第65話 十年ワイン
「依頼したグレイプルと申します。この度は娘のヤルンを救っていただいて有難う御座います。この御恩は、一生忘れません」
グレイプルはひげ面の中年男性だった。小ざっぱりした格好とは程遠い。ごつごつとしわがれた手と、目には純真な輝きがあった。
「そんな堅苦しくしなくてもいいですよ」
マグルが言った。ビレステのついでで金も貰えてラッキーとは言えない。
「いえ、そういう訳にはいきません。せめて今夜は食べて飲んでください。依頼の報酬金も少なかったのに、貴方達は真の冒険者だ」
「いやいやそんな。本当に」
後ろめたそうにするマグルを、ますますグレイプルは尊敬の眼差しで見た。ヴェルが助け舟を出す。
「グレイプルさんはかの有名な“鉄の手袋”の?」
「はは。そんな二つ名、昔のことです。今じゃただの職人ですよ」
グレイプルの顔は照れたようでいて、誇らしげでもあった。
「なんだよそれ」
マグルが問うと、グレイプルが説明してくれた。
「シィラは元々、機械工で栄えた街です。輸送の要衝でもあるから職人が集まったのですね。職人が集まるとそこに更に部材や鉱石が集まり出す。輸送が増えれば冒険者の護衛依頼も増え、ついにはギルドができた。そうやって発展してきたわけです。だからか、ここでは有名な職人に二つ名が付くようになったのです」
「へえ。鉄の手袋って妙な名前だな」
「実は私ではないのですけどね。私の師匠、ドワーフなのですが、その人の二つ名を屋号と共に受け継ぎました。人に付けられる二つ名とはそこが少し違うところですね。まあ堅い話はこれくらいにして飲みましょう」
グレイプルは今まで食事を忘れていたようによく食べた。それだけ娘が心配だったのだろう。
「容体はどうだった?」
「ああ。ああ。問題ないですよ。少し血が出過ぎたくらいです。よく寝て、よく食べればオイルを差したようにすぐ動き出すでしょう」
グレイプルは何度も乾杯しようとした。マグルは律儀に付き合っている。アールはワイングラスをちょこんと上げるに留めた。嬉しそうな顔を見ながら飲むワインは、悪くない。
「見たところ、アールヴァクさんは無類のワイン好きですね」
「ここのワインは上質で、いいアイデアが浮かぶ。研究環境に適しているかもしれんな」
マグルとビレステが小さく笑った。
「十年ワインというのをご存じでしょうか。最高級のブドウを最高の技術で樽に詰め、至上の環境で熟成させたワインです」
「ほう」
「近く国王の就任式で振舞われる予定のものがまだ残っていましてね。その希少な一本が、ギャラル運送の主催するコンテストで賞品になっているのですよ。私が優勝した暁には贈呈させて頂きます」
「そんなに希少なワインを貰うわけにはいかない」
「いえいえ。娘の命とは比べ物になりませんよ。是非貰っていただきたい。ワインも、味の分かる者に飲まれる方が冥利というものです」
「そうかもしれんな」
大仰に頷くアールを見て、マグルとビレステがひそひそと話す。
「アールってば嬉しそう」
「な。もうラザニ村に帰らないんじゃないか」
「そんなことになったらアイゼさんに殺されるよ」
「しかしグレイプルさんが優勝するかは分からないですよ。他の参加者も有名どころばかりですから」
「ヴェルさん何を言うんですか。私たちの機械が優勝するに決まってます。……ただちょっと問題が残っているくらいで」
ごにょりと小さな声で呟いた。いたずらを怒られた犬だってこんな声は出さない。
翌日にアールは衛兵の詰め所ではなく、本部へ出頭した。
冒険者ギルドからの正式な依頼であり、相手は犯罪者だ。とはいえ人を殺したのだから当然のことだった。魔物を殺すのとは訳が違う。アールが一人で来たのはマグルたちの代表であるのと、その数だ。土の天蓋が落ちた時に、その衝撃で組員の半数が死んだ。
「すいませんね。形式上ですので楽にしてください」
周りの反応から見るに、立場の高い人間がアールの事情聴取をしていた。彼らなりの謝意だろう。
「お互い、仕事をしているだけだ」
「そう言ってくれるとこっちも楽ですな。それでヴァベック盗賊団ですが、頭のヴァ
ベックの遺体はなかったです。惜しいですな。報奨金が出るのに」
「それはいいが、どうして今まで放置していたのかだけ聞きたい」
