第14話 娘を泣かせた男を殺しに来た母親――そして、二人きりの時間が始まる。(2)
公園の街灯の下。
俺とさやかは、ベンチに並んで座っていた。
さやかは背を丸め、両肘を膝に乗せている。
先ほどまで俺を殺そうとしていた相手と、こうして隣り合っているのだから、不思議なものだ。
「……ちょっと待っていてください」
「どこへ行くつもり?」
「コンビニです」
「逃げたら殺すわよ」
「逃げませんよ」
「信用できないわね」
「でしょうね……」
俺は苦笑して、公園を出た。
数分後。
コンビニの袋を提げて戻ってくる。
「はい、これ」
取り出したのは、絆創膏だった。
「喉、少し切れているでしょう」
「……は?」
さやかが、ぽかんと口を開けた。
俺は絆創膏を差し出す。
「傷は浅いと思いますけど、念のため」
「……あなたね」
「はい?」
「私、あなたを殺そうとしたのよ?」
「ええ。知っています」
「それなのに、私の手当てをするの?」
「それくらいは…」
さやかは黙り込んだ。
やがて、戸惑ったように絆創膏を受け取る。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
続けて、俺は袋から温かいココアを取り出した。
「それと、これ」
さやかの目が大きく見開かれる。
「……偶然かしら?」
「何がです?」
「それとも、私の好みを知っているの?」
「……」
俺は答えなかった。
ゲームの知識で知っている。
そんなことを説明しても、信じてもらえるとは思えない。
さやかはココアを受け取り、両手で包んだ。
それから、じっと俺を見つめる。
「あなた、何者なの?」
「教師でしょうか」
「そういうことを聞いているんじゃないわ」
「でしょうね」
「人間なの?」
「一応」
「一応って何よ……」
さやかは呆れたように息を吐いた。
それから、俺の手を見つめる。
「あの力は?」
「申し訳ありませんが、詳しくは話せません」
「話せない?」
「多分、話しても信じてもらえないと思います」
「……」
さやかはベンチに両手をつき、天を仰いだ。
夜明け前の空は、まだ暗い。
それでも、東の空には、かすかな明るさが差し始めている。
真面目。
実直。
気遣いができる。
自分が不利になることを承知で、娘への罪を認める。
殺しに来た相手に対しても、怪我を気遣う。
どうにも、調子が狂う男だった。
やがて、さやかは小さく息を吐いた。
「……なんか、娘が惚れるのもわかるわ」
「……それについては、本当に申し訳ありません」
「また謝るの?」
「謝るべきことですから」
「じゃあ、責任を取りなさいよ」
「……それは、みさおと付き合えという意味ですか?」
さやかは首を横に振った。
「違うわよ」
彼女はココアを一口飲んでから、俺を見た。
「あなた、ずるいわ」
「……ずるい?」
「そう。正論ばっかり並べて、娘の気持ちから逃げている」
「……」
「教師だから。
洗脳したから。
あの子の気持ちが、本物かどうかわからないから。
だから、何もしない。
それで全部解決したつもり?」
俺は、すぐには答えられなかった。
彼女の言葉は、痛いほど正しかった。
「……ですね」
俺は頷いた。
「そのとおりです」
「反論しないの?」
「できませんから」
「……本当に面倒くさい男ね」
「自覚はあります」
「そこは否定しなさいよ」
さやかは、呆れたように笑った。
だが、次の質問は真剣だった。
「……あなた、みさおのことが好きなの?」
俺は黙った。
教師としての立場を持ち出せば、答えを避けることはできる。
洗脳の影響を理由にして、彼女の気持ちを受け止めないこともできる。
だが、それでは彼女の母親に対しても不誠実だ。
「……正直に言えば、惹かれています」
俺は答えた。
「でも、それまずいでしょう。俺は教師ですよ」
「……」
「それに、俺は彼女を洗脳した人間です…」
視線を落とす。
「今の彼女が抱いている気持ちが、本当に彼女自身のものなのか。俺には、それすら判断できません」
