3-8 闇夜と袖、続き
闇夜に紛れて二人の少年が、アベルの館に忍び込む。
薄っすらと照らされた横顔は瓜二つ。
違いと言えば髪の長さと、それぞれが逆の目に前髪をかけている程度。
『こ、この部屋に居るよ…』
ノロイが小声でロイを呼ぶ。
彼の腕からは細い触手のようなものが伸びており、それが二階の一室を指していた。
何度見ても薄気味の悪い権能に、ロイは顔をしかめつつ、生み出した骨の梯子を昇った。
—-
「…ロイくん?」
窓を開けて中に入ると、賢者が一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに口元を綻ばせる。
碧い髪を揺らして振り返ったその顔は、見慣れた師匠のそれだった。
ロイは賢者が次の言葉を言うより早く、懐から素早く小瓶を取り出して手渡した。
「お?あれ、これって」
「あんたがおれに預けたやつな。返しにきたんだ」
「うん、そうだね。でもなんで今…。あ!それよりロイくん、帰ってきたってことでいいんだよね?」
「…いや、まだちょっとやることがあるから、もう行く」
「え?えっ!?ちょちょちょ」
直ぐに立ち去るつもりだったが、賢者に袖を掴まれ振り払うことができなかった。
「今、テラドナちゃんのところに居るんだよね?今日は何しに来たの?」
「…それを届けにきただけだ」
「え?それだけ?」
目を合わせてしまえば、何かを気付かれてしまうかもしれない。
ロイは背中を向けたまま言葉を続ける。
「…今聞いても仕方ないかもしれないが」
「何?」
「アベルの権能で魅了されてるってこと、あんたは本当に、…自覚が無いのか?」
「魅了?どゆこと?」
イエスと返されても、ノーと返されても、本当に知りたいことはきっと分からない。
それでも、問わずにはいられなかった。
ロイは悟られないよう、深く息を吐き、そして、もっと直接的な言葉を選んだ。
「…おれたちは魔王から頼まれて、転生者であるアベルを倒しに、ここに来たことも忘れたか?」
「え、全然覚えてるよ」
「え…は?」
想定外の回答に、思わず振り返り賢者を見てしまう。
しかしその表情を、その瞳を見たところで、言葉の真偽を明らかにすることはできないだろう。
「ほ、本当か!?じゃ、じゃあ、今のこの状況はあんたが意図してやってるってことなのか!?」
「意図して…そうなるかな?」
「そ、そうか…。そうだったのか…」
ロイは安堵感に包まれる。言葉の裏に潜む違和感に気付かない振りをして。
(アベルを倒すことを覚えているのなら!そうであるならば、アベルは確かに魅了の権能を持ってはいるが、賢者だけはどうにかしてそれを回避し、それどころか魅了にかかった振りをして好機を伺っていた、ということ…)
「アベル様は転生者。だから倒さないとね」
「そう!そうだよな!?」
興奮して賢者の両腕を掴むロイ。
対照的に賢者はいつもの調子で落ち着いて答える。
「でも魔王ちゃんのことを思い出してみて」
「…えっ?」
「ロイくんのあんよが一瞬で無くなって。やっぱり私たちはとっても弱いから、転生者と直接戦っても勝てる訳ないんだって、証明されちゃったよね」
それは戦いにすらなっていなかった。
その舞台に自分たちは上がらせてすらもらえなかった。
「…すまん、あれはおれが足を引っ張ったことは理解してるつもりだ」
「あ、ロイくん、そこ気にしてたんだ?あれは仕方ないよ、私が見誤ってただけ」
話が脱線しかかり、少しの沈黙を挟む。
「だからね、考えたんだけど」
「…」
「アベル様にも、私たちは敵わないと思うんだよね」
「…なるほど」
魔王との一件を考えれば、実際には途方もない力を持っていてもおかしくはない。
あのテラドナすらもお手上げと言っていた。
拡散により、どこまでも強くなるという底のない力を持っているという話。
