第46話 セミステ
前を歩く補佐官のヤーナーは三十代も後半で、分厚い胸板をした勤勉な軍人だ。二十五歳の私にとって一回り年下の部下になる。彼から学ぶところは多く、良き先達として頼りにしていた。
「北部方面第一部隊副隊長スルーゼ少尉です」
中からくぐもった声がして、入る。
「ヘイズルー魔法官」
直立して敬礼する。
「スルーゼ少尉、軍政とは別の枠組みで設けられた魔法官は役職の外になる。君は私の上でも下でもない。ただ、同僚だ。楽にしてくれたまえ」
姿勢を崩す。言葉は優しいが、本能のどこかを刺激させる。月のない夜が溶けたような黒目でこちらを見ていた。
普段はこうして、城の端にある研究部屋に籠もっておられる。正直に言ってしまえば苦手だ。
「この知らせは、ローズル殿に宛てたものだがそこに私も同席にしていてな。気になる知らせだ」
読んでみたまえと渡される。一つは王国の魔王城通行許可証だった。もう一つは手紙のようだ。
「危険を承知で通して欲しい。生命に害があっても、帝国には迷惑をかけない、か。死なれた時点で作業は発生するのですが」
もちろん死体をそのままにしてはおけない。それに何かあって帝国へ逃げてきたら、魔物も一緒に来てしまう。
「ムッ!?」
「無属性魔法を使う娘が居るらしい。魔王城へはその為だ」
「……」
「どうかね」
「その、質問の意味が分かりかねますが――」
「知っての通り、無属性魔法を研究する機会は皆無と言っていい。北部への道も今は閉ざされている。だから道が開くまでの間だけ実験に協力して欲しいのだが。それを頼みに行って欲しい」
軍人の私が頼みに行くというのは、半ば強制のようなものだ。断れば敵性因子の疑いありとして逮捕する。
ヘイズルー魔法官の顔を見る。
「彼女は帝国臣民ではありません。王国との軋轢を生むのは皇帝陛下のお心を騒がせる原因になるかと小官は考えます」
「軋轢か。ただ、人は間違える。貴官のように優秀な軍人であっても」
「彼女を帝国臣民として扱うと?」
「帝国に居れば、帝国の人間だと思うのが普通です。そして捕まる間際の人間が口を揃えて言うのも、王国の人間だと」
「正式な命令書がなければ、私たちの仕事ではありません」
「――あの御方が居てもなお、次の遠征はかなり苦心するだろう。私の魔法部隊を微力ながら補助させたいのだが」
交換条件というわけか。舐められたものだ。それは非公式な命令であることを認めるようなものだった。
「小官は帝国軍人です。命令にのみ従います」
コンコンとドアを叩かれた。それからドア越しに言われる。
「スルーゼ少尉、緊急連絡です」
「すみませんがこれで失礼します」
部屋を出て、廊下を抜けた。
「よくやったぞっ! ヤーナー補佐官」
ウキウキした感情を隠さずにスルーゼは言った。歩く調子も歌うようだ。
「ハッ」
腹から出た声が気持ちよく耳に響く。
「私はどうにもヘイズルー魔法官が苦手でな。あの瞳に見られると、自分が実験動物のようにされるのではと」
「スルーゼ少尉。陰口などしていては亡き御父上が悲しまれます」
「ムッ。そうだな。戦士の休息をされている父上に心配されているようではまだまだだ。気を引き締めねば。ヘイズルー魔法官は多くの魔法を生み出されている。それが魔法部隊を強くし、ひいては帝国に光をもたらすのだな」
「その通りです」
「しかしどうして娘を? 冒険者ならまだしも、門番の報告書では一介の村娘ということではないか。いくら無属性魔法が使えるといっても大したことないのでは?」
「面倒なことに巻き込まれるところでしたな」
分け隔てなく子供に優しいヤーナー補佐官には心を痛める仕事になっただろう。
「ウム。平時なら知らず、私たちには為すべきことがある。為すべきを為さずは帝国軍人たりえん、と父上も仰っていた。あの御方は?」
「今は城庭で剣を振っているかと」
「向かおう。改めてご挨拶せねば」
*
「あたしたち待ってばっかりだよね。旅ってこんなもの?」
