第70話 開幕!
「すまない親方。長く穴を空けてしまった」
「ヴィゾ。もういいのか」
よく来てくれた。グレイプルは両手で優しく彼の手を握る。
その姿にアールも絶句した。ヴィゾの綺麗な白い羽は二つとも根元から斬られた痕がある。幸いなのは両方とも再びくっついたことだ。治療魔法使いの腕がよかったのだろう。最悪なのは右の羽が今後は飛べそうもないほど痛めつけられていることだった。包帯がくるくると巻かれた隙間に、白かった翼の、薄赤い肉の部分が見えた。
「やっぱりあいつら殺せばよかったな」
マグルがぽつりと言う。
「逃げ切れるの?」
「王都まで逃げりゃなんとかなるだろ。ヴァベック盗賊団だってそれで野放しになってたし」
「やめろ。うちの看板に泥を塗るな」
ヴィゾが言ったから、マグルも黙るしかなかった。
それからの数日は怒涛の日々だった。
外に出ての試験飛行は数えるほどしか出来ていないが、飛べてはいた。
ただ十全に力を出せてはいない。魔法とは勝手が違う、瞬発力に苦戦していた。アールは四段階まであるギアの3速までしか上げられなかった。
アールならすぐにコツを掴み、4速まで上げられるだろうと楽観視したのもそうだし、ギア比の調整は繊細な作業だった。イメージとしては計量カップに水を注ぐことだ。速度を出すためにある段階でギアを上げる。水を空輸機械に注いだ魔力として、ギア比を変えるのはその目盛を変えることだった。大幅に変えれば、せっかく操作感に慣れてきたアールの邪魔をしかねない。
そして上げられないまま、コンテスト当日を迎える。
気持ちのよい晴れた日。雲は少なく、風も穏やかだった。
多種多様な空輸機械がシィラ滝の上で並ぶ。矢に似た形や、船のようなもの。それから四角い箱状など本当に様々だ。フランスパンみたいに細長いのもあった。多くはグレイプル工房と同じようなソリの形をしている。それぞれがペンキで塗られ、色合いも豊かだ。
普段は閑散としたシィラ滝の上は街の人々でごった返し、商魂たくましい屋台が良い匂いを振り撒いた。子供が走りまわるのは、ヴァベック盗賊団の根城が壊滅したことも影響していた。ゴールがある虹湖近くも同じようにお祭り騒ぎになっていた。
「よし、メンテナンスは万全ですね。アールさん。ルートをもう一度言いますよ。虹湖を抜けてしばらく進むと大きな山が二つあります」
「遠くに見えているあれか」
「そうです。その山間を抜け、右に曲がっていくとモロコシ街があります。そこで到着の証を貰い、虹湖のゴール地点まで帰ってください。街との間です。モロコシ街で積荷を下ろすので、出力の調整にお気を付けて。ひっくり返ったらアウトですからね」
「ああ」
「モロコシ街で三人が待っています。下ろす荷物は六十キロの予定ですが、そこはヴェルさんと相談してもいいです。アールさんならそれくらいあっても速度は出るでしょうから」
今、ソリには百キロの荷物が乗っている。箱の中身はただの重りだ。それをモロコシ街で下ろすが、荷台に残した分はタイムに加算される。十キロごとに一秒と少ないようで大きい。四十キロを残せば四秒のマージンが手に入った。
アールは機関手の席で腕を組む。視線の先にはヴェルが居た。既に魔力でソリと同調されている。
隣ではビレステが精一杯緊張を解そうとしていた。
「ヒミグレーヴァさんとゴールで待ってるから。一位で来たら格好いいからね」
「ああ。任せろ」
「フレースさんもきっと見てるよ」
「そうだな」
胸元に下げた木彫りの装飾に目を止める。コインみたいに、丸く平たい。
「それなに?」
「お守りだ。フレースから借りた」
ヒミグレーヴァが彫ったものだった。雲の上に羽がある。そこまで飛べということか。随分と肩の荷が重くなるお守りだったが、それでもやらなければならない時が人にはある。今がその時だ。
「どっこいしょ。あれ、親方は?」
横を見る。ヤルンが小さな箱を重そうに運んできた。
「さっきまで居たが。それは?」