(でも…今ならまだ、倒せるかもしれない。いや、違う。今倒せなかったら、これから先はもう絶対に倒せなくなっていくだけなんだ)
「転生者って魔王ちゃんやアベル様の他にも、たくさん居るからね」
「…そうだな」
「だったら、アベル様とも手を組んで、一緒に戦ってもらえたら…」
ここでようやく、賢者が何を言いたいのか理解する。
「…とっても助かると思うんだ!」
「賢者…」
「どうかな?」
ロイは既に賢者から手を離していた。
(分かってた)
分かっていても、それでも尚、信じずにはいられなかったのに。
「それは魔王を裏切ることになる。キリやミルルだって納得しない!」
「キリちゃんたちなら大丈夫だよ?アベル様のこととっても好きだから」
「魔王との約束はどうするんだよ!」
「二人は元同僚で兄弟なんだよね。だからちゃんと説明すれば分かってくれるんじゃないかな」
敵わないのだから、味方につける他ない。
筋は通っているように聞こえる。
魅了されていなければ、ロイも同意したかもしれない。
コツコツと窓を叩く音がする。
恐らくノロイが撤退を催促しているのだろうが、ロイは賢者としっかり話しておきたいと思っていた。
(…今の状態で、賢者と話しても意味なんてないのにな)
「これは魔王ちゃんやアベル様に限った話じゃないんだよ?これから先も、私たちじゃ話にならないくらいの相手と向き合うことになるかもしれないよね。隙あらば寝首をかきたいけど、まずは取り入るところから、そうしていかないと、私たちの目的は実現できないんだよ」
「…おれだって、キリだって居るじゃないか…。それじゃ勝てないのか…?それに…あんただっておれ以上に転生者を憎んでるって言ってたじゃないか!」
ロイが感情的になってしまうのは、賢者の言っていることが、正しく聞こえてしまったからだった。
「そうだね。ロイくんの権能も工夫次第で色々できるし、キリちゃんもとっても強いよ。でもね『ギリギリなんとかなりそう』って言うのは、ちょっと危ない考えだと思うんだ」
「…」
「この前、ロイくんの足取られちゃった時、思ったんだよ」
ロイの足はもうこの世に存在しない。
彼を今立たせているのは、魔王の与えた義足である。
「なんとか転生者に勝てたとしても、死ななかったにしても。体のどこかが奪われちゃったら、そこで旅は終わっちゃうんだよ」
ロイは何も返せない。
「私は絶対にすべての転生者を倒したい。世界は広いからね、きっと同じように思ってる人も居るかもしれないけどね。それは分からないよね。私たちのこの意志は、私たちが死んじゃったら、誰も引き継いでくれないんだから。私たちだけは絶対に死んだらだめなんだ」
もっともらしく聞こえる。
事実、彼女は魅了されていなくとも、同じように考えているのだろう。
「そう思ってたらアベル様に出会ったんだ。彼は自ら矢面に立ってくれて、私たちに寄り添ってくれて、転生者の中にもこんな人がいるだなんて、信じられなかったよね」
ロイは絞り出すように言葉を挟む。
「…結婚までする必要があるのか?」
「ロイくんもそれ聞いてたんだ!?そうなんだよー、アベル様がプロポーズしてくれたんだよ!えへへ」
はにかんだ賢者の表情が、途端にロイの頭に冷水を浴びせた。
(ああ、そうだ。それでいい。今は。…本当に、分かりづらい権能だ)
考え方や、これまでの記憶はちゃんと存在していて。
アベルに関わる部分以外は、列記とした賢者そのものなのだ。
記憶が他者によって差し込まれた相手と会話した経験がある者は、この世界にどれほど居るのだろうか。
記憶喪失の方が、まだ分かりやすかったかもしれない。
「…結婚したら、改めて他の転生者を探すのか?」
「うーん、そうだなー。ちょっと新婚旅行とかも行きたいし。その後とか?あ、ロイくんも一緒に行こうよ」
アベルの話が絡むと、僅かにほつれてしまう整合性。
(分かってたのに…おれは何をやってるんだ。今の賢者には何を話しても意味が無い)
