第22話 忍びの母は考える時間を与えない! 電撃祝言に邪神まで乱入してきたんですが!?
割烹旅館『しのぶ』のある山あいの郷。
その一角に、古びた神社があった。
苔むした石段を、二つの影が上っていく。
一人は、黒い山高帽に黒のコート。胸元の大きく開いたドレスシャツに、ストライプのスラックス。無骨なブーツを履いた、金髪碧眼の美人だった。
西部劇から抜け出してきたような風貌。
そして、ひときわ目を引く存在感。
壺井あかり。
彼女は帽子のつばを直しながら、隣を歩く女に尋ねた。
「義姉貴。本当にいいのか? 呼ばれてもいないのに」
「問題ない」
銀髪の長い髪を揺らし、淡いピンクの着物をまとった美女――壺井倍美は、平然と答えた。
その正体は、邪神ツボニール・ツヴァイ。
神々の戦いに名を連ね、世界の秩序すら揺るがしかねない存在である。
「それに、妾が縁を結んだのじゃ。縁が結実する場に呼ばれて当然であろう?」
「いや、理屈が強引すぎるだろ……」
「何か申したか?」
「いいえ。何も」
あかりは肩をすくめた。
この義姉に常識を説いても無駄だ。
火山に向かって噴火をやめろと言うようなものである。
やがて二人は、鳥居の前にたどり着いた。
「――止まれ!」
黒装束の男たちが現れ、杖を交差させて行く手を塞いだ。
「本日は貸し切りだ。関係者以外の立ち入りは認められない」
「ああ?」
あかりが眉をひそめる。
「俺たちは新郎の親族だぜ?」
「新郎側から出席者が来るとは聞いていない」
「そりゃ、お前らが聞いてないだけだろ」
「お引き取り願おう」
「……おいおい」
あかりの声が低くなった。
「人が穏便に話してりゃ、いい気になりやがって」
コートの裾が揺れる。
次の瞬間、胸元のホルスターからリボルバーが抜き放たれた。
「うるせえ。ぶち殺すぞ」
沈黙。
男たちの顔から血の気が引く。
銃口を向けられたからではない。
この女は、脅しでこんなことをする人間ではない。
そう確信させる何かがあった。
「落ち着け、あかり。今日は祝言じゃぞ」
倍美が、たしなめるように言った。
「へいへい」
あかりは銃を下ろす。
そのときだった。
倍美が、男たちに視線を向けた。
「さて……」
微笑みは、変わらない。
声音も、穏やかなままだ。
なのに。
空気が、沈んだ。
鳥の声が途絶え、風が止まる。
見えない何かが、神社の境内を満たしていく。
男たちは息を呑んだ。
立っていられない。
膝が震え、杖を握る手から力が抜けていく。
目の前の女は、人間ではない。
人間という尺度で測ること自体が、間違っている。
倍美の瞳が、ゆっくりと細まった。
瞳孔が縦に裂け、黄金色の光を帯びる。
「慌てるな。妾たちは、新郎の義姉じゃ」
その言葉とともに、さらに圧力が増した。
男の一人が、ついに腰を抜かす。
続いて、もう一人。
誰も動けない。
「それに……呼ばれて来たのでな」
爬虫類が獲物を見定めるような眼差し。
男たちは、震えながら道を開けた。
◇
同じ頃。
神社の拝殿では、祝言が始まろうとしていた。
紋付羽織袴の新郎。
白無垢姿の新婦。
そして、新郎の茆原正顕は――。
(……なんで、こうなった?)
完全に呆然としていた。
(いや、待て)
(昨日まで、俺は高城家との今後について話し合っていたはずだ)
(どうして今、結婚式を挙げようとしている?)
