第十四話 見せたいもの
四月に入って、すぐのことだった。
「決まったって」
優が言った。
佳乃は机に向かったまま振り返る。
「何が?」
「この前のやつ」
「どれ」
「コスメ」
椅子の脚が床を擦った。
佳乃が立ち上がる。
「決まったの!?」
「うん」
「いつ?」
「明後日」
「どこ?」
「待って」
優がスマートフォンを開く。
「都内」
「それは分かる」
「スタジオ」
「それも分かる」
優が画面から顔を上げた。少しだけ眉を寄せる。
「じゃあ何が知りたいの」
「全部」
「怖」
口元だけで笑う。
佳乃はそんな優を無視して、スマートフォンを奪いそうな勢いで横から覗き込んだ。
以前見せてもらったブランド名だった。新作のリップ。春の限定色を中心にしたWeb広告で、撮影イメージの小さな画像まで添付されている。
淡い背景に、顔の寄り。
視線より先に、唇へ色が残る写真。
「これだ」
佳乃の指が止まる。
「何」
「前見たやつ」
「そりゃ同じ仕事だからね」
「この色使うんだ」
画面を拡大する。
「もう一個の方もあるよ」
「どれ」
優が指で送る。
少し青みのある赤。柔らかいピンク。透明感のあるベージュ。
佳乃の目が、一色ずつ確かめるように動いていく。
「……優なら、これ好き」
「私が?」
「私が」
優の眉が上がった。
「お姉ちゃんじゃん」
「優に使うならって意味」
「ああ」
佳乃はもう次を見ている。
「でも広告なら、こっちかな」
「何が違うの」
「こっちは可愛い。こっちは顔が締まる」
「へえ」
優の返事は完全に他人事だった。
「目元どうするんだろ」
「知らない」
「衣装は?」
「知らない」
「髪は?」
「知らない」
佳乃がようやく顔を上げる。
「何なら知ってるの?」
「集合時間」
「ほんとに役に立たない」
「本人なんだけど」
優は呆れたように言って、スマートフォンを取り返した。
佳乃はまだ画面を追っている。
「メイクさん誰?」
「だから知らないって」
「桐島さんに聞いて」
「何で」
「気になる」
「お姉ちゃん来ないじゃん」
その一言で、佳乃の動きがわずかに止まった。
「……うん」
今回は行かない。
行けない、ではなかった。
その日は佳乃にもスクーリングが入っている。
前なら、見学だけでもできないかと考えたかもしれない。今だって見たい気持ちはある。
知らない人が優の顔をどう作るのか。どんな色を選んで、何を残して、何を変えるのか。光が当たったときにどう見せるのか。
全部見たい。
でも、自分にも自分の予定がある。
そのことが、前ほど嫌ではなかった。
「写真撮ってきて」
佳乃が言った。
「何の」
「メイク」
「やっぱそこ」
優の頬が少し緩む。
「できれば正面と横」
「注文多い」
「あと目閉じたの」
「何で」
「色見たいから」
「証明写真みたい」
「いいから」
優は肩を竦めた。
「覚えてたらね」
「絶対忘れるじゃん」
「じゃ前日に言って」
「当日も言う」
「怖」
佳乃はもう一度椅子へ座り、開いていた教材へ視線を戻した。
数秒。
「ゆう」
「何」
「リップ、落とす前だからね」
優がゆっくり振り返る。
「まだ言うの?」
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撮影当日。
優はスタジオのメイク台に座っていた。
前回のアパレル撮影より人が多い。ブランド側のスタッフ、制作会社、カメラマン、照明、スタイリスト、ヘアメイク。それぞれが別のものを見て、別のことを話している。
モニターの周りには、色見本と撮影イメージが何枚も貼られていた。
その中央に、今日使うリップが並んでいる。
優は鏡越しにそこを見る。
「いっぱいある」
メイク担当の女性が手を止めずに笑った。
「今日は三色かな」
「全部塗るんですか?」
「塗って、落として、また塗る」
優が自分の唇へ視線を落とす。
「なくなりそう」
「なくならないから大丈夫」
「よかった」
本気とも冗談ともつかない顔で答える優に、女性が吹き出した。
少し離れた場所では、桐島が資料を確認している。笑い声に気づいたのか、一度だけこちらを見た。
優は何事もなかったように鏡へ戻る。
ベース。眉。目元。
ブラシやスポンジが、迷いなく次々と入れ替わっていく。
優は鏡の中の自分を見ていた。何度かメイクをされるうちに、少しだけ違いが分かるようになっていた。
