第16話 親同伴のデートなんて聞いてない!――先生が選んだのは、かわいい顔した問題作でした(2)
車は郊外の大型ショッピングモールへと到着した。
休日ということもあり、駐車場は多くの車で埋まっている。
家族連れ。
若いカップル。
友人同士で遊びに来た学生たち。
にぎやかな人々の流れを眺めながら、みさおは彼方の隣を歩いていた。
……本当に、デートなんだよね?
母親もいるけれど。
母親もいるけれど!
それでも、先生と一緒に出かけている。
そう考えると、胸の奥がくすぐったくなった。
「さて。まずは映画でも観ようか」
「映画……?」
みさおは首を傾げた。
映画。
休日のデート。
恋愛映画。
……いや、別に恋愛映画でなければ駄目というわけではない。
ないのだが。
彼方がチケット売り場で取り出したものを見た瞬間、みさおは固まった。
「…………え?」
そこに描かれていたのは、今話題の大ヒットアニメ映画だった。
丸っこくて、小さくて、なんだか妙にかわいらしい生き物たち。
つぶらな瞳。
ふわふわした輪郭。
絵本から飛び出してきたような、愛らしいキャラクターたちが並んでいる。
ポスターの色合いも、実に柔らかい。
その下には、こんな宣伝文句が添えられていた。
――その愛も罪も命でさえも
……なんだろう。
この、見た目に反して妙に重いキャッチコピーは。
「せ、先生……?」
「ん?」
「これ……観るんですか?」
「うん」
「……アニメ、ですよ?」
「そうだね」
「……恋愛映画とかじゃなくて?」
彼方は、きょとんとした。
「恋愛映画がよかった?」
「い、いえ! そういうわけじゃ……!」
みさおは慌てて首を振った。
別に、恋愛映画でなければ嫌というわけではない。
ただ、初めてのデートなのだ。
もう少し、こう……。
雰囲気とか。
ムードとか。
胸がときめくような何かがあってもいいのではないだろうか。
ところが、彼方は実に楽しそうだった。
「これ、面白いんだよ。もう四回目なんだけど」
「…………四回目?」
みさおの声が裏返った。
後ろにいたさやかも、思わず彼方の顔を見た。
「三回も観たの?」
「うん」
「……同じ映画を?」
「そう」
彼方は、何の問題もないという顔で頷いた。
「いや、本当に面白いんだ」
みさおとさやかは顔を見合わせた。
……この人、いったい何を言っているのだろう。
「そ、その……」
みさおは、恐る恐る口を開いた。
「相手の趣味とか……考えないんですか?」
「え?」
「だって、デートですよね?」
「そうだね」
「……普通、相手が楽しめそうなものを選ぶんじゃ……」
彼方は、そこで初めて困ったような顔をした。
「ああ……そうか」
ぽん、と手を打つ。
「実は俺、デートってしたことがなくてさ」
「…………」
「何を選べばいいのか、正直よく分からないんだよね」
みさおは、思わず言葉を失った。
さやかは、呆れたように笑う。
「……お子様ね」
「ええ。いくつになっても、『大人の男なんて、歳をとっただけの男の子』ですよ」
「「…………えっ?」」
さやかとみさおの声が、きれいに重なった。
さやかの笑顔が消えた。
彼女は、彼方の顔を凝視している。
「……今、なんて?」
「え?」
「大人の男は、歳をとっただけの男の子……って」
「ああ。そういう意味ですよ」
彼方は、何でもないことのように微笑んだ。
だが、さやかの胸中は穏やかではなかった。
――大人の男なんて、歳をとっただけの男の子だ。
それは、かつて父がよく口にしていた言葉だった。
何度も聞いた。
何度も笑った。
そして、今も忘れられない。
それを、目の前の男が何気なく口にした。
「……それ、パパが……」
さやかの口から、思わず言葉が漏れた。
「ん?」
「……いえ。何でもないわ」
彼女は、ゆっくりと首を振った。
偶然かもしれない。
似たような言葉を、誰かが口にすることだってある。
だが、今朝の言葉といい、今の言葉といい。
偶然で片づけるには、あまりにも気になることが多すぎた。
彼方は、そんな彼女の様子に気づいたのか、少しだけ表情を和らげた。