思考が追いつかない。
さやかと話し合いを始めたはずだった。
ところが、同居の話が進み、親族への紹介が決まり、祝言の準備が整い、気づけば紋付羽織袴を着せられていた。
反論する暇がない。
いや、正確には反論するたびに別の話題へ誘導され、いつの間にか次の段階に進んでいる。
これが忍びの交渉術なのか。
(いや、絶対に違うだろ……)
正顕は、隣に座るみさおを見た。
白無垢に身を包んだ少女は、長い黒髪を美しくまとめていた。
頬はほんのりと赤い。
そして、その瞳からは涙がこぼれていた。
(ママ……)
(おじさん、おばさん……)
(私、幸せになるね)
みさおは胸の中で、そっと告げた。
(正顕さんと、一緒に……)
もちろん、不安が消えたわけではない。
自分の気持ちが、かつての洗脳に影響されている可能性もある。
それでも。
彼と一緒にいたい。
その願いまで、誰かに決められたものだとは思いたくなかった。
みさおは隣の正顕を見上げる。
彼は、まだ困惑していた。
そんな姿さえ、今の彼女には愛おしい。
(ふふ……)
(私の旦那様……)
思わず、笑みがこぼれた。
その一方で、黒留袖姿のさやかは、ハンカチを目元に当てていた。
(うう……)
(パパが生きていたら、どんなに喜んだかしら……)
亡き夫の顔が脳裏をよぎる。
娘の花嫁姿。
隣にいる、少し頼りなく見える新郎。
きっと夫も、二人の姿を見れば喜んだだろう。
(幸せになるのよ、みさお)
さやかは、娘へと温かな眼差しを向けた。
その表情は、母親そのものだった。
だが。
次の瞬間、正顕へと視線を移すと。
すっと、目が細まった。
(……さて)
口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
(忍びを舐めてもらっては困るわね)
親族への紹介は済んだ。
祝言の準備も整った。
高城家の関係者も、この婚姻を認めている。
ここまで来て、今さら後戻りなどできるものか。
(攻めるときは、一気呵成)
(相手に考える時間を与えない)
(気づいたときには、もう勝負がついている)
さやかは、満足げに頷いた。
(責任は取ってもらうわよ、正顕さん)
(みさおのことも)
(そして、高城家の未来もね)
母親としての愛情。
一族の当主としての計算。
その二つが、彼女の中では何の矛盾もなく同居していた。
◇
新婦側の席には、高城家の親族がずらりと並んでいた。
誰もが、新郎に興味津々だった。
「しかし、電撃結婚とはこのことですな……」
「あまりにも急な話で、いまだに信じられません」
「あれが、高城家の次期当主ですか」
「さやかさんの話では、始祖に匹敵する力を持つとか……」
「では、まさか『龍人の血脈』というのは本当なのか?」
囁き声が、拝殿の片隅を流れていく。
正顕の耳にも届いていた。
(……やめてくれ)
(俺を、何かとんでもない存在みたいに扱うのは)
実際、とんでもない経歴ではある。
三十八歳。
余命一年と宣告された男。
七千万円を支払い、邪神の力で異世界へ渡った。
そして今は、別人の身体で新たな人生を歩んでいる。
冷静に考えれば、自分でも説明に困る。
しかし。
少なくとも、今日ここで結婚することまでは想定していなかった。
(……本当に、いいのか?)
正顕は、もう一度みさおを見た。
みさおは視線に気づくと、嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、正顕は言葉を失う。
責任を取る。
それは、最初から決めていた。
だが、責任を取ることと、結婚することは同じではない。
その違いを、彼は理解しているつもりだった。
それでも。
みさおは、ここにいる。
自分の意思で、彼の隣に座っている。
正顕は、ゆっくりと息を吐いた。
(……逃げるわけにはいかないか)
そのときだった。
「――待たせたな!」
勢いよく障子が開いた。
拝殿にいた全員が、一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、二つの人影だった。
一人は、黒い山高帽に黒のコート。
西部劇から抜け出してきたような女――壺井あかり。
もう一人は、銀髪の長い髪に淡いピンクの小袖をまとった美女。
壺井倍美。
邪神ツボニール・ツヴァイ、その人だった。
「……どちら様でしょうか?」
正顕が、思わず呟く。
「何を呆けておる、正顕」
倍美が、堂々と胸を張った。
「妾が来てやったのじゃ。もっと喜ばんか」
「…………」
正顕は固まった。
口が開いたまま、閉じない。
(……なんでここにいるんだ!?)
七千万円を受け取り、異世界への道を開いた張本人。
忘れようにも忘れられない邪神が、なぜか自分の結婚式に現れたのだ。
「よう、正顕。元気そうじゃねえか」
あかりが気安く手を振る。
「……あかりさんまで?」
「おう。新郎側の親族として来てやったぜ」
「親族……?」
「細けえことは気にすんな」
「いや、気にするだろ!」
正顕の声が裏返った。
慌てて立ち上がったのは、さやかだった。
「失礼いたしました。どちらのお家のご親族でしょうか?」
「それでも龍人の末裔なのか?」
倍美が、さやかの言葉を遮った。
「そなたが呼んだのであろう。わざわざ来てやったのじゃぞ」
「……え?」
さやかの動きが止まる。
呼んだ?
