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3-12 咆哮と思い出、自作自演

襲撃者が退き、改めて式の続きが行われようとしていた。

その教会の裏手には、人知れず茂みで膝をつくオルが居た。


(…あの人は、私だけのものだ)


血走った目から、赤い涙が溢れている。

もう何度目か分からない、口内に溜まった血を吐き捨てて、うわ言のようにオルは呟いた。


(…誰に、渡すものか)


賢者から盗んだ香水。

その主成分である不凍花フトウカは、極寒の地でのみ見られる花。

人は不凍花を上品な香りが楽しめることから、香水にすることが多かったが、その花びらの内側には高温が含まれており、変温動物にとっては猛毒としての作用をもたらす側面を併せ持っていた。


それが今や、あらゆる器官から彼女の体内に侵入し、牙を剥いる。

激しい熱が全身を襲い、腫れ上がった肌、隙間から染み出す血液。


(あの女はやはり狡猾だった。愚かな私は、毒を取り込むように仕向けられていたのだ)


相手の意図を、理解したところですでに手遅れだった。

もう人の姿を保っていられないほどに弱りきった身体。

それと比例するかのように湧き上がる激情も、もう自分の意思では抑えきれないところまできてしまった。


(だが賢者、私がどうなろうとも、お前にだけは絶対に渡さない!)


美しい銀髪をなびかせていた頭部が、岩のような凹凸を剥き出しにした。

少し沈んだアンニュイな瞼が印象的だった瞳は、爬虫類のように縦に割れた瞳孔に差し変わり、大きく見開かれる。

花嫁よりも目立ってやろうと着込んだ紅いドレスは引き裂かれ、代わりに滑らかな銀色の鱗が包み込む。

膨れ上がったすべては、教会の天井を突き破って余りある程。

瓦礫となって崩れ落ちる天井、足元には小さな生き物が逃げ惑う姿。

彼女にとって世界はとても小さい。


今のオルの視界ならば、夕刻に移り変わりつつある美しい世界を一望できることだろう。

鋭い牙が並んだ口の中では、紫色の舌が蠢いている。

そこから、周辺の建物を震わせるほどの振動を伴った咆哮を轟かせ、彼女の存在を一瞬にして王都全体に伝播させた。


—-


「オ…オル!?」


テラドナたちを撃退し、全能感に包まれていたアベルは、知った少女の変貌に表情を強張らせていた。

ロイは衛兵から地面に抑えつけられたまま、無理矢理顔だけを上に向ける。


(なんだ…何が起きてる…?)


