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第十七話 まだ足りない

六月。


佳乃の机の横に貼られたカレンダーは、二か月前よりずっと窮屈になっていた。


国家試験対策、実技練習、模擬実技。その隙間に、家で練習する日まで細い字で書き足されている。


何も書かれていない日は、もうほとんどなかった。


「今日も学校?」


朝、冷蔵庫を開けながら優が聞いた。


「うん」


佳乃はテーブルでパンを食べながら、スマートフォンの予定を確認している。


「何する日?」


「模擬」


「模擬?」


「試験みたいに時間測ってやるやつ」


「ああ」


優が牛乳を取り出す。


「もうそんな時期なんだ」


「もう、じゃないよ」


「何が」


「あとそんなにないんだから」


冷蔵庫の扉を閉めた優が、佳乃を見る。


「夏だっけ?」


「うん」


「まだ六月じゃん」


佳乃の眉が寄った。


「六月だから焦ってんの」


「へえ」


「何その反応」


「いや」


優はグラスへ牛乳を注ぎながら、少し笑った。


「お姉ちゃん、二月からずっと焦ってない?」


佳乃が口を止める。


「……あの頃とは違う」


「何が?」


「あの頃は、まず終わるか分かんなかったし」


今は違う。


残っていた課程はほとんど終わった。最初の頃のように、一日外へ出ただけで何日も引きずることも減った。


実技でも手が動く。分からないことがあれば、講師を呼べる。


前より、できる。


だからこそだった。


「今は、試験が近いから」


佳乃が言うと、優は牛乳を一口飲んでから、壁のカレンダーへ目をやった。


「じゃあ受かれば終わり?」


佳乃の手が少し止まる。


「……終わりではないけど」


「試験は終わるじゃん」


「そうだけど」


「じゃ、頑張って」


「軽」


「頑張るのお姉ちゃんだし」


「応援する気ある?」


「あるよ」


そう言いながら、優は佳乃の向かいへ座った。


自分の朝食はもう食べ終わっているのに、立とうとはしない。


佳乃がまたスマートフォンへ目を落とす。


優はその横顔を少し眺めてから、テーブルの上へ腕を伸ばした。


佳乃のパンの端をちぎり、そのまま口へ放り込む。


「ちょっと!」


すぐに佳乃が顔を上げる。


優は唇の端だけをきゅっと持ち上げた。悪戯が成功した子どもみたいな、見つかったことまで楽しんでいる顔だった。


「頑張れ」


「返して」


「もう食べた」


「最悪」


「あと一口」


「やだよ」


佳乃が皿を胸元へ引き寄せると、優は声を立てて笑った。


最近の佳乃は、よく机にいる。


学校から帰れば実技の練習をして、それが終われば教材を開く。気づけば夜まで何かを調べていることも珍しくない。


邪魔したいわけではなかった。


夢中になっている佳乃を見るのは、むしろ好きだった。


それでも以前なら、もっとくだらない話をしていた気がする。ベッドに転がって、犬の動画を見せて、気づけば一時間くらい何もしていなかった。


最近は、それが少ない。


だから今みたいに佳乃がすぐ自分を見て、怒ってくれると、少し嬉しい。


優はそんなところまで考えないまま、もう一度皿へ指を伸ばした。


「やめてって」


今度は手の甲をぺし、と叩かれる。


「痛」


「自業自得」


佳乃は笑いながら残ったパンを食べる。


優も笑った。


ただ、佳乃が席を立つと、その目は一度だけカレンダーへ戻った。


黒い文字で埋まった六月。


「お姉ちゃん」


玄関へ向かう背中へ声をかける。


「何?」


「今日、帰ったら一緒寝る?」


