第54話 この「日」
詠唱にはかなり時間が掛かる。術式を構築し、魔法陣が崩れないよう、丁寧に魔力を込めていく。
アールはその間にもう一つ、土魔法で自身の足元を二十メートルほどせり上がらせた。視野が一気に広がる。
向こうを見やると、黒々とした山脈が世界に影を作っている。切れ目がある辺りに、魔王領へ続く北門があるだろう。そこからもう少し左に目をやると巨大な城があった。トマッ都の王宮と同じかそれ以上あるか。
ビレステの居る第二東突塔もしっかり見える。ここからだと射角は良くない。レーゲンスが言うにはその一階にビレステは居るらしい。射角が良すぎても、ビレステを巻き込んでしまうからこのくらいがちょうどよかった。距離は遠いが時間はたっぷりあり、その分だけ精密に撃てる。
アールの中でも最大級の魔法だった。以前に使ったのは五年ほど前、ラザニ村の近郊にアイゼが神樹を植えるための土壌調査に向かった時だった。どうしてか魔族が居て、消し飛ばすのにこの魔法を使った。
二時間くらい詠唱した。アールの体感では二十分くらいのことだ。
意識を研ぎ澄ませ、切れ目なく術式を構築していると、普段とは違う感覚に至ることがある。武人が言う、無の境地と似たものかもしれない。
魔力はまだまだ余裕がある。もっと長く続けられるが、終わりだった。頭上を見ると、火の玉があった。土を玉ねぎ山から拝借し、それを核とした上で周りに火を這わせた。大きさは直径で百メートルくらい。魔力と質量、その二つを追い求めた暴力的な魔法だ。
そして今回はビレステや城兵に死傷を与えないよう、土の核に込める魔力は少なく、着弾点を吟味した。ちょうど塔の横に庭がある。そこに落とせば、余波で塔は崩れる。事前に強い魔法を使うから、【障壁】で身を守れとは伝えてある。
混乱した現場からマグルがビレステを救出。城の南門からレーゲンスが脱出させる手筈になっている。
最後の術式を刻み、杖を振る。およそ普通の魔法使いには理解し得ないほど難解で、短縮魔法では作り得ない大きさの魔法陣を展開した。
【メテオ】
そして発動する。
最初はゆっくりと。徐々に速度を上げて火の玉は目標に向かった。
*
いつもはすんなりと眠れるのに、今日は寝つきが悪い。諦めてスルーゼは目を開けた。興奮しているのかもしれない。
今夜は良かった。
吟遊詩人の語りを聞かせて貰った上に、その人が父上のことを知っていたとは驚いた。
やはり耳が広いのだろう。なにせ父上は先の魔族の戦争にて、過度に突出することで味方を救い、魔族の将軍を打ち取って銀盾突撃章を授与されたのだ。それだけでも勲章相当だが、置いていかれた負傷兵を救助しながら後退していった。その英雄的行為はむしろ知っていて当然なのではないだろうか?
ヤーナー補佐官が余計なことを言わなければ、他の街でも父上のことを語って貰えたかもしれないのに。……でも仕方ないな。吟遊詩人のセポ殿にも色々と段取りがあるのだろう。
立ち上がり、枕元の水差しから水を飲んだ。
どうしてかビレステ殿のことが気になった。胸騒ぎがする。ヘイズルーがなにか悪さをするなら、今夜だろう。明日には尋問官が調書を取り、解放する。
少し見てくるか。
私腹を着ようとして、やはり軍服にした。
「スルーゼ少尉だ。ご苦労。少し見回りをする」
「こんばんはスルーゼ少尉殿。こんなところに来る犯罪者は間抜けでしょうが」
来る、というより中に居るのだ。
「なんだか胸騒ぎがしてな」
「悪運殿がそんなことを言いますか。明日は槍でも降りますな」
「どうせ降るなら休暇にしてくれよ」
手ぶらではなんだから、執務室に隠してあるショコラを持っていこう。空いたインク瓶に包装されたショコラを入れておくなど、なんて悪魔的発想だろうか。夜でも働いている者や見回りが居る。静かな城の中を通り、それから庭を迂回していった。夜風が気持ちいい。
「スルーゼ少尉殿」
中隊員が私を見つけ、直立する。
「ご苦労。少し胸騒ぎがしてな」
「ハッ。先ほどヤーナー補佐官も、ヘイズルー魔法官が来ても通さぬようにと確認されました」