『な、なんだなんだ』

『え、あれって…まさか』


参列者たちがそこに見たものは、夕日を反射して橙色に輝く、銀色の鱗に覆われた一頭の竜。

大理石の床がその生物の重量を支えきれずに、深く陥没している。

人々が集まっていた教会に、突然現れた巨大な生物。

この一瞬で、幾人の者が下敷きになり命を失ったのだろうか。


『ひっ…。あれは一体なんだってんでしょー!?』

『銀竜オルガノンだね』

『メッチなんでそんな冷静なの?!え?て言うか、オルガノンって言ったら…』


配信者はおどけた様子で、式場に突如現れた竜の正体について言及している。


『あれは…、前に俺らを襲った竜じゃねーか!』

『な、なんで?なんであいつが生きてるの?』


人々は状況が飲み込めずにいた。

しかし目の前に現れた生物が、自分たちと深い因縁のある相手ということだけは認識した。

そして同時に、『アレが生きているのはおかしい』とそれぞれの記憶が揺れる。


周囲が騒めく中、当の竜は足元に対象を見つけて掴み上げていた。

それは白いドレスに身を包んだ賢者。


『ーーアベルは私のものだ。お前にだけは渡さないぞ、賢者ぁ!』


耳をつんざくほどの咆哮と共に、竜は人の言葉を使って賢者に向かって吼える。


『お、おい。今あいつ何て言った?』

『なんでアベル様の名前をあの竜が…』


オルガノンの言葉に耳を疑う人々。


『メッチさん!?オルガノンと言えば、数年前にアベル様が討伐した竜ですよね!どういうことでっすか!?』

『私に聞かれてもね、まぁあれがオルガノンであることは見た目からすると疑いようが無いよね。うんうん』

『しかも今、アベル様の名前を呼びませんでした!?』

『なるほど…なんとなく分かってきたんじゃない?』

『えっ?一体どういう…』


人々の視線が、銀竜とアベルを往復する。

そして彼らの目は、疑いの眼差しへと変わっていった。


「…まさか、まさかまさか!?」


その視線に晒されたアベルは、血相を変えてステータスボードを見る。


「あっ…あああ…!?」


これまで右肩上がりで、桁を増やし続けていた名声値。

それが、今は怒涛の勢いで減算していた。

周囲の者たちがオルガノンと自分を結びつけて、疑いを向けることは仕方がない。

しかしそれだけで、これほどまでに値が変動することには違和感があった。

やがてその原因を探して、配信者が持つ撮影機に辿り着く。

それは名声値を効率的に稼ぐ目的で、結婚式の情報を拡散するため、アベル自身が手配したもの。


—-


ーー自分たちの暮らしを破壊し、追い詰められた化け物が実は生きていた。

そして、『竜を討伐した』と言っていた英雄との関係を仄めかす。


それが投影機を中継して、商業都市の人々の目に映し出されていた。

商い通りでは買い物客が、ギルドでは冒険者たちが、皆が歴史的な結婚式を一目見ようと投影機に釘付けになっていたのだ。

そんな彼らがこの場面を見てしまえば、アベルに対して、何かしら思わずにはいられない。


『私、なんでこんなに夢中だったんだろ…』

『要するに、アベル様とオルガノンが、繋がってたってこと?』


先ほどまでだらしなく口を開いて彼を求めていた者たちが、夢から醒めたように我に返っていく。

名声値が下がったことで、住民たちはアベルの魅了から、次々と解き放たれていった。


—-


「誰か、誰かそれを止めてくれ!」


撮影機を奪おうとするアベル、しかし参列者に阻まれて届かない。

頼みの妻たちも、彼を見る目から温度が消えていた。

もうスポットライトは、彼を照らしてはいない。


奇しくもアベル自身がそれを最も理解していた。


「どうして!どうして今なんだ、オル!」


減り続ける名声値に唇を震わせるアベル。


『賢者ぁ…。今直ぐ、貴様を喰らってやろう』


そんな彼を残して人の皮を脱いだ銀竜は、自らの物語を結末へと導いていく。


「ん?…お、おぉ…!?」


一方、そのオルガノンの手によって、今にも握りつぶされそうな状況であるにも関わらず、突如その目を瞬かせる賢者。


「解かれた?…やった!やっと魅了から解放されたー!」


心を縛り付けていた拘束具が、一気に取り外されたような感覚。

混濁していた記憶が、一気に整理されていく。

賢者も他の人々同様に、アベルの魅了から解放された。


「なるほどねー。魅了やば…。全然信じちゃってたよ…」


アベルへの気持ち、結ばれることへの高揚感、それら全てが偽りの記憶。

これまで生きてきた記憶の隙間に、綻びの無い形で結合された偽の記憶が、自身の各所に見受けられた。


「…さてとー。とは言え絶対絶命、どうしよっかな」


自我を取り戻したとは言え、おかれた状況は最悪と言ってよかった。

巨大な竜の手に握られ、教会の遥か上空に居る。

目の前には、自分のことを食べてやろうと開かれた巨大な口。

時間も手立ても無い。

何か逆転の芽はないかとあれこれ考えてみるが、今から状況を好転する策は、無さそうだという結論に達して腹を決めかけた。


『賢者ぁー!』


そこに一番弟子の呼び声が届く。

骨を連ねて自らを跳ね上げ、宙空に飛んだロイが浮遊感を伴ったまま、賢者の視界に収まる。

魅了の解けた衛兵たちが手を緩めた隙に、抜け出したのだった。


そして二人の目が合う。

ロイはその蒼翠の瞳から、賢者の魅了が解かれたことを知る。


「賢者!」

「ロイくん!今戻ったよ!一旦この子をなんとかして!」

「ああ!分かった!おかえり賢者!」


ロイは体を宙に浮かせたまま、竜の口に骨を這わせて、閉じることを押し留めようとした。

しかし竜の強靭な顎は、それらを小枝でも折るかのように容易く砕いた。


「だめかっ!」

「オル…!オル!止めるんだ!」


振り向いてみれば、そこには聖剣を構えたアベルがいた。

しかし、浮遊の力はおぼつかず、握る聖剣も光が弱まっており、元となるレイピアが見え隠れしている。

慌てて身構えようとしたロイだったが、彼もまたこの事態を収拾しようとしていることに気付く。


『お前さえ居なくなれば、またアベルと元に戻れる!』


我を忘れたオルガノンに静止は届かない。

今にも賢者の頭が、かじり取られようとしていた。


「っ…」


アベルは決断を迫られていた。

握りしめた聖剣に力を込める。


オルと賢者、二つの命、どちらを残すべきか。

病床から始まりこれまで重ねてきた日々、少しずつ上げてきた名声。

彼女と出会い、いつか叶えたいと夢みた『願い』。


「アベル様!」


賢者の叫び声が響く。

そして彼は、振りかぶった聖剣で、薙ぎ払った。


—-


オルガノンは思い出す。

長命な竜にとって、『記憶』など手繰り寄せてもすり抜けていく、儚いもの。

しかしこんな時に過ぎるのだから、何か意味があるものかもしれないと、無意識の思うままにさせた。


『もう止めてくれないか…』


それは、商業都市を襲撃していた頃の記憶。

アベルの兄であるカインが苦言を呈してきたが、オルは無視を決め込んだ。

しかし、続けられた言葉に『だからこの人間は嫌いなのだ』と思うに至る。


『このまま続けても、お前が不幸になるだけだ!』


放っておけば良かった。

しかし愛しい彼のことを盾にしたような言い回しに、つい苛立ってしまった。


『お前には関係ない』

『違う!今あいつがお前のために、何をしているのか分からないのか?』


彼が自分のことを想おうが想うまいが、どちらでも良い。

『好意』など『利益』の前には無価値。

長い一生において、自分がこれほどまでに必要とした相手は他にいないのだから、一方的な気持ちであれ、尽くしきると決めていた。


ーーそれでも。

今になってこの一幕を思い出した理由をかえりみれば、これが自身の分岐点であったのかもしれない。


彼は…。私のために、何をしていたのだろうか?


