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3-13 血と魔物、絶え間ない拍手

大穴を開けた教会の天井からは、夕日が流れ込んでいる。

残された部分の方が少ない壁面に描かれた宗教画は、元が何であったか分からない程に崩れ落ち、天井を支えていた柱もそのほとんどが横倒しになっており、その下からはところどころ赤い液体が広がっていた。


オルガノンの頭部の傍にはアベルが膝をつき、焦点の定まらない目で呆然としている。

美しかった健康的な肌は青白く変色し、時たま全身を痙攣させて、落ち窪んだ目も細やかに震えていた。


「…終わったな」


ロイはそれらから、一連の出来事に終止符が打たれたことを理解する。

住民たちもまた事態の収束を認識し、安堵している様子。

しかし、失われた命は少なくない。

そして、数年前に起きた惨劇の首謀者は、未だ目の前にいる。


アベルは遠くない未来に、司法の元で裁かれることになるだろう。それで決着だ。

この場にいるすべての者が、その結論に至った時だった。

ただひとり、異なる未来を見据えた少女が前に出る。


「まだだよ」

「…まだ?」


賢者がアベルに向かって歩いていく。

彼女はロイの問いには答えず、振り向くこともなかった。

住民たちも、遠巻きに事の成り行きを見守る他ない。

撮影機は賢者の背中を追うが、配信者たちもこれから起こる出来事には想像が及ばず、ただ歩みを進める彼女を映すことしかできなかった。


「…君は、息を吐くように嘘をつく女だ」


アベルは近づいてきた賢者に、顔もあげずに消え入りそうな声で呟いた。

それは彼女以外には聞こえないほどに小さな声。


「…僕の父が竜を助けた?そんな事実は存在しない」

「転生者の不思議な部分を言っても、伝わりづらいからね」


賢者はそれに表情も変えずに答える。

対してアベルも竜の頭に向けた視線は変えずに、淡々と言葉を紡ぐ。


「どこから仕込みだった?」

「私が魅了されてたのは、あなたが一番知ってるはずだよね?私はきっかけを作った位だよ。…違うか。それ位しかできなかったんだ」

「僕とオルを…あの香水ひとつで、ここまでできると思っていたと?」


アベルはそう言いながら、血を流し尽くして皺だらけになったオルガノンの頭部に手を触れ、そっと撫でた。

何かあってはいけないと、遅れて賢者の元に辿り着いたロイは、彼のその所作を見て、再び胸の奥に言い知れぬ感情が湧き上がる。


「竜は変温だからノイズが入れば、人化が解けるかもってひとつの手。オルちゃんの正体をみんなの前で明かしたら、きっとあなたは不審に思われて、権能が弱まると思ったんだ」


それがアベルを倒すために、賢者がこの都市に入る前に考えていた唯一の可能性だった。


魔王城で摘んだ不凍花を、エーテルに漬けたところまでは良かった。

しかし香りを摘出させるためには、少なくとも一週間はかかる。

必要な準備期間だと決めて、ロイにそれを預け、転生者を探しながら完成を待つつもりでいた。

ところが都市に入って間もなく、投影機からアベルの情報が耳に入った瞬間に賢者の心は、魅了されてしまい、香水のことなど頭から綺麗さっぱり消えてしまった。


その後香水は、ロイのリュックの中で静かに熟成を続けながら、偶然にもテラドナの目に触れた。

目的は結局不明なままとなってしまったが、賢者の手元にそれを戻してくれたのは彼女だった。


「…カインからオルのことを聞いていただろうことは、初めから想像がついていた。でもそんなことは些事だった。都市に入ればその時点で皆が僕には手出しできなくなるのだから」

「商業都市のどこからでも、あなたの話が伝わるように、投影機で盤石にされてたからね。あれは予想外だったんだ。でもテラドナちゃんがキラーパスをくれた。後は、あなたを好きになって全力で頑張る自分と、ロイくんを信じるしかなかったよ」