自分が?
その瞬間、記憶がよみがえった。
祝言を前に、さやかは郷の神社を訪れていた。
娘の結婚について。
新郎の正体について。
そして、彼が関わっているという邪神について。
報告がてら手を合わせ、半ば冗談めかして願ったのだ。
――もし本当に、あの邪神が正顕さんの後ろ盾なら。
――祝言を、見届けください。
まさか。
本当に来るとは思わなかった。
「……もしや」
さやかの喉が、小さく鳴った。
「うむ。妾こそが、ツボニール・ツヴァイじゃ」
倍美の瞳が、縦に裂けた。
黄金色の光が宿る。
瞬間、拝殿を満たす空気が変わった。
圧倒的な霊力。
人間の理解を超えた存在感。
ただそこに立っているだけで、周囲の人間に本能的な畏怖を抱かせる。
高城家の親族たちが、一斉に息を呑んだ。
さやかでさえ、背筋に冷たいものが走る。
(嘘でしょ……)
(邪神ツボニール・ツヴァイ)
(世界の破壊者が、本当に来たの!?)
彼女は、正顕へ視線を向けた。
当の本人は、口を開けたまま固まっている。
(正顕さん……)
(あなた、本当に何者なのよ!?)
「こっちは義理の妹の、あかりじゃ」
「よろしくな」
あかりが、ひらひらと手を振る。
さやかは一瞬だけ完全に停止した。
だが、すぐに笑顔を取り戻す。
「……これは、失礼いたしました。ようこそお越しくださいました。どうぞ、こちらへ」
さすがは高城家の当主。
驚愕を押し殺し、即座に対応を切り替えた。
倍美は当然のように新婦側の最前列へ座る。
ちょこん。
その隣では、あかりがふんぞり返った。
「いやあ、いい式じゃねえか」
「……あの」
正顕が、恐る恐る口を開く。
「倍美さん。どうしてここに?」
「祝いに来たのじゃ」
「それは分かります。どうして、わざわざ?」
「妾が来たいと思ったからじゃが?」
「…………」
正論だった。
相手が邪神でなければ、もっとまともな返答を期待したかった。
倍美は、にこやかに手を振った。
「正顕、よい祝言じゃな!」
正顕は、ゆっくりと目を閉じた。
(……もう、どうにでもなれ)
◇
やがて、祝言が始まった。
神職が祝詞を奏上する。
厳かな声が、拝殿に響き渡った。
三々九度。
誓詞奏上。
玉串奉奠。
参列者への御神酒の振る舞い。
儀式は、滞りなく進んでいく。
正顕は、何度か隣を見た。
みさおは、そのたびに嬉しそうに微笑んだ。
その瞳には、喜びと、わずかな不安と、それ以上の幸福が宿っていた。
正顕は、そっと彼女の手を握った。
みさおが、小さく息を呑む。
そして、握り返した。
その温もりに、正顕の胸にあった迷いが、ほんの少しだけ和らいだ。
すべてが解決したわけではない。
洗脳の問題もある。
これから先、何が待ち受けているのかも分からない。
それでも。
今日、みさおは彼と一緒にいたいと願っている。
その願いを、無下にすることだけはしたくなかった。
「これをもって、両名の婚姻の儀を執り納めます」
神職の言葉とともに、儀式が終わった。
参列者たちが頭を下げ、拍手が起こる。
こうして。
茆原正顕と高城みさおは、夫婦となった。
みさおの頬を、再び涙が伝った。
今度は、隠そうともしなかった。
幸せだった。
ただ、幸せだった。
その姿を見たさやかも、そっと目元を押さえた。
(……よかったわね、みさお)
母親として、心からそう思う。
そして、正顕へ視線を移す。
(さて。これで、もう逃げられないわよ)
感動の涙を拭いながら、さやかは冷徹に計算していた。
◇
式が終わると、正顕とみさおは倍美の前に座った。
「めでたいな」
倍美は、満足そうに頷く。
「妾が結んだ縁が、こうして形になった。実にめでたい」
「……その節は、どうも」
正顕が、乾いた声で答えた。
「なんじゃ、その反応は。もっと感謝せぬか」
「感謝はしています。ただ、まさか結婚式にまで来ていただけるとは……」
「呼ばれたでな?」とさやかを見る。
正顕は、追及を諦めた。
相手は邪神だ。
常識を期待するほうが間違っている。
そのとき、倍美がみさおへ視線を向けた。
「さて。祝儀代わりに、そなたに加護を授けてやろう」
「えっ?」
