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2/16

第一話 コンビニ

「……コンビニ、行こうかな」


口にしてから、佳乃は後悔した。


行くと決めたわけではなかった。


何かが食べたいわけでもない。ただ、ベッドに背中を預けて天井を眺めていたら、ふと、そんな言葉が口からこぼれただけだった。


「いいじゃん。行こ」


すぐ近くから返事がした。


佳乃はゆっくりと顔を向ける。


床に敷かれたラグの上で、優がうつ伏せになってスマートフォンを眺めていた。


今日も学校から帰るなり、


「ただいまー。お姉ちゃん生きてるー?」


と勝手に部屋へ入ってきて、そのまま一時間以上くつろいでいる。


橘優。


十八歳。佳乃の一つ下の義妹で、高校三年生。


十一月も終わりに近づき、同級生たちが受験の話ばかりするようになった頃だったが、優は推薦で都内の大学への進学をすでに決めていた。


そのせいなのか、元からなのか。


今日も妙に呑気そうだった。


「……いや、別に。一人で行こうかなって」


「え、なんで?」


優が身体を起こす。


百五十六センチの小柄な身体。


グレーのスウェットにショートパンツ。髪は適当に後ろで結んでいて、化粧もしていない。


どこにでもいる高校生みたいな格好。


なのに、目を奪われる。


昔からそうだった。


少し高い鼻に、くっきりとした大きな二重。


頬や口元にはまだ少し幼さが残っていて、ひどく愛らしい。


けれど顔立ちそのものは驚くほど整っていて、何気なく笑うだけでも不思議と目を離せなくなる。


小柄なくせに手足の比率がよく、だらしなく座っていてさえ妙に絵になる。


美人だから。


それだけなら、まだ分かる。


けれど優には、それとは少し違う何かがあった。


教室の端にいても、いつの間にか視線がそこへ向く。


優が笑えば、その場にいた誰かまで笑う。


本人が中心に立とうとしているわけではない。


むしろ、そんなことを考えている様子すらない。


なのに、気づけば人が集まっている。


昔から佳乃は思っていた。


この子はたぶん、どこに行っても見つかる。


「私もアイス食べたいし。一緒に行こ」


「……やっぱいい」


「そっか」


あまりにもあっさりした返事だった。


佳乃は思わず優を見る。


「行かないの?」


「お姉ちゃん行かないんでしょ?」


「……うん」


「じゃ、私だけ行ってこよっかな。なんかいる?」


優はもう立ち上がり、床に放り出されていた小さな財布を拾っている。


がっかりもしない。


励まそうともしない。


せっかく行こうと思ったのに。


頑張れば行けるよ。


そんなことも言わない。


そういうところが、少しずるい。


「プリン?」


「いらない」


「シュークリーム」


「いらない」


「じゃがりこ」


佳乃は黙った。


優の動きがぴたりと止まった。


振り返った顔に、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。


「いるじゃん」


「……いらない」


「今の間は絶対いる人の間だった」


「うるさい」


「サラダ?」


「……」


「はい、サラダね」


「勝手に決めないで」


「じゃあチーズ?」


「サラダ」


「ほら」


「うるさいって」


優がけらけら笑った。


つられて笑いそうになって、佳乃は口元を袖で隠す。


昔なら、こんな会話は何でもなかった。


本当に、何でもなかった。


「じゃ、行ってきまーす」


優が部屋を出ていく。


軽い足音が廊下の向こうへ遠ざかっていった。


佳乃は閉まりかけた扉を見つめる。


――コンビニ。


家から歩いて七、八分。


信号すらない。


昔は何百回通ったか分からない道だった。


学校帰り。


部活帰り。


友達と喋り足りなくて、何も買うものがないのに寄った夜。


新作のお菓子を一つだけ買って、みんなで回して食べたこともある。


ただのコンビニだった。


