第49話 三日月はスラムに輝く
その女の人はいつの間にか横に居た。近くで崩れ落ちた死体を跨いでいく。一瞥さえくれなかった。
マグルが目まぐるしく戦う中で、道の中央に立つ。なんだか暗い人だなと感じた。それでいて変な雰囲気がある。後から来たのに、この場を支配する、代表みたいな顔をしていた。
マグルが逃げろと叫ぶ。逃げようとしたところですぐに追いつかれた。
「きゃ」
振り返ると手が伸びてきて、体が勝手に【障壁】を発動した。
「凄いわね。破れそうもないわ」
「け、憲兵を呼びますよ」
「呼べばいいんじゃない? すぐには来れないだろうけど」
「……!」
私たちが夜に出歩くのは、今日決めたことだ。それなのにまるで計画を練っていたような話し振りが怖かった。自分の知らない、とても大きなものが口を開けてじっとこちらを見ているような錯覚に襲われる。
「すぐ済むから暴れなくていいわよ」
障壁は大きくない。簡単に迂回できた。
殺そうとすれば、相手も殺しに来る。
分かってる。やらなきゃ殺されるくらい。【魔弾】を撃とうとして世界が揺れた。建物がぐにゃりと曲がる。融けた飴みたいだ。
「毒ガスが効いたようね。おやすみ」
そう言われてようやく、強い眠気に襲われているのが分かった。
*
体が温かい。痛みが急に強くなり、そして波が引くように和らいだ。治療魔法だ。
マグルは目を開ける。それでも高熱のように頭が痛み、体が怠かった。
「ようマグル。だから俺に媚びを売っとけって言ったろ?」
もう一度まばたきする。傍でメイスの先を当てた男の輪郭がはっきりしてきた。腰の大盾にも見覚えがある。
「フア。どうしたんだよこんなところで」
トマッ都の冒険者だ。ポ帝都まで郵便配達人を護衛する依頼で、パーティを組んだことがある。もう一人バルダーという大弓を使うのがいた。
「それはお互い様だろうが。しっかしお前ほどのやつがボコボコとはな。見ない間に弱くなっちまったんじゃないか?」
ふざけた調子はいつもの事だった。
「それよりビレステは?」
「バルダーが追ってる」
「連れてかれたか!」
「大丈夫だよ。あの女の子一人に執着しねぇって。まあ彼女が奪われて焦る気持ちは分かるがな」
やばい。
バルダーも軽い気持ちで追ってるかもしれない。あいつらは、本気だ――。
「俺の彼女じゃない。それより早く追いかけよう。やばいんだ」
立ち上がる。体が軋む音がして、悲鳴を上げそうになる。幸い、骨は折れてないみたいだ。
「なんか訳アリか? しゃあねぇなぁ。手伝ってやるよ」
「有難う」
「へっ。俺たちの仲だろうが!」
肩を小突かれる。矢が刺さってたところだぞ!
「あ、すまん」
呻くマグルを連れ、二人は道へ出る。仲間の死体は置き去りらしい。
「バルダーならなにか痕跡を付けてるはずだ。あった。あれだ」
壁にナイフを擦りつけたような跡があった。フアが言うなら、そうなのだろう。その道を曲がり。進む。
「この先はスラムだぞ」
フアが言った。
「連中、そこが根城か」
「噂は聞いた。ベリドを追ってたんだな。今もか」
「……ああ。そうだけど、こっちもビレステが追われてたらしい。俺もよく分かってない」
「複雑だねぇ」
「間抜けなミスで相棒の足を切る羽目になった」
「そうか? 盗まれるなんて誰にも分かるわけねぇって。それに俺たち冒険者は」
「いつ死ぬか分からない。ってか」
「そういうことだ」
そう覚悟しても、実際に仲間の死を見届けるのは心にくるだろう。
ナイフの痕跡が途切れたところで血痕があった。それを追おうとして、こめかみの当たりに熱い石を押し当てられたような感覚がした。
矢の軌跡が寸前まで頭のあった場所を通る。
――三日月に見えた。黄色い弓が闇夜に浮かぶ。スラムの家は小さく、壁はひび割れていた。その屋上、安全な場所からベリドが見下ろす。
「あの傷で生きてるなんてなぁ。それともやっぱり死にたくなったか?」
「てめぇ。どうしてマジックバックを盗んだ」
聞いたって仕方ない。けど殺す前に聞きたかった。
「……妹が治療を受けるのに必要だったんだ」
「ッ――」
「こいつの言う事を聞くな。どうせ嘘だろ?」
「ひゃはは。本当かもしれないだろ」
「ってめえぇ。ビレステをどこにやった!?」
「教えるわけないだろうが」
矢はフアが防いでくれた。
「時間稼ぎだな。さっさとベリドを倒して吐かせるぞ」
「おう」
道の奥から二人の武装した男が現れる。血に濡れた武器は、貪欲にもまだ血を欲していた。その後ろからもう一人、止血だけしたハンマー男。腕は失くしたままだ。
三人が一斉に襲い掛かる。
あの女と比べたら敵じゃなかった。そもそも冒険者を続けられなくてドロップアウトした奴等だ。実力はない。治療魔法の直後、治りきっていない体でもやれる。
フアがメイスで一人の頭をカチ割り、もう一人の攻撃を大盾で受けてから横からメイスを振った。血と共に何本か歯が飛ぶ。マグルはハンマー男を今度こそ斬り伏せた。治療魔法も受けず、その深手で来たこと自体がどうかしてる。いや、そうさせられたのか。
上を見る。ベリドの焦った顔があった。
「あとはお前だけだ」
「そうだな」
「あんまり焦ってないなぁ。おい、まだ何かあるだろ」
敵に気安く話し掛けるのは、世界広しといえフアくらいだろう。でも今回はそれが助かった。
「は?」
目が泳いだ。泳いだ先は、俺たちの後ろ!
宵闇の中で、それより濃い影が伸びてきた。フアを手で押した。押した勢いも利用し、体を半回転させて後ろ蹴りを放った。腕の小手で防がれる。影がまた伸びてくる。違う。幅広の大剣のお陰で防げた。ナイフだ。黒い布を巻いている。全然見えない。
「ウバソ!」
「久し振りだな。先輩にビールでも奢れよ」
ベリドたちのパーティリーダーだった男だ。マグルとは定宿が同じで、よく顔を合わせていた。
大剣を上から振り下ろす。バックステップで避けられるのは分かってる。フアが右から追撃して、俺も一歩踏み出しながら素早く斬り上げる。つもりだった。
下がるウバソの踵が、死体に当たる。フアが最初に殺したやつだ。這って移動しようとして、そこで力尽きていた。
何とも情けなく尻餅した。夜とはいえお粗末だ。前のウバソだったら有り得ないことだった。剣の先が胸に沈んでいく。
それを見たベリドは逃げた。どれだけクソなんだあいつは。
屋上から屋上へ。さらに高い建物を伝っていく。追おうとして、諦めた。追いつけるわけがない。それにあの女、ビレステをどうするつもりだ。早くアールさんに伝えないと。
「しっかりしろ!」
フアの声が聞こえた。道の奥、壁沿いに誰かが倒れている。折れた弓がその横に転がっていた。頭が大きいと思ったら違う、唾広の帽子。バルダーだった。
「おいバルダーしっかりしろ。いま治療してやるからな」
動かないバルダーを見て、マグルは視線を下に落とした。それから上を見る。朝陽が出るまで、まだ時間が掛かるみたいだ。




