3-7 荒屋に落ちる耳、小瓶
「そろそろ、起きたらどうだぃ?」
ロイが目を開けると、そこは薄暗い部屋だった。
壁の隙間から入り込んだ光に照らされて、漂う埃が浮き立たっている。
床には割れた瓶や煤けた衣類が投げ捨てられており、荒屋のような有様。
目の前には、テラドナとノロイが立っていた。
「なっ!?」
ロイは状況を思い起こして、咄嗟に立ちあがろうとするが、それは叶わなかった。
自身の体を見てみれば、椅子に座らされたまま、後ろ手に縛られている。
「…おまえらの目的は何だ!これを解けよ!」
「うるさいねぇ」
ロイは、右耳に違和感を感じた。
(…?)
「質問…なん…受…いない…だよ」
テラドナの声が、何故か良く聞こえない。
こちらを見るノロイは、顔を青ざめさせている。
「テ、テラドナさん…やり過ぎじゃ…」
「ガキは早めに調教しておくに限る」
テラドナは何かを指で摘んでおり、それをぶらぶらとこちらに見せる。
ランプに照らされたそれは、ポタポタと液体を垂らしていた。
柔らかに揺れている。
それは人の耳。
(あれは…誰の?お、おれの?)
自覚した途端に、頭の右側から激しい痛みと共に、心臓の鼓動に合わせた轟音が鳴り響く。
「ああああああ!?おれの耳?みみぃ!」
「ああ、五月蝿い。治してやりな」
「は、はい…」
テラドナがべちゃりと投げ捨てた耳を、大事そうに両手で拾ったノロイが、ロイの頭部を押さえて、元々あったであろう場所へと充てようとする。
「おっ、落ち着いて!今、な、治すからっ」
ノロイは暴れるロイを抑えつつ、取れた右耳を肉の権能を使い接着した。
頭を支配していた警告音と激痛が、一瞬で消えるが、元に戻ったことに思考が付いていかず、涙と汗が遅れて吹き出した。
「あがっ!フッ…ハァッ…。ハァ…」
「今から言うことを頭に叩き込むんだよ」
テラドナはロイの呼吸がある程度落ち着いたところで、改めて睨みつける。
「な、何を…」
目の前の修道女に対して、瞬時に恐怖心を植え付けられたロイは、それを振り払うように言葉を絞り出すが、耐えられず唇が震えてしまう。
「アベルの権能は、『英雄の物語』って呼ばれてるもんだ」
「英雄の、物語…?」
「『情報』ってのは、人づてに広がるのは分かるだろう?」
突然の質問に、困惑しつつも頷くロイ。
「『英雄の物語』の餌は『認知』。あの男の噂が拡散されて認知されるほど、ダルマ式に強さと範囲が拡大されるって訳さ。魅了なんかもその力の一端だねぇ」
噂により強くなる転生者。
魅了により、人々は『強制的』に好意を抱かされている、ということ。
「それと、あたしらだけが魅了されてないのは、あんたが想像してる通り。それも『まだ』抵抗できてるってだけの話だがね」
「…想像通り?」
畳み掛けられる話に整理がつかないまま、新たな疑問が重ねられる。
(おれもこいつらも、同じ理由で魅了されていない?)
