里の娘
「ユウ姉ちゃん!」
見張り係の子供たちが物見台の方から、転がるように駆けてきた。年長の子供はその顔に焦りを滲ませ、最も年少の子供は不安に泣いていた。里の外の物見台から一番奥、洗濯場の若い女性の下に、集まって口々に報告する。
「でっかい芋虫だ。黒くて、いくつも」
抱きついてきた小さい子をあやしながら、その女性は憂いを含んだ顔でそれらを聞き、頷いた。そして、その表情を引き締める。
「いくつも? そうしたら、鳥さん起こしてこなきゃね。――ダイはまた上に行って、虫の数と方向見て。アトリはジジ様たちにこのことを伝えて、そっちの手伝い。ハルは私と一緒に。真ん中の子たちは、小さい子たちを連れて、おうちに帰ること。できるね? はい、始め!」
女性――ユウが二つ手を叩くと、子供たちは四方八方に散っていった。その中で、出遅れた一人の女の子が心配そうにユウの袖を引く。
「どうしたの、シュリ」
その女の子は、怒られるとでも思っているかのように、小さな声で告げた。
「シュリのお仕事、もうなくなっちゃった…」
連れて行くはずだった小さな子が今日はいなかったのだろう、あぶれてしまったのだ。ユウは微笑み、その頭を撫でる。
「そしたら、ハルと一緒に、ユウ姉ちゃんと鳥さんのところへ行こうか。お手伝いしてくれたら、鳥さんも喜んで、上手に飛んでくれるよ」
小さな顔が、パッと明るくなって、大きくひとつ頷いた。
ユウが少女二人を連れて、里の中央を通る坂の上の小屋に着くころには、里中が慌しい空気に包まれていた。小屋の大戸を開け放つと、大きな塊に被された幌が風にはためいた。
この里が半閉鎖的な自治をとり始めて早十年、それ以前に生まれ合わせなかった幼い子供たちにまで、親伝いにこの恐怖は染みとおっている。連れてきた子供のどちらも、ユウが着古されたパイロットスーツに着替え始めるまで、傍を離れようとはしなかった。侵入者とは、軍とは、戦とは、恐ろしいものなのだ。
セントラの北東を自然国境としてそびえるカルタナ山脈の、その切り立った西端の峰に挟まれ、囲まれ、そういった地理的な要因からこの里は昔から、要衝となすべし、と軍の手を受けていた。それでも、人や物の行き来もあった里がこのようになってしまったのも、前の大戦――里の大勢を奪い、破壊していったあの大戦があったからだ。このパッセル機の前の乗り手ももういない。“外”は全てを奪う。だからこそ、この里を閉ざし、こうして護ってきた。
ユウは大きく、その小型機の幌を払った。それは、風を捉えて飛ぶ、この里に残った唯一の“鳥”。
「ユウ姉ちゃん! はい、一番キレーなの!」
ありがとう、と微笑むと、ユウはその物体を手に取った。両の手に乗るほどの、半透明な粘土のようなそれはフライセルと呼ばれる、この鳥を空へと放す力の素だ。鳥の背中にあたる部分を開き、円筒型のそれを押し込む。そして、翼から尾、頭に至るまで逐一チェックしながら、最後に横腹に不恰好に取り付けられた機関銃を軽く叩いた。これがなければもっと綺麗に飛べるのに。パッセルは離着陸以外おおよそ全てを風に頼る。乗り手でさえ、抵抗になるくらいだ。これがなければな、と繰り返し呟いたが、怖い顔をしていたらしい。シュリが怯えた顔をしていて、ユウはあわてて笑んだ。
「ユウちゃん、 飛ぶのかい? 今日は荒れてるよ」
坂の下のほうから、ハルの母が訪ねた。大丈夫と叫んで返して、崖に立つ旗を見た。褪せた赤い旗は、バタバタと暴れている。確かに強いが、手に負えないほどこの里の風は強くなったりしない。坂の周りが騒がしくなっているから、里人たちは自分の家の備えを終えて、滑走路代わりのこの坂の整備をしてくれているのだろう。それならば、里長であるジジ様の耳にも伝えがいったはずだ。なら、そろそろ飛ぼうか、芋虫の奴らが来ないうちに。この里のパイロットはユウただ一人。英雄と呼ばれた者からその血を分かたれた、また唯一の人間だった。ゴーグルをしっかりとはめ、坂の下に声を張る。
「みんな! 飛ぶよ!」
押し出す手伝いの少女二人に合図をすると、ユウはスイッチをはねた。発動機は小さく唸り、メーターには光が点る。この機体には椅子はなく、鳥の腹に抱えられるように一対の翼の下の支えに掴まり、風を頼りに操るのだ。小屋の大戸が外の風にガタガタと鳴る。旗がひときわ暴れてみせる。ここの風の性格ならよく知っている。いつも傍にいた、友にも等しい存在だ。
せぇの、と声を上げ、少女らは機体を押す。そして、ユウは強く地を蹴り、下り坂を勢いよく駆け出す。徐々に、鳥は空へと引っ張られる。ユウはそれを地に引き止める。まだまだ。坂の真ん中に引かれたラインを越える。一際強い風が吹く。“鳥”は飛びたがって、その震えが腕に直に伝わってくる。もう少し。よく視て。今。
鳥は急速に地を離れた。里を囲う崖に沿って一周すると、さらに高みを目指して飛翔する。風の手を捉えて、鳥は空へ還る。里人の声援が聞こえてきた。ここまでは、上手くいった。ユウはほっと息をついて、遥か下になった物見台を見やると、パッパッとリズムを持って光が瞬いた。信号だ。南西、30キロ、3つ。ユウも手元のライトで“了解”と返した。それにさらに応えて、短くチカチカと物見台の光が点滅する。ユウは微笑む。“Good Luck”だ。示された先は、荒地の方。
ユウは南西へと進路をとった。
注)
※フライセル……自然産出する反重力物質を精製して、航空機に使用できるようにした物質。円柱形に固められている。