倍美は、みさおの頭上に手をかざした。
淡い光が、彼女の身体を包み込む。
温かい。
まるで、誰かに優しく抱きしめられているような感覚だった。
「よいか、みさお」
倍美の声が、静かに響く。
「その力は、そなたと連れ合いが、どれほど離れた場所におろうとも……共にありたいと願う心に応えるものじゃ」
「共に、ありたい……」
「うむ。絆の力、とでも呼ぶべきかの」
倍美は、目を細めた。
「使い方は、そなた自身にしか分からぬ。そして、この力のことは、むやみに口外するでないぞ」
「はい。ありがとうございます」
みさおは、深々と頭を下げた。
倍美は満足げに頷く。
「うむ。よい返事じゃ」
「……ずいぶん強力な加護に聞こえますが」
正顕が、眉を寄せる。
「祝儀じゃぞ?」
「いや、祝儀の規模じゃないでしょう」
「妾にとっては些細なことよ」
あっさりと言い切られた。
正顕は、黙った。
この邪神に常識を求めるのは、もうやめよう。
◇
「では、妾たちは帰るとするか」
倍美が立ち上がった。
「本日は、はるばるありがとうございました」
さやかが、紙袋を差し出す。
「ささやかですが、こちらをお持ちください」
「おおっ! 酒か!」
中身を覗いた倍美の顔が、ぱっと明るくなった。
「よいのう! これはよい!」
あかりが呆れたように肩をすくめる。
「義姉貴、現金だなあ……」
「何を申す。祝儀を受け取るのも、神の務めじゃ」
「そんな神の務め、聞いたことねえよ」
「そなたが知らぬだけじゃ」
「はいはい」
いつもの調子で言い合いながら、二人は拝殿を後にした。
「じゃあな、正顕。それに、みさお。どっかでまた会おうぜ」
あかりが手を振る。
「うむ。末永く仲良くするのじゃぞ」
倍美も、にこやかに笑った。
「「ありがとうございました」」
正顕とみさおは、揃って頭を下げた。
二人の姿が去っていく。
正顕は、長く息を吐いた。
「……嵐みたいな人たちだったな」
「ふふっ。でも、先生の大切な人たちなんですよね?」
「大切かどうかはともかく……恩はある」
「じゃあ、私にとっても大切な人たちです」
みさおは、嬉しそうに微笑んだ。
正顕も、小さく笑った。
◇
人のいなくなった拝殿の縁側。
正顕とみさおは、並んで座っていた。
「先生」
「ん?」
「私たち……もう夫婦ですね」
「……そうだな」
「約束、覚えてますか?」
みさおは、いたずらっぽく笑った。
「一生かけて、償ってくれるって」
正顕は、彼女の顔を見た。
洗脳を解くこと。
彼女が自分の意思で生きられるようにすること。
それは、今も変わらない約束だった。
「ああ。覚えてるよ」
正顕は、静かに頷く。
「ただ、一つだけ確認させてくれ」
「はい?」
「俺は、本当は三十八歳のおっさんだ。君が思っているような年齢じゃない」
「知ってます」
「それに、俺は君を傷つけた人間の身体を使っている。だから、これから先も、君が嫌だと思うことはしたくない」
みさおは、しばらく彼を見つめていた。
やがて、ふっと笑う。
「いいんです」
「……いいのか?」
「はい。実は私、ファザコンなんです」
「…………」
正顕は、目を細めた。
「知ってた」
「ええっ!? そこは驚くところです!」
「いや、今さらだろ」
「もう! 先生、ひどいです!」
そう言いながらも、みさおは笑っていた。
正顕も、つられるように笑った。
二人の間に、穏やかな時間が流れる。
まだ、すべてが解決したわけではない。
洗脳の問題もある。
この世界に潜む危険もある。
そして、正顕には、まだ明かされていない秘密があった。
こうして、茆原正顕と高城みさおは夫婦になった。
みさおは幸せそうに笑い、正顕は困ったように笑い返す。
その笑顔の裏に、まだ解決していない問題がいくつも残されていることを、二人とも知っていた。
それでも、今だけは。
二人は夫婦として、同じ未来を見つめていた。
余命一年の社長、七千万円で異世界転移したら、洗脳された美少女を救う悪役教師になっていた 第1部 【完】
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