「君は時々…懐かしい言葉を使う…」

「あなたが私に、オルちゃん以上の価値を見出してくれたことが、この結果に繋がったんだよ」

「!?」


アベルは目を見開いて振り返る。

そしてすぐに諦めたような、自嘲したような表情へと変わり再び俯いた。


「…僕が望んだ結果か。だとしても、君は随分と自信家だ」

「そんなものは無いよ。ただやれることをやっただけ。そこにあなたが勝手に価値を感じてくれただけ」


ロイはその言葉をいつも聞いていた。

偉業を成す度に周囲が彼女を持てはやし、ロイもそれに続いた。

しかし彼女は『やれることをやっただけだよ』と、謙遜している風でもなく答えてきた。


「あなたと同じだよ」

「僕と同じ…?」


付け足された言葉に話が捉えられず、アベルが聞き返したが、賢者がそれに答えることはなかった。


「ところであなたは、転生者の血を使わないの?」

「えっ?」


賢者は竜の頭部を指さして言った。

不意をつかれて何のことかと、アベルもロイも不思議そうに彼女の顔を見る。


「魔王ちゃんから聞いたけど、転生者の血を使えば簡単に蘇生できるんでしょ?」

「そ、そうなのかい?!」

「ね?ロイくん」

「…ああ、確かに。おれの足も魔王の血で治ったけど…」

「なんてことだ…!」


アベルは、そんな話は聞いたことが無かったと驚き、興奮気味に立ち上がり、握っていたレイピアの剣先が失われていることに気づき、腰周りに手をはわせる。


(蘇生…?)


ロイは、自身の足が魔王の血によって修復された時のことを思い出したが、多少認識に食い違いがあると思った。

それと同時に、この竜を甦らせることで喜ぶ者が、目の前の男以外に存在しない事実に至る。


「お、おい!賢者!なんでそんなこと教えるんだよ!」


賢者はロイの方を振り返らない。


「こいつが!どれだけの人の命を奪ったと思ってるんだ!」


過去に大量虐殺を行い、そして今この場においても、多くの命を失わせた元凶。

生き返れば、再び起きることは想像に容易い。


(更に賢者がそれを手助けしたとなれば…)


「これ、良かったら使う?」


賢者は、ロイがずっと探していた愛用の果物ナイフを、アベルに手渡した。


「賢者…、なんであんたがそれを…」


問いかけた際に、ナイフにこびりついた血糊に気づく。


(あれは…誰の血…?)


ナイフを受け取ったアベルは、これまで生気を失っていた顔を輝かせて、迷いなく自らの腕を切り付けた。

彼の腕から真っ赤な血が流れ落ち、それが竜の頭へと注がれる。


「まさか、僕らの血にそんな効果があっただなんて!何故カインは教えてくれなかったんだろう!」


興奮気味に事の成り行きを見守るアベル。

ロイは賢者が未だ魅了されているのではと懐疑心を抱き、これから始まるであろう戦いに身構える。


「さあ!オル!その目をまた開けてくれ!」


高揚し両手を広げるアベル。

遠巻きにしていた住民たちも異変に気づき始める。


(どうしてこんなことに!?)


「…」


少しの沈黙。

しかし、一向に竜が蘇生することはなかった。

そしてアベルは賢者に振り返る。

その表情は、怒り、悔しさ、悲しみ、いくつもの感情が混じり合い、歪んでいた。


「…騙した、とかではないよね?」


賢者はその問いには答えず、アベルが手に持ったナイフを指差した。


「それにはあなたのお兄さん、魔王カインの血が、付いたままなんだ」

「…それが?」


アベルは食い気味に返す。


「カインの血!?それがどうしたっていうんだ!ああ、そうだ!転生者の血には蘇生の力なんて無い!聞いたことが無いはずだ!そんなばかげた話があるか!君は、どんな気持ちで!僕はこんなにも落ち込んでるっていうのに!どんな気持ちでそんな嘘をつくんだ!?」


一転して顔を真っ赤にしたアベルが、賢者に怒鳴り散らす。


「そうだったね。蘇生は私の勘違いかも。ごめんね。でもね、魔王ちゃんの血は、体を修復する効果があるのは本当だよ?」

「体を修復したところで、魂は戻らない。そもそもカインの血の話なんか聞いていない!君は転生者の血は蘇生できると言ったんだ。何故話をずらすんだ!」

「だって、それが私の目的だから」


ロイは、脚を修復された時には気を失っていたため、魔王と賢者のやりとりについては知らないし、その後も賢者からは何も聞いていなかった。


「魔王ちゃんの血をあなたの中に取り込ませることが私の目的だったんだよ。それでね、さっき言った体を修復するっていうのは、副次的な効果らしくて、メインは魔王の眷属化なんだって」