それなのに、今は。


外国よりも遠い。


玄関から優の声が聞こえる。


「行ってきまーす」


佳乃は膝を抱え直した。


行かなくてもいい。


優は何も言わない。


じゃがりこだって買ってきてくれる。


今日が無理なら明日。


明日も無理なら、その次の日。


そうやって一年以上が過ぎた。


学校へ行けなくなった。


友達から届くメッセージを開けなくなった。


制服を着られなくなった。


自分の卒業式にも行けなかった。


一年以上、SNSも動かしていない。


そのうち、家の外へ出る理由そのものがなくなった。


両親はもともと家にいる時間が少なかった。

佳乃の状態が長引くにつれ、どう接すればいいのか分からないまま、その時間はさらに短くなった。


朝早く出て、帰ってくるのは夜遅く。


家の中には、いつしか佳乃と優だけの時間が増えていった。


そんな中でも、優だけは変わらなかった。


毎日のように部屋へ入ってきた。


学校の話をして。


どうでもいい動画を見せて。


眠くなれば勝手にベッドの脇で寝て。


佳乃が返事をしない日には、返事を求めなかった。


まるで何も変わっていないみたいに。


ずっと。


「……待って」


思ったより、小さな声だった。


それでも足音が止まった。


少しして、玄関の方から優の顔だけが覗く。


「ん?」


「……やっぱ、行く」


優の目が、ほんの一瞬だけ大きくなった。


嬉しかったのだろう。


たぶん。


でも次の瞬間には、いつもの顔に戻っていた。


「おっけー」


それだけ。


「待ってる」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



鏡の中に、自分がいた。


佳乃は、その顔を見るだけで少し疲れた。


ぼさぼさに伸びた茶色い髪。


青い瞳の下には、くっきりと影が落ちている。


以前より肌も白い。


綺麗というより、血の気がない。


昔は、鏡を見るのが好きだった。


今日はどんなメイクにしようか考える時間が好きだった。


友達から、


『かの、今日メイクしてよ』


と言われるのも好きだった。


放課後の教室。


机の上に広げたコスメ。


友達の瞼に色を乗せて、髪を整えて。


最後に鏡を渡す。


『え、やば。かの天才じゃん』


そう言われるのも嬉しかったけれど。


それ以上に好きだったのは、その子が鏡の中の自分を見て嬉しそうにする瞬間だった。


佳乃は鏡から目を逸らした。


「……マスクしよ」


最低限、髪を整える。


大きめのパーカーを羽織る。


それだけで、少し息が切れた気がした。


玄関へ行くと、優が壁にもたれてスマートフォンを見ていた。


「ごめん、待った?」


「全然」


「……何分?」


「知らない」


「時計見てたじゃん」


「犬見てた」


「は?」


優が画面を差し出してくる。


大型犬がソファから別のソファへ飛び移ろうとして、そのまま床へ落ちていた。


「ここ見て。落ちる直前の顔」


「……今見る?」


「今が一番面白い」


もう一度。


犬が落ちる。


佳乃の口から、


「ふふっ」


と声が漏れた。


優が笑う。


「でしょ?」


それだけ。


笑ったね、とは言わない。


よかったね、とも言わない。


佳乃が笑ったことを、特別な出来事にしない。


それが、ありがたかった。


佳乃は靴を履く。


立ち上がって、玄関の扉を見る。


その瞬間だった。


胸の奥が急に重くなる。


さっきまで動いていた指先が冷たくなる。


心臓の音だけが妙に大きい。


やっぱり、無理かもしれない。


ここまで来たのだから。


せっかく着替えたのだから。


そう思えば思うほど、足が動かなくなる。


「……優」


「ん?」


「私――」


その続きを待たず、優が玄関の扉を開けた。


十一月の冷たい空気が、一気に家の中へ流れ込んでくる。


「さむっ!」


優が大げさに肩を縮めた。


「え、今日こんな寒いの?」


佳乃は、言おうとしていた言葉を忘れた。


