第18話 「パパと私しか知らないのに……」――9260通りの偶然(2)
――どうして?
みさおは、もう一度アイスクリームを見つめた。
自分の好みを、彼方に教えたことはない。
この組み合わせについて話した記憶もない。
それなのに。
彼は、二つも当ててきた。
しかも、順番まで。
みさおの胸の奥で、何かが揺れた。
そのときだった。
「すみませーん!」
慌てた声が聞こえてきた。
アイスクリームショップの店員が、こちらへ駆け寄ってくる。
「先ほどのお客様ですよね? 申し訳ありません! お渡しする商品を間違えてしまいました!」
「……え?」
彼方が顔を上げた。
店員は、手に持っていたカップを差し出した。
「こちらが、ご注文いただいた商品です!」
みさおは、そのカップを見た。
そして――息が止まった。
最上段。
リッチストロベリー。
二段目。
チョコミント。
そして、三段目。
ビターキャラメル。
「…………え?」
声が出なかった。
見間違いではない。
夢でもない。
そこにあるのは、みさおがずっと大切にしてきた、あの組み合わせだった。
しかも。
順番まで、完全に一致している。
「こちらが正しい商品です。間違えてお渡ししたほうも、よろしければサービスとしてお召し上がりください。本当に申し訳ありませんでした!」
「ああ、わざわざありがとうございます」
彼方は、店員に軽く頭を下げた。
店員は何度も謝りながら、店へ戻っていった。
その場に、沈黙が落ちた。
みさおは、目の前のアイスクリームを見つめていた。
リッチストロベリー。
チョコミント。
ビターキャラメル。
父親と二人だけで共有していた、秘密の組み合わせ。
それが今、目の前にある。
しかも、彼方が注文したものとして。
「…………どうして」
ようやく、声が出た。
みさおは、震えるような声で尋ねた。
「どうして……これを……?」
彼方は、彼女を見た。
いつものように、穏やかな表情だった。
「どうして、とは?」
「だって……!」
みさおは、アイスクリームを指さした。
「リッチストロベリーと、チョコミントと、ビターキャラメル……!」
言葉が詰まる。
喉の奥が熱くなった。
「この組み合わせ……私……」
彼方は、黙って聞いていた。
みさおは、唇を震わせた。
「パパと……私しか……知らないのに……」
その瞬間。
さやかの表情から、笑みが消えた。
――何ですって?
彼女は、娘を見なかった。
ただ、アイスクリームを見つめていた。
リッチストロベリー。
チョコミント。
ビターキャラメル。
その順番まで、完全に一致している。
娘が父親との思い出を大切にしていることは知っている。
だが、この組み合わせについて、さやか自身は詳しく知らなかった。
ましてや、彼方が知っているはずなどない。
――偶然?
そんな言葉で片づけていいはずがなかった。
さやかは、ゆっくりと彼方を見た。
彼は、穏やかに微笑んでいた。
何も知らない人間のように。
あるいは。
何もかも知っている人間のように。
◇
「……先生」
みさおは、彼方を見つめたまま呟いた。
「これ……百点満点です……」
その声は、どこか夢を見ているようだった。
彼方は、ただ静かに微笑んだ。
「それなら、よかった」
みさおは、彼から目を離せなかった。
まるで、彼女が何を好きなのか。
どんな思い出を大切にしているのか。
初めから知っていたかのように。
――もしかして。
この人は。
私の知らない、私のことまで知っているの?
胸の奥が熱くなった。
運命。
そんな言葉が、頭をよぎる。
もちろん、そんなことがあるはずはない。
自分は、彼に呪いをかけられていた。
彼への好意だって、その影響かもしれない。
だから、簡単に信じてはいけない。
わかっている。
それでも。
この偶然を、ただの偶然だと思いたくなかった。
――運命だったら、いいのに。
そう願ってしまう自分がいた。
◇
「じゃあ、こっちは私がいただこうかしら」
さやかは、そう言って、最初に彼方が持ってきたアイスクリームを手に取った。
黒糖ミルクが一番下にある、あの三段アイスだ。
「ママ?」
「せっかくサービスしてもらったんだもの。食べないともったいないでしょう?」
さやかは、何事もなかったかのようにスプーンを手にした。
しかし、内心は穏やかではなかった。
――この組み合わせを、彼は知っていた。
そう考えるしかない。
少なくとも、娘の反応を見る限り、偶然で済ませられる話ではなかった。
さやかは、アイスをひと口すくった。
甘さが舌に広がる。
それでも、頭の中は冷えたままだった。
――あなた、本当に何者なの?
