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”地下”にも車があるんだなと思っていると、運転席の斑に思い切り睨まれた。口には出していないのに、だ。そこで、もしかすると彼女には相手の思考を読むとか、そういった能力があるのかもしれないと考える。直接本人から聞いたわけではなかったが、科戸と彼女の会話からどうやら彼女も呪われ者であるらしいことが伺えた。ならばと思ったのだが、それにしては随分と頻度多くソロに敵意を剥き出しにしてくる。そのため、もしや単純に自分を目の敵にしているだけで呪いとやらは無関係なのかもしれないと考えを改め始めていた。
オークション終了から九時間。
斑の荒い運転に揺さぶられること一時間。
ソロは後部座席の隅っこでしきりに左隣を気にしていた。ちらちらと何度も視線をやっては、思い出したように手元の本の頁を捲る。
「挙動不審とかキモ」
投げやりな言葉に顔を上げる。バックミラーを介してうんざりした様子の斑と目が合った。
「目ぇ腐るから私を見るな。お坊ちゃんは優雅気取ってご本でも読んでろよ」
「もう読み終わった。三周はしてる」
事実を返せば、「キモい」と斑の表情が歪む。器用に片眉を吊り上げるその様に、言われている内容よりもどうやってその顔を作っているのかが気になってしまう。
助手席の科戸がこちらを顧みる。
「と言うことは、”上”と”地下”の関係性について大分理解が進んだということかな」
彼はイヤホンを着けた状態でそう問うた。出発時から何か音楽を聴いているようだがそれに集中したいわけではないらしく、こうして時折彼から話を振ってくる。
「書いてあることについては理解したよ」
本を閉じ、表紙を指先で撫でる。
薄墨色の中に白字で「地上の”地下”」とタイトルの入った装丁。チリや背に厚みがあるわりに束は一センチ程のそれは、出発前に「暇つぶしに読んでみたら?」と科戸に渡されたものだ。内容は簡単な歴史書といったところで、ソロにとっては”地下”について書かれた書籍との初めての出会いとなった。
「なるほど。じゃあテストしよっか。第一問」
「え、うん」
「”地上”建設が開始したのはいつでしょう? また、その経緯と”地上”・”地下”の関係性、建設にあたる労働力について君の考えを述べよ」
突然投げかけられた問。
科戸は前に向き直る。
ソロは車窓から空を見やって黙考した。
綿毛のような雲の散るセルリアンブルー。やわらかに地に降り注ぐ擬似陽光。それを受けて濃密な影を生成する崩れかけの廃墟の群れ。
どれも美しい。
満たされた気持ちで口角を持ち上げるまで、およそ五秒。
ソロは科戸の後頭部に向けて口を開いた。
「”地上”建設が始まったのは西暦二五二一年。
経緯は……、建設に至る原因と呼べそうな出来事は二つ。
まず、環境破壊。海面上昇による陸地沈水と、それに伴う地震発生時の津波発生率の上昇。雨量増加による河川反乱に土砂崩れ。――そういう問題から、”地上”建設の大分前から日本でも世界各地でも、人々が内陸に向かったり河川周辺を避けて移住したりする動きがあった。それに引っ張られる形で様々な問題も発生した。人の住める土地が減ってしまったことによって、難民の受け入れ先や食料確保、労働問題について各国で騒がれるようになった。世界的に協議する場も設けられたみたいだけど、明るい解決案もなかなか出ず、ついに”地上”建設の最大のきっかけとなる『場所取り戦争』が起こった。期間は二五一四年から二五二〇年の六年間。兵器として選ばれたのは、――この本には名言されてなかったけど、僕が”地上”の図書館で読んだ書籍にはNBC兵器が使われたと書かれていたよ。それによって当時の地上は汚染され、とても人が健康的に生活できる場所ではなくなってしまった。だから汚染されていない、もしくは汚染濃度の低い土地に新たな”地上”となる場所を建設し、人々の生命が保障される生活を送れるようにすること。それこそが戦後復興の第一目標として掲げられることになった。そうして、元々人々が生活していた本来の地上の上に建設された新たな土地を”地上”、真下にある元地上は”地下”と呼ばれ、”地下”は主に産業廃棄物の廃棄所として運用されるようになった。
”地上”では一般的にここまでのことしか知られていない。
けれど実際は、”地上”に住むことを許されなかった者、そもそも世界に存在が認められていない者の居住地として”地下”は発展を遂げた。前者は当時まだ十分な広さのなかった”地上”における居住権争いに敗れたり、振るいにかけられたりして落ちた者。後者は呪われ者だ。
でも当然、”地上”にとっての廃棄所である”地下”が自力で発展することは不可能だ。だから地上との繋がりを細々と保ちながら、”地下”は少しずつ人の住める環境を整えていった。呪われ者のオークション販売がこれに該当するわけだね……。
経緯と関係性は多分こんな感じかな。あとは労働力。
