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第23話 理事長との心理戦――幸せいっぱいの新妻に、新たな恋敵が現れる!?


 私立学園の理事長室。


 重厚な机を挟んで、紫色のスーツを着た女が一人の男を見つめていた。


 大括摩耶。


 この学園の理事長である。


 そして、その視線の先にいるのは、白衣を着た男――久遠彼方。


 いや。


 その中身は、茆原正顕だった。


「どうだ、最近は?」


 摩耶は世間話でもするように尋ねた。


 あまりにも自然な口調。


 まるで、彼方の私生活を最初から知っているかのようだった。


 正顕は、わずかに目を細める。


 ――探りを入れてきたか。


「ええ。最近、同居しました」


 正顕は口元に笑みを浮かべた。


「ふふふ……」


 あえて、意味ありげに。


 相手がどう反応するかを観察するための、ちょっとした演技だった。


「ほう。同居か。それは重畳」


 摩耶は頷いた。


「しかも、母親まで一緒とはな」


 正顕の笑みが、ほんのわずかに止まった。


 ――知っている。


 高城みさおが自分の隣室に住んでいることも、その母親であるさやかまで引っ越してきたことも。


 偶然知った、という顔ではない。


 監視されている。


 その可能性が、正顕の脳裏をよぎった。


「いったい、どんな手を使ったんだ?」


 摩耶が身を乗り出す。


「今まで誰一人、攻略できなかった女だぞ。できれば、その手管を教えてほしいものだな」


 ――攻略?


 正顕は内心で眉をひそめた。


 今、この女は何と言った?


 高城みさおを攻略する。


 その言い回しは、まるでゲームの攻略対象について話しているかのようだった。


 いや、実際にそうなのだ。


 正顕の知るゲームでも、高城みさおは攻略対象の一人だった。


 作中最高難度。


 プレイヤーでそれが出来たのはほんのわずか


 その原因は…


 彼女を攻略しようとした者たちは、ことごとく母親のさやかに阻まれていた。


 下手をすれば、主人公でさえ命を落としかねない。


 故に不人気キャラ


 ――俺以外にも、久遠彼方がいたのか?


