第82話 古い薬湯と青い舌
「ではビレステ【障壁】をもう一度見せてくれ」
ビレステと向かい合うようにミーミルが立つ。その傍らには研究員らしき人物がいた。
「お。やってるな」
「マグルだ。どこ行ってたの?」
「朝の鍛錬。俺は水を浴びてくる」
アールはそう言って屋敷の裏へ向かった。園芸用の水を使うつもりらしい。慌てて使用人が飛んでくる。風呂場に案内されていた。
朝食の席でマグルが言った。
「俺は冒険者ギルドへ行ってくるよ。金も稼がなきゃな」
「アールヴァク殿。路銀なら用立てますぞ」
「そこまで世話になるつもりはない」
「そうそう。それに冒険者ランクを少しでも上げておきたいんだ」
「あたしも行ってこよ」
「あら。私との約束はどこかへ旅してしまったのかしら」
「そっか。奥様とのお花の約束もあったんだ」
「依頼を受けたら準備もあるし。すぐにまた帰って来るぜ」
朝食の席は夕食と違い慌ただしい。使用人も廊下を行ったり来たりしていた。ドアがばたんと開く。
「お、サンドイッチかぁ旨そうだなぁ。一つ貰い。爺さんが出掛ける用事がないなら、俺は旦那んとこ行ってるぜ」
つむじ風のようにヘルモドがやってきて、それからすぐに出て行った。三人も、彼の行動には慣れた。
「ミーミル。重量を測定する魔法具はあるか。なるべく細かいのだ」
「勿論ですとも。昨夜話していた魔力原論の研究ですか」
二人は昨日の食事の後は、談話室で酒を飲みながらしばらく話していた。
「【障壁】の重さを量る。ラディッキ王国でもやったのだが、そこの魔法具は0.1キロが最小でな」
「0.01まで量れる魔法具があります。それ以上となると難しいですな」
「ああ」
「では用意させましょう。しかし魔力に重量がありますか」
「無かったとしたら、どうやって様々な現象を起こしている」
「風はどうでしょう。風には重さがありませんが力はあります」
「良い意見だがしかし物体としてある訳ではあるまい。風は剣を止められない。剣を止めるということはそこに――」
議論が始まり、ビレステとマグル、それに奥方は肩をすくめて、今日の天気がどうなるかを話した。
朝食を終えると、ビレステとマグルは早速冒険者ギルドへ出向いた。
「どこも冒険者ギルドって似たような造りだよね」
冒険者が待ち合う為のテーブルとベンチがあり、右手の壁に依頼ボードがある。正面には受付と、その奥には二階に上がる階段があった。
「初めに冒険者ギルドを作った人がそうしたらしいぜ」
「へぇ。どんな人だったの?」
「それがよく分かんねぇんだよな。なんでもこの制度を考えて、それから行方不明らしい。さすがにもう寿命で死んでるだろうけど」
なんとなく聞いただけで、興味はなかった。マグルの話は右から左へ流しながらビレステは早速依頼ボードの前に立つ。
「どれにしようかな」
ぽてっとした唇を尖らせ、じっと依頼ボードを見る。
服はいつものじゃなくて、奥方から貰ったものを着ている。明らかに冒険者には見えなかった。物好きな貴族のお嬢様が、冒険者の真似事をしているところだ。
「ん、なんだこれ」
他の依頼とは色が違う。緊急依頼だ。依頼主が追加の金を払う分だけ報酬が高いので、大抵は張られた瞬間に取られる。まだ午前だから残っているのか、それとも。
「薬の材料集めか?」
呟いた言葉に、ビレステが顔を寄せる。一瞬、どこのご婦人か分からなかった。朝っぱらに心臓に悪い。
「いいじゃん。魔物倒すよりそういう方がいいよ」
「でも材料だけじゃ難易度が予想できねぇな。難しかったらビレステは足手まといだし」
はあ?