再び窓が叩かれる。さっきよりも強く。
「まただ〜。外に居るの、ノロイくんだよね?」
賢者がノロイの名を口にしたことでロイ襲う理解不能の衝動。
皮肉にもそれが、現状を振り払う契機を与えてくれた。
踵を返して背中を向ける。
「あっ」
「とりあえず、それがおれからの結婚祝いだ。ちゃんと使ってくれ」
賢者が持つ小瓶を指さして、ロイは窓から出た。
—-
中庭でノロイと合流する。
「遅いよ…」
「おれの勝手だろ」
「…そう。げ、元気だった?」
「…」
賢者のことを聞かれたことに不快感を覚えたロイだったが、当のノロイはこちらを見ずに、正面玄関の方を向いたまま、少しずつ後ずさっていた。
ロイも視線の先に居る人物に気付き、別段驚くでもなく静かに身構えた。
(まぁ、出てくるよな)
「え、に、逃げるよね…?」
「いや…手伝ってくれ」
「えぇ…?」
困惑するノロイに構わず、ロイはその人物を睨みつける。
「…こんな時間にどうしたんだい?」
玄関の前には、この館の主であるアベルが立っていた。
暗がりでその表情の細部までは見えないが、声色からいつものような微笑みを浮かべているのだろうとロイは思った。
「ちょっと模擬戦の続きをしようと思ってね」
「なるほどね。ロイさんも襲撃者の仲間入りをしたのかな」
「ちょ、ちょっと?!テラドナさんに怒られるよ!」
骨の槍を生み出し握りしめたロイを、慌てた様子で抑えようとするノロイ。
『頼む…おれが本気を出せば、きっといける』
『そんな訳…』
『早く止めないと明日にはもっと戦えなくなってるかもしれないんだぞ?』
『そ、それはそうだけど…』
「まあ、丁度いいよ。実は僕も、少し新しい力を試したいと思っていたんだ」
意味深に微笑みつつ、アベルも携えていたレイピアを抜く。
「う、うぅ。ごめんなさい、テラドナさん…」
ロイの意志が変わらないことを理解し、ノロイも両腕から触手を生み出した。
『ロイくん、何やってるの!?』
館の二階から身を乗り出した賢者が声を上げる。
それを合図にロイが走り出した。
師の中に入り込んだ元凶を取り除くために。
「なんでこんなことをするんだよ!」
「え?…どういうことかな?」
骨の槍とレイピアが激しく突き合う。
ロイの刺突に、アベルがレイピアの先端を合わせてきたのだ。
その驚異的な行為に怯みつつ、槍の形を剣へと変えて、振り向き様に剣を走らせる。
「とぼけるな!街のみんなや賢者を魅了してるんだろ!」
「!?…なるほど。それがわかるってことは、君は…」
残像を残して背後に避けたアベルを、逃すまいとノロイの触手が拘束する。
手足を絡め取られたアベルに、ロイが剣を叩き込む。
しかしアベルは、あっさりと触手を剥がしてレイピアでその一撃をいなした。
(目で追えない速度ではないが、人とは思えない身のこなし…)
「ひぃ…」
捕らえたことを疑っていなかったノロイの、か細い悲鳴が背後から聞こえる。
「ロイさんもやはり転生者ということか。賢者様が嘘をついているとは思えなかったし、だとすれば子供の頃にその記憶を失うような事故があったのかな?」
二人がかりの攻撃に晒されているにも関わらず、落ち着いた様子のアベル。
むしろロイが魅了されていないことについて、思案を深めている様子。
「だ、だめだ。この人おかしいよ!」
情けない声を上げるノロイを無視して、骨のつぶてを放つロイ。
「…考えてみれば当然ではあるけれど、転生者同士だと優劣がありそうだね…。けど放送局の流れを踏まえれば『舞台』に上がっているのは間違いない」
いよいよ戦闘を放棄し、顎に手をあてたまま、考え事を始めるアベル。
そんな無防備な状態であるにも関わらず、ロイの放ったつぶては、彼に届く前にボタボタと地面に落下した。
見えない壁に阻まれたかのように。
「な、なんだ?何をやってるんだ?」