佳乃が振り返る。


「何で」


「模擬疲れるんでしょ」


「別に大丈夫」


返事はすぐだった。


優は少しだけ口を尖らせたが、


「ふーん」


としか言わなかった。


佳乃はバッグを肩へかける。


道具、ノート、教材。


以前のように何度も中身を確認することは、もうほとんどない。一度見れば、それで済む。


「行ってきます」


「いってらっしゃい」


ドアが閉まる。


一人になったキッチンで、優はもう一度カレンダーを見た。


それから何も言わず、佳乃の空いた皿を持って流しへ運んだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


実習室には、いつものウィッグが並んでいた。


「今日は本番と同じつもりでやってください」


講師の声を聞きながら、佳乃は時計と道具の位置を確認する。


一度、ゆっくり息を吸った。


「始めてください」


一斉に手が動く。


佳乃もすぐにコームを取った。


髪を分け、毛束を取る。角度を決めて、指を動かす。


以前は一つ終わるたびに、頭の中から次の手順を引っ張り出していた。


今は、手が動いている間にもう次を見ることができる。


コームを入れる。毛束を取る。揃えて、巻く。


そのまま次へ進む。


周囲ではロッドが机に触れ、講師の靴が床を鳴らしている。誰かが焦ったように小さく息を吐いた。


全部聞こえている。


それでも、佳乃の手は止まらない。


途中、一か所だけ視線が引っかかった。


端の一本が、ほんの少し斜めになっている。


佳乃の指がそちらへ伸びかけた。


時計を見る。


今、直すか。


数秒迷って、その手を次の毛束へ移した。


最後まで終わらせる方が先。


前なら、気になった時点でほどいていた。


今は順番を選べる。


終盤になり、手の動きがわずかに速くなる。


最後の一本を巻いて時計を見ると、まだ余裕があった。


佳乃はすぐに最初の場所へ戻る。


ほどく。


もう一度巻く。


正面から全体を見る。


「終了です」


佳乃は手を離した。


ゆっくり息を吐く。


肩には少し疲れが残っている。それでも以前のように、終わった途端に身体の中まで空になる感じはなかった。


講師が順番に見て回る。


佳乃の前で止まり、右から左へ視線を動かした。少し離れて、全体の形も確認する。


「うん」


佳乃はすぐに講師の顔を見る。


「どうですか」


「いいよ」


「……どこがですか」


講師が佳乃を見る。


「どこがって?」


「直すところ」


「ないとは言わないけど」


もう一度ウィッグを見る。


「試験なら、十分」


佳乃の眉がかすかに動いた。


「十分?」


「うん。時間も余ってるし、仕上がりも安定してる」


「でもここ」


佳乃はすぐ端を指した。


「少し幅違いません?」


講師が身を屈める。


「ああ」


「ここも、ちょっと浮いてる気がして」


「橘さん」


「はい」


講師が身体を起こした。


「これで落ちると思う?」


佳乃は答える代わりに、ウィッグを見た。


綺麗に巻けている。


時間にも余裕があった。


自分でも、分かっている。


それでも。


「……分かんないです」


「私は思わない」


佳乃が顔を上げる。


「今の状態なら、普通にやれば大丈夫だよ」


声は軽かった。


励ますために大袈裟なことを言っているわけでもない。ただ、講師として見たものをそのまま伝えている。


佳乃にも、それは分かった。


多分。


本当にそうなのだと思う。


「ありがとうございます」


頭を下げた。


嬉しかった。


ちゃんと、嬉しい。