「……十一月だよ」


「昨日こんなんじゃなかったじゃん」


「知らない」


「上着もう一枚着ようかな」


「好きにすれば」


「お姉ちゃんもそれ一枚じゃん」


「私はいいの」


「ずる」


優はそのまま外へ出た。


佳乃は、開いた扉の前に残された。


道路。


向かいの家。


電柱。


停められた自転車。


少し離れたところを歩く知らない男。


何も変わっていない。


自分が部屋の中で止まっていた間も、世界だけは当たり前のように動いていた。


それが、少し怖かった。


「お姉ちゃん?」


数歩先で優が振り返る。


街灯の下。


寒そうに両手をこすりながら立っている、小さな女の子。


特別なことなど何もしていない。


それなのに、優がそこに立っているだけで、景色の中心が少しだけそちらへずれる。


昔からそうだった。


「行こ」


優が笑った。


佳乃は息を吸った。


そして、一歩。


靴の先を外へ出す。


たったそれだけで、膝が少し震えた。


優は気づいている。


絶対に。


でも、見ていないふりをした。


二歩。


三歩。


背後で玄関の扉が閉まる。


家が、自分の後ろへ回った。


怖い。


それでも。


優が歩き出した。


佳乃も、その隣を歩いた。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


しばらくして、佳乃は気づいた。


「……ゆう」


「ん?」


「歩くの遅くない?」


「そう?」


「遅い」


優は普段、もっと速い。


身体は小さいくせに、歩幅以上の速度でちょこちょこと進む。


昔、朝寝坊した優を学校まで追いかけたときなんて、佳乃の方が十センチも背が高いのに置いていかれた。


「今日だるいんだよね」


「嘘」


即答すると、優がこちらを見る。


「なんで?」


「分かるよ」


「何が」


「私に合わせてるんでしょ」


ほんの少しだけ、間があった。


図星だ。


佳乃には分かった。


「まあ」


優は前を向いた。


「別によくない?」


「……何が?」


「早く着いたってコンビニだよ?」


佳乃は何も返せなかった。


優は、我慢をしているつもりがない。


合わせていることさえ、大したことだと思っていない。


相手がゆっくり歩くなら、ゆっくり歩く。


誰かが話したければ聞く。


黙りたければ、隣で別のことをする。


誰かが食べたいと言ったものがあれば、


「じゃあ私もそれでいい」


と笑う。


昔からそうだった。


だから人が集まる。


小学校でも。


中学校でも。


高校でも。


気づけば誰かが優の名前を呼んでいる。


そして優は、その人が欲しい笑顔を、何の苦労もなく返してしまう。


本人には、その自覚すらない。


佳乃は昔から、ときどき考えていた。


この子は。


一人きりのときには、何を選ぶのだろう。


「……寒い」


優がぼそっと呟いた。


「だから上着着ればよかったじゃん」


「言われてない」


「自分で考えなよ」


「お姉ちゃん冷たくなったね」


「寒いからね」


「あ、うまい」


「別にかけてない」


優が笑った。


その笑い方につられて、佳乃も少し笑う。


「あー」


「なに」


「アイスやめようかな」


「早」


「だって寒い」


「さっき食べるって」


「人の心は変わるんだよ」


「三分で?」


「恋と一緒」


「何その恋愛観」


また笑ってしまった。


佳乃は、自分で少し驚いた。


優は気づいているはずだった。


でも何も言わない。


ただ歩く。


それが、ちょうどよかった。


やがてコンビニの看板が見えてきた。


佳乃の笑いが止まる。


胸がきゅっと縮んだ。


白く明るい店内。


人影。


自動ドア。


ただのコンビニ。


なのに急に、足が重くなる。


ちょうど店から、大学生くらいの男女が出てきた。


佳乃は反射的に俯いた。


見られた。


そう思った。


変だと思われた。