そこでアベルとロイは同時に気づく。


「えっ…」

「賢者…?」

「あ、大丈夫だよ。ロイくんの眷属化は、魔王ちゃんが止めてくれてるからね」

「…い、いや。じゃあアベルの方は?魔王の血がついたままの、そのナイフで腕を切ったアベルは…」

「キリちゃんたちとは違うだろうね、彼女たちは魔王ちゃんが権能で生み出したっぽいから」


ロイが口に出そうとした疑問を賢者が答える。


「…じゃあ眷属になったら…どうなるんだ?」

「うーん、私もちょっと詳しくは分からないけど。想像するに、魔王ちゃんの意思のままに動くようになるか。はたまた暴走して殺戮マシーンになるか。今この場には魔王ちゃんもいないし、後者かな?」


突然アベルがうめき始める。


「かっ…ぐぐぅ!」


アベルの腕が黒ずみ始めた。

ざわめく住民たち。

ロイもいつでも離脱できるよう、賢者の腕を掴んだまま、ことの成り行きを見守る。


突如激しい放電が巻き起こり、砂埃が舞い上がった。

その中心に居るアベルは抱えた頭を左右に振り乱し、全身をかきむしり始める。

自らの手で切り付けたその腕から、驚くべき速度で広がる黒い侵食。

それははじめに頭部へと到達し、美しかった青年の面影を異形へと変えていく。

頭髪がずるりと抜け落ち、口は耳に届くまで釣り上がり、額の中央から三つ目の瞳が開かれた。

四肢が急激に成長し、骨が肉を突き破り、青い血液が吹き出す。

それを再生しようとする表皮が、何度も何度も破れた箇所に蓋をする。


およそ人間であったとは思えない生物の誕生に、住民たちは立ちすくみ、震え上がる。

状況が一変し、問答どころではないと判断したロイが賢者の腕を引く。


「賢者…離れるぞ」


しかし賢者はロイの声が聞こえていないのか、その生物から視線を離さない。


ロイは、その小さな背中を見ながら考える。

アベルに魔王の血を取り込ませて眷属化させた。これを賢者は意図的に行った。

これにより、目の前で凶悪な魔族が誕生しようとしている。

弱体化し、もう何もできないはずだった彼に、何故賢者はそんな真似をしたのだろう。


「ロイ君、ここで問題です。彼の権能が持つ本当の力が何か、分かるかな?」

「えっ…え?」


一刻も早くここから離れるべき場面、しかし賢者が質問を投げかける。


「分かるかな?」

「え、い、今必要なのか?その話は…」

「とっても大事なことだよ」

「…アベルの権能は認知されることで強くなること、だろ?」

「それは本質じゃないよ」

「本質、じゃない…?」


アベルの権能は、人々に自身のことが伝わるほど強くなる、というものだったはず。


「例えるなら『舞台』かな。演者はもちろん、それ以外にも台本には場面だとか、状況だとか、顛末だとか、色んなことが書かれていて、全部が台本に沿って進行する。それが舞台だよね」

