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余命一年、七千万円で異世界転移したら、洗脳された美少女を救う悪役教師になっていた【なろう版】  作者: 成政
七千万円で異世界に来たら、洗脳された美少女の人生を背負うことになった。
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第11話 「君の恋心は、偽物かもしれない」――彼女が初めて恋を知り、初めて失恋した夜(3)

 

 その夜。


 彼方のマンション。


 ダイニングテーブルには、夕食が並んでいた。


 炊きたてのご飯。


 具だくさんの味噌汁。


 丁寧に煮込まれたサバの煮つけ。


 そして、艶やかなタレが絡んだ、きんぴらごぼう。


 どれも派手な料理ではない。


 しかし、細かなところまで手が行き届いていた。


 サバには臭みがなく、味がしっかりと染みている。


 味噌汁は出汁の香りが豊かで、具材の旨味が溶け込んでいた。


 きんぴらごぼうは歯ごたえを残しながら、甘辛い味付けが絶妙だった。


「……おいしい!」


 みさおは、幸せそうに頬を緩めた。


「特に、このきんぴらごぼう! すごくおいしいです!」


「そうか」


 彼方は、ご飯を口に運びながら答えた。


「ご主人様って、本当に料理が上手ですよね。なんだか、熟年の主婦みたいです」


「……熟年の主婦か」


 彼方は苦笑した。


「まあ、一人暮らしは十五年以上しているからな」


「…………えっ?」


 みさおの箸が止まった。


「十五年……?」


「ああ」


「じゅ、十五年って……」


 みさおは彼方の顔を見つめた。


「十歳のときから、一人で暮らしていたんですか?」


 その瞬間。


 彼方の表情が変わった。


 ほんの一瞬だった。


 けれど、みさおは見逃さなかった。


 彼方の目から、わずかに光が消えたように見えたのだ。


「……すまん。今のは勘違いだ」


 彼方は、軽く肩をすくめた。


「まあ、長いこと一人で暮らしているのは確かだけどね」


「……そう、なんですか」


「ああ」


 彼方は、それ以上説明しなかった。


 みさおも、追及することはできなかった。


 彼の表情に、一瞬だけ浮かんだ何か。


 それが、触れてはいけない記憶に関わるものだと感じたからだ。


 彼方――その内側にいる茆原正顕は、味噌汁を一口すすった。


(……危ないな)


 うっかりしていた。


 正顕の記憶と、久遠彼方としての人生。


 その境界線を、まだ完全には整理できていない。


 何気ない会話の中で、どこまで話していいのか。


 どこからが、この身体の持ち主の過去なのか。


 自分自身でも、まだ把握しきれていなかった。


 そして。


 彼は、目の前の少女を見た。


 みさおは、おいしそうに食事を続けている。


 この一週間、彼女は以前よりも頻繁に彼のマンションを訪れていた。


 学習のため。


 彼方の依頼に応じるため。


 そして、彼のそばにいるため。


 最後の理由については、正顕も薄々気づき始めていた。


(……まずいな)


 胸の奥に、鈍い痛みが走る。


 みさおが、自分に対して好意を抱き始めている。


 その可能性を、彼は無視できなくなっていた。


 だが、彼は知っている。


 この少女の心には、かつての久遠彼方が施した術がある。


 単なる命令ではない。


 相手の感情に働きかけ、好意や依存を強めるための、悪質な洗脳術。


 彼と過ごす時間が長いほど。


 彼と親密に接するほど。


 彼に対する好感が増すよう、仕組まれている。


 もし、みさおが彼に惹かれているのだとしたら。


 それは本当に、彼女自身の意思なのだろうか。


 正顕には、確信が持てなかった。


 だからこそ、彼は決断しなければならなかった。


 みさおの気持ちが、自分に向いているからといって。


 それを喜んでいいはずがない。


 彼女が抱える傷を利用するようなことだけは、絶対にしたくなかった。


 正顕は箸を置いた。


「……みさお」


「はい?」


「明日から、ここに来るのは三日に一度くらいでいいと思う」


 その瞬間。


 みさおの手が止まった。


「…………え?」


 彼方は、なるべく平静な声で続けた。


「毎日来る必要はない。課題も出しておくから、家で進められるところは進めておいてくれ」


「…………」


 みさおの顔から、少しずつ血の気が引いていく。


 三日に一度。


 今までより、会える回数が減る。


 ただ、それだけの話だ。


 普通なら、そう考えるべきなのだろう。


 彼方にも、自分の時間が必要だ。


 仕事もある。


 自分の勉強もある。


 それを理解できないほど、みさおは子供ではない。


 なのに。


(……どうして?)


 胸が、ぎゅっと締めつけられた。


(どうして、急に……?)