今日の目元は、前よりずっと薄い。
「今日、目あんまりやらないんですね」
メイク担当の手がほんの一瞬止まる。
鏡越しに優を見る。
「分かる?」
「何となく」
「今日はリップが主役だからね」
「ああ」
優はもう一度、自分の顔を見る。
目元は確かにいつもより静かだった。その分、まだ何も塗られていない唇だけが妙に空いて見える。
佳乃がいたら。
多分、もっと色々聞く。
何を使ったのか。どうしてこの色なのか。光でどう見えるのか。塗る位置はどこまでなのか。
自分には、全然分からない。
「……あ」
思い出した。
「すみません」
「うん?」
「今、写真撮ってもいいですか?」
「自分の?」
「はい」
メイク担当がブランド側のスタッフへ確認を取り、少しして頷く。
「個人で見るだけなら大丈夫だって」
「ありがとうございます」
優はスマートフォンを出した。
正面から一枚。
顔を少し横へ向けて一枚。
そこで止まる。
「……あと何だっけ」
眉間に少しだけ皺を寄せる。
佳乃の顔が浮かんだ。
目。
「あ、目閉じてもいいですか?」
「どうぞ」
一枚。
三枚を並べて確認する。
「何用?」
メイク担当が聞いた。
「お姉ちゃんに」
「お姉さん?」
「メイク好きなんです」
「ああ。前も誰かに言ってなかった?」
優が鏡越しに首を傾げる。
「あれ、言いましたっけ」
「私じゃないけどね」
「じゃあ別の人です」
あっさり答えて、写真を送る。
『これでいい?』
すぐには既読がつかなかった。
優は一度だけ画面を見て、それから閉じる。
今頃、佳乃も学校にいる。
そのことを考えると、なぜか少しだけ口元が緩んだ。
「お願いします」
スマートフォンを伏せ、椅子へ座り直す。
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一色目は、柔らかいピンクだった。
背景は明るいグレー。衣装も白に近い。
カメラの前には椅子も小物もなく、画角に入るのは顔と首、それから肩の一部くらいだった。
「結構近いですね」
優は大きなレンズを見て言った。
カメラマンが笑う。
「今日は寄るよ」
「毛穴まで?」
「それはこっちで何とかする」
優が少し安心したように頷く。
「お願いします」
「優ちゃんは肌綺麗だから大丈夫」
優は床を見る。
マークの位置はすぐに見つかった。
立つ。
顎の角度。肩。目線。
細かい調整が入るたび、優の身体が少しずつ動く。
「ちょっと顎下げようか」
顎が数ミリ落ちる。
「そこ」
カシャ。
「目線だけこっち」
顔は動かさず、瞳だけがレンズへ戻る。
カシャ。
撮影は淡々と進んだ。
以前より、優も現場の止まり方が分かっている。
シャッターが途切れれば、その姿勢のまま待つ。
カメラマンが長くモニターを見るときは、何か修正が入る。
スタイリストが近づいてくれば、服に触れる手が離れるまで身体を動かさない。
誰かに教わったわけではない。
いつの間にか覚えていた。
「一回確認します」
カメラマンがモニターへ寄る。
ブランド側の女性もその横へ並んだ。
優はマークの上で少し肩を落としながら待つ。
モニターには、今撮った顔が何枚も並んでいる。
「綺麗ですね」
「うん」
二人の指が写真を送る。
一枚。
次。
ブランド側の女性の指が止まった。
「もう少し、色が先に来てほしいですね」
カメラマンも画面を見る。
「ああ。今だと目に引っ張られるか」
その言葉に、優の眉が少し上がった。
少し離れたところでは、桐島もモニターを見ている。
優が近づく。
「どういうことですか?」
ブランド側の女性が振り返る。
「写真を見たとき、最初に優ちゃんの目を見るの」
優も画面を見る。
自分の顔。
視線が正面からこちらへ向いている。
「目?」
「そう。今回は、最初にこっちを見てほしくて」
女性の指が、画面の唇へ移る。
「リップ」
「ああ」
「もちろん顔も大事なんだけどね。商品より先に目へ行っちゃうから」
優は二枚、三枚と写真を見る。
唇を少し尖らせるようにして考えた。
「じゃあ……口、見ればいいんですか?」
女性が笑う。
「優ちゃんが見るわけじゃないけど」
「あ、そっか」
自分で言ってから分かったらしい。少し恥ずかしそうに鼻の下を擦る。
カメラマンも笑う。
「見る人が、口に行く感じかな」
「なるほど」
今度の返事は少し長かった。
優はもう一度モニターを見る。
