答えられない
06
「うん、これはいけるわね」
「確かに、いい出来だ」
エスメロードとバーナードは船内のラウンジに移動し、ミニコースの食事に舌鼓を打っていた。
戦時で物がなにもかも高騰しているが、一流のシェフとソムリエに妥協はないらしい。
オードブルは温野菜のフォアグラパテ添え。
スープはシンプルなコンソメ。
メインは上等の牛を丁寧に焼いたローストビーフ。
(実家でも食べたことがあるかどうかってくらいのハイレベルね)
エスメロードは素直に感心していた。
とにかく美味しい。
言葉に出して説明できないくらい美味しい。
「口に合うかな?」
「ええ。とっても。
そう言えば、海自は食事が自慢だったわね。
そんなあなただから、味には敏感なのかしら?」
エスメロードはそんなことをつぶやく。
集団生活である上に、狭い艦内で不自由な戦闘艦乗りたちにとって、飯は貴重な娯楽だ。
必然的に厨房の練度は上がり、飯はうまくなる。
だいたい、護衛艦の幹部には貴族や有力政治家、そして資産家の子女たちが一人ならずいる。
烹炊長のプライドにかけても、適当な料理は出せないことだろう。
「ははは。確かに、護衛艦の飯は舌の肥えた貴族や大企業の子女たちにも好評だからね。
陸に上がると下手なところじゃ食えなくなるくらいに」
バーナードがそう言って笑う。
確かに、毎日護衛艦で美味しいものを食べていたら、そんじょそこらのレストランでは満足できなくなることだろう。
「そう考えると大変ね。
バーナード、あなたの場合は出世して将官になり、その後は政界に進出かしら?
護衛艦の食事が恋しくて、艦隊から離れられなかったりして」
ワインが入っていることもあって、エスメロードは冗談を飛ばす。
バーナードの実家は、海軍軍人を伝統的に輩出してきた。
そして、政界へ転身する者も多い。
なんとなく、バーナードもそんなキャリアコースを進む気がしたのだ。
「いや、私は政界には進まないよ。
出世にもこだわらない。というか、陸上勤務に廻されるくらいなら出世できなくてもいい」
バーナードは真面目な顔でそう言って、赤ワインを飲み干す。そして続ける。
「家が海自の家系だったってことももちろんある。
でも、純粋に護衛艦に乗りたくて海自に入ったわけだし。
将来的には参謀や司令を任されるにしても、できれば艦長を長くやりたい」
そう言ったバーナードの表情は、いかにも海の男という印象だった。
(本当に海と船が好きなのね)
エスメロードはそんなことを思う。
今日のお誘いがヨットだったのも、彼の趣味趣向が絡んでいるというわけだ。
家柄や成績が買われて27歳で艦長を拝命した彼だ。
さりとて、定年までの30年ほど、乗れる艦は無限にあるわけではない。
(艦長のポストを欲している他の幹部は気の毒ね)
そんな下世話なことを思ってしまう。
幕僚部も、バーナードが望むなら彼に洋上勤務を命じざるを得ないことだろう。
そうなれば、彼を差し置いて艦長を拝命できる人間はいない。
誰かが必然的にポストやキャリアで割を食うことになる。
(そう考えると、才能のあるエリートに出世願望がないって厄介ね)
軍隊組織というのは基本的にはピラミッド型で、エスカレーター方式でもある。
こと幹部に関しては、勤務成績順に偉くなっていくのが普通だ。
有能なエリートが現場仕事に居座り続けると、その流れに支障が出てしまう。
そんなことを考えずにはいられない。
「で、だ。
エスメロード。君はどうするんだい?
傭兵パイロットは腕次第で相当稼げるが、ずっと続けるつもりなの?」
「え…私か…」
そう問われて、エスメロードは頭を叩かれた気分だった。
祖国が戦火に見舞われたとき、戦える存在でありたい。
その一念で、忌み嫌われる傭兵という形で空自に入り、パイロットになった。
(では戦いが終わった後は?)
実家からは勘当された身だ。
戻る場所はない。
だが、傭兵パイロットとして世界の戦場を渡り歩く覚悟まであるか?
それは彼女自身にもまだ決めかねるところだった。
「正直わからないわ。
今は空を飛ぶことしか考えられなくて」
それだけ答えるのが精一杯だった。
だが、バーナードがなぜか嬉しそうな顔になる。
「なら、私と結婚してくれ」
バーナードの言葉に、「え?」とエスメロードの目が点になる。
だが、彼が本気だということはわかる。
こういうことを冗談で言う人間ではないし、これが目的だったとなれば、本日のお誘いも得心がいく。
「その…とても光栄なことだけど…私結婚は考えていないの」
バーナードの目を見ることができないまま、エスメロードは歯切れ悪く答える。
「だめかな…?
年が釣り合わないかい?好みじゃないかな?」
バーナードの目は、全く諦めていないものだった。
「いえ、あなたは素敵な殿方よ。
ただ、今は戦闘機に乗ることしか考えられないってだけで…」
エスメロードは言葉を選びながら話す。
バーナードから結婚を申し込まれるとは思わず、思考が追いついていないのだ。
「そうか…。
だが、私は諦めないよ。必ず君を妻に迎えてみせる」
そう言って、バーナードはエスメロードの手を握る。
「その…どうして私と結婚したいと思ってくれたの…?」
困惑するエスメロードはそう聞かずにはいられない。
「よく聞いてくれた。
君のタフさと才能に惚れたというところかな。
最初私は、君を落ちぶれた貴族のお嬢さんと思っていた。それ故に傭兵となったのだと。無礼を許して欲しい。
だが、君の飛び方、戦い方を見ていて考えが変わったよ。
不利な状況でも諦めることなく、柔軟な発想で勝利をつかむ。
サン・オリヴィエ島の戦いはしびれたよ。同じ軍人として」
バーナードは一度言葉を切り、ワインで口を濡らす。
「で、君のその強い心根と柔軟な頭脳なら、妻として家庭に入っても安泰だと思った。
家の台所をうまく廻してくれるだろう。
丈夫な子をたくさん産んで、強い子に育ててくれるだろう。
そう思ったんだ」
バーナードの熱弁と迫力に、エスメロードは圧倒されていた。
同時に、そこまで思われるのが嬉しくもあった。
だが、今までの戦果は前世の記憶があったればこそという感もある。
自分の能力と思考の結果だと胸を張ることが、エスメロードにはできなかった。
「気持ちはとても嬉しいわ。
でも、答えることはできない」
エスメロードはそれだけ言うのが精一杯だった。
「今はそれでいい。
いつか答えてくれれば」
バーナードは強引だった。
(それを嬉しいと思ってる自分が怖い…)
エスメロードは、自分がけっこうチョロい女ではないかと困惑していた。
(なんだか最近急にモテ始めたような?
どうなってるのかしら?)
そんな困惑を抱いたまま、デザートのサクランボのタルトを口にするのだった。