ビレステがアールに言った。ベッドに横たわり、死にかけのセミのように足をバタバタさせている。セミは残り少ない命をそれでも絞り出そうとした蠢動だが、ビレステは贅沢にも暇を持て余した上での発散だった。
「そんなものだ。すぐに返事はくる。どうせ準備は必要だ」
ポ帝都について二日目になる。魔法の練習をしたらどっと疲れが湧いて、一日目はすぐに寝た。午前中をぼうっと過ごしている。
「そっか」
「休息もな」
アールも椅子に座り、本を読んでいた。小難しい論文は息詰まったのか、インクもしまっていた。
「分かった。街を見てきてもいい?」
足をさすってみる。歩き通しの旅のせいで重かったのが、少し軽くなっている。
「遅くなるなよ」
「食材買ってくるね」
「ああ。それと手紙の宛先をあの門番に教えておいてくれ」
いちいち返事があったか聞きに行くのも迷惑だし、お互いに面倒だ。
「うん」
ついでに夕飯も買ってきてしまおう。
ビレステはポ帝都の街へ繰り出す。宿の名前だけ憶えておけば、どうとでもなるだろう。計画的に整備されたポ帝都の街並み。通りは線で引かれたように真っ直ぐ伸びている。城へ向かう縦の通りは同じ幅、均等な間隔で伸びていた。畑の畝に立っているような感覚がして懐かしくなる。
丘から見下ろすラザニ村の畑は飽きもせずに見続けられた。夕方が近付くとスノーラがご飯だよと呼びに来る。
温かい彼女を膝に挟み、あれは大根、あれはキャベツ。と作物を教えてあげた(スノーラがあれは、と指したのが禿げたおじさんだったので、カブ。と言って笑いあったのは二人の間できらめく内緒話だ)。
あの時はその光景を美しいとは思っていなかった。時間潰しと、季節を感じられるものに過ぎなかった。いまその光景は懐かしくて遠い。
ポ帝都にもトマッ都にも畑は多くあれど、丘から眺めることはできない。呼びに来たはずがミイラになってしまったスノーラとビレステを呼びにボラが来る。
孤児院を囲む低い壁に腰を下ろした二人を見て、彼女はため息をついた。そのため息には全然困った様子がなくて、むしろ私たちを嬉しくさせた。気に掛けられている、その事実が安心する。私たち孤児にはそういったものが必要だった。
綺麗だよ。だから一緒に見ようと誘う。ボラさんは壁に腰掛けず、ビレステの背中をさする。「遠いと美しく感じるのよ」と笑った。その瞳は景色じゃなく、その向こうに広がる森でもなく。もっと遠いものを見ているようだった。今なら分かる。ボラさんは美しくなってしまったものを瞳に映していたのだろう。もう少し暑くなると、虫がいっぱい居るかもね。と脅して私たちを切り上げさせる。
トマッ都に着いた頃はラザニ村の記憶に寂しいという感情が付いたかもしれない。けれども今は旅を楽しめている自分がいる。魔法を覚え、人と会い、新しいものに触れる。違う街の匂いに包まれ、次の行先に期待を膨らませている。
ぼーっとしながら歩いてしまった。
「ここら辺は食材を売る店がないのかな」
縦に伸びる通りは整然としているが、横に走る通りはなんだかごちゃごちゃしていた。道の幅も間隔もばらばらで、狭いところは昼でもちょっと怖かった。
宿に戻りながら探そうとして、分かった。ポ帝都では全て店の中で売っているのだ。食材を売る店は外に向けて作物の入った籠を見せているものばかりだと思っていた。
「まいど」
野菜を詰めた袋を持って宿へ戻る。珍しい食材もあったけど、調理の仕方が分からなかったら知っているものだけ買った。
「お、ビレステ。疲れただろ。休まなくていいのか?」
「マグルだ」
もう報酬は受け取ったのだろう。ほくほくとした顔のマグルが向こうから手を振っている。私たちとしても、マグルが安く引き受けてくれたので助かった。お陰で杖も買えたわけだ。
「手紙の返事はまだ来てないよな」
「そうだ。それ言わなきゃ。門番の人に泊まってる宿を教えないと」
「俺も行くよ」