 考えられる可能性は複数ある。


 だが、ここで迂闊に口を滑らせるわけにはいかない。


「企業秘密です」


 正顕は人差し指を立てた。


「……ふうん」


 摩耶の目が、すっと細くなる。


「今までの連中は、全員、高城みさおを自分のものにしようとして失敗した。中には、あの母親に手を出されて退場された者もいる」


 退場。


 またしても、妙な言い回しだ。


 まるで、舞台から降ろされた役者のように。


 正顕は表情を変えなかった。


「どうやって生き残った?」


「話し合いました」


「……話し合い?」


「ええ。ゆっくりと」


「何を?」


「みさおと結婚する、と」


 摩耶が黙った。


 正顕は笑みを崩さない。


「その後は……まあ、いろいろと」


「…………」


 室内に、微妙な沈黙が落ちた。


 摩耶の目が、正顕の顔をじっと観察する。


 ――嘘だ。


 今まで、その手を持ち出した者がいなかったわけではない。


 それでも、誰一人として成功しなかった。


 そもそも、目の前の男は対人関係が得意な人間ではなかったはずだ。


 口先だけで相手を丸め込めるような男ではない。


 それが、どうして。


「……口がうまくなったんだな」


「ええ。こちらに来てから、いろいろありましたので」


 正顕はあっさり答えた。


 摩耶の瞳が、わずかに揺れる。


 こちらに来てから。


 その言葉に、何か意味があるのか。


 それとも、単なる言い回しか。


 判断がつかない。


「そうか。ずいぶん変わったものだ」


「お褒めにあずかり光栄です」


「褒めたつもりはないんだがな」


「では、悪口ということで」


「……お前、そんな性格だったか?」


「人間、成長するものですよ」


 正顕は微笑んだ。


 摩耶は笑わなかった。


 互いに笑顔を浮かべながら、互いの腹を探り合う。


 それ以上、踏み込めば何かが露見する。


 そんな緊張感が、二人の間に漂っていた。


「では、失礼します」


 正顕は一礼し、理事長室を出た。


 扉が閉じる。


 摩耶はしばらく、その扉を見つめていた。


「……妙なことになったものだ」


 机の上に置かれた書類へ視線を落とす。


 そこには、彼方に関する記録があった。


 以前の彼方と、今の彼方。


 同じ顔。同じ名前。


 だが、その中身はあまりにも違う。


「いったい、何が起きている……?」


 問いかけに答える者は、誰もいなかった。


 ただ、摩耶は書類を閉じる。


 今はまだ、動くべき時ではない。


 そう判断したのだった。




     * * *




「ん~~~っ! やっぱり、これよね!」


 昼休み。


 みさおは満面の笑みを浮かべながら、きんぴらごぼうを頬張っていた。


 目の前には、千明と美樹。


 そして机の上には、愛情たっぷりの手作り弁当。


 おにぎり。


 卵焼き。


 唐揚げ。


 きんぴらごぼう。


 ほうれん草の胡麻和え。


 彩りを添えるプチトマト。


 どこからどう見ても、栄養バランスの取れたおいしそうなお弁当だった。


「どれどれ?」


 美樹が横からきんぴらごぼうをつまむ。


 もぐもぐ。


 そして、目を丸くした。


「あっ、これ、おいしい!」


「でしょー?」


 みさおは胸を張った。


 もちろん、作ったのは正顕である。


 自分が褒められたわけでもないのに、なぜか誇らしい。


 むしろ、誇らしすぎて困る。


「ねえ、みさお。そっちの唐揚げと、私のハンバーグ交換しない?」


「いいよー!」


 千明とおかずを交換する。


 唐揚げを口にした千明は、すぐに感嘆の声を上げた。


「うーん! この唐揚げ、下味がいいわね。ちゃんと中まで味が染みてる!」


「ほんとだ。みさおのお母さん、料理上手だったけど……これ、特においしいわ」


 美樹も感心しきりだった。


 ――いえ、それ、私の旦那様が作ったんです。


 言いたい。


 今すぐ言いたい。


 できれば、教室中に聞こえるくらいの大声で。


 これは私の夫が作ったお弁当で、私は毎朝、こんな幸せを享受しているのだと。


 しかし、ここで自慢しすぎるのも、少し大人げない。


 みさおは、ぐっと衝動をこらえた。


「うん。最近、味付けを変えたんだよ」


 にっこり。


 嘘ではない。


 正顕の味付けで変わったのだから。


「へえ。いいじゃん!」


「ところで、みさお。もう体は大丈夫なの?」


 千明が尋ねた。


「休んでたじゃん」


「うん! 完全復活!」


 みさおは両手で拳を作った。


「前よりパワーアップしたよ! もう無敵!」


「それはよかった」


「うんうん。元気になって何より」


 二人が笑う。


 みさおも笑った。


 幸せだった。


 正顕と一緒に暮らせる。


 毎日、おいしいご飯を食べられる。


 しかも、自分を大切にしてくれる。


 これ以上、何を望むというのだろう。


 ……いや、もちろん、もっと望んでもいいのだが。


「そうそう、みさお」


 千明が、ふと思い出したように言った。


「久遠先生と仲いいじゃん?」


「……ん?」


「最近、女子の間で人気あるんだよね、先生」


 みさおの箸が止まった。


「一年生や二年生の間でも、結構話題になってるよ」


「落ち着いてるし、なんかクールだし」


「それに、話すと意外と優しいんだって」


「へえ~~~」


 みさおは、あくまで平静を装った。


 内心では、盛大に頷いていた。


 そうでしょう。


 そうでしょうとも。


 落ち着いていて、優しくて、料理まで上手。


 しかも、私のことを大切にしてくれる。


 当然、人気が出るに決まっている。


 だが。


 ――すまん、みんな。


 ――その男、もう私の旦那なんだ。


 ――本当にすまん。


 謝罪の気持ちは、ほぼゼロ。


 あるのは、他の女子たちがいいと思っている男性を、自分だけが独占しているという圧倒的な優越感だった。


「あんた、先生とよく話すじゃん?」


 千明が身を乗り出した。


「女の人とか、いるのかな? 知ってる?」


「えっ?」


 みさおは、にっこり笑った。


「いるらしいよ」


「ええっ!?」


「しかも、超絶かわいい彼女なんだって。先生、もうゾッコンらしいよ?」


「ちょっと待って! 何その情報!?」


 美樹まで身を乗り出す。


「めちゃくちゃ綺麗で、性格もいい女の人らしいよ?」


「うわー……。そんな人が相手じゃ、勝てる気がしないわー」


 千明が大げさに肩を落とした。


 みさおは、さらに笑顔を輝かせた。


 虫除け、完了。


 しかも、嘘は言っていない。


 自分で自分を超絶かわいいと思っているわけではないが、正顕が自分を大切にしてくれているのは事実だ。


 ……うん。


 事実なら、問題ない。


「ええー、本当なの?」


「うん。まあ、私は本人から聞いたわけじゃないけどねー」


「そこは知らないんかい!」


 千明のツッコミに、みさおはけらけら笑った。


 そのときだった。


「それ、マストで教えて」


 背後から声がした。


「えっ?」


 三人が振り返る。


 そこに立っていたのは、制服を着崩した女子生徒だった。


 口には、スティック付きの飴。


 気だるげな雰囲気をまとい、面白いものを見つけたような目で、みさおを見ている。


 根津美束。


 普段、みさおとはほとんど接点のない女子だった。


「みさっち、彼方っちとよく話してんじゃん?」


「……え、うん。まあ」


 いきなり愛称で呼ばれ、みさおは戸惑った。


 美束は飴をくるりと回しながら、楽しそうに続ける。


「あいつ、包容力あるし。気遣いできるし。自分の考えもちゃんと持ってるし」


「…………」


「なんか、気になんだよねー」


「「「えっ!?」」」


 みさお、千明、美樹の声が、見事に重なった。


 美束は三人の反応を見て、にやりと笑う。


「だからさ。彼女のこと、詳しく教えてよ」


「…………」


 みさおの笑顔が、ぴたりと固まった。


 つい先ほどまで、彼女は圧倒的な優越感に浸っていた。


 自分の夫が女子に人気なのは、悪い気がしない。


 むしろ、誇らしい。


 ただし。


 それは、あくまで自分が一番だと確信できている場合に限る。


 目の前の少女は、どうやら違うらしい。


 遠慮もなければ、引く気配もない。


 しかも、彼方の長所を的確に把握している。


 ――えっ。


 ――ちょっと待って。


 ――この子、まさか……。


 美束は飴をくわえ直し、軽い調子で言った。


「よろしくね、みさっち」


 その笑顔を見て、みさおは悟った。


 これは、面倒なことになりそうだ。


 幸せいっぱいだった新妻の昼休み。


 そこに、小さな火種が落ちた。


 そして、その火種は――思った以上に、燃え広がりそうだった。

☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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