目。
唇。
また目。
数秒後、顔を上げた。
「分かりました」
マークへ戻る。
カメラマンが構える。
「じゃあ、もう一回いこうか。さっきより目の力、少し抜いてみよう」
「はい」
優が正面を向く。
さっきまで真っ直ぐレンズへ向かっていた視線から、ほんの少しだけ力が抜けた。
目を伏せたわけでも、表情を大きく変えたわけでもない。
カシャ。
一枚。
モニターの中では、さっきより先に唇の色が目に入った。
カメラマンの指が止まらない。
カシャ、カシャ。
ブランド側の女性がモニターへ近づく。
「……うん」
その声に、優の目が一瞬そちらへ動きそうになって、止まった。
姿勢は崩さない。
カシャ。
「今の、そのまま」
「もう少しだけ横」
優がゆっくり顔を動かす。
視線は正面に残したまま、頬の角度だけが変わる。
カシャ。
数枚撮ったところで、
「一回見ます」
また全員がモニターへ集まった。
先ほどの写真と並べる。
同じメイク。同じ色。
角度も大きくは変わらない。
なのに。
ブランド側の女性は、新しい方を指した。
「こっちですね」
カメラマンも頷く。
「うん」
優は横から覗き込み、二枚を見比べた。
眉間に小さく皺が寄る。
「何が違うんですか?」
女性が少し考える。
「何だろ」
「え」
優が本当に分からない顔をする。
女性はもう一度二枚を行き来した。
「違うのは分かるんだけど……こっちの方が、色が先に入ってくる」
「へえ」
優の眉間の皺が消えない。
自分でも見比べる。
正直、そこまで分からなかった。
「どうしたの?」
カメラマンが聞く。
優が顔を上げる。
「何がですか?」
「今。何変えた?」
優は少し考えた。さっきの自分の顔を思い出すように、目線が上へ動く。
「……目、頑張らないようにしました」
「頑張らない?」
「さっき、目見ちゃうって言ってたから」
「それだけ?」
優の口元が少し歪む。
「...多分?」
カメラマンが笑った。
「多分なんだ」
「はい」
優も笑う。
その笑顔は撮影中のものよりずっと崩れていて、頬が上がり、目尻まで細くなった。
少し離れたところで、桐島がモニターを見ている。
前は服だった。
今度は、リップ。
見せたいものが変われば、自分の見せ方も変える。
それ自体は、モデルなら珍しくない。
桐島の視線が、二枚の写真を行き来する。
問題は、一度でそこへ行くことだった。
数秒、二枚を見比べる。
まただ。
桐島はそれ以上考えず、手元の資料へ視線を落として余白に短く書いた。
『商品への切替 一回』
ペン先を離す。
それ以上は書かなかった。
「次の色いきます」
声が飛ぶ。
優がすぐに振り返る。
「はい」
桐島も資料を閉じた。
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二色目は赤だった。
一色目より深く、青みのある色。
背景も少し暗くなり、下ろしていた髪は片側だけ耳の後ろへ流された。
メイク担当が最後に輪郭を整え、優の顔から離れる。
「どう?」
優が鏡を見る。
一瞬、目が少し大きくなった。
「強い」
「嫌?」
優は右を向き、次に左へ顔を傾けた。唇の色を確かめるように顎を少し上げる。
「全然」
しばらく見たあと、ふっと笑う。
「お姉ちゃん好きそう」
メイク担当も笑った。
「またお姉さん」
「多分これ好きです」
「そんなにメイク好きなんだ」
「めっちゃ」
「優ちゃんより?」
優は少し考えた。今度は本気で考えているらしく、視線が鏡の中の自分から少し外れる。
「私より全然」
「そうなんだ」
「私、自分の顔そんな見ないんで」
「モデルなのに?」
優の眉が少し下がる。
「鏡は見ますよ?」
「そういう意味じゃなくて」
「?」
本当に分かっていない顔に、メイク担当が笑った。
撮影へ戻る。
今度のテーマは、一色目より大人っぽい。
マークへ立った優に、カメラマンが言う。
「少し強く」
優が一度瞬きをした。
次にレンズへ顔を向けたときには、さっきより顎がわずかに上がっていた。
カシャ。
「もうちょっと余裕ある感じ」
「はい」
カシャ。
何枚か撮る。
ブランド側のスタッフがモニターを確認した。
「この色なら、こっちですね」
「うん」
それだけで撮影は続いた。
もう誰も、優が指示に合わせて変わるたびに手を止めたりはしなかった。
桐島もメモを取らない。
