3-4 晩餐、心、そして襲撃
夕刻ロイたちは、アベルの館の二階にある食堂へと通される。
頭上には魔王城で見たものとは異なる、品の良いシャンデリアが取り付けられており、窓には商業都市を一望できる、大きなベランダがあった。
(貴族の館ともなれば、これ位の広さはあるものか)
ロイが想像していたより大きな部屋を見渡す。
中央に設置された長テーブルの上には、数十組の皿とカトラリーが並べられていた。
賢者はそれが気になったようで、アベルに尋ねた。
「アベル様、失礼かもですが、他にもご来客の方がいらっしゃるのですか?」
「いやいや、今日の客人はあなた方だけだよ。皆で一緒に食事をとることは、普通じゃないかな」
「……皆?」
アベルの返答に合わせたかのように、食堂に入ってくる女たち。
種族も年齢も異なる者たちが、アベルの頬に口付けをした後、賢者たちに一礼をして各々の席につく。
50人を超えるのではないだろうか。
昼に出迎えてくれた女や、庭園にいた女も居る。
「えぇ…」
ロイはその光景に、ポカンと口を開けていた。
アベルは、全員が着席したことを確認して頷いてみせた。
「みんなももう知っていると思うけど、本日は賢者様がいらしてくださったんだ。賢者様、それぞれの挨拶は長くなってしまうから、後にしてもいいかな?」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます!」
賑やかな夕食が始まった。
キョロキョロと周囲を見渡す賢者。
「そういえば、オルちゃんは居ないみたいですが」
「ちょっとした事情で、あの子だけは一緒に住んでいないからね、夕方には帰ったよ。そうだね、是非友達になってあげて欲しい」
「アベル様の頼みとあれば尚更、絶対仲良くなってみせますね!」
賢者はアベルと話しており、キリやミルルはと言えば、同席している謎の女たちから質問責めに合っていた。
ロイも例に漏れず、隣りに座っていた獣人の女に話しかけられる。
「お弟子様は、商業都市は初めて?」
「……いえ、賢者に連れられて何度か来てますよ」
「そうなのね。今はアベル様のおかげで、ここも目まぐるしく変わってきているわ。私は商い通りでお店を開いていたのだけれど、先日からこちらに住まわせてもらっているのよ」
「お店で働いているんですね。…貴女は、アベル様とはどんなご関係なんですか?」
「あら、まだ聞いていなかったのね。私はーー」
「レイナ。折角だから僕から話すよ」
会話を聞いていたらしいアベルがロイや賢者に対して、一緒に食事をしている女たちの紹介を始めた。
「彼女たちは皆、僕の妻なんだ」
「え?皆?」
「妻…、アベル様はこちらの皆さん…全員と、ご結婚されているのですか?」
「そうだよ。皆ここで一緒に暮らしているんだ。こちらからミリンダ、アーシャ、レトラーー」
アベルの紹介に合わせて、賢者たちに一礼をする女たち。
端の方に座っている者などは、顔もハッキリ見えないほどだったが。
(嘘だろ…)
ロイは無意識に口元を手で覆っていた。
それは、驚きで自分でもどんな表情になっているか、分からなかったからだった。
(ーーどこの国の王でも、これほどの数の女と籍を入れているなんて話は、聞いたことがない)
以前に賢者から聞いた話によれば、一部の転生者は複数の異性と愛し合うことを好み、そうして囲われることをハーレムと呼んでいるらしい。
容姿か、権力か、名声か。
人が何に惹きつけられて転生者の元へ集うのか、ロイには皆目見当もつかない。
しかし、目の前の現実を前にして、腑に落ちることもあった。
ミルルはともかくとして、賢者やキリが初対面である筈のアベルに対し、必要以上に好感を持って接しているかのように見える理由。
そして魔王の話を思い出す。
—-
『一人で彼を独占すべきではない』と、誰かが言った。
結果、アベルの周りには女たちが大勢集まるようになり、男たちも『あいつは器が違うからな』とまんざらでもなく評価した。
—-
結果、ひとつの仮説が導き出される。
(やつの権能は…他人に好意を抱かせる…魅了のようなもの、とか?)
