失った“英雄”
本部での会議を終えて基地の休憩室に戻ると、やはり煙草が吸いたくなった。
苛々とした面持ちでハワードは新聞をたたむ。一面の記事のみならず、新聞全体で開戦の秒読みをしている。また戦禍が来るのだ。まさか現役の間に二度も戦争に関わらねばならないとは思いもしなかった。歴史は繰り返すとはよく言ったものだが、あれだけの傷を負いながら、また繰り返そうとするのはやはり人間の為せる業なのか。先の戦争で得たものは、平和への訓戒だけしかなかったではないか。それすら、今こうして歴史の流れに呑まれてしまおうとしている。ハワードは溜め息をついて、手にしていた新聞をラックに戻した。
――今度こそ、この国は無くなる。
英雄は、もういないのだから。
セント・ルース空軍基地はその高まる機運に緊張が続いていた。例年ならこの時期は新たに配属される新人たちを迎えようと、和やかなムードに包まれているはずだった。それが今や、整備班はアンセルの整備に全員駆り出され、デスク班でさえ、フライセルの手配に追われて廊下を走り回っている。精鋭と呼ばれる一方で“陸に降りてきた雲”なんてあだ名を頂戴している『鳥』の男たちも、今ばかりは機体の上で昼寝なんて真似はできまい。第一、精鋭と呼ばれようと、安穏の続いた国家の軍だ。アットホームと言えば聞こえはいいが、パイロット、整備班、医療班、デスク班、全部合わせても顔を覚えておくのに苦労がない。何かあればてんやわんやの大騒ぎだ。そして、何よりの痛手はパイロットの中で先の戦争を経験した者がハワードを含め、数えるほどしかいないことだった。先の戦争がこの軍からエースも英雄も、何もかも奪っていったのだ。
「あんた達がいてくれたら良かったんだがな」
ハワードは足で寄せた吸い殻入れに、吸いさしを放り込み、ポツリと呟いた。休憩室の壁に掛かる古い写真は12年前の英雄の隊を写している。その中でひときわ明るく笑う一番端の男が部隊長『Eagle』だった。そして。写真の中央に目をやって、ハワードは苦笑する。真ん中で他の隊員にヘッドロックまがいの行為を受けているのが、入隊したてのハワードだった。ここに映る人たちは自分以外、皆、空に還ってしまった。こんな時だからだろう、この写真はひどく懐かしい。こうしていれば誰か一人でもひょっこり帰ってきそうな気がするのは、現実逃避の賜物なのか。ただ、苦笑するしかなかった。
「ケストレル大佐!」
滅多に呼ばれないそのファミリーネームを呼ばれ、ハワードは渋い顔で振り返った。
「……どうした」
「あ、すみません。でも、緊急で。通信室の方に来ていただけますか、大佐。谷の里に向かった陸軍の方からウチに連絡がありまして」
戦争への緊張とはまた別の緊張を滲ませて、その兵は答えた。ハワードが名を呼ばれるのを嫌がることはここで知られた話だが、それに慣れない兵は多い。わかった、と頷くと、ハワードはその兵に話の続きを促しながら休憩室を出た。谷の里、という言葉にハワードの中で先ほどの懐かしさに似た何かが、目を覚ましつつあった。
「砂漠越えの隊だな。ウチに来る予定の奴らが乗ってたか」
「はい。ただ、その件ではないらしくて」
尋ねる前に通信室に着いた。扉を開けると、慌ただしく行きかう通信士の中に妙なざわめきがあるのに気づく。映像も届いているらしい。交信を続ける者の隣の兵が、ハワードに近寄り、敬礼する。
「バスの前方、谷の方から国籍不明の航空機だそうで、応援要請です。……あの砂漠の上を、かなり旧式のパッセル機が」
これです、と中央のモニターに映像が移される。小さな点のようなそれは、段々にその姿を現していく。ハワードは目を見開いた。あの暴風の中を、風に殆どを任せねばならない機体で。通常なら考えられない。
「……まさかな」
いや、きっと。間違いない。
通信室がサッと静かになり、ハワードに視線が注がれる。通信士といえど、空軍の人間。この映像がどんな可能性を示唆しているかは、皆わかっている。深く息をつき、ハワードは命令する。
「要請を受諾、すぐに向かうと伝えてくれ。砂漠へは……俺が出る」
通信士が頷くと、場はまた騒がしく動き始めた。何者なのかと尋ねられたが、ハワードも、さぁな、と首を傾げるしかなかった。
「整備班に連絡してくれ。グルースを1機用意、『Hawk』が出る、と」
了解、の声を聞き、後を頼む、とハワードは踵を返し、通信室からロッカーへと向かった。あの懐かしさは、微かな希望を含んでいる。息苦しい制服から着慣れたパイロットスーツに着替え終わる時には、詰まるようだった呼吸が楽になった気がした。
「英雄還る、か」
ハワードは呟く。戦争から英雄が生まれるのか、英雄が英雄たるために戦争が起こるのかまでは、わからない。だが、あれはまさしく、この戦争が呼んだモノだ。そして、現れたならば、それが福音であるよう願う。そう、『Eagle』でないことがわかっていてもだ。それでも希望は空虚なものではない。あの“鳥”はハワードにとっても、この国にとっても、必ずや希望となりうるだろう。
「この国は、まだ終わっちゃいない。そうだろう? ダンさん」
ファスナーをきっちりと上げ、ハンガーへ向かう。空を見上げ、とどまらぬ風が良いものであればと思う。
注)
※グルース……アンセルより大型の2~3人乗りの飛行機。一人で操縦可。
※ハンガー(hangar)……格納庫。




