オマケ⑥ 空に輝く人魚姫
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それに伴い、オマケエピソードは②から順に、日数を掛けながら、カクヨムのサポーター限定公開へ移行します。
産まれたての太陽が水平線に寝転んでいる。
ヴェルは滝の上から周囲を見回した。虹湖はドレスを着るようにキラキラと光を帯びた。朝の霧が色づき、虹色に変わっていく。
眼下に広がるシィラはまだ朝陽から目を逸らしている。街の爪先に畑が広がり、余った平たい土地を占領した。小さな畑だが輸送が頻繁なこの街では十分だった。遠くに目をやると二つの山が見える。その先の丘や濃い緑色の平原、小さく見えた沼地を思い出す。モロコシ街での出来事もありありと目に浮かぶ。
四人で必死にソリを反転させた。アールさんは手伝うどころか機関手席に乗り、重さを増やしたことには面食らった。ただあの時に、集中して貯めた魔力が後の加速につながったのだから凄いものだ。
山間を見る。あの辺りが雨と晴れとの境界線だった。ギムレーがとんでもない曲がり方をしたのも覚えている。虹湖へ目を戻す。あそこら辺で諦めかけた。ゴールがいつまでも近づかないと思ったが、ここから見るともう目と鼻の先だ。
山の左側へ、虹湖の奥へ目を向けると沼地が広がる。そこでは鳥たちは小休止したり、様々な魔物や生物が命を育む場所だ。命が失われていく場所でもある。
その先に開けた場所は干潟になっていて、そこも生命のるつぼになっていた。さらに向こうへ。
ここからはもう見えないが、小さな平原と山、沼地が交錯する場所がある。そこだ。そこで熟し過ぎたトマトがポトリと落ちるようにフレースの命が失われた。涙は出てないのに、風が吹く。
翼を温めるように震わせた。腰を回し、肩を上下させた。北へ目を向ける。アールさんたちは今頃どの辺だろうか。諸国連合の王都に北へ向かうのだから、海へ南に向かうヴェルとは反対方向になる。旅の別れとは概してそういうものだ。
力を抜き、まるで地面が続いているように歩き出した。重力に引っ張られ、空気が轟々と耳元で唸る。
ヒミグレーヴァは確実に寝ているだろう。あいつは太陽がたっぷりと準備運動を終え、水温が温まった頃に起きてくる。湖の波が立たないところに、彼女ら魚型の亜人が住む家々が並ぶ。ここからは木々が邪魔で屋根の一部しか見えない。短い桟橋の先で釣り船のように建てられた家は陸からも入口があった。
翼を広げるとヴェルの身体が解き放たれた。
ここから飛ぶと、決めていた。フレースの代わりに真っ直ぐ南へ、海まで飛ぼう。湖面で誰かが手を振ったように見えたが、波の錯覚だと思い直した。
翼はこの前のコンテストから十分に休ませた。持ち物はマジックバックに入れ、重さも少ない。長距離飛行は不安だったが、太陽が真上に到達する頃にはどこまでも飛べるような気がした。
「――見ろよフレース」
胸元からお守りを外し、掲げた。落とさないようしっかり握る。水平線の向こうへ太陽が沈んでいく。白い砂浜が海の波に絶えず叩かれている。
「夕焼けだ。見下ろす太陽は随分と眩しいんだな」
世界は変わらずに続く。静かに毎日を繰り返す。ただそこに俺の相棒が居ないだけだった。素晴らしき友人、穏やかで面白い冗談を言う隣人、麗しき湖面の主はヒミグレーヴァの想い人、気高き鷲の羽を持つ亜人とそして、命を預けられる唯一無二の相棒。
涙が溢れた。風が強く吹いている。目から止め処無く溢れてくる。
「どうして俺を庇った……!」
夕焼けは最早眩しくなかった。涙で目の前はガラスが湯気で曇るように不鮮明になっていく。橙色と青色、白色に緑色の大まかな色が涙の粒に染みていく。
飛んでいる時の利点だ。前が見えずとも、誰かにぶつかったりはしない。
「どうして代わりに死んだ」
俺がフレースでもそうした。
「ヒミグレーヴァをどうすればいい」