二月。


最初の実習では、一本目でロッドを落とした。


指が震えて、周りばかり速く見えた。


できない。


また駄目だ。


そう思った。


今は時間を残して、最後に直す場所まで自分で選べる。


ここまで来た。


佳乃はもう一度ウィッグを見る。


右端。


ほんの少しだけ、揃っていない。


講師が次の席へ移ると、佳乃はノートを開いた。


今日の時間を書く。


その下へ、


『右端 幅』


『最後急いだとき少し雑』


と続ける。


ペン先を少し浮かせたあと、


『あと三分縮められる?』


と書き足した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


昼休み。


佳乃がパンの袋を開けたところで、隣から声がした。


「橘さん、今日早かったね」


以前から何度か一緒になっている女の子だった。


「あ、うん」


「何分だった?」


佳乃が答える。


「え、早」


女の子は素直に驚いたあと、すぐスマートフォンへ視線を戻した。


「いいなあ。私、今日また時間足りなかった」


「でも前より速くなってなかった?」


「ちょっとだけね」


パンを一口食べる。


会話が途切れた。


周囲でも、昼食を食べながら似たような話がいくつも聞こえてくる。


少しして、女の子が思い出したように顔を上げた。


「あ、先生なんて?」


「試験なら大丈夫って」


「よかったじゃん」


「うん」


佳乃が頷く。


「いいなー」


それだけ言って、女の子はまた画面をスクロールした。


少しして。


「午後も残る?」


「残る」


「元気だね」


「試験近いし」


「あー、分かる。私、家帰ったらもう何もしたくなくなる」


「私は家でもやる」


「え」


女の子が今度は少し長く佳乃を見る。


「今日も?」


「多分」


「すご」


でも、それ以上は聞かなかった。


すぐにスマートフォンへ戻る。


佳乃もパンを食べる。


会話はそこで終わった。


誰かから深く理由を聞かれることもないし、佳乃も説明するつもりはなかった。


先生には大丈夫と言われた。


隣の子にも早いと言われた。


ちゃんと嬉しい。


それなのに、パンを噛みながら頭に浮かんでいるのは午前中の一本だった。


右端。


最後。


あと三分。


佳乃は食べ終えると、自然にノートへ手を伸ばした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


家に帰ったのは夕方だった。


玄関に優の靴はない。


今日は撮影だと言っていた。


佳乃は部屋へ入り、バッグを机の横へ置いた。


少しだけ休むつもりでベッドへ腰を下ろす。


五時四十分。


スマートフォンを枕元へ置き、そのまま横になった。


肩が重い。


身体も、ちゃんと疲れている。


目を閉じる。


右端。


最後。


速度。


あと三分。


午前中の手元が、そのまま頭の中で動き始める。


数分もしないうちに、佳乃は目を開けた。


天井を見たまま少し迷って、


「……ちょっとだけ」


と呟いた。


身体を起こす。


ノートを開き、今日書いた記録を見る。


『あと三分縮められる?』


その横へ、


『無理に速くすると雑』


と書き足した。


なら、どこを縮める。


道具を取る時間。


毛束を分けるまで。


巻き始めるまで。


書きながら考えているうちに、いつの間にかウィッグまで机の上へ出していた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ただいまー」