「畜魔器よ。魔力を溜めるアタッチメントを作ったの。あ、まだだめ。事前に溜めないよう運営にもきつく言われてるから。飛んでる最中に溜めて、ここぞという時で使って。ボタンはここ」
「うむ」
大儀そうに頷く。
「言っておくけどアールさんくらいよ、そんな芸当ができるの」
「おいっ!」
声が喧騒の中を鋭く飛ぶ。
「無視するな! なんだお前は。俺のヤルンに気安く近づくな」
声のする方を向くと金髪の男が睨みつけていた。こっちに来る。
「ギムレー! なによ。あんたも出場するの?」
「当たり前だ。俺ほどの機関手が出ないわけないだろ」
「ふん。よくもまあ私の前に出られたわね。あの時置いてかれた分、まだ殴ってなかったわ」
ヤルンがブンブンと右腕を回す。ギムレーは及び腰になりながら、両手を前に出した。
「待て待て。誤解だ」
「なんの」
「だから、――とにかく誤解だ」
「やっぱり殴る」
「だから待てって、選手に危害を加えたら失格になるぞ」
ギムレーをじっと睨んだヤルンは大きく息を吸って、肩を落としながら吐いた。風に吹かれた火がその身を縮こまらせたみたいだった。
「それで、何の用?」
「俺が優勝したらヨリを戻すぞ。それを言いに来た」
「嫌に決まってるでしょ。どんな女の子が、彼女を置いて逃げる情けない男とまた付き合うのよ」
「コンテストで優勝したら情けなくなんかない。いいか、これは決定事項だ」
「ん。ギムレーがいるって?」
レンチを握り締めたグレイプルが戻ってくると、慌ててギムレーは去っていった。なるほど、逃げ足が速い。
「いけ好かないイケメンって感じの人だね」
ビレステの言葉にヤルンが激しく同意する。
「中身もそんな感じよ。まあ根は悪くないのだけどね」
ギムレーはフランスパンみたいに細長い空輸機械に乗り込む。
黄色いペイントでスコル工房と書かれていた。狼型の魔物スコルの疾走する姿がソリの後ろに描かれ、速そうだ。
対してこちらは無添加、素材そのまま畑から直輸入といった感じだ。あまりにも無骨だった。正面にグレイプル工房と印字された最後に手袋のマークが添えられている。
人混みの中心ではコンテストを主催するギャラル運送の、ギャラルが取材を受けている。ようやくその取材が終わったようだ。観客に向かって改めてルールを説明した。
コンテストには全部で八つの工房から空輸機械がエントリーしている。その中で一位を目指す。
ねばつくような視線を感じる。元を辿ると、ニヤニヤした顔がそこにあった。距離があって不鮮明だが、矢のような形をした機体にゲルミル工房と書いてあった。
「アールさん。あいつらにだけは絶対抜かれちゃ駄目よ」
「そうだよアール。魔法で撃墜しちゃえ」
「それは反則だからやめて。じゃあ私たちは下で待ってるから頑張って」
ゴツン。ヤルンが拳を向けてきたので合わせる。前へ歩き、ヴェルともそうしていた。後からビレステとグレイプルが同じようにする。
気付けばあれだけ周囲にあった喧騒は収まっている。人々は滝の奥へ移動した。ギャラルが白い大きな箱の上に立ち、スタートの合図を準備する。
「アールさんは緊張しないのか?」
前を見る。ここからは地面が切り取られたように青空が広がった。
「飛ぶには良い日だ」
「だが雨の空気を風の奥に感じる。山に隠れた向こうは降っているかもな」
点検するように羽を指で触れる。
「雨は大丈夫か?」
「晴れてても大変さ」
笑う。二人は首元のゴーグルを掛けた。
ギャラルが乗っている箱と同じ真っ白な旗を、地面と平行に伸ばした。周囲を見渡してから、カウントダウンを始める。途中から群衆も加わり、そして叫ぶようになった。
3
2!
1!!
旗が上がる。バサリ、はためく音は駆動音に呑まれた。
ギアを1速に上げる。ヴェルも走り出す。八台のソリが崖から同時に滑り降りた。
ヴェルが羽を広げると同時に2速へ。ソリが唸りを上げ速度を増した。体は落下の浮遊感から、席へ押し付けられる。
ヴェルの翼が大きく展開し、風を捉える。
「俺はいま飛んでるぞ、フレース!!」




