第2話 引き金は、涙と引き換えのキスで(2)
翌日、休日。
俺はベランダで煙草に火をつけた。
紫の煙が秋空に漂う。
テーブルの上には抗がん剤、医療用麻薬、ステロイドの山。
あの少女の凛とした雰囲気
芯の強さの中に隠された弱さ
そして悲しげな瞳。
(俺が助ける……?)
( 末期ガンの、こんなおっさんが?)
( 犯罪だろう)
(どうかしてる)
自嘲しながらも、俺は清潔なシャツに着替え、街へと繰り出した。
一人で部屋にいたくなかったのだ。
すると――
ショッピングモールの中庭に
彼女はいた。
休みなのに、なぜかセーラー服姿で。
「ふふ、また会えたね」
「君は……」
「どうでもいいじゃない」
少女は無邪気に笑うと、俺の腕にギュッと抱きついてきた。
豊満な胸の柔らかい感触が伝わり、心臓が跳ね上がる。
「行こ!」
強引に引っ張られた先は、アイスクリームの屋台だった。
「私、あれが食べたいわ!」
数十種類のアイスが並ぶメニューを指差す。
少女は腰に手を当てて鼻息を荒くする。
「あのさぁ……」
「こういう時は男がサッと買うものよ! 何がいい?って」
「……そうだね。」
「何がいいんだい?」
俺が苦笑すると、少女は真剣な顔で俺の目を覗き込んできた。
「いい? 覚えておいてね。」
「私の好きな組み合わせは、上から『リッチストロベリー』と『チョコミント』。ダブルで!」
「ダブル、ね」
「もしトリプルなら」
「これに『ビターキャラメル』! 」
「これで100点満点! 」
「この種類と順番……絶対に忘れないでね?」
渡されたアイスを、少女は本当に美味しそうに頬張る。
ベンチに並んで座る。
俺が横目で見ていると、少女は食べかけのアイスを差し出してきた。
少し削れたストロベリーの部分。
「……あなたは食べないの?」
「 一口、食べる?」
「っ……いや、やめとくよ」
美少女の食べかけなど最高のご褒美のはずだが、大人の理性が邪魔をする。
少女は途端にジト目になった。
「あ~あ、そういうとこよ! 」
「美少女から差し出されたアイスよ?」
「 『喜んで食べる』の一択でしょ!」
「自分で美少女って言うか」
「あら、容姿には自信があるのだけれど。」
「自意識過剰かしら?」
「いや、間違ってないよ」
俺が苦笑しながら胸ポケットから煙草を取り出そうとする。
少女はすっとそれを横から奪い取った。
「めっ! 」
「レディの前で勝手に吸わないの。」
「吸いたい時は『吸ってもいい?』って聞くものでしょ?」
「……君の前だと、俺は子供みたいだな。歳上のはずなのに」
「ふふ。大人の男なんて、歳をとっただけの男の子よ」
少女はクスクスと笑い……ふと、寂しげに目を伏せた。
「……パパが、そう言ってた」
空気が一瞬、重くなる。
俺は思い切って尋ねた。
「あのさ……そろそろ名前、教えてくれないか?」
少女はカッと目を見開いた。
「えっ……私の名前、わからないの!?」
「 あなた、すごく私に『お世話』になったはずなのに!」
「 毎日のように……」
「その私がわからないと!?」
悪戯っぽく微笑みながらも、少女の瞳には深い透明感が宿っている。
「信じられないわ。」
「昔の女はもう忘れたってワケ? ……」
「ほんとにわかんないの?」
「ごめん……君みたいな綺麗な子、忘れるはずないんだが……」
「呆れた。」
「私はあなたの名前、ちゃんと覚えてるのに……」
「マサアキ。マサくんでしょ?」
「えっ……!? 」
「なんで……」
驚愕する俺に、少女は懐かしそうに目を細めた。
「あなたが教えてくれたんじゃない。」
「それに……同じ学校にいたじゃない。」
「危機を何度も救ってくれた……」
「私のファーストキスだって…」
「あなたなんだから」
「が、学校!? キス……!?」
パニックになる俺の唇に、少女はそっと人差し指を立てた。
「ふふ、秘密よ。」
「当ててみて?……」
「当てられたら、私を好きにしていいわ」
ぽっと頬を赤らめる少女。
だが次の瞬間、彼女は寂しそうに立ち上がった。
「名残惜しいけど……」
「そろそろ時間ね。」
「いい? 必ず迎えに来て……待ってるから」
少女はまっすぐに俺を見つめ、言い渡した。
「合言葉は――」
「『神に逢えば神を切り、仏に逢えば仏を切る』」
「『我らは冥府魔道に生きる者』」
「えっ、子連れ狼!?」
「ふふ、覚えた? 」
「それくらい愛し合ってるの、お互い……」
「それと、私が好きなアイスは?」
「ええと……リッチストロベリー、チョコミント、ビターキャラメル……」
「100点満点! 」
「種類と順番を間違えちゃダメよ。」
「これは……パパと、あなたしか知らないんだから。」
「絶対にね!」
そう言い残し、少女は脱兎のごとく走り去っていった。
その日の夕方。再び『壺新溜神社』の境内。
「……その女に、会いに行きたいのだな?」
倍美が厳かな声で問う。
「あの世界は、この現実のものではないぞ……」
「行くなら西部劇の世界とかにせんか?」
「いいえ。」
「彼女が……『迎えに来て』と言いましたから」
俺の決意に偽意はない。
倍美は大きなため息をつき、あかりに合図を送った。
あかりが引っ張ってきたのは、巨大なミリタリーダッフルバッグだ。
「持っていけ。」
「使い方は頭の中に直接送り込んでやる」
次の瞬間
黒いカーテンのような領域が三人を包み込んだ。
「良いか。」
「その女がおる世界は過酷な世界じゃ。」
「歪んだ欲望によって具現化した異界……」
「お主とその女が強く惹かれ合ったからこそ、道が繋がった。」
「お主には妾の力を少し分けてやる。」
「『龍人』になれる力をな……」
「ただし、制限時間は3分じゃ」
「3分……?」
「それ以上使えば、1秒につき1日」
「お主の寿命が削れる。」
「心せよ。」
「さらにこれを使え!」
あかりがバッグのジッパーを開ける。
そこには――銀色に鈍く輝く大量の凶悪な銃器。
ショットガン、デザートイーグル、バレットM82対物ライフル、特殊弾薬、タクティカルナイフ、そして背中に巨大なスカルが描かれた防弾コートとサングラス。
「弾が尽きたら調達するメモも入れたぜ。」
「コートはお揃いだ!」
「な、何を……!?」
呆然とする俺に、倍美がフッと微笑む。
「安心せい。」
「お主のガンは治しておいた……」
「足元を見よ。」
俺の足元に、赤く輝く巨大な魔法陣が展開する。
「良いか……」
「生き残るには『絆』じゃ。」
「強く結ばれた心と心で」
「一点突破せよ!」
「待っ――」
パチンッ!
倍美が指を鳴らした瞬間
俺の視界は白光に包まれ、意識が吹き飛んだ。
……残された境内。
「いいのか義姉貴」
「説明不足じゃねえか? 」
「あんな『いかがわしい世界』に行くって、まともに教えてねえぞ」
「ふん、匂わせはしたわ。」
「自己責任じゃ」
「まあ、姉貴の力を借りてりゃ負けねえだろうけどさ」
「問題はそこではない……」
「あの女の方じゃ。」
「洗脳され、傀儡と化した『ヒロイン』を、あの男がどうするか……」
倍美は消えゆく魔法陣の残り香を見つめながら、静かに呟いた。
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