「……あの」


「ん?」


「私、何か……粗相をしましたか?」


 彼方は、すぐに首を横に振った。


「いや、そういうわけじゃない」


「で、でも……」


 みさおは、箸を置いた。


「私、何か悪いことをしたんですか?」


「していないよ」


「じゃあ、どうして……?」


 声が震えていた。


 彼方は、深く息を吐いた。


 ここで曖昧なことを言えば、彼女は余計に不安になるだろう。


 だが、すべてを話すわけにもいかない。


 どう説明すればいいのか。


 正顕は、言葉を探した。


「……少し、自分のことを整理したいんだ」


「自分のこと……?」


「ああ。身体も鍛えたいし、自分の勉強もしたい。それに、資産の見直しも必要でね」


「……資産?」


「不動産に偏りすぎているんだよ。株式の保有銘柄も、リスクの割にリターンが見合っていないものが多い。車も三台は必要ないし、一台あれば十分だ」


 彼方は淡々と説明した。


 どれも、正顕にとっては真剣に取り組むべき問題だった。


 この世界で生きていくなら、身体を鍛える必要がある。


 自分の知識も更新しなければならない。


 資産についても、久遠家の財産をそのまま放置するわけにはいかない。


 時間はいくらあっても足りなかった。


 しかし。


 みさおの顔は、ますます曇っていった。


「……そう、なんですね」


「ああ」


「……私と会う時間は、なくてもいいんですか?」


 その言葉に、彼方は口を閉じた。


 みさお自身も、言ってから驚いたようだった。


 頬が赤くなる。


「す、すみません……! 今のは、その……」


「いや」


 彼方は、静かに首を振った。


「君が謝ることじゃない」


 みさおは、俯いた。


 それでも、彼女の胸に渦巻く不安は消えなかった。


 自分は、彼方にとって何なのだろう。


 教え子。


 過去に傷つけた相手。


 罪滅ぼしの対象。


 あるいは、ただの面倒な存在。


 彼方が自分を気にかけてくれるのは、罪悪感があるからなのだろうか。


 もし、そうだとしたら。


 彼が自分を必要としなくなったとき、すべてが終わってしまうのではないか。


 その想像が、みさおを不安にさせた。


 そして彼方は、そんな彼女の心を、さらに揺さぶる言葉を口にした。


「……それと、もう一つ話しておきたいことがある」


「……はい」


 彼方は、みさおの目を見た。


「君にかけられている術についてだ」


 みさおの肩が、小さく震えた。


「……術?」


「ああ」


 彼方は、言葉を選びながら続けた。


「君にかけられている洗脳は、俺と過ごす時間が長いほど、俺に対する好感や依存が強くなるように作られている」


「…………え?」


 みさおは、瞬きをした。


 意味が分からなかった。


 いや、言葉の意味は分かる。


 分かるのに、頭が理解することを拒んでいた。


「……それって」


「俺と一緒にいる時間が長いほど、君の気持ちが俺に傾きやすくなるということだ」


 彼方は、淡々と説明した。


「だから、これ以上、必要以上に接触するのは避けたほうがいいと思っている」


「…………」


「洗脳は必ず解く。そこは約束する」


 彼方は、そう言って味噌汁を口に運んだ。


 何気ない動作だった。


 まるで、これから話すことなど、ただの事務的な説明にすぎないとでもいうように。


 けれど。


 みさおにとって、その言葉は違った。


 世界が、音を立てて崩れていくようだった。


(……そんな)


 胸の奥で、何かが冷たくなっていく。


(私の、この気持ちが……?)