”地上”建設の人員確保は難しかったと思う。少しでも汚染が確認された場所では防護服の装着が義務付けられていたって書いてあったし。必然的に命懸けの労働になるわけだから、余程給金を弾ませ……いや、戦後の日本にそんな特別手当てを出せる余裕はないか。金ではなくとも、何らかの保障をもらっていたんじゃないかな? 例えば、衣食住を高い水準で保障してもらえるとか。……いや、それもピンと来ないな。うーん、進化を続ける作業ロボットがいくら投入された所で、未だに人の指先の繊細さに追いつく技術は存在しないわけだから人の手は必ず必要になるはずなんだけど。……AIに人間の四肢の動きを学習させたところでそれを実現させるボディの技術が」
「あーーもう! ぶつぶつぶつぶつうるせーー! もうただの独り言じゃねーか!」
ハンドルを握り締めていた斑が吠えたてる。
その声にはっとして、ソロは科戸に「どうかな?」と投げかけた。斑がまだ何か騒いでいるが、相手にせずとも問題ないと判断したためスルーする。
科戸が上半身を捻り半身でソロに向き合う。耳から伸びる白いイヤホンコードがふらふらと揺れていた。
「経緯については理解というより暗記したものの要約という印象を受けたけど、それはまあさすがと言っておこう。
考察については、想像力に欠けるとでも言っておこうか。これからの成長に期待しているよ」
「五十点ってこと?」
「四十点ってこと」
「そっか、難しいね。
でもこの本面白かったよ。いや、この本というより”地下”っていう存在がなんだか新鮮。”上”にいた時は下があるのは知っていたけど、まさかそこが”地下”として居住スペースを設けているとは思ってなかったし、こんなにいろんな景色があるなんて思ってもみなかった。
なんて言ったらいいんだろう。目視した物に対して持った印象に、この本によって背景が与えられた感じがする」
高まった気持ちから頬に熱が籠るのを感じると、自身のそんな変化にさえ喜びを抑えきれない。もっといろんなことが知りたい。自然と思い、そうなると隣の存在が気になって仕方なかった。
「そう、それなら何より」
「うん。ねえ、二問目は何?」
「そうだな……」
ソロの催促に科戸は悩むような素振りを見せるも、斑に小さく名前を呼ばれると「続きはまた今度にしようか」と悠揚に告げてくる。
ソロはそれを少々残念に思ったが、ある宿題を言い渡されたためすぐに頭はそれに対する思考で満たされた。
不意に、瓦礫が砕けた砂利道に入った車体が上下に大きく揺れた。
胃が体内でふわりと浮き上がる感覚に瞠目していると、隣のものが座席から滑り落ちそうになっていることに気付いた。支えるため、急いでそれに手を伸ばす。
がっくんと音をたてて車体が安定した時、ソロは片頬を引きつらせながら乾いた笑みを浮かべた。
「危なかったね、ダリ」
返事がないことを承知の上で、それでも呼びかけずにはいられない。
ソロの隣に横たわり、死んだように寝入っているのは「ダリ」。昨日オークションにてソロが――科戸の金で――落札した狗。つまり、ソロの従者だ。
きっちりと目隠しを施され手足も未だに拘束されたままだが、口輪と首輪は既に外されている。見ている側としてはそれだけでも安心感が違うのだということを、この一時間とちょっとで何度も考えさせられた。
手足の拘束も解いて欲しい。ソロが科戸にそう頼んだのは、オークション会場である音楽ホールの裏手に車が用意された時のことだった。が、科戸は表情穏やかに、しかしどこか硬い声音で「ダメ」と言い切った。「何が起こるか分からない」というのが理由らしかったが、それには今に至ってもやはり納得できずにいる。だからと言ってソロには拘束を解く術もない。それが大変もどかしかった。
けれどそれよりも、何よりも。
生きてる。
眼前の彼の生存。その事実がこのこと上なく不思議で、怖くて、喜ばしかった。
斑が車を停めたのは、白を基調とした外観の建物の前だった。周囲のものと同様、外壁は所々が欠けたり剥がれたりしているものの、建物自体が崩れている様子はなくむしろどっしりとした佇まいでそこに建っているように見える。
「さ、降りて。着いたよ」
言って降車すると、トランクから荷物を降ろす科戸にソロは驚きを隠せない。斑も彼に続き荷物を降ろすと、次いでダリ側の後部座席の扉を開け放つ。と、ソロが何か言うより前にダリの足を引っ張り、難なく肩に担いで外に運び出してしまった。
「え、ちょっと!?」
「うるせーな、早く降りろよお坊ちゃん」
鬱陶しそうに片目を眇める斑。ソロを視界から排除するようにすぐさま背を向けて、建物へ向けて歩きだしてしまった。
「家に行くって言ってなかった? 元々ダリが住んでた所で、そこに今日から僕も住むって」
「はいはい、ここがお家でちゅからねー。想像してたお家と違いまちたねー」
「あ、ここだったんだ!」
「お坊ちゃんお前マジで黙れ」
斑の一蹴を気にも留めず、ソロは残された荷物を手に科戸を追いかける。
まるで勝手知ったる我が家のような軽い足取りで荷物を運ぶ科戸は、建物に踏み入る前に一度だけ斑が担ぐダリを見て静かに微笑んだ。
「勝手にごめん。お邪魔させてもらうね」
電子ロックが解除される。
ダリからの返答はなかった。




