第61話 やっぱりだよ
「大変だ! アールさん」
午前の陽光は午後のそれよりも柔らかいのを楽しみながら論文を書いていた。鳥のさえずりと増えてきた物音がアールのピンと突き出た長い耳に入ってくる。ドカドカと足音を立てながら部屋に戻ってきたマグルは、小鳥を蹴散らすカラスの化身だ。
顔を向けて先を促す。
「ビレステが消えた」
「そうか――」
「そうかじゃないですよ。あいつ昨日メシの時に滝を見に行きたいとか言ってて」
「何も言わずに一人で行かないだろう」
「そりゃあそうだろうけど」
「すぐに戻ってくるさ」
階下でお茶を貰い、目を休める。昨日書いた分を見直そうとするが文字が滑る。窓の外を見て、それからマグルへ視線を移した。
「ビレステはまだ帰ってこないか」
大剣の手入れをしているマグルが顔をあげた。
「だから言ったでしょ」
「少し探してみるか」
宿の周りを探してみる。居ない。襲われたなら悲鳴でも聞こえてきそうだ。そもそも【障壁】を使えるビレステを拉致するのは簡単ではない。
「ビレステぇ! おーいっ!」
「ちょっとうるさいから辞めて」
慌てた様子でビレステが宿屋から出てきた。マグルの肩を叩く。
「なんだ居るじゃんか」
「居たの。うるさいなぁ本当に」
「ああすまん。ウンコだったか」
バチンと頬をはたかれている。綺麗な音だった。余計な一言と書いてマグルと読む。
「あたしだって一人になりたい時があるの!」
だからそれがトイレなんじゃ――、あっぶね。
余計な一言は懲りない。
「ちょうどいい。このまま昼にしよう。酒場に行けば色々と話を聞ける」
「酒場って、ワインが飲みたいんでしょ」
「ちょうどいいからな」
シラタキは綺麗な水と水はけの良い斜面がある。ワイン用ブドウの一大産地だった。醸造所は大きいのから小さいのまで多くあり、道を歩いているとふわりと鼻腔を掠める。春夏秋冬の花が入り混じったような匂いがした。それはブドウからは想像できない深みと、醸造所毎にある個性の底を覗きたくなる蠱惑的な匂いだった。
「帝国の情報はなにかないか?」
酒場のテーブルに座り、注文を済ませる。マグルは脱走した鶏のようにふらふらとテーブルの間を歩き始めた。
それから一人で座る他人のテーブルで勝手に相席する。酒を二杯頼み、しばらく話していた。ビレステが白い肉のステーキをつまみ喰いようとしたところで戻ってくる。
「帝国の動きはないみたいだ。だからまだ勇者も帝都に居ると思う」
「ふむ」
「それより、諸国連合の首都ミー都で王を交代する祭りが開かれるらしい。今はその話で持ち切りみたいだな」
もうそんな時期か。祭りは数日に渡り開催される。故郷でも物好きなエルフが一目見ようと出掛けていた。
「ふぅん。王様が変わるのって凄いことよね。もうお爺ちゃんなのかな」
王の交代は一大事業だ。
ラディッキ王国の前王はそれを卒なく終えた。見事だったが、交代したのがあの王なのは残念な話だった。
「諸国連合王国は七つの国が集まり建国されたのは知っているな? 七人の評議員で国を運営している。それは別として国の代表が必要な場面は多くある。国王が居なければ他国と話し合いも出来ないしな。そこで七つの国が順番に国王を選ぶことにした」
選定国は当然、自国の中から有力人物を選び国王にする。そうしてバランスを取ってきた。
「じゃあ国が変わるってこと?」
「そこまではいかない。結局、国を運営するのは評議会だからな。評議が分裂した時は国王が一票投じ、意思決定することもあるが」
「エルフの里からも評議員が一人出てるよな」
「ああ。リョザルファという男のエルフだ。建国した時から務めている」
エルフの国王が選ばれた時は、このリョザルファが国王と言っても過言ではなかった。
「何歳なの?」
「さぁな。かなりだ」
「エルフってそういうところあるよね。アールもそうだし」
「自分の腰回りが何センチか気にする人間は居ないだろう」
うぅん?
呻き声に横を向く。ビレステは皮肉が分からないのか、自分の腰を指で測り始める。
「アールさんってやっぱり結構歳いってるんだよな」
「二百くらいだとは思っている。ただ一人で研究していた頃は、時間の流れというものを感じなかったからあやふやだ」
「ひょえええ。あたし何人分?」
「エルフの方。こちらワインのお供にどうぞ」
従業員がサービスしてくれた。丸い木の実がコロコロと小皿の中で転がる。
「うむ――。甘くて、ほろ苦いな」
「お、これ蜂蜜焼きだ。懐かしいな。村の酒場にもあったよ」
「うげえぇ。甘いと思ったら苦いじゃん」
「噛んでるともっと苦くなるぜ。すぐ飲め」
ビレステが顔を鼻に皺を寄せながら飲み下す。甘めで酸味の抑えたワインと合いそうだ。
「モッツァ村ではカエラっていう木の実を使ってたよ。秋になると葉が色づいてイイ匂いがするんだ」
「分かるかも。よく孤児院から森を見てたけど、色が変わる木があるんだよね」
二人が仲良く談笑している傍らで、ワインを味わいながら今後を考えた。
膠着状態か――。
魔王が居るかどうか分からないなら、魔王城まで私が直接見に行っても良い。どの道魔王城へのルートは必要だな。それにリョザルファならもっと良い案を考えつくかもしれない。
「当面はミー都を目指す方向になる」
「やっぱりそうだよな」
「お祭り楽しみだなぁ。きっと賑やかなんだろうな」
キャー!!
「こんな感じで。って誰か襲われてない?」
「そうか」
「そうかじゃないよアール助けなきゃ」
「治安わりぃな。白昼堂々お構いなしかよ」
「助けないの? 信じられない」
「衛兵がすぐ来るから大丈夫だって」
ビレステが立ち上がる。あっという間に酒場のドアまで行った。止まれと言って止まるなら、大根も胡瓜も全て真っ直ぐに育つ。
「来なかったらどうすんのよ!」
「くそ、馬鹿だろあいつ。アールさん追いかけるぞ」
マグルが追っていく。私も立ち上がるが、すぐに右手を掴まれた。
「お兄さんお会計。まさかサービスまでしたのに食い逃げ?」
女性の従業員は笑顔のまま怒っている。
会計を済ませたアールが店の裏路地へ回った頃にはもう誰も居なかった。
待てこら!
やっちまえ!
喧騒の方へ向かってみる。マグルが二人と対峙している。一人を切り捨て、それからもう一人に深手を負わせた。その先には馬車が待っていた。普通の馬車と違うのは中から外へ出られないように鍵が付いているところだ。
「出せ!」
馬車に立つ男が指示する。マグルに深手を負わされた男は置いていかれた。
「ビレステ」
呼んでみると、居た。鉄の牢屋みたいな馬車から顔を覗かせている。
「トイレする時にベルト外してた。ごめんなさい」
言い訳はいらない。口封じか。馬車の後部に乗っている男が魔法で残された男を焼いた。
マグルが疾走する。あと少しだった。
馬車に追いつきはした。だが後部の居た男とも揉み合いになり、二人共が落ちた。
【フレイム】
火の玉で馬を狙うもやはり詠唱が不十分だと当たらない。
「衛兵を呼んでこいつから話を聞こう」
マグルに殴られ、それから顎を蹴られた男は気を失っている。騒ぎにようやく衛兵が追い付いて来たのはそれからすぐだった。