 彼方を見る。


 いつもと変わらない、落ち着いた横顔。


 彼は嘘をついているようには見えなかった。


 むしろ、彼女を傷つけないよう、慎重に言葉を選んでいるようにさえ見えた。


 だからこそ。


 余計に、残酷だった。


「……うそ」


 みさおの唇が、小さく震えた。


「そ、そんなの……」


 彼方は何も言わなかった。


「……私が、ご主人様を好きになるのも……」


 声が掠れる。


「……その術のせい、なんですか?」


 彼方は、すぐには答えなかった。


 彼女の瞳が揺れている。


 その顔を見ているだけで、正顕の胸に罪悪感が積み重なっていった。


 彼が術をかけたわけではない。


 正確には、この身体の持ち主がしたことだ。


 しかし、そんな説明に意味があるだろうか。


 目の前の少女にとって、自分は久遠彼方なのだ。


 彼女を傷つけた男と、同じ名前を持つ人間。


 その身体を使って生きている以上、過去の罪だけを切り離すことはできない。


「……可能性は高いと思う」


 彼方は、そう答えた。


 みさおの顔から、表情が消えた。


「……可能性」


「ああ。君の気持ちが、どこまで術の影響を受けているのか、今の俺には断言できない」


「…………」


「だからこそ、術を解く必要があるんだ」


 彼方は、まっすぐに彼女を見つめた。


「君が本当にどう思っているのか。それは、術に左右されない状態で確かめるべきだと思う」


 正論だった。


 あまりにも正しい。


 洗脳によって生み出された好意を、本物の恋だと決めつけてはいけない。


 本人の意思を尊重するなら、術を解き、自由な状態に戻すべきだ。


 彼方の言っていることは、間違っていない。


 みさおにも、それは分かっていた。


 分かっていたのに。


 胸が痛かった。


 苦しかった。


 息をするのも、つらかった。


「……そ、その」


 みさおは、俯いたまま言った。


「私……そんなに、魅力がないですか?」


「……何?」


 彼方が顔を上げた。


「ご主人様は……私に、触れようとしません」


 声が、震えていた。


「前とは、違うのは分かっています。優しくしてくれるし、ご飯も作ってくれるし……私のことも、考えてくれている」


 みさおは、必死に言葉を紡いだ。


「でも……」


 そこで、声が詰まった。


 言いたくなかった。


 こんなことを口にすれば、自分がどれほど惨めなのか、はっきりしてしまう。


 それでも。


 聞かずにはいられなかった。


「……私のこと、女として見てくれないんですか?」


 彼方は、息を呑んだ。


 その質問が、どれほどの勇気を必要としたのか。


 彼には、痛いほど分かった。


 みさおは、自分の価値を確かめようとしている。


 自分が彼にとって、ただの罪滅ぼしの対象なのか。


 それとも、一人の人間として大切にされているのか。


 答えを求めているのだ。


 だが、彼方は、その問いに安易な言葉を返すことができなかった。


「……みさお」


「……はい」


「誰かを洗脳してまで、関係を求めたいとは思わない」


 みさおの指先が、ぴくりと動いた。


「……で、でも」


 彼女は顔を上げた。


 瞳には、涙が浮かんでいた。


「ご主人様は……私を、自分のものにしたかったから、術をかけたんですよね?」


「…………」


「私に、自分を好きになってほしかったから……」


 彼方は、目を伏せた。


 その質問に、正顕は答えられなかった。


 この身体の持ち主が何を考え、何を望んでいたのか。


 すべてを知っているわけではない。


 ただ、みさおが傷つけられたことだけは、確かな事実だった。


「……それについては、すまない」


 彼方は、深く頭を下げた。


「本当に、どうかしていたんだと思う」


 それは、正顕自身の罪ではない。


 だが、彼女にとっては関係のないことだった。


 みさおは、黙って彼を見つめていた。


 彼方が謝っている。


 自分を傷つけたことを認め、責任を取ろうとしている。


 それなのに。


 今の彼女には、その謝罪すら、遠いものに感じられた。


「……もし」


 彼方は、苦しそうに言葉を続けた。


「もし、君の中に俺への好意があるのなら……」


 みさおの心臓が、大きく跳ねた。


 もしかしたら。


 もしかしたら、彼も。


 ほんの少しだけでも、自分のことを――。


 そんな期待が、胸の奥に生まれた。


 けれど。


「……それが術の影響である可能性は、否定できない」


 その一言で、すべてが終わった。


「…………」


「だから、必ず解く。君が本当に自由な状態で、自分の気持ちを確かめられるようにする」


 彼方は、真剣だった。


「安心してくれ」


 ――安心してくれ。


 その言葉が、みさおの胸に突き刺さった。


 何を安心すればいいのだろう。


 自分の気持ちが、偽物かもしれないこと?


 彼に惹かれている自分が、術によって作られた存在かもしれないこと?


 それとも。


 彼方が、自分の気持ちに応えてくれる可能性など、最初から考えていないこと?


 みさおは、ゆっくりと俯いた。


 以前の自分なら、きっと怖がっていた。


 彼が自分に触れようとすることを。


 彼が自分を支配しようとすることを。


 何をされるのか分からないことを。


 それなのに、今は。


(……こんなことなら)


 心の奥で、声がした。


(……いっそ、私を抱きたいって……言ってくれたほうが……)


 そんな考えが浮かんだ自分に、みさおは愕然とした。


 違う。


 本当は、そんなことを望んでいたわけではない。


 ただ。


 彼に求められたかった。


 彼にとって、自分が特別な存在であってほしかった。


 自分の気持ちが、彼にとって迷惑なものではないと知りたかった。


 それだけだった。


 それなのに、彼方は。


 自分の気持ちが本物なのかどうかさえ、認めてはくれなかった。


「……はい」


 みさおは、小さく頷いた。


 それ以上、何も言えなかった。


 彼方は、そんな彼女を見て、胸が締めつけられる思いがした。


(……すまない)


 正顕は、心の中で呟いた。


 彼女のために、正しいことをしているつもりだった。


 洗脳を解く。


 彼女を自由にする。


 自分の感情を、自分自身のものとして取り戻してもらう。


 それが、彼女に対する責任の取り方だと思っていた。


 しかし。


 正しいことが、必ずしも相手を救うとは限らない。


 目の前の少女の顔を見れば、それくらい分かる。


 それでも、彼方は引き返せなかった。


 彼女の好意が偽物かもしれないと知りながら、それに甘えることだけはできなかった。


 たとえ、それが彼女を傷つけることになったとしても。


 その夜、二人の間にあったはずの温かな空気は、すっかり冷え切ってしまっていた。


 みさおは、味噌汁を一口飲んだ。


 いつもなら、彼方の作る料理は何を食べてもおいしい。


 今夜も、きっと同じはずだった。


 出汁の香りも、味噌の風味も、具材の旨味も。


 何も変わっていない。


 なのに。


(……味が、しない)


 みさおは、黙って椀を置いた。


 胸の奥が、ひどく痛かった。


☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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