第73話 出戻りギムレー
雨が上がると虹が掛かった。空のレースのゴールに相応しい演出だ。
虹湖の名前の通り、根本が立ち昇ってくれたら結果は違ったか。グレイプルは腕を組んで前を見る。
「あ、あ、先に着いちゃったよ」
ビレステが残念そうに言う。
「まだ。ここからだ」
懸命に飛んでいる。急造のコンビでここまで飛んできてくれたことに、まず感謝しよう。ギムレーがゴールラインを割った瞬間からカウントが始まる。
1
手に汗が伝う。二人はまだレーンに着いていない。
2
「頑張れぇ気合見せろお前らあ」
ヤルンが叫んだ。聞こえたのか、ヴェルの羽ばたく力が強くなった。
3
荷台に残した重りは四十キロで、マージンは四秒あった。
ギムレーたちの周りでは大きな拍手が起きている。祝福の声も、聞こえてきた。
4
――終わった。
「……二人共よく飛んでくれたな」
「うん」
娘のヤルンが項垂れる。勝たせてやりたかった。だが仕方ない。勝負は残酷だ。そしてこの悔しさをバネにしてくれると信じてもいる。
「ここまで故障もなく、壊れなかったのを誇ろう」
「そうだね」
カウントダウンは進んでいるが、もう意味はない。
ちょうど10を刻む直前でゴールした。減速することなく、まるで乗り捨てるようにして滑ってくる。二人にカウントダウンは聞こえてない。だから最後まで諦めなかった、その姿勢に敬意を表したい。
「壊れちゃったね」
ビレステがぽつりと言った。
「……」
横倒しになり、白い煙を吐いている。オーバーヒートした機体が深呼吸するようだ。巻き込まれないように高く跳んだアールさんが華麗に着地する。ビレステが拍手したら、見ていた人たちも拍手した。ヴェルさんの元へヒミグレーヴァさんが歩み寄った。
最後までよくやったぞ!
よく頑張った!
派手な着地だな。
わはは。止まり方は教わらなかったのかあ?
その声援ともヤジともつかぬ声を聞く。アールさんは割符を差し出し、係員に渡した。係員もお疲れ様です。と声を掛け、上司であるギャラルのところに戻ろうとする。
アールさんが係員を引き止め、何かを指した。それを見た係員の表情が徐々に変わっていく。グレイプルも指の示す方向へ顔を向けた。手塩にかけたソリは無残にも横倒しになっている。
まずおかしさに気付いたのはヤルンだった。
「……積荷が多い」
ぎっちりとロープで荷台に縛られた積荷の数が四十キロよりずっと多い。
「あちゃあ。アールってばもう。積荷を下ろすの忘れちゃったんだ。あたしが居ないと駄目だなぁ」
嬉しそうにするビレステの言葉に振り向いたのはギムレーだ。
*
「「「「優勝おめでとう。乾杯」」」」
特別な店じゃない。宿屋の前の普通の酒場だった。乾杯すると、事情をよく知らない周りの連中からもグレイプル工房の面々が祝福されている。ビレステは最近、酒を飲めるようになったのか、乾杯に混ざる姿を見るようになった。
「なんでお前が居るんだよ?」
プハーーーッ!