ただ次のカットへ進むのを見ていた。
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休憩。
優は壁際の椅子へ座った。
さっきまでの表情が嘘みたいに消え、背もたれへ身体を預ける。肩が落ちた。
スマートフォンを見る。
佳乃から返信が来ている。
『目元薄い』
『チーク何色?』
『リップ品番分かる?』
『ベース何使ってた?』
優の目が、上から下へゆっくり動く。
最後まで読んで。
「多」
思わず声が出た。
さらに一つ。
『光当たった写真ない?』
優は口元を押さえるようにして笑った。
『知らん』
送る。
すぐ既読。
『聞いて』
『今休憩』
『あとで』
『覚えてたら』
『絶対忘れる』
優は画面を見たまま少し頬を膨らませる。
メイク台を見る。
次の準備でスタッフが動いている。
スマートフォンを置こうとして、やめた。
『リップはあとで見る』
送る。
『えらい』
返ってきた。
優の頬が少し緩んだ。
「何笑ってるの?」
桐島が横を通りながら聞いた。
優が顔を上げる。
「お姉ちゃん」
「何かありました?」
「メイクの質問いっぱい来てます」
「でしょうね」
桐島の返事が早く、優が少し目を細める。
「知ってたんですか」
「想像はつきます」
「怖」
口ではそう言いながら、優は少し楽しそうだった。
桐島が一度だけ優を見る。
「佳乃さん、学校は?」
「今日も行ってます」
「続いてるんですね」
「はい」
その返事だけ、少しだけ声が明るくなる。
「めっちゃやってますよ」
「そうですか」
「昨日も寝るって言ってから三時間くらい起きてました」
桐島の目がわずかに止まった。
「それは、あまり褒められませんね」
「私も言いました」
「効きました?」
優は一瞬だけ真顔になった。
「効くと思います?」
「思いません」
間髪入れず返されて、優が吹き出す。
「ですよね」
桐島の口元も、ほんの少し動いた。
「橘さん、お願いします」
呼ばれる。
優は笑いを残したまま振り返る。
「はい」
立ち上がった頃には、もう次の撮影へ意識が向いていた。
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佳乃が帰宅したのは、優より少し早かった。
バッグを机の横へ置く。
今日使ったノートを開いた。
スクーリングでは、前より少し手が動いた。
講師に止められる回数も減った。
それでも、一か所だけ何度やっても気になるところがあった。
毛束の取り方。幅と角度。
ほんのわずかなずれ。
講師には、「そこまで気にしなくても大丈夫」と言われた。
その言葉が、佳乃には少し困る。
大丈夫なのは分かる。試験なら、そこまで求められないのも分かっている。
でも、なぜずれるのかが分からない。
一回できる。
次はずれる。
またできる。
その次はまた違う。
偶然できるのが、嫌だった。
佳乃はウィッグを机へ置いた。
コームを入れ、分ける。
一度、少し離れて見る。
「……違う」
戻す。
もう一度。
今度は手首を見る。
次はコームの角度。
三回。四回。五回。
同じようにやっているつもりだった動きの中から、少しずつ違いが見えてくる。
手首。
コームの向き。
毛束を取る位置。
「……あ」
もう一度。
今度は揃った。
佳乃が顔を近づける。
次も同じようにやる。
揃う。
もう一度。
同じ。
佳乃の眉間に入っていた力が、ようやく抜けた。
「……これか」
ノートを開き、忘れないうちに書く。
そのとき、玄関が開いた。
「ただいまー」
佳乃の顔が上がる。
階段を上がる足音。
部屋のドアが開く。
「お姉ちゃん」
「写真」
優がドアノブに手をかけたまま止まった。
「ただいまは?」
「おかえり。写真」
「雑」
呆れながらも、口元は笑っている。
優がバッグを床へ置く。
佳乃はもう片手を差し出していた。
「早く」
「はいはい」
スマートフォンを渡す。
撮影前に撮った三枚。
佳乃の目つきが変わった。
さっきまで少し疲れていた顔が、画面を見た途端に引き締まる。
「……薄」
「何が」
「目」
「やっぱ?」
佳乃の指が止まる。
「やっぱって?」
「リップ見せるから薄くしてるって言ってた」
「誰が?」
「メイクさん」
佳乃は画面へ顔を近づける。
「やっぱり」
「何が」
「チークもかなり抑えてる」
「そうなの?」
「多分。あとここ」
「どこ」
