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Black Bird  作者: 瑞白青維
斑の言うことには-Let's face it.-
9/11





 ソロは開け放たれた窓の向こうに在る空を眺めていた。

 作り物のそれは本物と見紛う程の重苦しい曇天で、ご丁寧に”上”の雨音を再現するBGMまで流されている。”上”では実際に雨が降っているため、”地下”にも湿った空気が降りてきているのだろう。ここに天の恵みはないが、目を閉じてしまえば雨降る世界そのものと言っても過言ではない。

 数日前の自分であれば、ふとした瞬間に羨望の眼差しで以て空を見上げたり、BGMの心地よさに眠気を覚えたりしているところであった。が、今は状況が状況なだけにそんなことをしている余裕がない。むしろ心臓がドッドッと嫌な跳ね方をしており、囂然としたそれに耳を塞いでしまいたい心境ですらあった。そんなことをしても意味はないのだが。

 ソロが腰かけているベッドは蛻の殻で、人のいた痕跡と言えばしわの寄ったシーツくらいのものだった。つい三時間程前まではダリが横になっていたはずだが、どうやら完全に覚醒した彼はドアからではなく窓から外に飛び出してしまったらしい。

 異変に気付いた時、ソロと斑はキッチンにいた。これからの生活について考えた際、簡素であろうといくらかの料理スキルは必要になるだろうと考えたソロが斑に教えを乞うたのだ。二人して目の下に隈を作りながら「卵割ったことあるか?」「ない」「死ね」などと言い合う様は傍から見れば異様だったかもしれないが、本人たちは至って真面目だったのだから笑えない。ダリの寝室から凄まじい音が鳴り響いた時など、心臓が止まってしまうかと思った。

「うん、そう。科戸にはもうとっくの昔に連絡した。……怒るなって。てっきり一緒にいるもんだと思ってたからお前も知ってると思ってたんだよ。……あー、はいはい。置いて行かれて拗ねてんだろ? でも考えてみ? 私十日近く科戸に会ってないんですけど。お前に分かるかこの絶望が。そろそろ死ぬぞ。胃に穴が開くぞ」

 ダリの脱走後、すぐさま斑は追跡を試みるも失敗。そのまま科戸に連絡し、待機の命を受けソロの待つ家に戻ってきたという。そこからはいつでも動き出せるようになのか、ストレッチや柔軟体操らしき動きを繰り返していたが、今はキッチンの方で科戸とは違う誰かに連絡を取っているようだった。

「……」

 おもむろに立ち上がり、窓枠からそろりと下を覗き込む。地面には石ころや瓦礫の一部くらいしか転がっておらず、視覚情報から高さを推し量ることは難しい。だが五階という高さを数字に置き換えれば話は別だ。

「お前が落ちたら死ぬかどっかぶっ壊すかだろ」

 いつの間にか斑が隣に立っていた。見た所手ぶらだ。通話は既に終えたらしい。

「ダリの場合ならどうなる?」

 顔を上げずに尋ねれば「足どっちかはやるかもな」と軽い調子で返答がある。想像して背筋が震えあがった。

「でもダリは誰かに移せるから、そういう意味では大したことねーよ。この数日でお坊ちゃんも結構見ただろ?」

「見たには見たけど……」

 曖昧な返答。

 この数日間のことが脳裏を駆け巡る。





 この数日間、ソロと斑はほとんどダリに付きっきりだった。この家に移り住んだ日に斑が話していた「高確率」が現実味を帯びたためだ。

 移住一日目の深夜、ダリは酷く魘されているようだった。

 先に気付いた斑に叩き起こされ、ソロも苦悶の表情を浮かべる様子を深憂の心地で見守ったが、当然そんなことで何かが変わるわけもなく、ダリの痛苦は時を追うごとに増していくようだった。

 突然何かから逃れるように手足をばたつかせかと思えば、糸が切れた人形のように急に静かになる。

 訝しんで注意深く様子を見ていると、焦った斑がダリの口に手を突っ込み無理矢理こじ開け始めたのだから驚倒した。しかし彼女に促されて見たダリの口中、その舌先に血が滲んでいるのを認めてぞっとした。斑の判断が数秒遅れていればダリの舌は千切れ、自らの血に溺れてしまっていたことだろう。そしてダリが死んだ場合、どこかのタイミングでその傷は斑かソロに移ってしまうのだという。死ななかった場合も似たようなもので、開眼したダリの瞳に映った者に傷が移ってしまうのだという。

「やっぱ駄目だ。目隠しすっぞ」

 言下、斑はシーツの端を割いた細い布切れをダリの目元に巻き付けようとする。

その直後、「ってぇ!」と高く鋭い声が上がった。ソロが瞠目して見れば、彼女の首筋からつぅっと筋が垂れた。薄い照明に彩られた室内ではその色を正しく判別することは困難だったが、それが彼女の血液であることは明らかだった。

「こいつ目ぇ開けたな? ってことで、もうお分かりですねお坊ちゃん。そこの鞄から注射器取ってお前打て。マスターなんだからできないなんて言わせねーぞ。自分の狗の管理方法を今の内にきっちり覚えやがれ。私超やさしいからレクチャーしてやるよ」

 今度こそダリに目隠しを施し彼女は獰猛に笑った。自身の体を傷つけられたことなど意に介していないようだった。

 暴れる四肢を押さえつける彼女の指示に従い、床に伏せる彼女の鞄から注射器を探し当てる。今まで手にしたことのないそれを、効果のほども知れない劇薬を友人に向ける。この状況だけでも恐怖に足が竦んでしまいそうだというのに、実際にやれと繰り返し叱咤される。

 どうにかなってしまいそうだ。

 ソロは生まれて初めて目の前の現実に絶望した。

 斑のレクチャーにより不動化薬は無事ソロの手でダリに注射された。右上腕部の三角筋に針が沈んだ時、ダリの喉からは悲鳴が迸ったが、ソロはその悲痛な姿から目を背けることを己に許さなかった。「酷い」と斑に噛みついておきながら、薬でダリを鎮めることに体験を通して最後は納得してしまった。もちろん心からこの手段を受け入れたわけではないが、我を失ったダリを見て止めなくてはと思ったのだ。彼の行動には必ず彼の意志が必要だ。意思のない彼ならば止めなければならないと。

 けれど、自身のやったことに対する不安は大きくなるばかりだ。

 少しずつ体を弛緩させ、再び強制的に眠らされたダリを見下ろす。ソロは斑に何度も確認した。「ダリ、死なないかな?」「死なないよね?」「斑、これは寝てるだけなんだよね?」。「死なねーよ」「うぜえ、死なねーって」「何回確認すんだよ! 死なねーと黙れねーのか!」。応じる斑はそれだけで疲労困憊だった。

 そんな状況が数日間繰り返された末に、ダリは脱走した。薬を投与し始めた辺りで全ての枷を外していたため、さぞその身は軽かったことだろう。飲食も断たれていたのだからなおのこと。





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