第64話 墜落する鷲
土の天蓋を出てすぐのところでヤルンを寝かせる。脇腹から血が出ていた。上の服をまくる。ヤバいな。傷口は短く小さいのに、血の量がやけに多い。深いかもしれない。
「ヤルン、大丈夫だからね」
ビレステが手を握る。顔色が青くなる前に、治療を受けさせないといけない。
「急ごう。馬を奪って来ればよかったか?」
「どの道だ。もう遅い」
アールが作った土の天蓋への魔力供給が切れる。硬化が失われると、ビキビキと割れ始め、ついには自重で崩れた。大きな土埃と、強い風が後ろから吹き抜ける。
「滝壺へ向かうぞ」
アールが告げた。ビレステは少し遅れながら、必死に走っている。
「アールさん、ヴェルは飛べないって」
「……」
ヴェルは悔しそうな顔をしたが、こいつが悪いわけじゃない。
「土魔法で一気に降ろす」
「そりゃいいや」
かなり頑張って走った。ヤルンは途中から顔が青くなってきて、苦しそうな息をし出す。
「ヤルン。傷口抑えてるか?」
「早く、助けてぇ」
「あとちょいだ」
滝へ落ちる川が見えて、それから崖の手前に到着した。マグルが焦れたように問う。
「詠唱は?」
「もう少しだ」
半分は過ぎた。
「ぜえぜえ。アールの、も少しは、長いよ……!」
ビレステが追い付いてきて言った。ヴェルが下ろして、もう一度傷口を縛る。
「保ちそうか?」
「分からん」
「これ飲め」
水の入った革袋をヤルンの口に持っていく。飲まなかったというより、飲めなかった。仕方ないので、口を開けて少しずつ流し込む。
「ごほっ」
「……」
マグルは頭の中で計算する。道を下りていくより、さすがに直通で下へ降りた方が早い。それでも間に合うのか?
「起きろ。ヤルン。このままじゃまずい。聞こえるか?」
マグルと同じことを考えたらしい。ヴェルが真剣な顔で言った。
「ううん。聞こ、える」
「夢はあるか?」
なに始めようってんだよ? マグルが呟くが、ヴェルはそれを無視して続ける。
「思い浮かべろ。それが生きる力になる」
「夢? ないよ。けど今は、魔動機械コンテストで優勝したい」
「出場者だったのか。機械は作ってあるか?」
注視しないと分からないほど微かに、頷いた。
「絶対、優勝するんだ……」
「その意気だ。アールさん、詠唱は?」
「少しだ。人を乗せて下ろす分、強度が必要だからな」
ヴェルが抱えた。
「おい? 飛べないんだろ?」
「俺の相棒はここで飛ぶ練習をしていた」
「その相棒、結局飛べてなかったんだよな?」
「ええ? ヴェルさん大丈夫なの?」
「飛んだ経験があった方がコンテストに勝ちやすい」
手早く上着で、ヤルンを自分の体に結ぶ。マグルとビレステも手伝った。
「アールさん、未完成でいい。降ろしてくれ」
「途中で崩れるぞ」
「頼む」
ヴェルが崖の前に立つ。上を見ると、雲がいつもより近い気がした。風は誘うように吹いている。先にある川からは、滝へ落ちる水飛沫が時折飛んできて、羽を濡らした。匂いはない。
「ほ、本気? まだ死にたくないんだけど」
怖い。けどヤルンには止める気力もない。
「俺を信じろ。急がないと死ぬ確率が上がる」
アールが杖を振る。土魔法で目の前に分厚い板が作られた。崖の先へ突き出ている。
ヴェルがそれに乗ると、二人が視界から消える。落ちた。
涙が流れるように、板は崖の側面を伝う。
「速っ!」
アールたちも崖際に立って見守る。
「ふむ――。もう少し落下速度を遅くするべきだったな」
「あ、折れた」
崖との接地部分が折れ、それから土の板が割れる。それでも半分くらいまではいった。
二人が空中へ投げ出される。
くるりと一回転したヴェルが翼を広げた。
空気を打つ音が聞こえた。
「飛んでる! のかな……?」
「いや落ちてるな」
横に広げた翼を懸命に動かすが、辛うじて滑空している程度だ。そのまま街の近くの川へ不時着した。これで死んだら涙が出るなんてもんじゃないぞ。
「俺たちも行こうぜ」
「いや、良かったよ。これで依頼も達成だ」
どうせビレステを助けるのだし、そのついでで一緒に捕まった女も助けることになる。本来的には依頼もなにもない。マッチポンプ紛いのこれも、冒険者の知恵と言っていいのか。
「しかもあたしたちに食事も奢ってくれるなんてね。ヴェルさん様々だ」
四人は酒場でテーブルを囲んでいた。
依頼主は機械工の男で、ヤルンの親だった。ヤルンの治療魔法が終わるまでは傍にいて、後から来る。先に飲んでてくれと言われたので、注文は済ませた。
「飛べないって言ってたのに。凄いねぇ!」
「あれは飛んでるっつうか墜落だったけどな」
「……」
「だが結果的に、墜落を見に来た人が治療魔法使いを呼んでくれた訳だ」
「……」
「じゃあ――、ナイス墜落!」
「あんまり馬鹿にしてくれるなよ」
ヴェルがグイグイと酒を飲み干す。
「えへへ。でもヴェルさんが居なかったら本当に間に合わなかったかもね」
「だな。よくやったよ。それで、久し振りの空は?」
「それどころじゃない、必死だったんだぞ。途中で折れた時なんて」
「あの魔法は美しくなかった」
「本当に死ぬかと思った」
テーブルの中心から笑いが沸き起こる。
「でもそうだな、空は。――広くて自由で、心細かったな」
「へえ」
なんだか言葉に陰があった。それを何となく感じとったからマグルはイジらなかった。場が落ち着いたのを見計らっていたのか、アールが静かに注意する。
「ビレステ。もう捕まるな」
「ごめんなさい」
唇を尖らせたビレステが居心地悪そうに身動ぎする。サラダをむしゃりと食べた。
「でもさ。あっ、怒んないで聞いてね?」
「内容による」
「だってよ。ビレステ、怒られるようなことなら言うなよ?」
「分かった。占いでこう言われたの――」
まさか親に会えると思い、馬車で運ばれる途中で逃げられたのにそうしなかったとは、普通なら言わない。というかもう少し濁す。
依頼主であり、シィラで一番の機械工と噂されるグレイプルが来たのは、アールに怒られたビレステが不貞腐れていた時だった。