その仮説を元に思い返せば、庭園で賢者がすべての情報を彼に開示したことにも説明がつく。
(だとしても、賢者たちはいつアベルの権能に晒された?商業都市に入った時か?あいつと出会った時か?)
何をトリガーとしているのか。
(…おれももう、アベルの魅了にかかっているのか?)
ロイはこれまで、他人から心を操作された経験がない。
そもそも感情を操られたとして、それを『操られている』と自認できるものだろうか?
誰かを好きになること自体、言語化して説明することは難しい。
(分からない…分からないが、おれはまだ魅了されていないはずだ)
現状に疑問を抱いているなら、自分はそうではないのだろうと思うほかなかった。
隣りでは、楽しそうにアベルと話す賢者の横顔がある。
(賢者…あんたは今、操られているのか?)
賢者だけは事前に対策をしており、魅了されているフリをしているのだと思いたかった。
しかしロイの権能の開示、それは彼女自身が禁じていたこと。
『権能を使える話は、誰にも言っちゃだめだよ』
こともあろうに伝えた相手は転生者。
もし騙し討ちを狙い、アベルの信頼を得るためだとしても、過剰な情報提供。
「アベル様、少し夜風に当たりませんか?」
すっかり疑心に支配されたロイの視点からすれば、賢者がアベルの手を引いてベランダへと出ていく姿も、異様なものに見えてくる。
周囲の妻たちは、それを微笑ましそうに眺めていた。
(分からない…気のせいかもしれない…それでも)
ロイは、もう誰の顔も見ることができなくなっていた。
目の前にある、未だ手のつけられていない魚料理だけが、静かに温度を逃していく。
「お弟子様、どうしたの?お腹の調子が良くないとか?」
獣人の女が心配そうに声をかけてくる。
(…この女も、アベルに魅了されているのか?)
「なんじゃ?アベル様が振る舞ってくれた料理を食わんとは!」
キリはロイから皿を取り上げて、ガツガツと食べ始める。
「…キリ、賢者はどうしちまったんだ?」
「ん?どうとは?…ははーん。そんなもんは見たら分かるじゃろ。次は儂の番じゃがの」
一抹の期待を込めてキリに確認してみたものの、その答えはとても残酷なものだった。
転生者を倒す。
賢者もキリも、動機は違えど同じ目標を持っている者。
およそ多くのことよりも優先されるはずの使命。
そんな者たちが、出会って半日程度の相手に、こうもうつつを抜かすものだろうか。
しかしロイは、その仮説を確定させるまでには至れない。
何故なら彼女らは一見すると、いつもと同じ態度であったからだった。
—-
ベランダでは、賢者とアベルが肩の触れ合う距離で語らっている。
室内とベランダの間に窓は無いが、少し離れているため、話している内容までは聞こえない。
ロイは猜疑心に囚われつつ、二人の背中を見守っていた。
ここで不可解なことが起こった。
(?)
二人がベランダに出てから、それほど時間は経っていない。
『アベル様?』
これまで微笑んでいた妻たちも、不思議そうに頭を傾げている。
賢者の立っていたはずの場所に、修道服を着た女が立っていた。
猫背であるため、はっきりとは分からないが、アベルと同じ位の身長の痩せ型の女。
黒い修道服に身を包み、ロイの角度からではその顔を見ることはできない。
(誰…だ?)