汚いと思われた。


笑われた。


頭の中だけで、勝手に言葉が生まれていく。


もちろん、二人は佳乃になど興味を示さなかった。


会話をしながら、そのまま通り過ぎていった。


分かっている。


分かっているのに。


身体は分かってくれない。


「お姉ちゃん」


肩が跳ねた。


顔を上げる。


優が店頭のポスターを指さしていた。


「これ新しいやつじゃない?」


「……え?」


「ほうじ茶アイス」


佳乃は少し遅れてポスターを見る。


「ああ……」


「うまそう」


「さっき寒いからやめるって」


「あ」


優が真顔になった。


数秒考える。


「復縁した」


佳乃は思わず吹き出した。


「早すぎるでしょ」


「やっぱ忘れられなかった」


「まだ食べてもないじゃん」


「運命だから」


そう言って、優は自動ドアをくぐる。


店員の「いらっしゃいませ」が聞こえた。


優は何の迷いもなく店へ入っていく。


佳乃はその背中を見た。


足元を見る。


一歩。


自動ドアが開いた。


佳乃も、中へ入った。


ーーーーーーーーーーーー


店内は、眩しかった。


レジの電子音。


商品棚。


コーヒーマシン。


肉まんの匂い。


雑誌。


聞き覚えのある店内放送。


何も変わっていない。


誰も佳乃を見ていない。


店員も。


客も。


その当たり前のことを理解するまでに、少し時間がかかった。


「お姉ちゃん」


声のする方を見る。


優が両手にじゃがりこを持っていた。


「サラダとチーズ」


「サラダ」


「即答じゃん」


「最初からサラダって言ってるでしょ」


「進歩だね」


「何が」


「家では黙ってた」


「うるさい」


優は楽しそうに笑って、サラダ味をカゴへ入れた。


その横を、小学生くらいの女の子と母親が通った。


女の子が優を見る。


少し遅れて、母親も見る。


ほんの一瞬。


でも佳乃は気づいた。


優は気づかない。


こういうことは、昔から何度もあった。


綺麗だから目立つ。


もちろん、それもある。


でも、それだけではない。


楽しそうに笑う優を見ると、


何がそんなに楽しいのか、


なぜか少しだけ知りたくなる。


そんな力が、この子にはあった。


「私、ほうじ茶にする」


「チョコミントは?」


「別れた」


「さっき復縁したのに?」


「また別れた」


「最低」


「若気の至り」


「十八歳が何言ってんの」


「もう大学決まった大人ですけど?」


「大学決まっただけで大人にならないよ」


「あ、そうだ」


優が突然こちらを見る。


「大学の書類、出したっけ」


「知らないよ」


「昨日出した気がする」


「気がするって何」


「帰ったら見て」


「自分で見なよ」


「お姉ちゃんの方がそういうの得意じゃん」


一瞬。


昔の自分を思い出した。


提出期限。


学校からのプリント。


忘れ物だらけの優。


『ほら、ゆう。明日まででしょ』


そう言いながら、何度世話を焼いただろう。


佳乃は、ほんの少し目を細めた。


「……帰ったらね」


「さすがお姉ちゃん」


優が笑った。


たったそれだけの言葉なのに。


胸の奥が、少しだけ温かくなった。


ーーーーーーーーー


帰り道。


ビニール袋の中で、じゃがりこの箱がかさかさと鳴っている。


「……疲れた」


佳乃が言った。


「おつかれ」


「コンビニ行っただけなのに」


「コンビニ舐めちゃダメだよ」


「何それ」


「強敵だから」


「優にとって毎日倒してる雑魚でしょ」


「私、レベル高いから」


「はいはい」


「お姉ちゃんも今日、経験値入ったじゃん」


佳乃は黙った。


街灯が、舗道に二人の影を作っている。


百六十六センチの佳乃。


百五十六センチの優。


十センチ違うはずなのに。


今だけは、なぜか優の背中の方が大きく見えた。


「……そうかな」


「入った入った」


優は振り返らない。


軽い声だった。


