第25話 幸運の加護と地獄の龍――廃ラブホテルに響く、怪物の咆哮
「ここは情報屋だぜ」
壺井あかりは、二人を振り返った。
金髪が揺れる。
山高帽。ドクロの描かれた黒いコート。腰には二丁拳銃。
その顔には、この状況に対する危機感が欠片もなかった。
「知りたいことがあるなら、買うといいぜ」
あかりは意味ありげに笑った。
まるで、正顕たちが何を知りたがっているのか、最初からわかっているかのように。
カウンターの向こうでは、狼の顔をした男がタバコをくゆらせている。
「俺の名は大神優作だ。よろしくな、お客さん」
「……茆原正顕です」
正顕は軽く頭を下げた。
狼男――大神優作。
異様な外見に反して、声も態度も妙に落ち着いている。
こういう場所では、むしろ人間のほうが信用できないのかもしれない。
「一つ、聞きたいことがあります」
「何だ?」
「元の世界で、『みさお』という女と知り合ったんです。知っていますか?」
優作はタバコを吸った。
紫煙が、ゆっくりと天井へ昇っていく。
「……初回サービスだ」
もったいぶるように間を置く。
「タダで教えてやる」
正顕も、さやかも、黙って続きを待った。
そして。
「知らん」
「…………」
「…………」
「……いや、そこは何か知っていてくださいよ」
「知らねえもんは知らねえ」
優作は悪びれもしない。
さやかが額に手を当てた。
「正顕さん。この人、信用できるの?」
「現時点では、判断材料が不足しています」
「要するに信用できないってことね」
「ええ」
「おいおい、聞こえてるぞ」
優作は肩をすくめた。
「で、ほかには?」
正顕の表情が変わった。
「俺が今いる世界について、教えてほしい」
「ほう?」
「ゲームのキャラクターが登場するんです。俺自身も、本来の自分とは違う立場にいる。何が起きているのか、何が目的なのか……知っていることはありませんか?」
優作の目が、わずかに細くなった。
初めて、まともに反応した。
だが、それも一瞬だった。
「高いぜ」
「いくらです?」
「一億」
「「……は?」」
正顕とさやかの声が重なった。
「一億円?」
「当たり前だろ。そのくらいの情報なんだからな。こっちも命懸けだ」
「情報を売るだけで一億……」
「命懸けだって言ってんだろ」
優作は煙を吐いた。
さやかが、隣に立つあかりを見た。
「……あかりさん。あなたも何か知っているんでしょ?」
「まあな」
あかりはあっさり認めた。
「だったら――」
「でも、タダじゃ教えねえ」
さやかの言葉を遮り、あかりはニヤリと笑った。
「俺らには俺らの流儀がある」
「……あなたたち、揃いも揃って」
「いいじゃねえか。わかりやすくて」
あかりは拳銃のグリップを指で叩いた。
「今から一仕事だ。義姉貴の使いっ走りでね」
「義姉貴?」
「そいつは仕事が終わったら教えてやるよ」
金髪が揺れる。
「手伝うなら、知ってることを教えてやるぜ」
不敵な笑み。
正顕は、さやかと視線を交わした。
どうやら、選択肢は二つしかない。
一億円を払うか。
この女についていくか。
「……わかりました」
正顕は頷いた。
その判断が正しかったのかどうか。
彼は、すぐに思い知ることになる。
* * *
ダダダダダダダダッ!!
銃声が響き渡った。
元ラブホテルの客室。
壁は穴だらけ。家具は破壊され、カーテンは引き裂かれている。
窓の外には自動小銃を構えた男たち。
廊下にも敵。
階段にも敵。
どう見ても、逃走経路は塞がれていた。
「……あかりさん」
部屋の入口で応戦しながら、正顕が声を張る。
「説明を求めてもいいですか!?」
「あとでな!」
「それ、さっきも聞きました!」
正顕が身を引く。
銃弾が壁を削り、粉塵が舞った。
さやかは窓際からクナイを投げ、敵の動きを牽制する。
「正顕さん! 右!」
「わかっています!」
正顕が身を伏せた瞬間、あかりが窓から一瞬だけ姿を見せた。
乾いた銃声。
外の男たちが慌てて身を隠す。
「ふん。まだ十人以上いるじゃねえか」
「数えてる場合ですか!」
あかりは平然と部屋へ戻った。
そして、胸ポケットからタバコを一本取り出す。
「……さて、一服するか」
「この状況で!?」
さやかが叫ぶ。
「こういうときこそ落ち着くもんだぜ」
あかりはポケットを探った。
右。
左。
内ポケット。
「……あれ?」
ライターがない。
舌打ちして床を見回すと、瓦礫の隙間に小さなプラスチック製のライターが落ちていた。
印字された文字は
――『ラブホテル ワンナイト』。
「おっ、いいもん見つけた」
あかりは拾い上げ、火をつけた。
カチッ。