—-


家屋を押し潰し、地面を陥没させて、銀竜オルガノンの首が、激しい轟音と共に地に落ちた。

続けて、その首を支えていた巨体もゆらりと傾き、そのまま砂埃を舞上げて倒れ伏した。

ドクドクと紫色の血液が流れ出し、みるみるうちに干された果実のようになっていく。


『…ど、どうなっちゃったんでしょ…?』

『大変なことになったね。うんうん』


周囲は沈黙に包まれ、配信者であるハールーンだけが、撮影機を片手に実況を続けている。


『あ!あれ、賢者様じゃないっすか!』

『生きてたか』

『うおー!サスケン!お弟子さんも居ますね!』


ロイに支えられて、ポンポンと衣装の裾を払っている賢者を撮影機が捉える。

そして彼女を取り囲むように集まる住民たち。

更にその向こうには、竜の首の傍に佇むアベルの姿もひっそりと映り込んでいた。


『賢者様、大丈夫でしたか!?』

『良かったー!』


賢者は住民たちに手を振り、そして周囲をきょろきょろと見渡してから、ハールーンが持つ撮影機を見つけると、とことこと駆け寄り、咳払いをしてみせた。


「えっと。この騒ぎについてのお話を、皆さんにお伝えしたいと思います」

『おお!賢者様のありがたいお言葉きますよー!』

『なるほどね』


ハールーンが賢者を前にして、盛り上がっている。

賢者はかしこまった言い回しで、オルガノンが葬られたことを告げた。

改めて脅威が潰えたことには、投影機越しにも歓声が上がっていることだろう。

しかし賢者の話は、そこで終わらなかった。


「それから、少し昔の話をしようと思います」


『昔の話って言うと?』

『昔と言えば、オルガノンが商業都市を襲撃した時のことでしょ』

『ああー、なるほど。確かにオルガノンはアベル様に討伐されたはずですよね。そのオルガノンが何故生きていたのか。その理由が、当時の話から分かるってことですね?』


「アベル様の父君が軍務で北の霊峰に赴いたことがあり、その際に怪我をしていた竜を助けたことがありました。それ以降、彼の家は銀竜オルガノンからの恩寵を得ていたのです」


『…メッチさん、賢者様が言ってることって…』

『要するにアベル家と銀竜は、元から仲が良かったってことだね』


「そして、アベル様はそのご関係を利用して、オルガノンにこの都市を襲撃するよう依頼しました」


『え?は?…おいおいおいおい。それってつまりー!?』


賢者の昔話を黙って聞いていた住民たちがどよめく。


「はぁ!?いや、意味がわからん」

「なんでアベル様がそんなことするの…?」


住民たちの疑問に答えるように、賢者は続ける。


「アベル様の目的はただひとつ、有名になること。街を襲う脅威を倒したとなれば、それは英雄として讃えられるだろうと思ってのことでした」


『有名に?そんなことのためにみんな死んだの?』

『嘘でしょ…』


『ええええ!?とんでもない事実でっすねー!?』

『あれだけ強くなれたんだから、マッチポンプは効果的だったね』

『メッチポンプ…?って、あんたがポンプになってどうすんの!?』

『は?違う違う、『マ』ッチポンプね』


(アベルが転生者であることは、敢えて隠して喋ってる?)


ロイは賢者の言い回しの意図を考えようとしたが、違和感が思考の邪魔をする。


(あいつ…今なんて言った?)


「そこから先は皆さんも大体想像されている通りです。アベル様が当時オルガノンを討伐したと言うのは嘘。討伐劇の後に、オルという名前の女性として、いつも傍に置いていました」


『私たちを騙してたんだ…』

『自分がチヤホヤされたいって為だけに、どれだけの人の命を奪ったんだ?』


賢者からの説明が済み、周囲は瞬く間にアベルへの悪感情で支配されていった。

それを反映させるかのように、下がり切っていた彼の名声値は、止めとばかりに一桁代にまで至る。

俯いて顔の見えない彼の右手に握られていた光の剣は、ただのレイピアに戻り、刀身の部分は失われていた。


賢者の声は当の本人にも届いているはずだが、目の前に横たわる銀竜の頭を見つめたまま沈黙を守っている。

挿絵(By みてみん)

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