3-10 口角と花、結婚式
アベルと賢者の結婚話が報じられてから、商業都市では異様な光景を目にするようになった。
『アベル様万歳ぃ!』
突然、街中で奇声を上げる男。
彼だけではない。
それは老若男女問わず、商業都市のあらゆる場所で見られるようになり、道を歩けば聞こえてくるのは、大なり小なりアベルの噂話ばかり。
英雄を讃えた記念碑の着工が各所で始まり、歴史の授業ではアベル個人の経歴が必修科目として取り入れられた。
そして投影機はそれらを後押しするかのように、アベルと賢者の馴れ初めを報じていた。
『ーー二人とも、小さい頃から見てきたからねぇ。『大きくなったらアベル様と結婚するんだ』って、いつも言ってたんだよ。そりゃあもう、親のように嬉しいのよ』
『お二人の昔を知る方のコメントでした!結婚式まで、残すところあと1日!楽しみでっすね〜!メッチさん!』
『明日は私たちが式場から配信するからな。楽しみにしてて。うんうん』
『そうなんですよ!なんとアベル様から直接オファー頂きまして、現地に参列できない皆様にも式の様子をノーカット&リアルタイムで配信しちゃいまっす!お楽しみに!』
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町外れの貧民街。
投げ捨てられるように転がされた投影機は、新しいものであるはずなのに、埃を被り画面にはヒビが入っている。
ロイはそこから流される配信の内容に、違和感しかなかった。
(いつから『幼馴染』なんて話になったんだよ…そもそも賢者は…)
常識すら改変され、結婚することが当然だったかのように報じられるアベルと賢者の軌跡。
その異常性に気付ける者は、今やロイたち以外には存在しない。
「魅了ってのはつくづく都合の良い権能だねぇ。脆い情報は簡単に捻じ曲がる」
傾いたカウンターテーブルに片肘をついたテラドナが、ニヤリと口角を上げ投影機を眺めている。
(『勝ち筋はない』と言った上で、この顔。何か勝機があるのか?)
「あ、あの、テラドナ様…」
「なんだぃ?」
「ぼ、僕たちはどうしたら、いいんでしょうか?」
不安げにしているノロイ。
はっきりしない態度、自信の無さそうな振る舞い。
ロイがここ数日、寝食を共にした中で彼について知り得た情報は多くない。
当初から続いている理解不能な苛立ちに翻弄され、意識的に彼を避けていたためだった。
ひとつ気になったことと言えば、彼の『右腕』について。
少年の腕は、時折あらぬ方向に曲がるのだった。
それは彼が扱う肉の触手のように。
しかしロイが注視すると、慌てて隠されるため、詳細はわかっていない。
(アベルの館に一緒に行った時は、普通だった)
「あたしらは顛末を見届けるだけさ」
荒屋の片隅で、うずくまっているノロイを睨みつけていると、テラドナが『静観』することを告げる。
反して、このまま結婚させて良い訳の無いロイは、内心では最後まで抗うことを決めていた。
(おれ以外にはもう、誰もアベルを止められないんだ…)
そして、結婚式当日を迎える。
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式場となったのは、王都にある暁の教会。
世界には暁の神ガーダラを初め、それに対立しているルクタ教や、テラドナが崇拝している『邪教』と揶揄されるフォボス教など、7つの宗教と4つの精霊信仰が存在している。
今回この教会が選ばれたのは、アベルの家系がガーダラ教を信仰しているため。
その日、教会には多くの人々が押し寄せた。
目を血走らせた者たちが暴徒の如く体をぶつけ合い、教会の塀を超えてやろうと躍起になっている。
それらを抑えるために集められた王都の兵士たちは、狂気に駆られた人々を前に困惑しながらも、事態を鎮圧するために帆走していた。
「わざわざ王都でやるのは、力の拡大を狙ってるのか?」
商業都市にも暁の教会は存在する。
「あの街はもう充分だろう。より力を求めるなら私でもそうするねぇ」
ふと口にしたロイの疑問にテラドナが笑う。
「こっち、です…」
ノロイが肉の人形を生み出して、通り道を作っていた。
阿鼻叫喚の人混みの中、ロイたちはそれを盾にして式場内に潜入する。
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『いよいよ始まりまっすね〜。ちょーっと詰めかけてくださった商業都市の皆さんの様子が心配ですが、迷惑をかけずに盛り上がっていきまっしょう!』
『みんなが大好きなアベルと賢者だからね、分からなくもないけど。もうちょっと落ち着いて欲しいかな。うんうん』
教会脇に停められた馬車、その前に設営された簡易なテントから、ゴーグル姿の配信者が放送を始めていた。
彼の傍には、天使のような形のぬいぐるみも置かれている。
ロイはハールーンという配信者を、投影機の中でしか見たことが無かったため、実物が存在していることに多少驚いた。
そしてその隣りには、一際豪華な馬車があった。
黒塗りに金の装飾があしらわれ、扉の腹には『柄から生えた翼に包まれた剣』の紋章が、記されていた。
「ーー随分派手にやってるね」
黒髪黒目の快活そうな青年が、赤いカーテンを指で寄せて、外の様子を伺っている。
彼が一代にしてこの王都を建国した国王アーテム。
そして向かいの席には、桃色の長髪を後ろで留めた、凛々しい表情の女が座っていた。
「大袈裟なことです」
「でもまさか、賢者っちがアベルと結婚するなんて…勇者さんは想像できた?」
「…いえ」
(…何を考えている、賢者)
勇者は鋭い目つきで、押し寄せている民衆を眺めながら、唇を噛み締めた。
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「アベル様お疲れ様です。それでは、お時間になりましたら改めて伺います!」
「色々ありがとう!じゃあまた後で」
白いタキシードに身を包んだアベルは、挙式のリハーサルを終えて控室に入ったところだった。
「ふぅ…」
扉を閉じて一息つき、途端、溢れ出る笑みを堪えようと口元を手で抑えるが、耐えきれずに肩が震え出す。
(…想定外、あまりにも想定外だ。まさか彼女との結婚が、これほど反響があるなんて…!)