それくらいが、ちょうどよかった。


佳乃は空を見上げる。


明日も外へ出られるかは分からない。


次はまた怖くなるかもしれない。


学校へ戻れるわけでもない。


出られなかった卒業式をやり直すこともできない。


止まってしまった一年を取り戻せるわけでもない。


それでも今日は。


コンビニまで行った。


自分の足で。


「あ、待って」


優が突然立ち止まる。


「なに?」


「写真撮ろ」


「は?」


もうスマートフォンを取り出している。


「なんで」


「今日の記念」


「嫌だよ」


「なんで?」


「今の私見れば分かるでしょ」


「可愛いじゃん」


即答だった。


「そういうのいいから」


「何が?」


本気で分かっていない顔だった。


「髪もぼさぼさだし。すっぴんだし。隈もあるし……」


「でもお姉ちゃんじゃん」


佳乃は黙った。


優にとっては、本当にそれだけなのだ。


明るくて。


何でもできて。


可愛くて。


友達に囲まれていた昔の佳乃。


卒業式にも行けなかった佳乃。


今、パーカー姿でコンビニ袋を提げている佳乃。


きっと優の中では、全部同じ。


全部、お姉ちゃん。


「ほら、こっち」


「ちょっと――」


優がぐっと身体を寄せてくる。


十センチ低い頭が、佳乃の肩の近くへ来た。


画面の中に二人が映る。


佳乃は、一瞬だけ自分ではなく優を見た。


何の準備もしていない。


髪も適当。


すっぴん。


なのに。


もう写真の中心にいる。


笑っただけで、画面がそちらへ引っ張られる。


カメラの中でも、この子は同じなのだ。


いや。


もしかすると。


カメラの中の方が――。


「はい、笑ってー」


「待って、まだ――」


カシャ。


シャッター音。


「最悪」


「めっちゃいい」


「絶対嘘」


「ほんとほんと」


優からスマートフォンを奪う。


そこには、満面の笑みを浮かべる優がいた。


そして、その隣。


少し困った顔をしながら、


それでも確かに笑っている自分がいる。


佳乃はしばらく動けなかった。


こんな顔をしていたのか。


自分が。


鏡の中ではない自分を、久しぶりに見た。


「……消して」


「やだ」


「なんで」


「好きだから」


あまりにも簡単に言う。


優は佳乃からスマートフォンを取り返した。


そのまま写真アプリを操作する。


何度か指が画面を滑った。


そのとき。


佳乃の目に、見慣れないアルバム名が入った。


『宿根草』


「……何それ」


「ん?」


「そのフォルダ」


「ああ、これ?」


優が開く。


花の写真が並んでいた。


春の日差しの中で咲いている花。


雨粒をまとった花。


青々と葉を広げたもの。


蕾。


そして。


土の上に茶色い茎だけを残した、枯れたような姿。


「……花なんて撮るんだ」


「たまに」


「知らなかった」


「お姉ちゃん、最近私のこと何も知らないじゃん」


悪気のない言葉だった。


だからこそ、胸の奥が少しだけ痛んだ。


優は気づいているのか、いないのか。


気にした様子もなく画面をスクロールする。


同じ花を、違う季節に撮った写真がいくつか並んでいた。


土だけに見える冬。


そこから出てきた小さな芽。


葉が増えて。


最後には、花が咲いている。


「これ、同じやつ?」


「うん」


「宿根草?」


「そう」


「詳しかったっけ」


「前に学校の帰り道で見つけて、調べた」


優は、枯れた茎だけが残っている写真を指で拡大した。


「冬になるとさ、一回枯れたみたいになるんだって」


「……うん」


「でも根っこは残ってて、また芽が出る」


次の写真。


小さな緑。


その次。


花。


「何回も咲くの」


優は笑った。


「なんかいいじゃん」


佳乃は画面を見つめる。


「……枯れてるのも撮るんだ」


「枯れてないよ」


あまりにも早く返ってきた。


佳乃が優を見る。


「いや、見た目は枯れてるでしょ」


