訓練飛行(2)
「どうなってんだよ、こいつ!」
何度乗っても未だに言うことを聞く気配のない機体にフリッツは悪戦苦闘していた。紙飛行機にでも乗ったかのように、風に翻弄されて姿勢を維持するのがやっとの状態だった。上昇もいつもならいとも容易くやってみせるのに、今はそれどころの騒ぎでない。この機体のせいだ。そう思った拍子に、あの無線の声を思い出して、フリッツは尚更イライラとした。
(何が“間違いない”だっつぅの!)
この不調は、こちらの腕だと言わんばかりの。まさか国籍が変わったからといって、航行技術が落ちるわけではないだろう。実力主義のあの部隊で、まがりなりにもエースだった。学校上がりの他の奴とも違うし、砂漠から来た奴とも違ってアンセルには幾度となく乗ってきた。
「異常があれば報告しろ、どうした」
「問題ありませんよ、隊長殿。すぐ上がる」
苛立ちを込めてそう応答すると、フリッツは操縦桿を握り直した。
そうだ、あの砂漠の奴。おそらく来るであろう戦火に向けて、全員に訓練が続く中で、あのパイロットにはさらに訓練が課されている。一度対峙しているとはいえ、パッセルとアンセルは違う。こうしてただ飛ばされている分には、他の奴とそう変わらない。それどころか、今の無線によれば、自分と同じようにまだ上昇できずにいるらしい。ならば、何故あの男はあぁも気にかけているのだろう。戦争末期ならまだしも、始まる前に民間徴用するのは異例だ。あの華奢な腕に、引き金を引けるとは到底思えない。
とりあえず、今はすぐにでも上昇しなければ。ふら付いた機体を建て直して、上昇に持ち込む。だが、ふいにどこかに持っていかれるような感覚を覚えて、機体はまた不安定に揺れた。砂漠からの風だ。海風よりは確かに荒く、イレギュラーにその向きを変える。だが、何よりこの機体が妙だ。乗れる程度には動く、だが、意志疎通のとれない相手のように、こちらの思うようには動かない。フリッツは舌打ちする。上の方から上官機がこちらに向かってきているのが見えたからだった。『出来の悪い奴』を助けてやりに来たのだろう。お荷物になるのは、何より自分が許せない。よしんば隊の誰かの手を借りようとも、あの男の手だけは借りたくない。
「大丈夫?」
近距離無線が入って、ふっと右手に影が差す。視線の中を数字の七が通り過ぎて、横に並ぶ。
「大丈夫、じゃねぇな。……アンタはどうなんだ、上がれないのか? 左のペダル踏んで、操縦桿引けば、上昇できるんだぞ」
「それくらいは知ってるよ」
「……そーかい」
まるで慌てた様子もなく笑う声に、フリッツは不機嫌に応えた。その笑いに冷やかしの色はないが、今は何を見ても苛々する。それを察したのか、気に入らなかったらいいんだけど、と前置きして7番は言った。
「上がるのにちょうどいい風があるの。よければ、ついてきて」
7番の機体が、あのパッセルのような鋭い機動で前に出る。
「あと、もっと力抜いて」
「出力落とせってか」
「うん、たぶん」
その応えにフリッツは失笑する。だが、『隊長殿』の手を借りるよりは、ずっとマシだ。上昇するために上げていた出力を下げ、その後に続く。普通なら重くなるはずなのに、妙に機体が軽くなる。先ほどまでのが嘘のように滑らかに、彼女のあとについていく。7番が上昇すると、フリッツもそれに合わせて操縦桿を引いた。そして、自分の感覚を疑った。オイルの推進でもフライセルの浮力でもない。この機体を押し上げているのは、邪魔になっていたはずの風の力だった。急激な動きにもかかわらず、思ったより抵抗が少ない。あっという間に他の機体と同じ高度まで上がっていく。
「どうしたんだ、フリッツ。7番と何かあったのか?」
隣に1番――ライナーが機体を寄せた。下を見ると、入れ違いになった隊長機が戻ってきていたが、それを見たところでちっとも愉快な気持ちにはなれなかった。あの7番はまた少し離れた所をのんびりと飛んでいる。フリッツはライナーに返事をする代わりにおもむろに問う。
「なぁ、ライナー。お前、風って見えるか?」
「風? まぁ、下の方なら砂が舞ってて少しは見えるけど、どうしたんだ?」
「だよな。……いや、いいんだ、こっちの話だ」
フリッツは黙りこみ、また7番を見やった。この訓練区域に特別慣れているというわけでもなさそうだ。
「あいつには、見えてんのかな」
「なんだって?」
ライナーの声に、いいや、と笑い含みに返すと、見えないがライナーが首を傾げているのがわかった。そう呟いては見たものの、自分でもおかしいと思う。降りたら、礼のついでにでも聞けばいいか。
「全員上がったな。基地に戻るぞ。地面に足をつけるまで気を抜くなよ」
隊長機の通信に気だるげな返事をして、基地に向けて西に進路を取る。
「変な奴だな」
死角に入っている7番の機体に、フリッツはひとり呟いた。




