第76話 先んずれば
魔物に襲われたのは最初だけで、その後は黙々と行軍していた。北部地帯は草原が続き、景色だけなら長閑に見えた。ずっと北へ向かうと、海に突き当たるらしい。しばらくして、山脈へ沿うように小さな町があった。入口は平地にあり、堅そうな門がある。その奥に、壁にへばりつくように家があり、家を結ぶように木の階段や簡素な橋があった。
「こんなところにも町があるんですね」
傍らのイジ小隊長が答える。
「カラチという町だ。北部地帯で強く生きている。だが治安は良くないぞ。罪を犯して逃げてきたものが作り上げた町だからな」
からかうように言う。
「げ。じゃあ犯罪者の巣窟じゃないですか」
「そうでもない」横からアウルが言う。矢羽根の点検をしながら、器用に会話していた。「まず商人が金の匂いを嗅ぎ付ける。道具が揃えば鍛冶師もくる。それぞれが家族を連れてくるからそこでもまた子供が出来る。そうしてどんどん町は大きくなっていくんだ。そうでないと、この厳しい土地では生き残れない」
「じゃあ犯罪者たちは薄れているんですね」
「薄れるか、良い表現だな」
「あれは、教会ですか」
小さな町を見下ろすように、女神を称える像を内包する塔がある。その土台に立派な建物があった。
「女神教だな。ここは帝国領でもどの国の領土でもないから。強いて言えば女神教の国だろう」
「こんな町が北部地帯には多くあるんですか?」
「多くはない。三つか四つだ。いずれも魔物が少ないところにある」
「魔王が出てきて、避難しないんですか」
質問ばかりでしつこかっただろうか。そう思ってアウルの顔を窺う。優しげな瞳がこっちを見ていた。迷惑どころか、少し嬉しそうだ。僕の勝手な思い違いかもしれないけれど。
「どうだろうな。ここまで逃げてきて、ようやく得られた住処だ。また逃げるのは難しい選択になる。それに帝国領でもないから、我々に避難勧告する権限がない」
「教会が守ればいいんだよ。な?」
イジが軽く言う。
「教会も戦力があるんですよね。たしか」
「教会騎士だな。強い上に、連中は狂信者だ。殺し切るまで戦おうとするぞ」
怖いな。それが教会騎士というのも皮肉だ。
「今日はここで野営だ」
中隊で固まり、キャンプを作る。小隊長たちと喋る機会はいくらでもあった。
「家族は居るか?」
アウルの歳は中年くらい。さすが軍人だけあって中年には見えない物腰と体付きをしている。
「居ます。妹も一人」
「そうか」
「アウルさんは子供はいますか?」
焚火を囲む人々の、空気が変わった気がした。薪が窘めるようにバチリと空気を弾く。
「いたよ」
「アウルの息子は病で亡くなったのだったな」
同じく小隊長のスアチが言った。魔法の杖を肩に立て掛け、シチューをスプーンで掬っている。肉の煮汁とじゃが芋のシチューだ。じゃがもつと言うらしい。最初は匂いがきつかった。でも慣れるとなんだか癖になる味だ。ワインを入れるともっと香りが良くなるらしいが、ここでそんなものは望めない。
「すいませんでした」
「いや、いいんだ。酷い父親さ。子供が病気でも、任務を優先した。妻には他人の子供を助ける前に自分の子供を助けろと言われたよ。父親失格だともね」
「お前が帰ったところで、子供は助からないさ」
スアチが静かに言う。
「治療魔法では助からないのですか」
「助かるものもあれば、助からないものもある。俺は今でも悔いているよ。せめて子供の最期は隣で手を握ってやればよかった。血を吐いて、意識を失ってからはもう目覚めなかった」
自らの手を見つめてアウルが言う。ぎゅっと手を握った。感傷に浸るには軍人であり過ぎた。あるいは想像した息子の手を掴もうとしたなら、空振っていた。
「生きていればちょうど君の歳だ。ハルキ殿を死んだ息子に重ねているのかもしれないな。失礼な話だ、すまない」