ロイは賢者の背中を見たまま、瞬きすらしていなかったはずだった。
「えっ…」
直後『頭上』から声が聞こえて、ロイは反射的に天井を見上げた。
そこにはベランダに居たはずの賢者が、宙に浮いていた。
「け、賢…」
突然の出来事に状況が理解できず、表情を凍りつかせるロイ。
賢者が『宙に浮いていた』のは一瞬で、その小さな体はすぐに落下する。
そして真下にあったテーブルに、激しく背中を打ちつけた。
「きゃっ」
乗っていた皿や料理が派手に飛び散る。
ロイは、慌てて賢者を抱え起こした。
「な、何が起きた?!なんであんたがここに?!」
「えっ?えっ?…あれロイくん?私、アベル様とベランダに居た…よね?」
混乱している様子の賢者。
ロイは彼女を床に降ろし、ベランダの方に改めて目をやる。
『アベル様、これを!』
妻の一人が、アベルに向かってレイピアを投げ渡しているところだった。
彼の横には、変わらず猫背の修道女が立っている。
(幻覚じゃない…)
修道女が友好的な相手でないことを、その場のすべての者が理解する。
「キャロル、ありがとう!」
アベルは修道女と距離を取りつつ、鞘からレイピアを抜いて構えた。
「あれぇ?アタシとは、結婚してくれないのぉ?」
嘲るように甘えた声を発した修道女。
遅れてロイたちもベランダに出る。
(あれはフォボスの修道服…)
それは昼間に、商い通りでキリとミルルが争った際に、住民たちと共に観戦していた修道女だった。
妖艶な体と整った顔立ち。
しかし病的に青白い肌と、背中をぐにゃりと曲げた立ち姿、片方だけ大きく見開かれギラついた右目が、彼女から美貌や品格と呼ばれるものの一切を取り上げ、むしろ不気味な印象を振り撒かせていた。
「…君は誰だ?どこから現れたのかな」
「テラドナってもんだよ。まぁ、覚える必要はないがねぇ」
アベルの問いにテラドナと名乗った修道女は、持っていたダガーを放り上げた。
ダガーは回転しながら、彼女の頭上を舞う。
クルクルと。
一同が、それを不思議そうに目で追った。
緩やかに回るダガーが、月明かりを反射させている。
「うっ!?」
アベルが不意に呻き声を上げる。
そちらを見れば、彼の胸にダガーが深々と突き刺さっていた。
妻たちが悲鳴を上げ、ロイが困惑する。
(え…、あんな場所に刺さったら…!)
注意を引いている間に、もうひとつのダガーを投げつけたか。
「あっけないもんだ」
ニヤリと口角を上げるテラドナ。
「貴様ぁ!」
「アベル様になんてことを!」
その背後から、振り抜かれる剣閃と、追うように振り下ろされる鉄球。
「賑やかだねぇ」
キリとミルルが死角から繰り出した攻撃は、しかし彼女には当たらなかった。
対象はいつの間にか手摺りの上に移動しており、愉快そうに笑っている。
「…ミルル、今の見えたか?」
「いや、全然」
「いきなり消えおったの」
「なんかやってるね…」
手摺りの上から周囲を見渡すテラドナ。
倒れ伏したアベルと、そこに駆け寄る女たち。
目の前には、魔王の落とし子が二人。
2対1の構図になったところで、さして問題にはしていない様子。
「とは言え邪魔だねぇ。やりな、ノロイ」
テラドナの指示と共に暗がりから、巨大な『何か』が波の如く館に押し寄せる。
「はぁ!?何じゃこれは!」
「いやぁ!ぬるぬるするぅ!」
それはベランダの下から湧き上がり、キリたちを飲み込み、更に食堂内へと流れ込んだ。
「くっ、絡みつく!」
粘液と柔らかい質感が、ロイの身体にもまとわりつく。
瞬く間に一帯を埋め尽くしたそれは、テラドナ以外のすべての人間を絡め取り、身動きを封じた。
人肌の色をしたスライム状のもの。
触れている部分からは、誰かに抱きしめられた時に感じるような生暖かさが伝わってくる。
肉の波、とでも呼ぶべきか。
「やるじゃないか。後で撫でてあげるねぇ」
「いや…、そういうのはいらないです…」
テラドナの横に、一人の少年が立っていた。
(あの顔、あの目、あの首輪…)