フレースは怒るだろうか。
「お前と一緒に、この空を駆けたかった……」
相棒の名前を叫んだ。
眼下の海へ全ての感情を放り込むように叫んだ。
どうしようもない世界への苛立ちを叫んだ。
自分が死ぬべきだったのか問い掛けた。海は答えてくれなかった。
心の底をスコップでこそぎ取り、何度も何度もそうして心の中を空にした。しかしどこまでやっても、この止まらない涙の在り処を探し当てることは出来なかった。だからヴェルは叫んだ。心に刺さった刃を体外へ押し返すように何度も叫んだ――。
浜の適当な場所へ下りる。海辺で火を焚き、布を敷いた。獣の気配がしたが見回しても分からない。水と塩をたっぷり含んだ潮風が体に吹き付ける。
唇を舐めるとしょっぱくて、喉が渇く。夕食は丸パンとシチューだ。温かいお茶も持ってきた。
火が枯れ木の上でバチバチと爆ぜて踊る。しばらくすると飽きたように大人しくなった。手持無沙汰に小石をポイと海へ投げてみる。怒られそうだから一つで辞めた。誰が怒るというのか。
ヒミグレーヴァに呼ばれる声がする。
起きる。夢だった。
「……帰るか」
太陽はとっくに昼の顔になっている。
帰り道の途中で珍しい鳥に会った。チイサメフクロウだ。魔法使いが飼っている以外では、ここらでは見掛けない。どうやら長旅をしているようで、羽軸がずいぶんとすり減っている。痩せてもいた。
「誰かを探しているのか?」
隣で飛ぶチイサメフクロウに近づく。やはり誰かに飼われている。逃げる様子はなかった。丸パンが余っていたので小さくちぎってやると、パクパク食べた。可愛いやつだ。手紙が胸元に括り付けてある。
「どこかで水も飲めよ」
返事をするように低い声で鳴いたチイサメフクロウはそのまま北へ向かうようだ。ヴェルはシィラに下りようとして人影、いや魚影に気付いた。
湖の縁に降り立つとヒミグレーヴァがゆらゆらと泳いでくる。
「あら、もう飛んでいるからヴェルじゃないと思えなくなるわね」
久し振りにあったみたいに、ヒミグレーヴァはヴェルの顔を見定めるようにした。
「大分飛べるようになった。まだまだ急降下とかは出来ないが」
「そうなの? この前も綺麗にやってたじゃない。あれはちゃんと狙って川に落ちたのよね」
ヤルンを抱えて墜落したことを揶揄しているな。まったく憎らしい。そしてそれ以上に美しかった。
「悪いな」
「何がよ?」
「……二人で飛ぶにはまだ少し時間が掛かる」
「そう? もう二人で飛んでいるように見えるけれどね」指したのはフレースのお守りだ。「フレースの代わりに飛ぶ約束でしょ? 果たせて良かったわね」
唇に浮かべた微笑みは追い風のように爽やかだった。
「あいつとした約束は。ヒミグレーヴァを空へ連れて行く約束だ。フレースとしただろ?」
彼女の表情が固くなる。語るべき哀愁は長い髪の奥へしまわれていた。
「そう、フレースは覚えてたのね。それにしても死ぬ間際で、他に話すことなかったの?」
いつも一緒に居て腐るほど話している。
「相手が俺で悪いが――」
「ウフフ。どうして謙遜なんかするのよ。嬉しいわ」
ヒミグレーヴァが顔を斜めに覗いてきて、自然と目を覗き込む格好になった。彼女の瞳は淡く緑色になっている。見つめていると心が高鳴った。白い腹が水に浮かぶのを、空の天気を窺う真剣な表情をずっと眺めていたい。二人でいると体にまとわりつく湖の湿気も、寝床の掛け布のように柔らかく肌を包むように感じた。
好きだ。
フレースが想っていた女を好きになっていいのかは分からない。
今は彼女を抱いて羽ばたき、お守りと同じ雲の上と海に落ちていく厳かな夕陽を見せたいと強く思った。
いつも私の稚作を読んでくださる方、そしてここまで読んで下さった方へ、有難う御座います。
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