「いえ。そんな」
「とにかくまずは魔王だ。侵攻が始まれば、家族どころの問題じゃない」
「……息子さんの代わりにはなれないですけど。彼の分も誰かを助けるようになります」
慰めにもならないけど、アウルは頷いてくれた。中隊の誰かが歌い始めて、顔がそちらへ向く。
最初は点いたばかりの火がちろちろと熱を秘めるような歌声で。徐々に大きくなり、対角でも歌自慢が歌い始めた。
ハルキはまだこの隊に居て日が浅い。それでも歌は、この輪の中に居場所を開けてくれた。そこに座っていいと、みんなで歌に体を揺らすとそう思えた。
ヤーナー補佐官が短く歌うと、皆に囃し立てられてスルーゼ中尉も立ち上がった。仕方ないなとばかりの顔だったが、彼女は楽しそうに、伸びやかに歌声を夜に響かせる。ハルキには月光に照らされ、焚火で炙られたように浮かぶ陰影が月から舞い降りた女神のように見えた。
魔族に襲われたのは次の日だった。出陣式をした翌日で、狙い澄ましたかのように魔族が来た。
隊列を整える。中央にローズル少佐の隊がいて、左翼にもう一つの中隊、そして右翼に僕たちが居た。僕が中央に居ないのは、魔族の先制攻撃から回避する為だ。中央には煌びやかな鎧をまとった偽の勇者がいて、それを守るように小隊が居る。もちろん出陣式の時にはこんな感じではなかった。民衆の前でそんな臆病なことはできない。
また行軍の一日が始まる。そう思った。午前の内に青い狼煙が上がり、部隊に緊張が走る。先行していたA級冒険者が危険を知らせていた。
魔物の群れが砂塵を上げた。草原の草を蹴り上げ、地面の土を剝き出しにしながら来る。四つ足だったり、二本足だったりと多種多様の魔物だ。それが中央の隊へまっすぐ突っ込んだ。
中央の部隊は魔物の突撃を受け止め、跳ね返している。今まで実感が湧かなかったけれど、魔王城のある北部方面を任された部隊だ。帝国の精鋭が集まっている。これほど強いのも、当たり前だった。
「なにやら飛んでいるな」
スルーゼ中尉が手で庇を作る。ヘルメットから垂れた金色の髪が背中で揺れた。言われてみれば、遠くになにかいる。白い雲と重なっていなければ、判別すら出来なかったかもしれない。
「スルーゼ中尉。魔族ですか?」
「鳥には見えん。魔族だろうな。ヨシ。我々で攻撃する」
「スルーゼ中尉。大隊長の指示を仰ぎましょう」
「ムッ。先んずれば人を制す。現場判断も必要だろう。その為に私が居るのだ」
「その通りです。しかし持ち場を離れる訳にもいきません。これから大尉、そして少佐にもなるのです。今の内から指揮系統の大切さを」
「分かった分かった。規律こそが軍たらしめる。指示を要請しよう。イジ、行ってきてくれ」
「ハッ。目標は空の魔族らしきものですね」
イジが駆けていく、ここからは少し距離があるように見える。なにかスマホみたいに意思伝達できる道具があればいいのに。
「討伐に向かうとして、この持ち場をどうするかだ。半分ほど残すか」
「中尉。半分の部隊でやれますか」
「スアチたち魔法小隊を連れて行けばなんとかなるだろう。無理なら引く」
「ハルキ殿は」
「ハルキ殿は置いていく。なに、魔王を討伐するという重責を負っているのだ。ここで我々が戦端を開かねば、魔王を討伐しても一緒に喜べんぞ。ヤーナー補佐官が残る隊を預かってくれ」
「承知しました」
「ハルキ殿、聞いている通りだ。ここは我らに手柄を譲ってくれるなって、どうした?」
「スルーゼ中尉。あの魔族、さっきから魔法を詠唱していませんか。空間がうねっているような」
「ウーム……。私にはよく分からないが」
「ははは。ハルキ殿、警戒するのはいいが、あんなところから届く魔法などなかなかないぞ。それなら私だって寝たままショコラドーナッツを作れ、」
ヤーナー補佐官の笑みが消える。遠目に分かるくらい大きな魔法陣が出た。




