整備長と練習機
ハンガーの奥に行くとオイルの臭いが強く鼻をついた。あたりには整備兵達が忙しく動き、収納した機体の整備に追われている。ボーっとしていると邪魔になってしまう。ぐるりと見回して彼女を探すと、その姿はさらに奥にあった。一番年配であろう整備兵と何か話している。その整備兵の方が先にこちらに気付いて、顔をほころばせた。
「おぉ、来たな。噂をすればだ」
いかにも熟練、という様相の五十絡みの男で、がっしりとした体つきに気風の良さがにじみ出ていて、信頼されている、というのが見て取れた。男は右足を引きずりながらこちらへ歩み寄ると、汗とオイルのしみこんだ手袋を外して、手を差し出した。
「サムだ。お前さんがブルメアのボウズだな」
差し出された手をしっかりと握り、フリッツも応じて挨拶した。そこへ彼女もやってきて紹介を加える。
「整備長さんなんだって。君が乗ったあのアンセルの整備も」
聞けば前の戦争の前からずっとこの基地で整備をしてきたのだという。
「しっかし、あの機体にゃあ手を焼いただろう。よく何度も乗る気になったもんだ」
そういってサムは笑ったが、フリッツは苦笑いしか返せなかった。あの機体に乗り続けたのは理由がある。隊長殿、の嫌がらせでもない。黙っていたら、横にいる彼女が悪戯っぽく笑って言う。
「違うの、サムさん。機体の振り分けは、ハンガーに来た順。特に、寝坊したりすれば、ね?」
渋い顔でそっぽを向くと、彼女と整備長は声をあげて笑った。ハンガーの中にその声が響き、他の整備員たちが何ごとかとこちらを見ている。ここまで声が通れば、指示も間違いなく通るだろうだろうな、とため息をついて、思う。
「アレ、何か曰く付きなのか?」
よそを向いたついでに、あのアンセルを見やってフリッツは尋ねる。見た目は他の機とさして変わった様子はなく、今は練習用に8のナンバリングがしてある他には見分ける術は無い。
「ありゃあ、ここじゃ『Eagleの練習機』って呼ばれててな。元々は実戦機だったんだ。が、どういうわけか操縦困難だってんで、下げられる予定だったのを、ダンが言いだしてここに持って来たんだ。あれは乗り手を選ぶ」
「まさか、あの『Eagle』しか乗れなかったってんじゃあ」
フリッツがそう言うと、サムは思いの外、大笑した。
「違う、逆だ逆だ。『Eagle』が乗れなかったんで、『練習機』なのさ。整備のレベルで調整はしっかりやってあるんだがな、どうもこいつだけは生きてるみたいに気難しいんだ」
「じゃあ、誰も乗れていないの?」
彼女がそう訊ねると、サムは再び首を振る。
「いいや、乗れたよ。ダン以外のその時の隊員は全員……いや、違ったか。もう一人乗れなかったな。まぁ、とにかく、あの里から出てきた奴らは何故か皆乗れたんだ」
里の、と繰り返して呟くと、彼女は機体をじっと見つめて、何ごとか考え始めたようだった。
「なぁ、あの野郎……じゃねぇや、“我らが隊長殿”は乗れたのか? いたんだろ?」
「おお、そのもう一人ってのが、お前さん達の隊長だよ。まだまるきりの新人だったが」
後半部分を聞かなかったことにして、フリッツは悪態をついた。そして、妙に納得もした。もう一つ何か言ってやろうとしてフリッツが口を開きかけると、彼女が先に言葉を発した。
「午後の訓練、私、あのアンセルで飛べないかな」
そりゃちょっと、と止めかけたフリッツの声を遮り、サムは笑ってそれを勧めた。
「きっと乗れるさ。あいつもきっとこの時を待ってたのさ」
大丈夫かよ、と小声で呟くと、彼女はただ微笑んで見せた。
「おやじさん」
若い整備員の声がして、三人は一様に声のした方に振り返る。その整備員は彼女よりも若いようだった。義務教育を終えてすぐに来たのかもしれない。
「大佐が呼んでらっしゃって……あれ?」
彼が言い終わらないうちにその姿が見えて、フリッツはあからさまに嫌な顔をして見せた。
「まだここにいたのか、二人とも。まだ食べてないんだろう? 午後の開始時刻を少し遅らせた、食って来い」
彼女は頷いたが、フリッツは黙っていた。ハワードは小さく笑う。
「空腹を言い訳にされちゃあ、かなわんからな。……午後は模擬戦闘を行う」
願ってもない機会だ。了解、と答えて、フリッツは先に歩き出している彼女を追いかけて、小走りに駆けだす。挑戦的に笑んで見せたのに、向こうもにやりと笑みを浮かべていた。握りしめた拳に力が入る。――見てろよ。
「なんか楽しそうだね」
隣に並ぶと、彼女はそう言った。そののんびりとした態度に、こっちが心配になってくる。
「アンタ……えっと」
「ユウ。午後も頑張ろうね、フリッツ君」
彼女があまりにも愛嬌よく笑うものだから、言いかけた心配も喉の奥に引っ込んでいってしまった。
「あ、あぁ。お互いに。えぇと、あー、ちゃんと食うんだぞ?」
もちろん、と彼女は答えて、違う棟の兵舎へとさっさと歩いていった。その場には、なんだか気が抜けて立ちつくす、自分だけが残る。
「フリッツ“君”ね……」
なんだか慣れないから、後で言っておかないと。ようやく、忘れてたかのように腹の虫が鳴き始めた。