「まあ、とにかく。絶対に面白いから」
そして、映画のポスターを指さす。
「かわいい絵柄だけど、ストーリーは意外と重いんだ。登場人物たちも、ただ仲良く暮らしているだけじゃない」
「……はあ」
「生きるために働かなきゃいけないし、理不尽なことも起きる。頑張ったからって、必ず報われるわけでもない」
彼方の表情が、少しだけ真剣になった。
「それでも、誰かと一緒にいたいと思う。誰かを信じたいと思う。そういう気持ちが、物語の中にちゃんとあるんだよ」
みさおは、彼の横顔を見つめた。
「……先生?」
「ん?」
「……なんだか、すごく詳しいですね」
「そりゃあ、三回も観ているからね」
「そこは自慢するところじゃないと思います……」
彼方は、苦笑した。
「まあ、観れば分かるよ」
さやかは黙っていた。
彼方の言葉が、頭の中で何度も繰り返されている。
生きるために働く。
理不尽なことが起きる。
それでも、誰かと一緒にいたいと思う。
誰かを信じたいと思う。
……まるで。
彼方自身が、何かを語っているようだった。
けれど、今はまだ問い詰めるときではない。
さやかは、そっと息を吐いた。
「……分かったわ。そこまで言うなら、観てみましょう」
「ありがとうございます!」
彼方は、心底嬉しそうに笑った。
その無邪気な笑顔を見て、さやかはまたしても呆れてしまう。
(……本当に、何なのよ。この男)
◇
九十分後。
映画館から出てきた三人の様子は、見事なまでに対照的だった。
みさおは、複雑そうな顔をしている。
さやかは、呆れ半分、感心半分といった表情。
そして――。
「…………最高だった」
彼方は、目元に涙を浮かべていた。
「何度観ても……最高だ……」
声が震えている。
目尻には、はっきりと涙が滲んでいた。
「今年の一番は、これだよ……!」
「…………」
みさおは、隣を歩く彼方を見た。
それから、母親を見た。
さやかも彼方を見ていた。
二人の視線が交差する。
無言の会話が成立した。
――この人、何をそんなに泣いているの?
みさおは、そっと視線を逸らした。
「いや……面白かった、ですけど……」
「だろう!?」
彼方が勢いよく振り返った。
目が輝いている。
「分かるだろ? あの二人の絆!」
「えっ?」
「お互いのことを分かっているようで、決定的なところですれ違っている。なのに、ただの友情とか、仲間意識とか、そんな言葉じゃ説明できない関係になっているんだ!」
「は、はあ……」
彼方は、興奮した様子で語り続ける。
「特に、あの場面だよ!」
彼は、映画館のほうを振り返った。
「あの2人が絶対に言えない秘密を抱えていた。それ気づいた瞬間、あのキャラクターが何も言えなくなるだろう?」
「……そう、ですね?」
「そこがいいんだよ!」
彼方は、胸元に手を当てた。
「言葉にできないんだ。怒りなのか、悲しみなのか。それとも、理解したくないという拒絶なのか。いろいろな感情が混ざっているのに、本人にも整理できない!」
その声には、真剣な熱がこもっていた。
「それにあのキャラの絶対的な強者の孤独だよ。どれだけ力を持っていても、決して他人と分かり合えない。誰も自分の立場を理解できない。だからこそ、強いのに、どうしようもなく孤独なんだ……!」
「…………」
みさおは、ゆっくりと後ずさった。
いや。
別に、映画を熱く語ること自体は悪くない。
好きなものについて話す人間が、多少なりとも熱くなるのは当然だ。
それは分かる。
分かるのだが。
つい先ほどまで、自分を気遣ってくれていた大人の男性が。
今は、かわいらしい小さな生き物たちのアニメについて、目を潤ませながら熱弁している。
その落差が、あまりにも激しかった。
「……先生」
「うん?」
「……本当に、好きなんですね」
「もちろん!」
即答だった。
しかも、満面の笑みである。
「間違いなく、今年一番の傑作だよ!」
彼方は、再び目元を拭った。
さやかは、ついに吹き出した。
「ふふっ……!」
「え?」
「ごめんなさい。だって……」
さやかは口元を押さえ、笑いをこらえた。