賢者と知り合ってからここ数日で、アベルの能力は驚異的な上昇を見せていた。
思い出して開く程度だったステータスボードも、今はいつでも確認できるよう、常に表示したままにしてある。
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アベル・ディサンディア
HP:16/16(+402/402 → 421/421)
MP:2/2(+18/18)
筋力:3(+98 → 102)
魔力:1(+54 → 57)
敏捷:1(+10 → 12)
魅力:2(+2045 → 2077)
運:3
権能:英雄の物語(名声値:6943 → 7001)
スキル:聖剣ラグナロク、英雄の盾イージス、光魔法Lv.10
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名声値の上昇に伴い、飛躍的に桁数を伸ばしていく各能力の補正値。
特に『魅力』においては、常人ならアベルの名前を聞いただけでも、卒倒するのではと言うレベルにまで至っていた。
(そして今日王都の民たちも、僕の物語に参加する…)
悪辣な笑みを浮かべ、およそこれまでと同じ人間とは思えないような表情を晒すアベル。
(賢者様は素晴らしい…!まさに僕のために存在する女性じゃないか…!彼女こそが僕を…。いや、僕こそが彼女の価値を最大限に引き出せるんだ…)
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普段は穏やかな時間の流れる教会。
しかし今日は、結婚式の準備で通路を往復する者たちが絶えない。
「きゃっ!」
すれ違い様に突き飛ばされた女が尻餅をつく。
しかしそれをした当事者は、振り返ることすら無く、立ち去ってしまった。
「いたた…。オル様…?」
オルは眉尻を釣り上げ、鬼のような形相をしていた。
怒り…しかしよくよく見てみれば、そこには余裕の無さが滲み出ていることが分かる。
美しい額には大量の汗を浮かべ、引き結んだ唇は小刻みに震えていた。
その彼女がよろめきながら向かった先は、新婦の控室だった。
扉を強く開け放つ。
中では慌ただしく準備を進めている、賢者と介添人たちの姿があった。
「オル様!?今は準備中ですのでっ…」
気づいた介添人の一人が慌ててオルを引き留めようとするが、それを押しのけて賢者の前に出る。
鏡の前に突然現れた少女の姿に、目を丸くした賢者の胸倉を掴み、持ち上げた。
介添人たちも突然の出来事に口を挟めず見守る他なくなっていた。
「なんで、お前がアベルと結婚するんだ!」
突然の質問に困惑した表情を浮かべる賢者。
察するに、オルは今日まで誰からもそのことを教えてもらっていなかったらしい。
「…わ、私も昔から、アベル様のこと、好きだったから。もちろん、オルちゃんともこれからも仲良くしたいよ…とりあえず…は、離してもらえない、…かな?」
「『昔から』…だと?」
そして賢者は、オルの見た目の変化に気付く。
頬が痩け、目元は落ち窪んでおり、乱れた頭髪も艶やかさが失われていた。
「オ、オルちゃん…どうしちゃったの?」
「お前などっ、昨日今日来たばかりじゃないか!こっ…殺してやる…」
オルは、賢者の顔へとその拳を振りかぶる。
しかし、目的の場所に至ることはなかった。
それはオルが突然の苦痛に襲われ、両膝から崩れ落ちてしまったからだ。
「オ、オルちゃん!?」
「触るなっ!」
背中に手を回そうとする賢者を、オルは跳ね除ける。
その際、オルから独特な香りがした。
「香水盗んだの、やっぱりオルちゃんだったんだね…」
「くっ…だからなんだ…。それより、この香水は何だ…?何を使っている…」
小瓶に入った紫色の香水。
オルが賢者の部屋から盗み、それから今日まで毎日欠かさずつけてきた香水。
ーー初めから体は危険信号を発していた。
吹きつける度、体が蝕まれるような感覚に襲われた。
それでもアベルを振り向かせるために、自分の居場所を取り戻すためにと、耐え続けた。
「そ、そんなことより大丈夫?オルちゃん、顔色すっごく悪いよ?」
「いい、…いいから答えろぉ!」
怒りを露わにしたオルのその形相に、賢者は怯えながら答えた。
「…その香水は、アベル様の竜討伐にあやかって、魔王城に咲いてたお花から作った物だよ」
「魔王城の花…だと?」
オルの記憶が呼び起こされる。
アベルの元を去った、忌むべき者が住まう居城。それを取り囲むように植えられた花。
「そう、不凍花って知ってるかな?」
「なっ…?!」
目を見開いたオルに、困惑する賢者。
「な、なる…ほど…。そういうこと…か。私は貴様の策に嵌められた、ということか…」
「えっ?策って…?」
締め付けられるように痛む心臓は、加速的に鼓動を増していく。
オルは賢者を払い退け、部屋を這うように出ていった。
「あ、待って!」
(…ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!ああ、もう手遅れだ。今の私には、この女を殺す力はない…早く元の姿に戻らなくては…)