テラドナはロイの質問には答えず続けた。
「あの男は効率的に拡散するために、テレビを作った訳だねぇ。こっちでは投影機というんだったか。そして…一番厄介なのはあの女だよ」
「…あの女?…オルのことか?」
「あぁ、そっちも面倒ではあるがね。違うよ。笑えるじゃないか。転生者を倒すって言って、あんたと一緒にいた賢者様のことさねぇ」
「…え?」
賢者の名前が出てくることは、想像すらしていなかった。
「厄介…賢者のことを厄介と言っているのか?アベルの味方になったから?」
「アハァ。放送局で乱入してきた暴徒共を忘れたかぃ?それに、お前だって身内に斬られただろう?あれは、賢者とアベルの結婚話が流れたからさ」
「…!?」
キリやミルルが自分を襲ってきたことを思い出す。
ロイを見る目は明らかに殺意を宿し、豹変した表情は、今でも脳裏に焼き付いている。
「なんで結婚のことと、あの二人がおかしくなったことに関係があるんだ?」
「まだあんたには分からないかもねぇ。情報ってのは、話題性によって大きく価値を変えるんだよ。そして人を好きになり過ぎた先に、どんなことが待っているか」
情報の注目度が高ければ高いほど、権能の効果は大きくなる。
だから、かたや国の要である賢者と、かたや商業都市の英雄であるアベル、話題のふたりの結婚話は人々の好奇心を駆り立てたと言う。
それを耳に入れた者が凶行に及ぶほどに。
「民衆にとっては、さぞかし面白かったんだろう?」
「っ…」
未だ投影機から流されただけの情報と、キリたちが自分に襲いかかってきたことの因果関係に理解が及ばないロイを置いて、テラドナは、肩を揺らして愉快そうに笑う。
「でもねぇ、ここからもっと最悪になるよ」
「まだ…何か起きるのか?」
「こんなに注目されるネタを、アベルがこの程度で捨てると思うかぃ?」
ロイはハッとして、反射的にテラドナから視線を逸らしてしまう。
うっすらとした予感はあった。
しかしそれを言葉にしてしまうと、現実になってしまうように思われて。
テラドナはニタリと微笑み、容赦なくそれを言語化する。
「事前情報だけであの有様だ。結婚式そのものを生配信なんかした日には、この都市の連中はみんな、アベルを神のように崇めるんじゃないかねぇ」
「結婚…式…」
血が逆流するような感覚に陥り、脳が白む。
しかし事実をつなぎ合わせていけば、その先には間違いなく『それ』が現実のものとなることは、避けられないだろう。
「まぁ、今の段階でも、もうあたしらには勝ち筋はないんだけどねぇ」
「えっ…」
一拍置いて告げられたテラドナの言葉に、ロイは動揺した。
(勝ち筋が無い…だと?)
ロイがテラドナに対して、勝手に期待して、勝手に裏切られたのだから、それまでの話。
しかし、容赦の無さやその謎めいた存在、底知れぬ余裕ある態度に、この修道女なら、まだ切り札を隠しているのだろうと、根拠無く期待してしまっていた。
そしてもし、彼女がお手上げだと言うのなら、賢者もキリも、すべてを奪われてしまったロイは、誰を頼ればいいのか。
思わず頭を振る。
(…頼る?…違うだろ。おれはもう、誰も頼らないって決めたじゃないか…)
野営地で賢者から魔法を奪い、追放に至らせてしまったことは、ロイにとって決して消えないトラウマになっていた。
未だ『権能』と呼ぶにはささやかな骨の力、しかしそれを使ってこの窮地を切り開くしかないのだ。
「お…おれが…」
「なんだぃ?」
「おれがアベルをやる!」
ロイは、強い意志を持ってテラドナを睨みつけた。
「模擬戦とも呼べないが、おれはあいつと一度やってる。その時はそんなに強いとは思わなかった。…それに、あんただってあいつに致命傷を負わせてたじゃないか!」
テラドナは値踏みするようにしてロイを見つめる。
「…お前の意志は聞いちゃいないがね」
「…」
「まぁ、やるやらないは兎も角、どうせアベルのところには行ってもらおうと思ってたんだ」
「…そう、なのか?」
テラドナがこれまで黙っていたノロイに促すと、彼は手に持っていたものをロイに見えるように掲げて見せた。
「…それは?」
「あんたの荷物から出てきたものさぁ」
顎で指された先には、ロイの背負っていたリュックがひっくり返されていた。
ノロイが見せてきたもの、それは手のひらに収まるほどの小瓶。
ランプによって微かに紫色を晒す液体がゆらめいており、その中には何かの花びらが含まれていた。
「こ、これは…君が賢者様から預かっていたものだよね?」
「…なんでお前がそれを知ってる?」
ノロイの言い回しに苛立ちを覚えて睨みつけるが、逆にテラドナに睨み返された。
(あれは商業都市に来たときに、賢者が何の説明もなく預けてきたもの…そもそもあれは何だ?薬か?)
「と言うわけで今からこれを賢者に届けてきな。ノロイと一緒にね」
ロイは魅了されている賢者に、何かを渡したところで状況を変えられるのかと疑念を抱きつつも、頷くしかなかった。
「…わかった」