ビールの泡を拭い、マグルが問う。
「当たり前だろう。お前たちが勝ったら俺がグレイプル工房に戻る条件だったんだから。ちきしょう、俺が優勝していればヤルンとヨリを戻せたのに……」
ちゃっかりとギムレーも混じっていた。
「そんな約束してないし戻らなくていいから」
ばっさりとフラれたギムレーをマグルが笑う。ギムレーはフラれたことなど意にも介さず、いやそもそも理解しているのか怪しい素振りでヤルンに握手を求めた。
「まあなんだ。またヨロシク」
その嫌そうな顔を見て、ビレステが陽気に笑う。
「でもあの時は格好良かったよね」
「たしかに。腰抜けだと聞いたけどやるよな」
「……ふん」
否定しないヤルン。あの時とは審議の上でアールたちの優勝が決定された時のことだ。
*
ゲルムル工房の奴らが難癖をつけてきた。ゴールラインを割る前にアールが降りたから失格だの、故意にぶつかってきただの。最後には魔法で攻撃されたと言われた。残念ながら、アールの詠唱はそんなに早くない。それからヤルンに迫る。
「スタート前から畜魔器に魔力を貯めただろ」
「運営に預かって貰っていたのに、無理に決まってるでしょ」
「飛行中に貯められるわけがねぇ。本当のことを言えこのクソ女」
「へなちょこなあんたらの機関手じゃ無理でしょうね」
「なんだと!」
男たちの中から一人出てきて、手を伸ばしてくる。
「きゃああ。変態よ。殺されるう」
ヤルンが叫ぶと、男はひるんだように手を引っ込める。そこにギムレーが入ってきた。
「ヤルンに何をする!」
拳を振り抜くも、殴られた男は首をぐるりと回すだけで効いている様子はない
「なんだてめぇ? やるのかおい」
「黙って結果に従え。お前らこそ妨害してきたくせに」
一触即発の空気だったが、ギムレーは引かなかった。彼の後ろには相方の、屈強な飛空士が居たからかもしれないけれど。
*
「本当にお疲れ様です、アールさんヴェルさん。予想は裏切られたが、期待には応えてくれましたね。正直、最後に畜魔器を解放してぶち抜いてくれると思っていました」
グレイプルは優勝したことが何より嬉しくて、ギムレーとの確執なんて吹き飛んでいた。
「飛び立つのが大変だったからな。そこで大半を使ってしまった」
アールも一位でゴールするなら、最後に回したかった。
「そうだ。ずるいぞあの畜魔器とか。俺にもそれがあれば逆転なんてさせなかったのによお」
ギムレーが文句を言う。
「ずるくない。運営に確認を取った正攻法よ。それにあんた、飛びながら貯められないでしょ」
「いーや。俺なら貯められるね」
「ムリムリ」
「いーや。畜魔器があればぶっちぎりで俺の優勝だった」
「ないから」
何だかんだと仲がいい二人を見ると本当に復縁があるのかと思う。だがヤルンの表情は、それが有り得ないからこそリラックスしているようにも見えた。
酒場のドアが開く。遅れて来たのはヴェルとヒミグレーヴァだ。
「ん? どうしてギムレーが」
その件をもう一度やったところでヴェルがアールに申し出る。
「随分旨そうに飲んでいるな」
嫌な予感に、アールは十年ワインのボトルを抱えたくなった。
「お味はどうかしら」
「力強いのに、刺々しくないな。旨味が凝縮されていて、それでいて口当たりが良いのは熟成環境の良さが為せる技だろう。瑞々しく感じるのは鼻に残る青花の香りの」
「なあ、アールさん」
「――どうした、ビールならそこにある。それは空のグラスだぞ」
「まさか一人で飲み終える気じゃないでしょ?」
これなら部屋で開けるのだった。しかし待ち切れずにここで飲んでしまうところがアールらしくもある。普段はとことん気が長いのに、ワインのことになると別だ。
「……少しだけだぞ。これはグレイプルが私にくれたものだ」
仕方ない。短い生命のものに譲るのはエルフの美徳の一つだ。飲む機会は、また来るだろう。
「アールあたしも!」
「俺も俺も」
しかしこの小娘と坊主には早いだろう。ワインの味どころか、酒の味も分かっているか怪しい。
「マグル。ビールが残ったジョッキにいれようとするな。信じられん。このワインを酒場で一樽いくらのものと勘違いしてないだろうな」
それでもあげちゃうところがまたアールでもあった。
「あたし一口でいいよ。そのマグルのグラス貸して」
ビレステが飲み、マグルに返す。マグルも飲んだが、その顔から味をどう感じたかは分からなかった。耕す前の畑みたいな表情だ。
「ワインだな」
やはり坊主には勿体なかった。
「ね。分かる。ワインって感じ」
「チーズを喰え。合わせるとまた美味しさが増す」
うんうんと分かったように頷く小娘にチーズの皿を渡す。そして視線に気付いた。グレイプル工房の面々だ――。
「いやあ、やっぱりアールさんは生粋のエルフですね」
「旨いな。勝利の味だ」
「強い酒ですね、僕はもう酔ってきましたよ」
ランドはその長い耳まで真っ赤にしている。
「ビレステ美味しかった?」
「まあまあ」
「俺ビール飲も。ヴェルは?」
「ああ。ヒミグレーヴァは、カクテルか?」
「この酒場名物にしようかしら」
楽しそうに話す喧騒は温かく耳を揺らし、くたびれた月がゆっくり夜空を回る。
空のボトルがテーブルの上でコツンと軽い音を出す。一杯にも満たないそれをアールはゆっくりと味わう。一本のボトルを分け合って飲むのがワインの楽しみの一つだ。そう言ったのが誰だったか思い出せない。酔っているらしい。




