第55話 川面の三日月
マグルは城の東側、細い路地で待機していた。頭の中で計画を浚う。
これからアールさんが魔法で塔をぶち壊す。そこからビレステを連れて逃げて、南門にいるレーゲンスさんと合流する。
魔族領でも王都でもない、諸国連合へ通じる道はさすがに帝国の追っ手も予想できないだろう。こうしている間にも、ビレステが無属性魔法の実験をさせられるかもしれない。
「ふぅ。段取りは掴んだ。とにかく混乱に乗るしかないな」
フッラに見つかっても厳しいのに、スルーゼとかいうのも加わったら大惨事だ。
「まだか……」
玉ねぎ山はここから見えない。本当にあんな遠いところから魔法が届くのか。
それで城の防御結界を貫通できるのか。
そもそも俺はまだちゃんとアールさんの魔法を見ていなかった。
疑問はある。ありまくる。けど仕方ない。とにかく今はその時を待つだけだ。
・三十分経過
マグルは路地でウロウロと落ち着かない。
もう少し掛かるか。さすがに大魔法だから詠唱にてこずってるみたいだ。
・一時間経過
マグルは城の方をしきりにちらちらと見ては、天を仰ぐ。
トイレ行きてぇ。くそ。小便してる間に魔法が発動したらどうする。ああもう。そこの木にしちまおう。まさか失敗したとかないよな。
・一時間三十分経過
マグルは壁に座り込み、魂が抜けたようにぼんやりしている。
何分も前に、太陽と錯覚するような魔法が玉ねぎ山の方向に出現した。どんだけ高いところから撃つんだ。そしてそれをいつ発射すんだよ。アールさん。頼むから早くしてくれ。夜が明けちまう。世界の終りまで詠唱するつもりかよ。
それから数分。
叫び声がする。城の中からだ。路地から首を出すと、太陽が落ちてきたんじゃないかって体は思わず逃げようとした。遠くで見るより、近くだと数倍も大きい。
城の結界に当たったのかほんの一瞬だけ止まったように見えた。音もなく結界は割れ、太陽が、堕ちてくる。
膝が笑ったみたいに足元が揺れる。地面がうねり、城の壁が内側から破裂したように砕けた。
それを合図に駆け出した。城に入り、木の影と土煙に紛れながら塔へ向かった。視界の端に金色のなにか、たぶん人じゃないと思うが風に巻き上がるのが見えた。叫び声が聞こえたような気もする。
塔の残骸を足場にして、折れたところから入る。
「ビレステ」
小声で言うと、小声で返ってきた。
「こっちこっち」
ひそひそ。
「どっちだよ」
「こっちっ……!」
声が小さくて分かんねぇっての。
降りていき、見回すと見つけた。【障壁】はしっかり発動していて、瓦礫はビレステの周囲に奇妙なほど落ちてなかった。
「行くぞ」
「ちょっと待って」
「足か? じゃあ背負うから」
「そうじゃなくて」
「なんだよ。早くしないと見張りが来るぞ」
「ヘイズルーさんが魔法で私の両親を見つけてくれるっていうのよ。だからちょっと待って。後で来るって言ってたから」
「ヘイズルーはビレステを拉致しようとした奴だぞ」
「そうなの……? でも」
マグルが腕を掴んで引っ張る。ビレステはそれを振り払った。
「やめて」
沈黙が下りる。勘弁してくれよ。何のために俺たちは頑張ってんだ。
「チッ。そんなの逃げさせない為の嘘に決まってんだろ」
「――っ見つかるかもしれないでしょ」
ビレステはグッと自分の服の裾を掴んだ。
「かもだろ。そう言うってことは嘘だってお前も気付いているよな」
「分かってるよそんなの! でも、あたしだって一目でいいから両親に会ってみたい。あたしだって、死ぬ前に幸せを味わったっていいじゃん」
憐れみそうになった。幸せは追いかけるほど逃げていく。
「おい」
「可能性があるんだもの、それに賭けるのは悪いの?」
泣くなよ……。
くそ、どうしたらいいか分かんねぇ。
外で爆発音がした。考えている暇はない。
「なあ」下を向いたビレステに届いているのか。「ベリドを探してくれるって本気で言ってくれて、俺すげぇ嬉しかったんだ。――だってそうだろ。ポ帝都は村の何倍も広い。そこで一人の人間を、しかも隠れてるのを探すなんて簡単じゃない。実際、周りの奴らは見つかるわけがない。やめとけ。もう別の国に行った。とか否定ばっかりだからさ。正直諦めそうだった。
でもビレステは馬鹿にもしないし一緒に探してくれて、本当に助かった。そんで見つけて、けどお前がフッラって女に攫われちまって。罪悪感が激しかった。俺のせいなのに、今も責めないし。恨み言の一つくらいあってもいいんだぜ?