小さな炎が、彼女の顔を照らす。
「いいじゃねえか。俺らの関係みたいで」
「……は?」
正顕が振り返る。
あかりはタバコをくわえたまま、ニヤニヤと笑った。
「今晩はラブホで、美女二人に相手してもらえて嬉しいだろ?」
「よくこの状況で、そんな軽口が叩けるわね……!」
さやかの顔が引きつった。
「誤解を招く発言はやめてください!」
「誤解? どこが?」
「どこも何もありません!」
「そうか? 俺は結構、楽しいけどな」
あかりは大きく煙を吐いた。
その様子を見ていた正顕も、つられるように胸ポケットからタバコを取り出す。
しかし。
「……ライターがない」
「使えよ」
あかりが、ライターを放り投げた。
正顕は受け取り、火をつける。
深く吸い込む。
ゆっくりと煙を吐く。
わずかな時間、二人の呼吸が落ち着いた。
銃弾が飛び交う中での、奇妙な休息だった。
だが、状況は一向に改善していない。
外では、武装した男たちが包囲を狭めている。
さらに遠方から、重い兵器を運び込むような音が聞こえた。
さやかの表情が険しくなる。
「……あれ、ロケットランチャーじゃない?」
「みたいだな」
「みたいだな、じゃないでしょう!」
あかりは肩をすくめた。
「心配すんな。俺には加護がある。幸運のな」
「それ、あなただけは死なないってことでしょう?」
さやかの声は冷たかった。
あかりは、あっけらかんと答えた。
「だな。お前らは死ぬかもしれねえ」
「…………」
一瞬、さやかの顔が歪んだ。
「……何とかならないの?」
「うーん……」
あかりは頭を掻いた。
「あんまり、この手は使いたくないんだけどな」
もう一度、窓の外を見る。
敵の数は多い。
逃げ道もない。
ロケットランチャーまで持ち出された以上、普通のやり方ではどうにもならない。
「……仕方ねえか」
あかりは大きく息を吐いた。
「正顕。こっち来てくれ」
「何です?」
正顕が近づく。
その瞬間だった。
「悪いな」
「――え?」
あかりは正顕の身体をつかむと、そのまま窓の外へ放り投げた。
「なっ――!?」
正顕の姿が消えた。
さやかの目が見開かれる。
「あなた……何してるの!?」
「まあ、これで何とかなるだろ」
あかりは窓を覗き込んだ。
そして、何事もなかったように壁際へ腰を下ろす。
「……さて、一服の続きでも」
タバコをくわえる。
ポケットを探る。
右。
左。
内ポケット。
「あれ?」
あかりの動きが止まった。
「ライター、あいつに貸しっぱなしだった」
「…………」
さやかは、言葉を失った。
「あなた……本当に何を考えているの?」
「大丈夫だって。たぶん」
「たぶん!?」
そのとき。
外から、銃声が響いた。
ダダダダダダダダッ!!
続いて、爆発音。
悲鳴。
そして――。
「ぎゅあああああああああっ!!」
人間のものとは思えない叫び声が、廃ホテル全体を震わせた。
あかりは、ゆっくりと窓を覗き込む。
「あーあ……」
困ったように頭を掻いた。
「自我、なくしてるぞ」
「……は?」
「もうダメだ。時間切れまで待つしかねえな」
外から、さらに絶叫が響く。
銃声。
爆発。
逃げ惑う足音。
何かが壁に激突する轟音。
あかりは窓枠に肘をつき、気楽に声を張り上げた。
「おーい、正顕! 少しは残しとけよー!」
返事はない。
代わりに、再び怪物じみた咆哮が返ってきた。
「……だめだこりゃ」
あかりは肩を落とした。
「なんであいつ、力の制御ができるように訓練してねえんだよ」
そして、さやかを振り返る。
「お前が教えなかったのか?」
「はあ!? 私が!?」
さやかの声が裏返った。
「やめてよ! あんなの、どうやって訓練するのよ! 近づいたら殺されるわ!」
「仕方ねえだろ。お前が――」
「ぎゃあああああああっ!!」
その瞬間、悲鳴とともに何かが窓の外から飛び込んできた。
ドンッ!!
壁に激突する音。
床に転がる音。
そして、部屋を支配する沈黙。
「…………」
「…………」
あかりとさやかは、そろって動きを止めた。
あかりは、そっと窓の外へ視線を戻す。
そこから先は、見ないことにした。
「……ま、まあ」
彼女は気まずそうに咳払いした。
「訓練って、大事だぜ…」
「…………」
「……」
「……あとで、話があるわ」
さやかの声は、恐ろしいほど静かだった。
外では、まだ銃声と悲鳴が続いている。
廃ラブホテルは、地獄そのものと化していた。
そして、その地獄を生み出した男は――もう、人間の言葉を聞いてはいなかった。
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