第78話 黒く小さくよく効くやつです
馬に乗っているのはエイリフ中尉だ。愛馬グラニと突っ込む。剣も腰に下げていたけど、使うのは槍だった。騎乗したまま戦うのを初めて見た。
「合わせろ、スルーゼ中尉」
人馬一体の攻撃は圧巻だった。馬の迫力も凄いが、実際に見て分かるのはやはり上から攻撃するのは強いということだ。
重量を利用した振り下ろしは威力が高く、振り上げる側は武器の重さ分だけ大変だった。それに急所が遠い。
「やれるぞ!」
魔族は飛べるのだから、上から魔法を撃つだけでいいのに。そうしないのはあれだけの魔法は、やはり連続で撃てないからだろう。
高速で剣の応酬をする。剣の折れた僕は見ているだけだ。魔法は巻き込んでしまう。
決着はそれからすぐだった。というより相手が逃げた。中央の隊から飛んできた【アースグレイブ】が僕たちごと吹き飛ばそうとする。それが潮時を知らせた。土の大槍は砕け、地面に転がっている。一瞬の空白に魔族が飛び去った。
「逃がすな」
遠くの空へ逃げていく姿を見届けた。残念というより安堵の方が僕は大きかった。
血を吐く声がする。アウルに駆け寄る。
「あの。僕」
謝るのを遮られる。
「大丈夫だ」
本当に死ぬんだ。
人が本当に死ぬことを、分かっていなかった。どっちの祖父母も存命の僕にとって、まだ死は土の中で埋まるものだった。
「大丈夫――。息子に、ようやく会いに行ける」
今は心に刻まれていく。痛みと共に。だから人は悼むと読むのか。
「治療魔法使いを呼べ。本隊にいる」
ヤーナー補佐官が手配する。
胸を貫かれ、横一閃に斬られている。人差し指と中指が消えた手は、前歯を失くした鼠のように貧相だった。
その手がなにかを掴もうと伸びた。探したのは息子の手かもしれない。亡くなったあの日に握れなかった手を、いま握ろうとしていた。迷わずに手を握った。足りない指で、彼は握り返した。その力強さに、もしかしたら持ち直すのではと淡い期待を抱いた。土気色になった顔色はそれを否定する。
「息子さんに会っても謝らないでくださいよ」
驚いた顔に続ける。
「……こんなにも立派じゃないですか」
アウルの目から涙が流れる。僕も泣いていた。
「そうだな。立派か。た、ぞ――」
ごにょりと何か言った。今際の際の言葉は聞こえなかった。視界にスルーゼ中尉の足が見える。手が伸びてきて、アウルの瞼を下げた。ヘルメットを外し、黙祷を捧げる。僕も真似をした。
短い黙祷だ。それから点呼と被害の確認だ。中隊からは二名の死亡、大隊全体では十一人の死亡だった。最初の黒炎の被害が酷かったらしい。無理をして来たエイリフ中尉はすぐに中央の隊へ戻った。
「よぉし帰るかぁ」
「おいおい。まだ魔王城に着いてないぞ」
大隊はまだ行軍を始めた。隊の空気は明るかった。重くなってるのは僕だけか。
その日の夜も焚火を囲む。どうやらもう少し行ったところにまた町があるらしい。今度は山脈じゃなくて北の海沿いだそうだ。ちょうど商いをしにいく商人と行き会った。魔族との戦闘を目の当たりにしても、彼は予定を変更するつもりはないらしい。
「なるほど、町があるなら教会もあるだろうな」
スルーゼ中尉が言った。
「教会がなにか関係あるんですか?」
「死者の為に祈りを捧げて頂くのだ。天井の戦士の館へは戦乙女が運ぶというが、この人数では忙しかろう」
「けど、行軍の途中で外れる訳にもいきませんよね」
「そうだな」
スルーゼ中尉が寂しそうに笑う。
「……」
