砂色の鷲(2)
陸軍の先達や訓練生たちが慌ただしく動いている。その間も二度、あのパッセル機が近づいてきて、天井の点線は三本になった。身をすくめながらハッチから顔を出したフリッツに、グランツが下から尋ねる。
「砂地は揺れるな。大丈夫か?」
フリッツはその鳶色の眼で、スコープを覗きながら笑う。
「砂の海も、水の海も、揺れんのは大して変わんねぇよ」
だろうな、と笑い返したグランツの後ろでは、訓練生数人とあのウェッジと呼ばれた先輩兵がジャックスの手当てをしているらしい。痛みに顔を歪めつつも、声のひとつも上げなかった。傷は急を要するものではないらしいが、手近の物では止血がやっとだろう。ふと下を見た拍子に、ジャックスと目が合った。気にするな、とその口が動いたのを見て、またフリッツは空に視点を戻す。相変わらず“鳥”の軌道は鋭い。神経を尖らせ、その心ごと照準を絞る。意識は風を捉える。その行く先を辿る。するどい風の音が耳を塞いだ。
その下で、ライナーは先輩兵と並んで作業を続けていた。作業といってもそれはもう殆どフリッツを見守ることだった。隣の先輩が何か呟いて、ライナーはフリッツから目を離した。
「あれだけ騒いでいたわりには、慌てないんだな。撃たれた野郎も、あのブルメアの小僧も」
ライナーはまたフリッツに視線を戻しながら、それに答える。
「まだみんな死にたくありませんから」
先輩兵は馬鹿にしたのか頷いたのか、鼻で短く返事をし、ちらりとだけこちらを向いた。ライナーは苦笑する。
「でも、案外真理なのかもしれませんよ。それに、今はみんなと協力できますから。パニックにならずに済みます。きっと、空じゃこうはいかないでしょう」
先輩兵はそうか、とだけ応えて、また正面を向いた。フリッツに撃つような気配が見えたからだろう。ライナーもまた、同じようにじっとそれを見つめていた。
こんなふうに車体から上半身を出しているのだ、あっという間に“鳥”に見つかった。銃を手にしていれば尚更。パッセルは旋回を続けている。風の通り道を探しているのだろう。こればかりは早いもの勝ちだ。
小石が頬を叩くが、もう何も気にならなかった。ここにあるのは、自分とあの“鳥”と、風だけだ。
(これだ)
パッセルが進むであろう一本の風。それはお互いが選びうる最良のものだろう。フリッツは銃を向ける。求められるは不可避の一撃。翼が空を切る音がキャタピラの音に交じる。感覚が告げるまま、フリッツは引き金を引いた。
パッセルの機銃が目の前に迫る――。
気が付くとバスの床に叩きつけられていた。撃った直後に下の連中が引きずり下ろしたのだろう。一瞬記憶が飛んだが、ハッチの向こうにパッセルが急上昇したのと、確かに撃ったその機銃を見たのをフラッシュのように思い出す。うるさい鼓動の向こうで、誰かが叫んでいる。
「おい、落ちるぞ!」
フリッツはすぐ小窓に飛び付いた。火だ。機銃から、細くだが黒煙が上がっている。
パッセルは風に揉まれて回転し、そのまま錐揉み降下を始める。
「上がってくれ!」
気付けばフリッツは叫んでいた。それを聞いた周りも同じようにその言葉を繰り返した。聞こえるはずはないが、何度も叫ぶ。
(後はあんたに賭けるしかないんだ)
フリッツは一瞬だけ、パイロットと目が合った気がして、ガラス窓に額を押し付ける。
“鳥”はまた急上昇する。そして、煙の上がる機銃を切り離して落とすと、三車両の周りをゆっくりと旋回する。どこか、悔しげに。パイロットの手元が輝いて、助手席の兵が叫ぶ。
「パッセルから信号灯! “これ以上、何も奪うな”。……どういうことだ?」
返事を待たず、パッセル機は谷の方へと進路を変えた。戻るぞ、と誰かが呟く。そして、その小さな呟きは次第に勝利の歓声へと変わっていった。渋い顔をしながらも、ホッと息をついたフリッツもその手荒い賞賛の中に巻き込まれて、窓から引き離された。その間に、あのパッセルを追って一機のストーク機が飛んでいった。無線が入る。
「よく見えたぞ『recruit1』。……後で譴責だな、会うのを楽しみにしている」
うげ、とフリッツは顔をしかめる。パッセル機が落ちかけたこと――ほんの僅か翼にかすめたこと――だろう。言い訳も考えたが、言わないほうが良さそうで、また、言うこともできなかった。
まだ訓練生たちから叩かれていて、無線を掴めそうになかったのだ。




