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第十二話 知らないところで

最初のスクーリングから、数日が経った。


「今日、学校?」

制服の袖に腕を通しながら、優が聞いた。


佳乃はベッドの中から顔だけを出す。

「今日はない」


「じゃあ課題?」


「……多分」


「多分なんだ」


「今日はちょっと重いの」


昨日は二度目のスクーリングだった。

前回よりはよかった。

学校の前で足も止まらなかった。

ワインディングも、最初から手が震えたわけではない。

それでも一日終わって帰ってきた頃には、身体の中身を全部使い切ったように重かった。


「じゃあ寝れば?」

優が言う。


「寝てる」


「ならいいじゃん」


「よくない」


「何で?」


「一日なくなる」

優はリボンを結びながら鏡を見る。


「明日あるじゃん」


「そういう問題じゃない」


「じゃあ今日もある」


「何が」


「午後」


佳乃が布団から目だけを出した。

「……それはそうだけど」


「じゃ、午後の佳乃さんに任せよう」


「誰」


「未来のお姉ちゃん」


「無責任」


「よろしくって伝えといて」

優は鞄を肩へかけた。


「いってきます」


「……いってらっしゃい」


ドアが閉じる。

佳乃はしばらく天井を見ていた。

もう一度目を閉じる。

そのまま昼近くまで寝た。

十二時を過ぎて。

起きた。

顔を洗う。

何か食べる。

一時半。

机へ座った。


教材を開く。

二ページだけ。

そう決めた。

結局。

四ページ進んだ。

それ以上はやらなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「優」

昼休み。

呼ばれて、優が振り返った。


「ん?」


クラスメイトの女子がスマートフォンを持って立っている。

「これ」


画面を見せられる。

春物の服、白い背景、薄いブルーのニット。

その中に、自分がいた。


「……あ」


「『あ』じゃなくて」


優が画面へ少し顔を近づける。

「出たんだ」


「知らなかったの?」


「知らなかった」


「自分の仕事で?」


「桐島さんから来てたかも」


「見なよ」


「あとで見る」


「適当すぎない?」


その声を聞いて、近くにいたもう一人が寄ってくる。

「何?」


「優、モデルやってる」


「は?」


「やってるっていうか……」

優が口を挟む。

「一回撮っただけ」


「これ普通にブランドのサイトじゃん」


「じゃあ一回載った」


「そういう数え方なの?」

二人が画面を見る。

優も横から見る。

撮影した日は覚えている。


服も、ポーズも。

でもこうやってWebページの中に入っている自分を見ると、少し変な感じがした。


「何か優じゃないみたい」

最初に見つけた子が言った。


「そう?」


「いや、優なんだけど」


「どっち」


「学校にいるときと違う」


「そりゃ制服じゃないし」


「そういう意味じゃない」

優はもう一度写真を見る。


少し考える。

「メイク?」


「分かんない」


「じゃあ何」


「何かちゃんとしてる」

優が笑った。


「普段ちゃんとしてないみたいじゃん」


「してないでしょ」


「ひど」


チャイムが鳴る。


「あとで送って」


「自分で見なよ」


「URL探すのめんどい」


「本人だろ」

そんなことを言いながら、それぞれ席へ戻る。


優もスマートフォンを机へ入れた。


写真のことは、次の授業が始まる頃には、もう頭から抜けていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


