第1話 ラザニ村より、愛をこめて
「アール。そろそろ授業の準備をしたら?」
「ああ。子供たちも集まる時間か」
アイゼに気のない返事をして、お茶を飲んだカップを置く。
アールヴァク=トゥレはさらりとした深緑の長髪に、これまたすらりとした長身の体。ツンとした鼻と、男にしては小さな口。人間からすればかなり綺麗な顔をしている。横に突き出た長い耳から分かる通り、エルフだ。
「また研究を再開するのはどうかしら。子供たちに教えるのじゃ物足りないでしょう」
優しくアールに微笑むのは妻であるアイゼ=トゥレ。
たおやかな金髪をふんわりと一本に結び、背はアールの肩くらい。細い腰と、同じく細い目は糸目だ。怒ったりした時は、髪と同じ落ち着いた金色の瞳が顔を出す。アイゼは人間で、孤児院の院長であるボラさんによれば今年で二十八歳らしい。
「進めようにも行き詰まっている」
「王都からこっちに来てもう五年よ」
「プリーニが寿命を迎えたら、戻ろうかとは思うが」
王都にある魔法研究所で二人は働いていた。アールはそこの所長であるプリーニにやたらと敵対視され、ついには研究所を追われてしまったのだ。それから同僚の勧めでこのラザニ村へ引っ越した。
「私まで寿命で殺す気?」
杖を持つ。故郷にある神樹の、アールが生まれた日に自然と落ちた枝から作られたものだ。長さは前腕くらい。太さは親指くらいと、杖というよりは棒切れに見える。
それをローブの裏地にあるソケットに差して家を出た。
「行ってくる。今日はビレステに教えるから、長くは掛からない」
アイゼはその背中を窓から見送る。
村の職人が作ってくれた家は、補修を重ねて雨漏りも風の通る隙間もない。随分と居心地の良いものになっていた。高さがあるから、狭くは感じないが、もう少し広いと嬉しい。
頬に手を当て、ため息をつくアイゼも自分の仕事に戻ろうと、パタパタと家を出た。
――ここはラディッキ王国の西に位置する、人口が二百人にも満たないラザニ村。
悩みなんて晴れた日に洗濯したシーツを干せれば、まっさらに消えてしまうのどかな村だ。
神様がどこかから土を一つまみ置いたような丘で、肩を寄せ合うように木造の家々が並ぶ。
麓からすうっと一本の道が丘の頂上へ伸びた。意志の強い蛇くらい、真っ直ぐだ(中腹のうねうねっとしたところはご愛敬)。道の先、つまり頂上には石造りと木造が半々になったような集会所兼村長の家がある。民家より三倍は大きい。塀もなく、開かれている様子が牧歌的な印象を強くする。
丘の中腹には広場があり、そこには店と屋台が立ち並ぶ。子供も遊んでいる。たまに仕事をさぼった大人も遊んでいる。
店と言っても、小さな村だから品揃えは大したことない。王都で二年前に流行ったものがあれば上々なくらいだ。
無い物はない。
と、無下に断られた回数は、そのまま村を出て王都を夢見る若者の数になる。
丘の下の平野には、麦畑が広がる。
野菜の畑も少ないがあった。金色の穂の向こうには深緑の森が視界の果てまで広がる。奥まで行けば何かがあるだろうが、その何かを求める村人は少ない。魔物が居るからだ。
この物語は『魔力原論』を書く途中で王立魔法研究所をクビになり、ラザニ村へ引っ越してきたエルフのアールヴァクが右往左往し、振り回されながらもなんとか上梓まで漕ぎつける物語である。
おそらく、そうなる。