答え合わせのようにアベルの周囲に、淡く光る大盾が浮き上がった。
それがロイの攻撃をことごとく防いでいく。
「今とても大切な気づきがありそうなんだよ。君のおかげでね。これは新しく得たスキル『イージス』と言うらしいよ。説明書きによると自動生成されるものでね。今初めて僕も効果を見ているけど、どこまで耐えられるんだろう」
「新しく、得た、スキルだと…?」
「君がテラドナさんと繋がっているなら、ある程度は分かってるんじゃないかな?僕の権能について」
そしてアベルのレイピアが、眩い光に包まれる。
それは、闇夜を煌々と照らす光の剣へと姿を変えた。
「僕のことを多くの人が知るほど、権能が強化されるんだ」
「あれは…やばいよ…」
ノロイがその身をすくめて、アベルが持つ光の剣を警戒する。
「ねぇ!ロイ。退こう!」
「チッ…だめ、なのか…」
ロイにも、その剣の危険性は分かっていた。
レイピアであった面影は、もうどこにもない。
剣先が間近にある地面においては、溶岩のようにドロドロと溶け出しており、その光には激しい熱が含まれていることを示唆していた。
「これは『ラグナロク』。僕は『そっち』の知識はあまり無いのだけれど。さすがに君でもこれを防ぐのは厳しいんじゃないかな?」
ロイは苦し紛れに、手に持っていた骨の剣を投擲するが、ラグナロクの一振りで容易く溶け落ちた。
「僕としても、君たちが抗ってくれることは、拡散に一役買ってくれているからね。これからも良きライバルでいたいと思っているんだ。ちょっと僕が強くなりすぎちゃった感はあるけどね」
「化け物め…」
「まあまあ。これからも適度に頼むよ」
ノロイが、こっそりとロイの腕を引く。
もう結果は見えている。
ロイは渋面になりながらも、撤退する他に道が無いことを理解した。
そしてノロイが生み出した肉の波に包まれて、館の外へと逃れる。
アベルは追いかけるつもりはなかったようで、黙ってその様子を見上げて呟く。
「…あまり差を見せすぎると、相手になってくれなくなりそうだね。気をつけないと」
「ーーアベル様!大丈夫ですか!」
状況が落ち着いて、館の扉の隙間から覗いていた妻たちが駆け寄ってくる。
その中には賢者もいた。
「ああ、大丈夫だよ。ところで賢者様。ロイさんとは何を話していたのかな?」
「あ、そうでした。ロイくんは、私が魅了されていないかとか、アベル様を倒さないのか?とか、そんな話を聞かれました」
「えっ」
魅了の効果とは言え、あまりにも明け透けな賢者の発言に言葉を失うアベル。
「あっ、もちろん魅了ではなく本心だし、アベル様とは協力して、他の転生者を倒すつもりって答えたのでご安心くださいね」
「あ…ああ。ありがとう、そうだよね」
アベルも慣れたつもりではいたが、常識を改変して差し込まれた魅了が、整合性を保つために生まれる歪みには、自身の能力とは言えど未だに驚かされる。
「それと、さっきロイくんから、結婚のお祝いをもらって…」
そう言って賢者は紫色の小瓶をアベルに見せた。
「これは?」
「元々はここに来る前に私が作ったものなんですが。これ、アベル様の竜討伐を記念して作った香水なんですよ!」
「へぇ…それは…」
得意げにしている賢者に対し、アベルは怪訝な表情をしながらその小瓶を見つめる。
(彼が今になって持ってきたのなら、何かの罠と考えるべきだろうな。魅了にかかる前に賢者様が作った…、毒薬か?)
賢者はそっと瓶の蓋を開ける。
周囲にやわらかく漂う甘い香り、アベルはそれが何の花であるかは知らなかったが、別段体に何か反応がある訳ではなさそうだった。
(考えすぎか…)
「ああ、とても素敵な香りだね!」
「そうですよね!良かった。折角なのでこれからはこれをつけてもいいですか?」
「可愛らしい貴女にとても似合うよ。是非使ってほしい」
嬉しそうに見上げてくる賢者に、アベルも自然と微笑みが溢れる。




