鋼鉄の門
三両の陸軍バスを下に見送った後、ハワードはパッセル機を追い、入り組んだ谷の間に入った。後方のバスの中には、見込みのある生意気小僧。前方を飛ぶパッセルには、あの英雄が残した血。まるで時に呼ばれたようだ。この国に、ハワードの手元にどうしても必要な人間。かつての約束を果たすために。
黒い岩肌がゆるゆると迫り、仕方がなく里の手前で着陸した。パッセルはその小さい機体で村の中まで入っていったようだ。入る前にはもうだいぶふらついていたようだが、ハワードから見えなくなるまで、水平だけは保っていた。コックピットを出ると、頬を山風が撫でた。ぬるく、時折地表まで強く吹き付ける風だ、すぐにでも降りだすかもしれない。辺りを見渡しながら、人の出入りが絶えて久しい谷の道を歩く。
物見やぐらもあったが、人の気配はなかった。里の中に篭ってしまったのだろう。彼らの拒絶を示す、固く閉ざされた扉の前で、ハワードは立ち止まる。
「セントラ空軍の者だ。こちらに攻撃の意思はない。代表と話をさせてくれ」
彼らの返事は銃声だった。その余韻が、鋼鉄の門に頑なに響く。足元に埋まり煙を立てる銃弾を見ながら、ハワードはさらに声を張った。
「中に入れてもらわなくても構わない。そちらのパッセル機のパイロットに先程の非礼を詫びに来た」
鉄の壁にその声が反響する。中からは次第に人の気配が感じられるようになったが、依然として声はなく、扉も動かない。鼻の頭を大粒の雨が叩く。岩壁がまだらに染まる。ハワードが再び口を開こうとした時、それは鳴り響いた。
「帰れ!」
こだましたその声はどうも一つではないように思えた。再びの銃声に、僅かたじろいだ足元で、土が爆ぜる。音がするほど降りだした雨の向こうで、扉は叫んでいる。
「パイロットなんかいない! 軍にはもう何も持って行かせない! 帰れ!」
最後の言葉は輪唱するように、降る雨のようにハワードに降り注ぐ。それでも、ハワードは引き下がれなかった。引き下がるわけにはいかなかった。どうしても、伝えねばならないことがある。せめて“あれ”だけは。ハワードは声を上げた。
「どうか話を――話を聞いてくれ!」
「門を開けて!」
辺りは風雨の音を残して静まり返った。ハワードのものと重なった向こうからの声は、扉の中の声を静まり返らせ、また小さなどよめきを作ったようだった。しばらくして、鈍く錆の軋る音をさせながら扉は少しだけ開いた。
「……入って。濡れると、冷えるから」
そこには若い女が立っていた。左頬と砂色のスーツを捲り上げた左腕に手当ての痕が見える。歳は、二十歳前後だろうか。短く襟足で揃えられた髪に、黒がかった瞳は、その意志の強さを感じさせた。彼女は思ったよりも小柄で、どちらかというと華奢な印象だ。先程の飛行を疑うほどに。だが、間違いなくこの人間があのパイロットだ。『Eagle』の血縁。ハワードのその視線も彼女は構わずに辺りに声をかける。
「ほら、皆も! 大丈夫だから、中に入って! 風邪引いちゃう」
追い散らすように、彼女は大丈夫だと繰り返し、手を叩いた。まだ不安げな顔の里人たちもますます強くなる雨に渋々と戻り始めた。唖然として立ち尽くすハワードに、彼女は振り返る。
「入らないの? 侵略しに来たなら、また別だけど」
ハッとしてハワードは足を踏み出す。それを見て、彼女は付いてくるように手で合図すると、そのまま村の奥へと進んでいった。雨は谷の間を霞ませて、あたりを白っぽく染め上げる。空は黒く、辺りは暮れたように暗かった。彼女は振り返ることなくどんどんと進むので、里の中の様子はよくわからなかった。里の道は舗装もなく、ひどくぬかるんだが、傘のない二人はただ早足に歩くだけだった。雨が降り出してから風は弱まったが、言われたとおりしみ込むような冷たさを感じた。
「傷は」
凍えた唇を開いて、ハワードは尋ねる。彼女の腕の包帯が雨のせい以上に重たく見えたからだった。何がどうあれ、許可を出したのは自分だ。今回の進軍の責任も、先刻の会議でハワードに移ったばかりだ。報告には細部まで載せねばならない。それらもあるが、その傷は何よりもこれからに関わる。彼女は、ぴたりと足を止めた。
「…んー、当たると思わなかったから、びっくりはしたけど。ちょっと火傷しただけ。――他の人、里に入れないでいてくれてるんでしょ? 隊長さん。信用してるんだから、裏切らないでね」
あぁ、と頷いて、ハワードは小さく礼を言った。その間も彼女はちらとも振り返らなかった。そして、また足を進める。今、どんな表情をしているのだろう。ただ強いて見ようとも思わなかった。“信用”という言葉がより強い疑いの存在を示すことは知っている。それに、今の自分もどんな顔をしているのか、わからなかった。
霧の向こうにぼんやりと明かりが見えて、彼女はさらに歩みを速めた。その明かりが目的の場所なのだろう。至近距離ですらかすんで見える彼女の背を追って、ハワードも同じように足を急がせた。