「…舞台?何のことだ」


賢者の口から出た、この場にはそぐわ無い言葉にロイは聞き返す。

舞台と言えばロイも賢者の付き添いとして、いくつかの公演を見にいったことがある。

しかしそれがアベルの権能と、どう結びつくのか。

それ以前に、今この状況でそれを知る必要があるのか。


「明らかな致命傷を負ったはずの彼が、どうして助かったと思う?」


それはテラドナたちの最初の襲撃の話を指していた。

テラドナのダガーがアベルの胸元を明らかに貫き、命が絶たれているべき状況だった。

しかし翌日には、何事もなかったように振る舞っていた。

ロイも、転生者の不死性に驚かされたことを記憶している。

転生者が普通の人間のように、刺されたら死ぬなどと生半可な存在ではないのだと漠然と思い込んで、深く考えようとはしなかった。


「あの日、放送局にテラドナちゃんが確実に来るだなんて、誰が予想できたのかな?」


放送局に襲撃があるかもしれないと、賢者づてにアベルの指示を受けて出向いた日、ロイたちが到着してすぐにテラドナは現れた。

彼女は襲撃の際、違う形で攻めることを予告していたが、それがあの日あの場所で行われるとは一言も言っていなかった。

それを、ぴたりと当てたことになる。


言葉を続ける賢者の横を、激しい稲妻が地面をえぐりながら駆け抜ける。


「私と彼が幼馴染だなんて話、あんなものまで魅了から生まれたと思う?」


魅了はあくまでも相手に好意を抱かせる力。

過去の情報まで書き換えられるような便利なものではない。


ロイは周囲の状況に後髪を引かれる思いに苛まれながらも、賢者の真剣な声音から、その話を一蹴することができなかった。


「えっと…。つまり…それは全部偶然じゃなくて、『舞台』のように台本通りに進んでいて…。えっ…いや…。じゃ、じゃあ、初めから全部決まってたって、言いたいのか?」


「そんな訳…」と、続けようとしつつも、否定はできなかった。

しかし逆に、賢者が言う話が真実だと肯定する根拠もない。


「魅了のような効果と舞台の演者になるってことは、考えてみたら、大体おんなじことなんじゃないかな?」

「…台本に『アベルを好いているように動く』と立ち回りが書いてたら、魅了されてるように見えるかもな」

「そうそ。魅了より厄介なのは、台本には人の行動だけじゃなくて、お話の筋書きが最後まで書かれていることなんだ。そして全部が彼を中心に、彼のための物語になっていたんだろうね」


賢者が言いたいことは、まだ何割も分かっていない気がした。

しかし話を整理するならば、ロイやテラドナも魅了されていない自認があったにも関わらず、より広い意味では『悪役』として、アベルの手中で踊らされていたことになる。

ーーアベルを中心に巡る商業都市の物語。

彼は賢者と運命的な恋に落ち、悪役から命を狙われ、そして盛大に執り行われた結婚式の最中、苦楽を共にしてきたであろうオルという友人を失った。


弾ける雷がロイの髪をかすめる。


「『英雄の物語』という権能の本質は、舞台のようにすべてを自分を中心にした展開にできる、台本みたいなもの」

「…大体は分かった。大体は。だとして、この後アベルの台本には何て書いてあると思うんだ?」

「魔王ちゃんの血を取り込ませる前のことなら、私にも分かるよ」


何故今この状況の後ではないのだろうと、ロイは不思議に思う。


「大切な人、人々の信用、それら失った彼は、またイチからやり直して、そして再び英雄を目指すために苦難を乗り越えて行く…。そんな感じなんじゃないかな」

「それは…何が問題だったんだ?」


自分が想像していた通りの展開だと思った。

それを知った上で『魔王の眷属』にする、という追い討ちを行った賢者。


彼女と見えているものが違うこと。

ロイにとってそれは当然のことではあったが、それでも一年以上も側にいる身でありながら、そこに至れていない自身の浅さに嫌気がさしていた。

何も問題のなさそうに見える彼の今後の人生に、賢者は待ったをかけた理由。


「彼は『変われない人』なんだよ」

「…こんな目に合ったのにか?」

「彼っていうか、ほとんどの人が本当の意味では変われないけどね。だからその立場だったり、力を奪うしかないんだ。彼はまた英雄になる、そして舞台にみんなを乗せて、始めるんだ」


