公園は、いつしか、彼女と会うために訪れる公園に変わっていた。
俺よりも2個歳が下だった彼女の名前は、「かれん」というらしかった。どんな漢字を使うのかは聞かなかったし、向こうから話すこともなかった。
それからかれんとは俺が高校生になるまで、定期的に公園で会うという謎な関係が続いたが、再婚した父が事故で亡くなったことをきっかけに、バイトが忙しくなり会う頻度は減ることになる。
それでも完全に関係が絶たれたわけではなかったが、かれんが引っ越してしまったことで、5年ほど続いた関係は終わりを迎えた。
それからかれんとは、一度も会っていない。
◇◇◇◇◇
「――まあ、そんな感じのことがあったってぐらいかな」
「…………」
「……どうした?」
「私って……それなりに苦労して生きてきたつもりだったんだけど、リウスの話に比べるとそうでもなかったかな、って」
誰だって楽をして生きている訳ではない。
生きていれば大変なことや辛いこと、楽しいことや嬉しいことなど、それなりにはあるものだ。
ユキだって幼少期に誘拐されたり、親からは習い事を含め様々なことを強制されもした。しかし、日常生活での不自由はほとんどなかったと言っていい。
親を亡くしたり、生活するお金に困ったことはなかった。
誘拐という経験も、暗闇や孤独に対する恐怖こそ残っているものの、記憶には残っていない。
そう考えると、自分が感じてきた苦労が酷く贅沢な悩みに思えてしまった。
「自分と他人の経験は、簡単に比べられるものじゃない。誰かと比べてどうであれ、ユキにとっては嬉しかったことであり、辛かったことなんだ」
上には上がいるように、下にも下はいる。
それぞれはそれぞれの思いを抱えていて、だからこそ、理解は出来ても共感は出来ない。
リウスは別に、自分が特別不幸だとは思っていない。しかし、過去を振り返れば後悔は尽きない。故にリウスは、後悔しながらも諦めることを覚えた。
その選択の結果が今の自分なのだと思えば、間違えた選択をしたものだと後悔もするが、それすらもリウスは諦めてしまえるのだ。
本当に重要な選択をしなければいけない時、世界はご丁寧に選択肢を提示してはくれない。
選択の余地などないまま選択させられて、全てが終わって初めて、別の道の存在に気が付く。
これまでがそうだったように、きっとこれからもそうなのだろう。
「他人と比べる必要なんてない。重要なのは、過去を受け入れて前に進めるかどうかだ」
未だに前に進めないリウスは、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
◇◇◇◇◇
リウスにとってはなんてことのない昔話が終わった頃には、もう本を読むという雰囲気でもなくなっていた。
気分転換と換気を兼ねて部屋の窓を開けると、外の喧騒が部屋の中にも届いてくる。しかしそれは、いつも耳にしている日常生活的なものとは違い、どこか非日常的で緊張感を感じるものだった。
「何かあったのか? ユキ、なんて言ってるか聞こえるか?」
「んー……色々な人が同時に話しててよく聞き取れない……。南門? がどうとか言ってるみたい」
「南門……?」
この町の地理にはそこまで詳しくないが、南門という名称には聞き覚えがある。というのも、リウスたちが街に入るために通った門であり、大精霊の討伐の際、冒険者たちの集合地点ともなっていた門だからだ。
どことなく面倒事の予感を覚えていると、ユキが不意に背後――部屋の入り口に視線を向ける。
「誰か来る。女の人、かな」
いつの間にやら足音でそんなことまで判断できるようになっているユキに驚きつつも、扉を見つめる。
扉がノックされたのはそれから数秒後だった。
「リウス様、ユキ様、ミュエです。お時間よろしいでしょうか?」
訪問者の正体に、面倒事の予感が予感ではなくなっていくのを感じながら、リウスは扉を開けた。