「でもまた咲くんでしょ?」


優が不思議そうに首を傾げる。


「じゃあ、枯れてないじゃん」


それだけ言って、優はまた画面に目を戻した。


佳乃は何も言えなかった。


昔の自分なら。


咲いている花だけを綺麗だと思ったかもしれない。


枯れた花なんて、写真に残そうとは思わなかった。


綺麗じゃないから。


もう終わっているから。


でも。


目の前の妹は、違うらしい。


花がない季節まで。


同じ花として残している。


「よし」


優が何かを押した。


「……何したの?」


「入れた」


「何を?」


画面を見る。


さっき撮った二人の写真が、


『宿根草』


の一番最後に追加されていた。


「は?」


「いいじゃん」


「いや、なんで私たちが花のフォルダに入るの」


「かわいいから」


「理由になってない」


「私のスマホだもん」


「そういう問題じゃ――」


「帰ろ。寒い」


優は説明する気などないらしい。


スマートフォンをポケットへしまい、さっさと歩き始める。


佳乃はその背中を見つめた。


「……ゆう」


「ん?」


言おうと思った。


ありがとう。


でも、言えなかった。


言ったところで、きっとこの子は、


『何が?』


と本気で聞き返す。


そんな気がした。


だから代わりに、


「アイス溶けるよ」


と言った。


優が袋の中を覗く。


「あっ」


「ほら」


「走る?」


「無理」


「じゃあ溶けてもいいや」


「復縁したばっかりなのに?」


「愛ってそういうものだから」


「絶対違う」


優が笑った。


佳乃も笑った。


二人は同じ速度で、ゆっくり家へ帰った。


ーーーーーーー


その夜。


ベッドの中で、佳乃はスマートフォンを開いた。


優からメッセージが一件。


『今日の記念!』


その下には、犬が意味もなく踊っているスタンプ。


佳乃は写真を開く。


画面いっぱいに、二人の姿が映った。


やっぱり優は綺麗だった。


化粧をしているわけでもない。


髪だって適当。


それなのに、その笑顔一つで写真そのものが明るく見える。


視線を横へ移す。


その隣には、自分。


目の下に隈。


整えただけの髪。


少し痩せた頬。


笑顔だって、どこかぎこちない。


昔の自分とは違う。


元気だった頃とも違う。


佳乃はぼんやりと思った。


まるで、


一度枯れてしまった花みたいだ。


胸の奥が、少しだけ痛んだ。


けれど。


すぐに、さっき見た優のスマートフォンを思い出す。


『宿根草』


茶色い茎。


何もない土。


そこから伸びた小さな芽。


――でもまた咲くんでしょ?


――じゃあ、枯れてないじゃん。


「……ばか」


小さく呟いた。


優に向けたのか。


自分に向けたのか。


分からなかった。


もう一度、写真を見る。


妹の肩に少しだけ寄っている自分。


まだ咲いているとは思えない。


昔と同じ姿に戻れるとも思わない。


そもそも、戻らなければいけないのかさえ分からない。


それでも。


枯れたように見える季節と、


本当に終わってしまうことは、


同じではないのかもしれない。


佳乃は写真を保存した。


スマートフォンを胸の上に置き、目を閉じる。


今日はコンビニへ行った。


七、八分歩いた。


じゃがりこを買った。


妹とくだらない話をした。


写真を撮った。


それだけ。


本当に、それだけだった。


明日になれば、また部屋から出られないかもしれない。


何もしたくなくなるかもしれない。


それでも今日の自分は、


ちゃんと外を歩いた。


いつかもう一度、花が咲くのかどうか。


そんなことは、まだ分からない。


でもその夜。


久しぶりに外へ出た佳乃は、


昨日までより、ほんの少しだけ。


明日が来ることを、


嫌だと思わなかった。

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