さすがは我が副官だな。長年一緒に居ると心の持ち様まで似るらしい。
「ビレステ殿は起きているか」
「先ほど咳をしていましたが、今はどうか」
「ヨシ。起こさぬよう、静かに開ける。手を貸せ」
そっと扉を開ける。
「あ。スルーゼさん!」
ビレステは起きていたらしい。
「夜半に失礼。寝るところなら帰るが、こんなところでは満足に寝られないかと思ってな。ほらショコラだ。それとミルクも食堂から拝借してきた。これでよく寝られる」
「ええ。スルーゼさん格好良すぎ」
「ふふふ。私も男に生まれたかったよ」
「駄目ですよせっかくお人形さんみたいに綺麗なのに」
「その人形師は相当腕が悪いに違いない」
ビレステが牢の窓を指す。
「空におかしな太陽が浮かんでる。なんか見た事ある気がするのよね」
「今夜は満月でもないが」
むしろ雲が厚くて暗い。
「信じてない」
「太陽は昼に浮かぶものだからな」
「私も前は昼に見たの。その時は太陽が二つだったんだから」
寝ぼけているのだろう。明日には帰れるから、とおやすみした。出ていく間際で呼び止められた。
「スルーゼさんは、もう一度両親に会えるならどんなことでもする?」
「……簡単なことならするが出来ないことはしないな。亡くなったのは悲しい。だが受け止めないと、生きている者を慈しめない」
言葉を呑み込もうとするビレステの、その素直な姿勢に人間としての器を感じた。加えて精密な土魔法を使ったあのエルフから教わり、勇者専用だと言われていた無属性魔法を使う。未来は相当な魔法使いか。ラディッキ王国民じゃなければ軍に誘っていた。
「お嬢さんには寝る時間だと教えておいた」
見張りの交代か、新たに二人が来た。
「おや、スルーゼ少尉殿がですか」
「先に言っておくが教えた、だ。教えられてはいない」
四人の兵士が笑う。帰りながら夜空を見上げた。ビレステは何を勘違いしたやら。
視界の端に太陽が映る。
「太陽?」
それは徐々に大きくなっていた。
違う。
近づいている。
「中隊、上を見ろ! 迎撃だ!!」
スルーゼの言葉に即座に反応する。この場に魔法使いは二人居た。
機敏に反応した一人が落ちてくる太陽に向かって弓を放つ。意味はない。短縮詠唱で水魔法を使うが、やはり意味はない。詠唱した魔法。無理だ。物量が違い過ぎる。
異変に気付いたらしい。城の方々から同じように魔法が上がっていた。
太陽が微塵も速度を落とす様子はない。まっすぐにこちらへ向かう。
「ああ……」
諦めたような声を出した中隊員の尻を蹴る。
「私に集まれ!」
太陽は壊せない。全員を背中に集まらせ、ありったけの魔力で防御魔法を展開した。周囲に魔力の隔壁を作る。剣を抜き横にして、両手で押すように構える。刀身に溜めた魔力も解放した。
「少尉。俺の魔力を使ってください」
魔法を使える部下二人が背中を支える。
太陽は経路上のことごとくをなぎ倒しながら近くに着弾した。
衝撃が地面を揺らす。
それから一瞬引っ張られたかと思ったら吹き荒ぶ爆風に襲われた。
塔は折れ、城壁は玩具みたいに破壊された。
矢面に立つスルーゼは尋常じゃない圧力に晒される。
「むぐぐ」
背中には中隊員。ここで力尽きては父上に怒られることだろう。
「ぐ。ぐぐ」
踏ん張れ。
踏ん張れ、ない。
スルーゼが吹き飛んでいく。
「どわああああああああ」
「「少尉殿っ!」」
城の二階、外に面する回廊。吹き飛んできたスルーゼがそこに居た青年にぶつかる。
「ぅぁぁあああ!」
「え? ええ? うわっ」
「ぐへぇ」
抱き止めた青年も、勢いに背中を壁に叩きつけられた。
「大丈夫ですか……。って、スルーゼさん?!」
「うう。すまぬ。ハルキ殿」
「この騒ぎはなんです。魔族の襲撃ですか?」
どこかで爆発する音がした。
「分からん。受け止めてくれて助かったが、その、下ろしてくれぬか、この歳でお姫様抱っこもな?」
ハルキ殿は謝りながらそっと下ろしてくれる。
城は壊れ、見るも無残だが人的被害は少なそうだった。警鐘が響く。襲撃に備えなければならない。