ロイは、それが知っている者であると直ぐに理解し、記憶が呼び起こされる。
—-
野営地ではりつけにあった翌朝、目の前に少年が立っていた。
全身を返り血で染め、右目は前髪で覆われ、不安そうにロイを見ていた。
『や、やっと起きた。か、代わりにやっておいたよ』
そう呟いた少年は、ロイと良く似ていた。
いや『似ている』と言うのは生ぬるい。瓜二つの双子と言っても良い。
何より奇異なことに、少年はロイと全く同じ首輪をしていた。
—-
テラドナの横に立っていたのは、魔王討伐の遠征の際に、野営地で不意に出会った少年だった。
腰まである黒髪は、この短期間にしては異様な伸び具合だったが、前髪はあの時と変わらず右目を覆っており、怯えた口調も変わっていない。
そして賢者からロイだけがもらったはずのものと、同じ見た目の首輪も変わらず巻いている。
ロイは、少年を視界に入れた時から、説明のできない苛立ちを覚えていた。
沸々とする感情。
「…おまえが、なんでここに居る!」
「ひっ!?」
抑えきれずに上げられたロイの怒声に、体を硬直させる少年。
「なんだぃ、急に大声出すんじゃないよ。あぁ、あんたはロイだねぇ?今は一旦黙っててくれるかぃ?」
そう言ってからテラドナは、ゆっくりと向き直る。
視線の先に居たアベルもまた、肉の波によって拘束されている。
そして庇うようにしていた妻たちも、引き剥がされていた。
「…っ」
「アハァ。虫の息だねぇ。放っておいても終わるだろうけど、確実にさせてもらうよ」
「もうやめて!」
賢者の叫びも虚しく、青ざめたアベルに向かって再度テラドナが、血濡れのダガーを投げる。
それは、いつの間に抜いたのか、先程アベルの心臓を貫いたものだった。
明確な殺意が込められた軌道は、寸分違わずアベルの胸に再度突き刺さった。
「…オ…オル…」
ごぽりと口から吐血したアベルが、ここには居ない少女の名を絞り出す。
次の瞬間、夜闇を激しく照らす閃光が、アベルとテラドナの間に落ちた。
「アベル…?」
眩い閃光が収まると、そこには銀髪の少女が無表情に立っていた。
(オル…、あいつまで、どこから現れたんだ…)
先ほどから続いている超常的な者たちの登場に、ロイは呼吸を忘れていた。
「アハァ。…やばいのが出てきたねぇ」
「許さない」
ふわりと白いドレスが浮かんだかと思うと、オルはその場に残像を残し、テラドナの鼻先に小さな拳を振りかぶっていた。
「危ない危ない。とんでもない速さだねぇ」
しかしオルの拳は宙を薙ぐ。
何故ならテラドナとノロイは、もうその場にはおらず、手摺りの更に上、館の屋根の上に立っていたからだ。
結果は理解できるが、過程が分からない。
いずれの動きもロイの目には捉えられなかった。
しかしオルの動きは、『瞬足』と言えばまだ理解できる範疇にあったが、テラドナたちのそれは、予備動作も無く、明らかに根本から異なる移動のように思われた。
「…?当たってたはずなのに」
「…元が元だけに厄介だねぇ。違う角度からやるか。退くよ、ノロイ」
「逃がさない」
屋根の上に飛び上がったオルだったが、既に二人の姿は消えていた。
それと同時に、ロイたちを拘束していた肉も溶けるように消えていく。
—-
先程までの騒ぎが嘘のように静かになった。
(一体何だったんだ…)
「アベル?大丈夫か?」
「アベル様!?」
オルはアベルの側に降り立ち、背後からは賢者も駆け寄ってきた。
「む」
振り返り賢者に対して渋面を浮かべたオルは、彼女を遮るようにアベルとの間に立つ。
当のアベルは半目を開いたまま、致命傷となった胸から大量の血を流している。
(これは…助からないな…)
ロイは医療に詳しい訳ではないが、そんな彼から見ても、明らかにここからの再生は現実的ではないことが明らかだった。
「アベル様!アベル様!」
「いやぁああああ!」
妻たちが、賢者が、皆が悲鳴を上げ、崩れ落ちる。
その日、商業都市の英雄は、その短い命の幕を閉じた。
…はずだった。