「あなたを見ているほうが、映画より面白いんだもの」
「……えっ?」
彼方は、心底意外そうな顔をした。
「いやいや、そこは映画を評価してくださいよ!」
「ちゃんと面白かったわよ? でもねえ……」
さやかは、楽しそうに目を細めた。
「あなた、本当に子どもだわ」
「……そんなにですか?」
「そんなに、よ」
彼方は、納得がいかないという顔をした。
みさおも、小さく頷く。
「……うん。子どもだと思います」
「みさおまで!?」
「だって、先生……さっきから、ずっと映画の話しかしてませんよ?」
「それだけ語りたくなる作品なんだよ!」
「……はいはい」
みさおは、呆れたように笑った。
けれど。
彼方があまりにも楽しそうなので、つられて笑ってしまった。
普段の彼は、落ち着いていて、余裕があって、どこか大人びている。
それなのに、好きなものの前では、まるで少年のように目を輝かせる。
そんな一面があるなんて、思いもしなかった。
……少しだけ。
ほんの少しだけ、彼のことが分かった気がした。
そして、みさおは気づいていた。
自分が惹かれているのは、完璧な大人の男性だからではない。
不器用なところも。
好きなものに夢中になるところも。
ときどき、年齢に似合わないほど無邪気になるところも。
全部ひっくるめて、気になってしまうのだ。
それが呪いの影響なのか。
自分自身の気持ちなのか。
まだ、確信は持てない。
けれど――。
「……先生」
「ん?」
「次は……私が行きたいところを選んでもいいですか?」
彼方は、少し驚いた顔をした。
それから、嬉しそうに笑う。
「もちろん。今日は君たちの行きたいところに付き合うつもりだから」
「……本当ですか?」
「本当だよ」
みさおは、ちらりと母親を見た。
さやかは、にこにこと微笑んでいる。
……この人も一緒なんだよね。
そこだけは、やっぱり納得がいかない。
みさおは、少しだけ頬を膨らませた。
「……ママは、あんまり口を出さないでね」
「あらあら。どうしようかしら?」
「ママ!」
「はいはい」
母娘のやり取りに、彼方は声を立てて笑った。
その笑顔を見ながら、さやかは再び彼の横顔を見つめる。
今朝、彼が口にした二つの言葉。
そして、何気ない仕草。
それらは、さやかの中に眠る疑念を、少しずつ大きくしていた。
(……やっぱり、あなたは何かを知っている)
だが、今はまだ問い詰めない。
娘の前で騒ぎを起こすつもりもない。
もう少しだけ、彼を見極めよう。
この男が何者なのか。
なぜ、あの言葉を知っているのか。
そして――なぜ、亡き夫が口にしていた言葉まで、知っているかのように振る舞うのか。
さやかは、胸の内で静かに決意した。
その一方で。
「よし、次はどこに行こうか!」
彼方は、すっかり機嫌を直していた。
「雑貨屋もあるし、ゲームセンターもある。フードコートも充実しているぞ!」
「……先生、楽しそうですね」
「そりゃあ、休日だからね」
「……映画であんなに泣いてたのに」
「いい作品だったからね!」
「……はいはい」
みさおは、呆れたように笑った。
そして、そっと彼方の隣に並ぶ。
今日のデートは、まだ始まったばかりだ。
母親同伴という、想定外の問題はあるけれど。
それでも。
彼と一緒に過ごす時間が、少しでも長く続けばいい。
そう思ってしまった自分に、みさおは気づいていた。
――それが呪いによるものなのかどうか。
答えは、まだ出ない。
けれど、彼女は今だけは、その問いを胸の奥にしまい込んだ。
目の前では、彼方が次の店を見つけて、子どものように目を輝かせている。
さやかは、そんな彼方を見ながら、静かに目を細めていた。
娘は、彼に惹かれている。
そして自分もまた、彼の正体を知りたいと思い始めている。
母と娘。
それぞれの胸に異なる思いを抱えたまま、三人の休日は続いていくのだった。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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