部屋の外から声がした。


佳乃が顔を上げる。


時計は八時十二分。


「おかえり」


優が部屋を覗き、最初に佳乃を見る。


次に、机。


そこで眉尻が少しだけ下がった。


「まだやってんの?」


「まだって何」


「朝から学校だったでしょ」


「途中休んだよ」


「どこで」


「電車」


「それ休憩に入る?」


優が部屋へ入ってくる。


今日は撮影帰りらしい。


髪にはセットの癖が少し残っている。メイクはほとんど落としているのに、目元だけはいつもよりわずかにはっきり見えた。


「今日どうだった?」


佳乃が聞く。


「普通」


「何撮ったの?」


「服」


「それは分かる」


「夏のやつ」


優は鞄をベッドへ置いた。


そのまま座らず、佳乃の机の横へ来る。


ウィッグ。


教材。


今日使ったノート。


その隣に、スマートフォン。


画面には撮影照明についての記事が開いていた。


「これ何?」


優が画面を指差す。


「あ」


佳乃もそちらを見る。


「ちょっと調べてた」


「何を?」


「ライト」


「試験?」


「違う」


優の眉が少し上がる。


「違うの?」


「うん」


「試験近いんじゃなかった?」


「近いよ」


「じゃ何でライト?」


佳乃は少し考えてから、逆に聞いた。


「今日、何使った?」


「何が」


「撮影」


「ライト?」


「うん」


優は少し上を向いた。


「知らない」


「何個あった?」


「知らない」


「どこから当ててた?」


「知らないって」


「写真ない?」


「あるかも」


優がスマートフォンを取り出す。


撮影の合間に撮ったらしい写真を見つけ、佳乃へ渡した。


佳乃はすぐ画面を拡大する。


背景。


壁。


端に少しだけ写り込んだ機材。


「あ、これ」


「何」


「多分こっちからも当ててる」


「へえ」


優の返事は薄い。


佳乃は気にせず写真を見続けた。


画面の中の優。


その周りの光。


髪の輪郭。


服。


背景。


「これ、後ろからも入ってるのかな……」


「お姉ちゃん」


「何?」


「それ国試出る?」


「出ない」


即答だった。


優が黙る。


今度は画面ではなく、机の上全体を見た。


今日の実技のノート。


ウィッグ。


試験用の教材。


その横に開かれた、照明の記事。


「じゃ何で今やってんの」


佳乃は写真から顔を上げる。


「……気になるから」


「また?」


「何」


「気になるからで全部やるじゃん」


声は軽い。


ただ、口元にはさっきまでの笑みがなかった。


「だって分かんないし」


「試験の方は?」


「今日模擬やった」


「どうだった?」


「普通」


「受かりそう?」


佳乃の返事が一拍遅れる。


「先生は大丈夫って」


「じゃ大丈夫じゃん」


「でも本番は分かんないでしょ」


「先生よりお姉ちゃんの方が分かるの?」


「そういう意味じゃない」


優の口元が少しだけ緩む。


からかわれたと気づいて、佳乃はむっとしながら写真へ戻った。


「それに」


言いかけて、止まる。


「何?」


佳乃は画面を見たまま答えた。


「現場出たら、こういうのも分かった方がいいでしょ」


「ライトも?」


「全部分かる必要はないけど。どう当たったらどう見えるとか、知ってた方がメイクも考えやすいし」


話し始めると、言葉が続いた。


「色も変わるし、影も違うし。髪だって光で輪郭変わるし。メイクだけ見てても、多分足りないから」


「へえ」


「前のコスメ撮影もそうだったし」


佳乃は、画面の中の優を見る。


その瞬間。


まだ存在しない光景が頭に浮かんだ。


スタジオ。


鏡。


いくつものライト。


その前の椅子に座っている優。


自分は後ろに立って、ブラシを持っている。


周囲のスタッフと話しながら光を見て、それから優の顔を見る。


ほんの一瞬だった。


輪郭ができるより先に消えていく。


佳乃はまた写真を見る。


「……だったら、今から分かることは分かっといた方がいいし」


「何がだったら?」


佳乃が瞬きをした。


「え?」


「今、だったらって言った」


「言った?」


「言った」


佳乃は少し考えた。


「働くなら」


そう答える。


「いつかね」


優は佳乃の横顔を見た。


さっきまで少し下がっていた眉が、ゆっくり元へ戻っていく。


「じゃ頑張って」


「何その言い方」


「さっきより応援してる」


「朝もしてよ」


「してるよ」


今度は返事が早かった。


佳乃が顔を向ける。


「ほんと?」


「ほんと」


「軽かったけど」


「お姉ちゃんが重いんじゃない?」


「うるさい」


優が笑う。


そのまま佳乃のベッドへ倒れ込んだ。


「ご飯まだ?」


「まだ」


「食べよ」


佳乃は時計を見る。


八時半。