ビレステがマグルの肩にパンチする。
「あたし孤児院で薬草だって育ててたんだから。それに薬の材料ってことはちゃんと人助けだよ」
「魔物を倒すのもちゃんと人助けだっつの」
誰が街道の往来を守っているというのか。
「これにしよ。これ」
「いや、取り敢えずこの材料をメモって錬金術師の話を聞こう。厄介な材料があったら無理だ」
依頼を達成できなければ評価は下がり、A級が遠のく。
「これくらい出来なかったらどの道A級冒険者になれないよっと――。これお願いしますっ」
依頼書を掠め、マグルが止める間もなく受付へ依頼の紙を出した。
ほらマグル、と手招きされる。
受付の係は明らかに貴族のお嬢様と誤解していて、面倒そうな女が来たと顔を引きつらせていた。
「まあ、なんとかなるだろ」
街中を水路が通り、朝の空気は湿気ている。それでも風がよく吹き抜けるミー都は今まで感じたことのない華やかさで、柔らかいベッドで疲れが取れたせいか心が浮付いていた。
ミーミルの屋敷に戻りがてら、マグルとビレステは帰り道にあった道具屋に入った。昼時で、そろそろ腹が鳴りそうだ。
「なあ、この材料について教えてくれるか」
道具屋は昔からある店らしく、時の足音が棚板の割れたヒビや壁のカビとして刻まれている。店の裏は水路に繋がっていて、そこから搬入もできるみたいだ。
「これは薬湯の材料か? ちょっと待ってろ」
毒消しの瓶を三本買ったからか、男は気前よくそう言った。
店の奥から道具屋の店主より一回り歳がいった男がやってきた。メモに指を当て、目を細める。
「こりゃ竜玉湯の材料か。ずいぶんと古い書き方だ」
「へぇ。よく分かんねぇけど格好いい名前だな」
「あたしたち、これが必要なんです」
「なるほどなぁ。その若さで、苦労してるな……」
男はビレステとマグルの二人を見て、しみじみとする。どこか哀愁のある目だった。店主の男が年上の男を自慢げに紹介する。
「この人は名前こそ売れていないが、錬金術と薬師としての腕はかなりのものだぞ。ふだんは隣の町にいるから、二人とも運が良かったな」
「これも何かの縁だ。詳しく教えてやろう。『半夏』はサトイモの根。大きいのが必要だが、ここら辺では採れないぞ。沼からは離れたところを探しなさい。『茯苓』は木に生えているキノコだ。珍しいから見逃すな、絵を描いてやろう」
さらさらと男が書いたのは、木に作られた腰掛けみたいな形のやつだ。走り書きだった。
「くっついている木の皮ごと剥がせ。マジックバックがあるなら、入れておけよ」
「クスクス。変な形」
「おいビレステ笑うなって」
「なによ。馬鹿にしてるわけじゃないから」
「せっかく書いてくれたんだぞ」
ふん。と機嫌と顔を斜めにする。たぶん腹が減ってるんだろう。
「――それから『玉陰竜骨』は竜の腰骨だ。グリーンドラゴンを倒せばいいんだが、これが最大の難所だな」
「討伐は得意分野だぜ。な?」
「……」
おい。
「そうか。これをやろう。家族の為に頑張るんだぞ」
「はあ?」
懐を探ると、ビレステに飴をくれた。ミー都で人気という雨飴は、四角い透明な飴の中に、水色の細い線が幾つも入っている。涼やかな見た目で、味はブドウらしい。ビレステは噛まないよう、それを舌に乗せて舐めた。いつの間にか機嫌も元通りだ。
ミーミルの屋敷に帰り、ビレステが奥方と花の世話をしていると悲鳴が上がった。
「エリー。ちょっと来てくださる。ビレステの舌が青いわ!」
すぐに治療魔法使いを呼んでちょうだい! と騒ぐのを窓越しに、アールは相変わらず論文と睨めっこしている。
ミーミルのお陰で少し未来が開けた。面白くなってきたところだが、面白いだけじゃないのが論文だ。校正に添削という、文章的な問題も直さなければならない。
マグルがやって来た。
「アールさん。俺たちグリーンドラゴン倒しに行ってくるぜ」
「ほう」
「そんだけ。じゃ」
邪魔しちゃ悪い、さっさと部屋を退散しようとする。
「マグルはドラゴンを討伐した経験は?」
「無いけど。まあ大丈夫だろ?」
「……私も行こう」
グリーンドラゴンはA級冒険者のパーティでやっとのところだと聞いたことがある。高威力の【魔弾】があっても、ビレステ自身が戦闘に慣れているわけじゃない。万が一のことがあったら、これまでの旅路が水泡に帰する。