「ヴァベックたちの根城は実は、ちょうどニンニ国との国境にあるんですよ。それで少しごちゃごちゃとしていまして。それに構成員もニンニ国とここ、ディジェン国と半数くらいで手を出し辛いという事情がありまして。まあ諸国連合のよくないところです」
「それで人身売買の温床になっていたら世話がない」
彼なりの事情があるのだろう。ぎゅっと言葉を飲み込んだ。
「それで申し訳ないが、ニンニ国でも事情聴取を受けて欲しいのです」
「そうか」
「一応、王都でも治安局の本部で聴取は受けられるのですが」
「では王都で受けるとしよう。手配を頼む」
「ニンニ国はすぐ先ですが、王都は遠いですよ」
「王都に用事があるからちょうどいい」
「分かりました。ではそうします」
建物を出るとビレステが待っていた。今日は虹湖を見に行くといっていたはずだ。
「タイミングばっちり。ヤルンが目を覚ましたから会いに行こ」
グレイプルの工房は、仰々しい二つ名が付いている割には小さかった。昔の話とはあながち謙遜ではないのか。
民家がそのまま工房になったようだ。その隣に同じくらいの大きさの家があり、そこが住まいだった。ヤルンは二階の自分の部屋に居る。
「お、アールさん。衛兵の聴取は?」
ヴェルとマグルは居間でお茶を頂いている。
「ニンニ国でも聴取を受けて欲しいと言われたが、王都でも受けることになった」
「めんどくせぇなぁ」
「行政が国ごとに違うからな」
ひとしきり母親にも感謝されてから、グレイプルと入れ違いで部屋へ入る。
ヤルンの部屋はベッドと小さな机、ワードロープと質素なもので、工学の分厚い本が枕元にあった。机の上には細長い機械部品が置かれている。
「生きててよかった」
ビレステが言うと、ヤルンは恥ずかしそうに頷いた。
「牢屋ではごめんね。怒鳴ったりして。パニックになってたの。普段はもっとお淑やかだから」
「いいよいいよ」
「アールさんとマグルさんも有難う」
「どっちかっつうとビレステの馬鹿さに感謝だな。こいつが捕まってなかったら行かなかったかもしれねぇ」
ウリウリとマグルがビレステの頭を掴んで揺らす。鏡の前で深く根を張るカブになったビレステが、呻き声や鼻唄をしながらセットした髪型が崩れていく。前髪も、崩れた。
やめて。
じろりと横目でマグルを睨む。
ウリウリ、ウリウリウリ。
「やめてって言ってるでしょ……!」
ビレステの肘が鳩尾に入る。蛙が潰れたような音が口から洩れた。
「ヴェルさんも有難う」
「ああ。一足先に飛べた感想はどうだ?」
――もしかしたら、飛ぶじゃなくて落ちてたじゃない。とツッコミを待っていたのかもしれない。
「それが私、記憶が曖昧なのよ。足元が崩れて、空中に投げ出されたところまでは覚えてるのだけど」
「そうなのか? 信じろと言って悪かったよ、実はついらく――」
ヴェルの言葉を二人が遮る。
「そりゃもう見事な飛行だったぜ」
「もう羽ばたいてた。あれは絶対に羽ばたいてた。あたし見たもん」
二人に前を取られ、ヴェルは部屋の隅へ追いやられる。ヤルンに見えないように二人がグッと親指を上げた。昨夜馬鹿にしてしまったフォローのつもりらしい。
「へえ……? そうなの。覚えていれば良かったわ」
「取り敢えず早く治すことだな。そしてコンテストの為に機械を仕上げることだ」
「アールってばワインが欲しいからって」
「コンテスト。そうだ。あのクソ男。襲われた時、私を置いて逃げやがってぇ……」
ヤルンは怒ると人が変わったようになる。
「どうどう。落ち着けって。とにかく今は休め。な?」
「ヤルンさん!」
全員が振り返る。部屋のドアを開けた人の後ろにはグレイプルも居て、いつになく真剣な表情だった。
「やっぱりギア比が無茶ですよ。動きません」
「魔力の高いギムレー専用に組んだから、軽くしないとそりゃ無理よね」
「ギムレーさんに戻ってくるよう頼んでみますか?」
ギムレーはヴァベック盗賊団に襲われたあの日、ヤルンを置いて逃げたことで恋人と機関手の仕事、その両方を失った。
「ふざけるな。あんな奴、次に顔を見たら俺がぶちのめしてやる」
トラブルの気配はそのまま十年ワインが遠のく予兆だ。無表情のアールの目が夏の曇り空みたいにどんよりしているのに、ビレステだけが気付いた。