照明の記事は、まだ途中だった。


「あとちょっと」


優が枕に頬をつけたまま、顔だけこちらへ向ける。


「出た」


「ほんとにちょっと」


「何分」


「二十分」


「じゃ二十分ね」


「うん」


優はスマートフォンを取り出した。


画面を眺めながら、ときどき視線だけを上げる。


佳乃の背中。


動き続ける指。


机の上の道具。


何度か見て、それでも何も言わなかった。


佳乃は一度も振り返らなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


二十分後。


「お姉ちゃん」


「ん」


「二十分」


「あと五分」


「増えた」


佳乃が振り返る。


「減ってるでしょ」


「何が」


「前は十分だった」


優は少し考えてから、真顔で頷いた。


「成長?」


「でしょ」


「違う気がする」


佳乃が笑う。


優もつられて笑った。


結局、二人が部屋を出たのは、それから七分後だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


六月に入ってから、一週間が過ぎるのが早かった。


国家試験対策へ行き、練習して、模擬実技を受ける。


家へ帰れば、また練習する。


一度やったことは、前より速くできる。


一度直されたところは、次にはほとんど直っている。


講師から注意される回数も減った。


その代わり、自分で見つけるものが増えた。


以前なら言われるまで分からなかった僅かな違いが、今は先に目へ入る。


今日はここ。


昨日はこっち。


できることが増えるほど、気になるところも増えていった。


佳乃のノートは、また厚くなった。


国試。


実技。


筆記。


そこへ、


『肌 光沢』


『顔周り レンズ?』


『暖色照明』


『衣装色とのバランス』


と、試験には直接出ないものまで混ざっていく。


ある夜。


優がそのページを覗き込み、


「これ全部覚えるの?」


と聞いた。


「別に覚えるために書いてないよ」


「じゃ何?」


「忘れないため」


「同じじゃない?」


「違う」


佳乃は本気で答えた。


優はしばらくノートと佳乃を見比べたあと、


「ふーん」


とだけ言った。


それ以上は何も言わなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


六月の終わり。


模擬実技を終え、佳乃が道具を片づけていると、講師から声をかけられた。


「橘さん」


「はい」


「試験のことだけなら、もうそんなに焦らなくて大丈夫だからね」


佳乃はタオルで手を拭きながら顔を上げる。


「……はい」


「ほんとに」


講師が笑った。


「十分受かるところまで来てるよ」


今度は佳乃も、素直に笑った。


「ありがとうございます」


ちゃんと受け取れた。


嬉しかった。


帰りの電車でも、その言葉を一度思い出した。


――十分受かるところまで来てる。


窓に映る自分の口元が、少し緩む。


家へ帰って、バッグを置いた。


何となくカレンダーを見る。


試験までの日数。


数える必要はない。


もう何度も見ている。


先生には大丈夫と言われた。


自分でも、前よりできていることは分かっている。


それでも本番は一回しかない。


その一回で失敗したら。


今日みたいに手が動かなかったら。


緊張したら。


頭が真っ白になったら。


さっきまで残っていた笑みが、ゆっくり消えていく。


佳乃はカレンダーへ近づいた。


何も書かれていない枠が、一つだけある。


今週の金曜日。


休み。


そう書かれているわけではない。


ただ、何もない。


だから空いている。


佳乃はその白い枠をしばらく見た。


使える。


最初に浮かんだのは、それだった。


スマートフォンが震える。


優から、


『今日遅い』


その下に、もう一つ。


『あと金曜、美緒んち泊まってきていい?』


佳乃の目が少しだけ大きくなる。


美緒?


優の大学の友達だ。新歓でお酒を飲んでいた子。


少し考えて、


『いいんじゃない?』


と送った。


すぐに既読がつく。


『ほんと?』


『なんで私に聞くの』


『一応』


佳乃は小さく笑った。


『行ってきなよ』


少ししてから、


『じゃ行くー』


と返ってくる。


それで終わった。


佳乃はスマートフォンを机へ置く。


もう一度、カレンダーを見る。


金曜日。


優はいない。


学校もない。


何も予定がない。


ペンを取り、白い枠へ先を近づける。

一度だけ止まった。


それから、


『自主練』


と小さく書いた。


少し下へ、


『照明 続き』


も書き足す。


何もなかった金曜日が、二行で埋まった。

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