明るく振舞っているだけで、やっぱり中隊の皆もショックは受けているようだ。アウルの繰り上がりで小隊長になった男は、落ち着きのない様子で夕食を平らげている。
尊敬する小隊長が亡くなり、今度は自分が小隊を率いる責任を負った。無理もない。ヤーナー補佐官が横に座り、なにか話し掛けていた。
パンを掴む。最後に握った手の感触が、まだ残っている。
「左翼の隊が町に寄ればなんとかなりませんか」
杖を横に置いたスアチに言う。
「司祭が来てくれるにしても、道中の護衛が必要だな」
言って返っての往復か。実務的でない時間を、規律の塊である軍は許さない。
「気に病み過ぎるなよ。俺たちはこの為に居るのだからな」
「……はい」
翌朝。難しい顔をしていたスルーゼ中尉が突然、ピンと指を立てた。野営が続き、彼女も寝不足な顔をしている。
「良いことを思いついたぞ」
脈絡もないから誰も何のことだか分からない。
「中尉。スルーゼ中尉。ロクでもないことを言わないで下さい」
「ム。だから良いことと言っているではないか」
「ですからそれが」
「馬を借りれば、町まですぐだし戻りも早い。死者への祈りが無いのは、どうにも気になって眠れなくてな。このままでは私のお肌の危機だ。うんうん」
「ちゅ、――あ」
ササーっとスルーゼ中尉が向かった先は、少し離れたところにいるエイリフ中尉のところだ。なるほど馬を借りるなら、確かにそこかもしれない。他はローズル少佐の護衛だし、後は物資を運ぶ馬も居る。駿馬のグラニなら移動も早いだろう。
「まったく。祈りなら魔王城からの帰路でやればいい」
隣でヤーナー補佐官が頭を抱えている。しかし周りの反応は好感触だった。心の底から部下を想う上司の背中は何よりも信頼を得やすい。
「まあでも、普通は貸してくれないですよね」
エイリフ中尉とスルーゼ中尉が話している。ああやって話していると確かに兄妹に見えた。二人とも金髪だし。
「しかしエイリフ中尉は妹に甘いからな」
「あ、でもちゃんと決裂したっぽいですよ」
怒りでスルーゼ中尉の目は両端が吊り上がる。直角三角形を横にしたみたいだ。ム。と声まで聞こえてくる。
グラニは乗せても良いと言っているぞ。話の分からんやつめ
それはお前だスルーゼ。諦めろ。
「ふう」
ヤーナー補佐官が安堵のため息をつくのと同時だった。
「あれ、スルーゼ中尉が足を引っ張ってません」
いいから。ちょっと借りるだけではないか
やめろ、馬鹿。お前も少しは淑女らしくしろ
女はお淑やかにか。ふふ。帝国軍人にしては随分古臭いではないか
「……じゃれてるだけだろう」
これからは女が立つ時代。帝国淑女は時代の先をゆくのだ!
「今度は落とそうとしてますけど」
エイリフ中尉の小隊は兄妹の喧嘩を見て笑うばかりだ。グラニはたてがみを寝かせ、迷惑そうに空を見上げている。
「ハルキ殿も昨日の戦いも見ただろう。エイリフ中尉は歴戦の猛者だぞ。そのくらいで」
「「あ」」
スルーゼ中尉が両手で押し、エイリフ中尉の体勢が崩れたところへもう一押しした。彼はくるりと反転する格好で落馬する。
入れ替わりで颯爽と鞍に跨る。グラニはスルーゼ中尉の手綱を受け入れた。強奪した人間とは思えない天真爛漫の笑顔でこっちに来る。
「ヨシ。馬を貸して貰えたぞっ。では教会へ祈りを頼みに行ってくる」
「中尉。スルーゼ中尉」
「ウム。ではしばし頼んだぞ」
スルーゼ中尉は聞く様子もなく、そのまま馬首を返していった。
エイリフ中尉の悪態が響く。あれで貸して貰えたならきっと、魔族だって害はない。
「うぐ。胃が……」
もし元の世界に戻れたら、ヤーナー補佐官には正露丸をあげよう。