「眉」
優も隣から覗き込む。
「眉あるよ」
佳乃がゆっくり顔を上げる。
「そういう話じゃない」
その言い方に優が笑い、ベッドへ倒れ込んだ。
「疲れた」
佳乃はもう聞いていない。
正面。
横。
目を閉じた写真。
何度も行き来する。
「リップの品番」
「あ」
優の声が少しだけ高くなる。
佳乃が画面から目を離した。
「見た?」
「……」
優の視線が逸れる。
「ゆう」
「忘れた」
「ほら!」
「撮影してたんだから仕方ないじゃん!」
優がベッドから上半身を起こす。
「聞くって言ったでしょ」
「言ってない。見るって言った」
「同じ!」
「違う!」
優は頬を膨らませ、佳乃は不満そうにスマートフォンへ戻る。
少ししてから、
「撮影どうだった?」
優がベッドから顔だけを上げた。
「今?」
「何」
「先に聞くとこじゃない?」
「メイクも撮影でしょ」
「そうだけど」
「で?」
優は一度天井を見る。
「普通」
「普通って」
「いっぱい撮った」
「それは知ってる」
「色三個使った」
「それも聞いた」
優が眉を寄せる。
少し考えてから、
「一個目のとき、目が強いって言われた」
佳乃の指が止まった。
「目が?」
「私見ちゃうから、リップ見てほしいって」
「それで?」
優はベッドの上で、撮影中と同じように少し目の力を抜いてみせた。
「こう」
佳乃がじっと見る。
「……何それ」
「目、頑張らない」
「説明になってない」
優は元の顔へ戻る。
「私も分かんない」
「どうしたの?」
「だから、目頑張らない」
「それしか言えないの?」
「でも、それでいいって」
佳乃はしばらく優を見る。
今見せた顔と、いつもの顔。
それからスマートフォンへ戻った。
「撮った写真ないの?」
「完成のはないよ」
「そっか」
声が少し落ちる。
優は天井を見ながら言った。
「桐島さんもいた」
「うん」
「何か書いてた」
「いつもじゃない?」
「そうかも」
「何書いてるんだろ」
優の口角が片方だけ上がる。
「悪口」
「仕事しにくい、とか?」
「『スマホ見ない』」
佳乃が吹き出した。
「それは書かれてそう」
「ひど」
優も笑う。
今度は撮影中のような整った笑顔ではなく、目尻が崩れて、声まで少し高くなった。
佳乃はそれを一度見てから、もう一度写真へ戻る。
目元を抑える。
唇へ視線を持っていく。
色を見せる。
顔全部を綺麗にすることだけが、正解ではない。
「……そういう作り方もあるんだ」
小さく呟く。
「何?」
「何でもない」
ノートを引き寄せる。
優がまた身体を起こした。
「書くの?」
「忘れるから」
「また分かんないこと?」
「今日は分かったこと」
優が少し驚いたように目を丸くする。
「珍しい」
「うるさい」
佳乃は一行書いた。
『主役を決める。全部を強くしない。』
少し考える。
その下に、もう一つ。
『目立たせる場所ではなく、最初に見てほしい場所。』
ペンが止まる。
優が横から覗き込む。
「何それ」
「今日の」
「私の?」
「うん」
「私何もしてないけど」
佳乃が顔を上げる。
「してたでしょ」
「撮られてただけ」
「それが仕事じゃん」
「そうだけど」
優は納得しているのかいないのか分からない顔で、またベッドへ倒れた。
佳乃はノートに増えた二行を見る。
今日、自分が学校で見つけたこととは、また別のものだった。
「ゆう」
「何」
「次、何色だった?」
「赤」
「どんな赤?」
優は少し考える。
「赤い赤」
佳乃が顔を上げる。
「一番使えない答え」
「赤は赤じゃん」
「青っぽいとか、黄色っぽいとかあるでしょ」
「知らない」
「写真」
「撮ってない」
佳乃の眉が跳ねる。
「何で!」
優もすぐ身体を起こす。
「忘れた!」
「使えない!」
「一色目撮ったじゃん!」
「全部欲しいの!」
「欲張り!」
また言い合いになる。
佳乃の机には、学校のノートと実習用の道具、テスト撮影の写真。それから、今日新しく書き足した二行がある。
優はベッドへ寝転がり、佳乃の文句を聞き流しながらスマートフォンを弄っていた。
しばらくして、画面を見たまま言う。
「次は撮るよ」
佳乃のペンが止まる。
「ほんと?」
優がちらりと佳乃を見る。
口元が少し悪戯っぽく上がる。
「覚えてたら」
「絶対忘れるじゃん」
「じゃ前日に言って」
「当日も言う」
「怖」
今度は、どちらからともなく笑った。