胸の奥が重かった。
「こんな犯罪者を、みさおが好きになる必要なんてないんです」
自嘲気味に笑う。
「俺は、彼女を傷つけた。彼女の人生を歪めた。そんな人間が、彼女の好意を受け入れていいはずがない」
言葉にすればするほど、自分の身勝手さが浮き彫りになっていく。
彼女を守りたい。
幸せになってほしい。
それは本心だ。
けれど、彼女に拒絶されることが怖い。
自分の気持ちを認めて、彼女に選択を委ねることも怖い。
だから俺は、正論を盾にしていた。
彼女のためだと言いながら。
自分が傷つかない場所に、逃げ込んでいたのだ。
「……驚いたわ」
さやかの声がした。
顔を上げると、彼女は目を丸くしていた。
「あなた、意外と真面目なのね」
「……そうでしょうか」
「ええ。もっと自分勝手な男だと思っていたわ」
「そうですね…身勝手ですね…」
「そこも否定しなさいってば」
さやかは苦笑した。
そして、ココアの缶を両手で包み直す。
「……まあ、いいわ」
「何がです?」
「私が言いたかったことは、言ったから」
彼女は立ち上がった。
俺も、その動きを目で追う。
さやかは公園の入り口へ視線を向けた。
そして、少しだけ表情を和らげる。
「後は、あんたたちに任せる」
「……え?」
「ここから先は、私の出番じゃないってこと」
彼女は俺を見た。
さやかは小さく頷き、歩き出した。
さやかが公園の入り口へ向かう。
その途中で、彼女は足を止めた。
「……あとは、二人で話しなさい」
そう言って、視線を向ける。
俺も、彼女の視線を追った。
公園の入り口。
街灯の明かりが届く場所に、一人の少女が立っていた。
長い黒髪。
不安そうに揺れる瞳。
「……みさお」
高城みさおだった。
俺は思わず立ち上がった。
いつから、そこにいたのだろう。
どこから見ていたのだろう。
いや、そんなことを考えるまでもない。
彼女は、一部始終を見ていたのだ。
母親が俺を殺そうとしたこと。
俺が龍人の力を解放し、圧倒的な力で母親を制圧したこと。
そして、戦いが終わったあと、俺が母親を気遣ったこと。
さらには――。
自分の気持ちについて、俺が何を語ったのかも。
「……ご主人様」
みさおの唇が、小さく動いた。
その声を聞いた瞬間、胸が痛んだ。
俺は一歩、踏み出しかけた。
けれど、止まる。
今、俺が近づけば、彼女はどう思うだろう。
怖いのかもしれない。
怒っているのかもしれない。
それとも、俺に何かを聞きたいのか。
わからない。
だからこそ、勝手に距離を詰めることはできなかった。
さやかは、みさおの肩にそっと手を置いた。
「私は先に帰るわ」
「え……?」
「ここから先は、あんたの番よ」
みさおの目が揺れた。
さやかは、娘の顔を覗き込む。
「言いたいことがあるんでしょう?」
「……」
「聞きたいことも」
みさおは答えなかった。
ただ、唇をぎゅっと結んだ。
「だったら、ちゃんと話しなさい。逃げずにね」
「……それじゃあね」
さやかは手を振り、今度こそ公園を出ていった。
残されたのは、俺とみさお。
二人きりだった。
◇
朝日が、ゆっくりと昇り始めていた。
公園の木々を照らし、遊具の影を地面に伸ばしていく。
俺は、みさおを見つめた。
彼女もまた、俺を見ていた。
けれど、その瞳には、いくつもの感情が入り混じっている。
恐怖。
戸惑い。
怒り。
そして、俺にはまだ読み取れない何か。
「……みさお」
俺は、静かに口を開いた。
「ごめん」
彼女の肩が、わずかに震えた。
「君を傷つけた。本当に、申し訳ないと思っている」
みさおは、俯いた。
「……」
朝日が昇る。
世界が、少しずつ明るくなっていく。
そして――。
「……先生」
みさおが、初めて俺をそう呼んだ。
俺の心臓が、強く跳ねた。
彼女は、震える声で続ける。
「私……」
その瞳から、目を逸らすことができなかった。
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