問い詰めたい。
今すぐにでも。
けれど、ここは人目のあるフードコートだ。
それに、娘がいる。
今、余計なことを口にすれば、みさおを混乱させるだけだろう。
さやかは、ひとまず黙って様子を見ることにした。
その一方で。
「……先生」
「はい?」
「ひと口、食べますか?」
みさおは、自分のアイスを見つめながら尋ねた。
「いいんですか?」
「はい。先生が買ってくれたものですし……」
そう言いながら、彼女はスプーンを手に取った。
最上段のリッチストロベリーを、そっとすくう。
そして、彼方のほうへ差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
彼方は、自然な仕草で口に運んだ。
「うん。おいしいですね」
そう言って、彼は何のためらいもなくスプーンを返した。
みさおは、それを受け取る。
そして、同じスプーンでアイスをすくった。
自分の口へ運ぶ。
「…………っ」
遅れて、顔が熱くなった。
――待って。
今、先生と同じスプーンを……?
いや、普通だ。
ひと口食べてもらっただけ。
自分だって、同じアイスを食べただけ。
何もおかしくない。
何も問題ない。
なのに。
――まるで、恋人みたいじゃない……!
みさおは、慌てて視線を逸らした。
頬が熱い。
耳まで熱い。
心臓が、やけにうるさい。
「……みさお?」
「な、なんでもありませんっ!」
「そうですか?」
「はいっ!」
彼方は不思議そうに首を傾げた。
どうやら、本当に何も気づいていないらしい。
それが、みさおには少しだけ悔しかった。
自分ばかり意識しているようで。
けれど、彼が何も意図していないからこそ、こうして自然に隣にいられるのかもしれない。
そんな気もした。
「……ふふっ」
さやかが、小さく笑った。
「ママ!?」
みさおは、勢いよく振り返った。
「何よ?」
「今、絶対に何か考えてたでしょ!」
「ええ。お邪魔だったかしら、と思って」
「もう、ママったら……!」
みさおは、顔を真っ赤にした。
さやかは、楽しそうに笑っている。
しかし、その目は彼方を注意深く観察していた。
――あの組み合わせを、彼は知っていた。
今朝の言葉も、知っていた。
しかも、娘の気持ちを無理に煽ることなく、自然に距離を縮めている。
偶然なのか。
何か理由があるのか。
それとも――。
彼方は、本当に娘のことを、以前から知っていたのだろうか。
さやかは、スプーンを動かしながら、彼の横顔を盗み見た。
穏やかな表情。
落ち着いた物腰。
そして、ときおり見せる、年齢にそぐわないほど達観した眼差し。
まるで、何かを知っている人間のようだった。
しかし、問い詰めるには材料が足りない。
今は、まだ。
◇
「……先生」
みさおが、再び彼方を見た。
「このアイス、本当においしいです」
「それはよかった」
「……また、一緒に食べたいです」
言ってから、みさおは固まった。
自分から、そんなことを口にしてしまった。
まるで、次のデートを期待しているみたいではないか。
いや。
実際、期待しているのだ。
彼方は、彼女の顔を見つめた。
そして、穏やかに頷いた。
「うん。また来よう」
「……はい!」
みさおの顔に、花が咲いたような笑顔が広がった。
その笑顔を見て、彼方も微笑む。
さやかは、その光景を見つめていた。
娘は、まるで運命の相手を見つけたかのような顔をしている。
その気持ちが、呪いの影響なのか。
それとも、本当に彼自身に惹かれているのか。
今のさやかには、判断できなかった。
ただ。
ひとつだけ、はっきりしていることがある。
目の前の男は、普通ではない。
少なくとも、ただの教師として片づけていい相手ではなかった。
さやかは、そっとスプーンを置いた。
今朝の言葉。
映画館での様子。
そして、誰も知らないはずのアイスクリーム。
偶然だと考えるには、重なりすぎている。
彼方は、娘に微笑んでいた。
その表情には、何の不自然さもない。
だからこそ、さやかには不気味だった。
――久遠彼方。
あなたは、本当に何者なの?
疑念は、先ほどよりもずっと深くなっていた。
そして彼方は、そんな彼女の視線に気づいているのか、いないのか。
何も言わず、ただ穏やかに笑っていた。
まるで。
この先に待っているものを、知っているとでもいうように。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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