激しい砂埃で賢者の姿が曖昧になる。


「今は…今の台本にはどんな結末が書いてあるんだ?」


賢者が敢えて逸らしたことを、ロイは聞いた。


「どんなに彼を弱らせても、この舞台はとっても強力でね。だからどんな状況にしても結局は『彼が望んだ形でしか終わらない』んだ」

「アベルが望んだ形でしか…。確かにあいつが書いた話だとすれば、そうだけど…だとすれば…」

「そう。…でも英雄は必ずしも、お姫様を助けて国に凱旋することだけが、ハッピーエンドじゃないんだよ」

「えっ」


そして雷鳴に紛れて微かに聞こえる声。

砂埃が収まり、そこには一匹の魔物がこちらを向いていた。

その手にはロイのナイフが握られている。


「アベル…なのか…?」


全身を黒く染めた三つ目の魔物は、蹄を大地に沈ませ、鋭い爪と大きな翼が生えていた。

神話に出てくるガーゴイルを彷彿とさせる姿。


「…ろ…て…」

「…」

「ころ…して」


そのか細く絞り出された音に、ロイはアベルという男の消えかけている残滓を感じた。

魔物は手に持っていたナイフをぷるぷると震わせながら賢者に差し出し、取り落とす。

賢者は足元に転がってきたそれを拾い上げ、問いかけた。


「どうして?」

「…」

「どうして殺して欲しいのかな?」

「…。ぼ…くは、だれ…も、きずつけ…たく、ない」


辿々しく発せられた音に、ロイは意表をつかれた。


「なんで…」


そこから沸点に到達したのは一瞬だった。


「…なんでそんなことを、今更言えるんだよ!!」


ロイは感情を抑えられず、魔物に向かって叫ぶ。


「ロイくん、落ち着いてね。それより、私が考えてるハッピーエンドは分かったかな?」

「っ…」


賢者から嗜められ、ロイは奥歯を強く噛み締める。

彼女の瞳はいつでも変わらず落ち着いていた。


「ああ…分かったよ。この物語は『英雄が人々のために、自らの命を差し出して平和をもたらす』ことが、結末なんだろ?」


『英雄の物語』と呼ばれる権能の正体。

それは関わった人間を舞台に上げ、思い通りの展開を行う、というもの。

ロイにとっては全てが結果でしかないのだから、賢者から聞いた話が真実である確証はない。

しかしもし本当に、アベルが自分にとって都合の良い人生を歩み、そのために自分たちが知らないうちに操られているのならば、誰ひとりとして彼を殺すことはできないことになる。

つまり、彼自身に自死を選ばせる以外にない。


それでも、ロイは許せなかった。


『誰も傷つけたくない』


それは短い間でしかないが彼と話した中で、本心なのだろうとロイは思った。

しかし同じ口が、オルに人々を襲うよう指示を出していたのだ。

自分が有名になるため、自分が強くなるために。


「アベルちゃんは、自分の手が血に濡れるようなことは嫌がってるけど、ここに住むみんなの命ひとつひとつの価値には、興味が無いんだよね。彼にとってはありんこみたいなものだから」


掴んでいた賢者の腕が、小刻みに震えている。


「は…やく、ころ…し…て」

「…分かったよ。これが『あなたの望む結末』でいいんだよね?」

「あ…り…ぐぅ」


魔物が言葉を続けようとしたところを、賢者は遮るように、黒くなった胸にナイフを突き立てた。


「あがぁああ!」


魔物は痛みに反応し、反射的に賢者の首に手をかけた。

ロイは間に入り、引き離そうとするが、死に追いやられた者の握力に圧倒される。


「うぐぅ…うぁあああああああ!」


呼吸を奪われた賢者は顔を真っ赤にし、しかし強く握りしめたナイフを更に深く沈めた。

ーー引き抜く。

ーーそしてまた、沈める。

繰り返される行為。


やがて、首を締めていた腕から力が抜け、ようやく引き離すことができた。

そして賢者の手からナイフを取り上げようと、その小さな指に手をかけるが、どれほどの力を込めているのか、爪に血が滲むほどに握りしめられたそれは、とても開くことができなかった。


「あああああ!!」


突然叫び出す賢者。


「け、賢者、もう、もう大丈夫だ…」


ロイは賢者が、ここまで感情をむき出しにしたところを初めて見た。

それは、魔物が最後に遺した善性と、対して矛盾ともとれる死への足掻きが、あまりにも人間のようであったからなのか。

彼女もまた、怒りの衝動を持っていたのだと知った。


ようやく賢者の手からナイフを取り上げた時には、魔物は塵となって霧散していた。

顔を下げたまま、表情の窺い知れぬ賢者に、ロイは言葉をかけられなかった。


—-


夕暮れに染まる、教会であった場所。

静寂がわだかまり、巻き上がっていた砂塵も落ち着きを取り戻した。

魔物の返り血で真っ青になった賢者の花嫁衣装。

ぽつり、ぽつりと、周囲からまばらな拍手が上がり始める。

住民たちがことの決着を見て、やがて大きな拍手へと膨らんでいった。


(…ここで、拍手なのか)


ロイは膝をついた賢者の背中にそっと手を添えて、そして舞台の幕が降りる音に、耳を傾ける。

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