だから恩返しじゃないけどよ。俺も両親を探すの手伝うよ。無属性魔法のことも、ベリドの件が片付けたら手伝う。だって魔王城まで行って帰ってで二ヵ月くらいだろ? 別にいいよそのくらい。だから今は一緒に逃げてくれ。ヘイズルーは嘘つきだ。知り合って間もない上にアールさんほどじゃないけど俺もビレステを心配してる。寿命が減るのを助けてやりたいって思う。それじゃダメか?」
「……」
腕を引っ張ると今度はちゃんと引っ張られてくれた。
細い腕だ。この腕でビレステは寿命の喪失に耐え、そして不安で泣きたい夜、泣きつく相手の居ない寂寥感に何度も打ちひしがれてきた。自らを奮い立たせる為に、自分の服を握り締める必要があった。それはクセになっていた
マグルはそこまで父親を求めたことはなく、ビレステの辛さは理解できないかもしれない。でもクセになるほど、心を守る必要があったのは分かる。だからその腕は細すぎた。
塔の外に出る。場内はてんやわんやの騒ぎで、逃げるのは簡単だった。予め教えられたルートで南門まで急ぐ。涙は止まったのか、ビレステもしっかりと走り始めた。
「こっちよ」
手を振る人影。クノーブさんだ。
「レーゲンスさんは?」
「北門の近くで、壁を登った痕跡を作りに行ったわ」
これである程度はそっちに引っ張られてくれるはずだ。
「ありがてぇ。それで脱出はどうやって?」
南門は夜だから閉まっている。
「レーゲンスが昔に世話していた子が門番をやっているの。それでこれを見せて」
商会が搬送に使う木札だった。急ぎで送らなくちゃいけないってことにするつもりらしい。その為に小さなマジックバックもくれた。
「貴方がビレステさんね?」
「初めまして」
誰だか分からないビレステはちょっと人見知りしたような顔で挨拶する。
「アイゼの母のクノーブよ。近くに住んでるんですって? あの子、迷惑かけてないかしら」
「イエ、ゼンゼン」
片言になったビレステの姿にクノーブさんが笑う。
「でもこの前は魔物が押し寄せてきて、アールと一緒に撃退してくれました」
「あら。凄いわね。昔から一つのことに夢中になりやすいから、研究に没頭してご近所付き合いも疎かにしてると思ったけど、なんとかやってるようね」
「ビレステ行くぞ」
「うん。あの、助けてくれて有難う御座いました」
「気を付けて。今度はゆっくりと遊びに来てちょうだい」
「はい!」
手を振り、別れる。
徒歩で城門を抜けた。話は通っていて、当たり障りのない質問をされるだけで通された。アールさんとの集合場所へ二人は急ぐ。川の傍を通った時に、見たことのある黄色い弓が流れていた。
「これはベリドの弓だ。なんでこんなところに……。ちょっと先に行っててくれ。追いつかなかったらそのまま行っていいから」
「一緒に逃げるって言ったじゃん」
「いや――」
辺りを見回す。戻る方向、川の縁に生えた水草で死体が一つ絡めとられていた。確認はいらない。
「おう。そうだな」
合流した一行はしばし南下していく。




