第1話 引き金は、涙と引き換えのキスで(1)
気がつくと、眼前にマンションのドアがあった。
(……えっ!? 俺、さっきまで神社の境内にいただろ……!?)
激しい頭痛とともに押し寄せる困惑。
今の状況がまったく理解できない。
右手を伸ばすと、なぜか手に馴染む無骨な金属の鍵を握りしめていた。
もう一方の左手には、ずっしりと重い90リットルはあろうかという巨大な軍用ダッフルバッグ。
全身を駆け巡る理不尽な違和感に背筋を凍らせながらも、吸い寄せられるように鍵穴へ差し込む。
ガチャリ、と重厚な金属音が響いた。
ドアを開け、靴を脱ぎ、導かれるように奥の廊下へ歩みを進める。
生活感の薄い無機質なキッチン。
そこに――彼女はいた。
セーラー服を纏った、黒髪ロングの女子高生。
清楚で整った顔立ち、白磁のような肌、豊かな胸元。
息をのむほどに完璧な日本の美少女。
彼女は、ふわりと微笑んだ。
「お帰りなさいませ……ご主人様」
しかし、その可憐な微笑みの奥には、決定的な狂気と戸惑いが張り付いている。
(君は……)
なぜだろう。俺はこの少女を知っている。
初対面のはずなのに、心の底から強烈な懐かしさと……胸を刺すような愛おしさが込み上げてくる。
「ご飯にしますか? 」
「それとも、お風呂にしますか……?」
少女は感情の抜け落ちた声でそう紡ぐと、すっと膝をつき、俺の目の前に跪いた。
「それとも……『私』にしますか?」
「っ――!?」
小さな指先が俺のベルトに伸びる。
バックルが外され、ズボンのジッパーが重たく引き下ろされた。
彼女の唇は完璧な歓喜の笑みを形作っている。
――だというのに。
ボロボロと、その大きな瞳から溢れ出すのは、大粒の涙だった。
深層心理が叫びを上げているかのように…
顔を歪めることも許されぬまま
彼女の目から涙だけがポロポロとこぼれ落ちていく。
壊された心。
意志を奪われた身体。
それが、俺と彼女の――最悪で、悲劇的な再会だった。
◇
時は、数日前に遡る。
「……暑いな。もう十月だってのに」
ハンカチで額の汗を拭う。
日差しが照りつけるビル街の気温は、季節外れの29度を記録していた。
俺――茆原正顕は、30代後半の冴えないサラリーマンだ。
背が低く、メガネをかけた痩せ型の男。
だが着ているスーツは仕立てのいい高級品
手首にはクラシックな機械式腕時計が時を刻んでいる。
金はある。
親の遺産と、己の稼ぎ。
使い切れないほどの資産が。
だが、俺の命はもうすぐ終わる。
末期ガン。
すでに全身へ転移しており
医者からはもってあと一年と言われていた。
だからだろうか。
死を客観的に諦念し、ただ虚無の中を歩いていた俺の目に、その異常な光景が飛び込んできたのは。
人通りの激しいオフィス街の真ん中。
誰も彼もが黒っぽいスーツを着て行き交う中で、ポツンと佇むセーラー服の少女。
黒髪ロング
透明感溢れる肌
すっきりとした目元。
息をのむような美少女。
異常だったのは――行き交う人間たちが、まるで彼女が存在しないかのように完全に無視していることだった。
少女は一人、じっと俺を見つめ、微笑んでいた。
磁石に引き寄せられるように、俺は少女へと近づく。
すれ違いざま。
彼女の小さな唇が動いた。
「『あなた』を待ってる……っ」
囁くような、悲痛な声。
「いい? 絶対……迎えに来て。約束よ……!」
「私の名前は――」
「えっ!?」
驚いて反射的に振り返る。
だが、そこには誰もいなかった。
ただの混雑した人波が広がっているだけだった。
◇
数日後。
俺は鬱蒼とした山奥、石造りの長い階段を一段ずつ踏みしめて上っていた。
手に握りしめているのは、重厚なアルミ製のジェラルミンケース。
呼吸が荒れる。
だが、足は止まらない。
鳥居をくぐり抜けた先に、その女は待っていた。
白衣に淡い青の袴。
神々しいまでの美しい顔立ちをした、銀髪ロングの女。
「よく来たの。……願いはなんじゃ?」
ニヤリと不敵に笑う女の名は、壺井倍美。
かつて神々と争い追放された邪神『邪龍ツボニール』の成れの果てだ。
「……よろしくお願いします」
俺は深々と頭を下げる。
案内された社務所のソファに腰を下ろすと、倍美の隣には金髪に赤い衣を羽織った巫女姿の美女・あかりが控えていた。
テーブルの上に、ドサリとジェラルミンケースを置く。
開け放たれた中身は、ぎっしりと詰まった札束――現金五千万円。
「うーむ……そのおなごに会いたい、とな」
倍美があかりと目を見合わせる。
(なんか訳ありだぜ、義姉貴)
と言いたげに目配せするあかり
倍美は頷き、俺に向き直った。
「しかしのう。ここは『壺新溜神社』の上宮。
幾重にも結界が張られ、普通の人間なら辿り着くことすら出来ぬ場所。
……それほどの金を積んでまで会いたいとは。」
「お主」
「その金があれば別の女でもよいのではないかの?」
「……そうですね。」
「ですが、もう時間が無いんです。」
「金を使い切る時間が」
俺は力無く微笑み、静かに告げた。
「ガンなんです。」
「末期ガン……」
「全身に転移していて、いつ死んでもおかしくない」
諦念を込めて目を瞑る。
静寂が室内に満ちた。
「……お主、自分が騙されているとは思わぬのか?」
「 弱みに付け込まれ、我らに金をむしり取られているだけかもしれんぞ」
「……かもしれませんね。」
「我ながら常軌を逸していると思います。」
「でも……」
胸の奥が、熱く疼く。
「なぜか……」
「あの子が、頭から離れないんです。」
「初めて会った気がしない……」
「やめておけ!」
倍美がピシャリと言い放つ。
「妖がよく使う手じゃ。」
「自ら罠にハマりに行くようなものぞ!」
「でも……!」
頭をガシガシと掻きむしった倍美
はあーっと大きなため息をついた。
「あい、わかった! 」
「明日の夕方、またここへ来い。」
「……それと、追加で二千万円用意せよ。できるか?」
「……わかりました」
合計七千万円。
怪しげな宗教法人に払う金額としては完全に狂っている。
だが、どうせ死ぬ身だ。
生きてる実感が欲しかった。
あの子に会えば、何か変わるのかもしれない――。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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