同じ頃。


桐島は、優の写真をテーブルへ並べていた。

最初のテスト撮影。

その次に、アパレルブランドで撮った写真。

向かいに座る男性が一枚ずつ見る。

制作会社のキャスティング担当だった。


「橘優……十八歳」


「はい」


「まだ高校生?」


「三月に卒業予定です」


「実績は?」


「掲載済みは、こちらのアパレルが一件です」


男性が顔を上げる。


「これが最初?」


「仕事としては」


「その前は?」


「テスト撮影のみです」


写真へ視線が戻る。

一枚。

次。


「二回しか撮ってない?」


「はい」


今度は返事まで少し間があった。


男性がテスト写真を持ち上げる。


「元々モデル志望?」


「違います」


「へえ」


「芸能活動自体、こちらから声をかけるまで考えたことはなかったそうです」


「珍しいですね」


桐島は何も返さない。

男性はアパレルの写真へ戻る。


「現場どうでした?」


「問題ありません」


「具体的には?」


桐島は少しだけ考えた。


「指示への反応が早いです」


「新人にしては?」


「新人であることを差し引かなくても」


男性が桐島を見る。


「結構買ってますね」


「事実をお伝えしています」


「同じことじゃない?」


桐島は表情を変えなかった。


「撮影中、同じ修正を二度伝える必要はありませんでした」


「へえ」


「商品を見せたいという修正にも、その場で対応しています」


男性が二枚の写真を見比べる。


「最初、本人に目が行きすぎた?」


「はい」


「でしょうね」


「顔が強すぎる?」


「最初は」


写真の優を見る。


「これだけ顔に目が行くと、広告によっては使いづらい」


「そこも修正できました」


桐島が次の写真を指す。


同じ服。


同じ優。


けれど、最初に目へ入るものが違う。


肩。


袖。


ニットの形。


その後に優の顔へ視線が上がる。


男性は二枚を見比べた。


「……なるほど」


また写真を送る。


「表情も結構作れる?」


桐島の指が、ほんの少し止まった。


友達と待ち合わせ、休日、天気がいい。


カメラマンが渡したのは、それだけだった。

それなのに優は誰かを見つけた。

そう見える顔をした。


「勘はいいです」


桐島はそう答えた。


「今回、コスメなんですよね」


「はい」


「なら顔が強いのはむしろ使いやすいか」


男性が写真を一枚抜いた。


「一度、先方に出してみます」


「お願いします」


「ただ」


「はい」


「モデル経験ほぼないんですよね」


「そうですね」


男性はもう一度写真を見る。


「……見えないな」


桐島は何も言わなかった。


写真だけを見た。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


三度目のスクーリング。


「前よりいいね」


講師が何気なく言った。


佳乃の手が止まった。


「……ほんとですか」


「うん。ここ」


巻いたロッドを指す。


「前より揃ってる」


佳乃も見る。


確かに前回は幅がばらついていた。


今日は少ない。


「あと、最初より速くなってる」


「……はい」


嬉しかった。


ちゃんと。


少し。


そのはずなのに、佳乃の目は隣へ動いた。


自分より後に始めた人が、もう二本先にいる。


また自分のウィッグを見る。


今度は、一番端のロッドが少しだけ斜めになっているのが気になった。


「……ここ直していいですか」


「いいけど、時間も見てね」


「はい」


ほどく。


巻き直す。


さっきより綺麗になった。


次。


その次。


前回より手は動く。


講師に言われる前に、自分で間違いにも気づける。


だから余計に。


気になる場所も増えた。


ここ、もう少し。


次はもっと。


終わった頃には前回より多く巻けていた。


それでも佳乃が見ていたのは。


できた部分ではなく。


最後まで届かなかった、その先だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


翌日。


佳乃は何もしなかった。


昼まで寝て。


起きて。


水を飲んで。


またベッドへ戻った。


机には教材がある。


昨日使ったノートもある。


見える。


でも身体が動かない。


「……今日は無理」


一度口にした。


それで終わりにした。


夕方。


帰ってきた優は、机を一度見た。


ベッドの佳乃を見る。


「ただいま」


「おかえり」


それだけ。


その日は犬の動画を二本見た。

猫も一本見た。

教材は開かなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


次の日。


佳乃は朝から机にいた。


昨日開かなかった教材。


昨日の続き。


一ページ。


二ページ。


レポートへ移る。


一問。


次、分からない言葉を調べる。


そこから別のページを開く。


ノートへ書く。


昼を過ぎる。


午後三時。


一度休む。


また戻る。


夕方。


優が帰ってくる。


「ただいまー」


「おかえり」


「……まだやってるの?」


「うん」


優が机を見る。


教材、学校のノート、スマートフォン、別の本、テスト撮影の写真。


「何してんの?」


「レポート」


「それ全部?」


「途中から違う」


「何で?」


「気になったから」


「また?」


佳乃は返事をしない。


画面を見る。


肌、光、色、撮影用メイク。


久世が使っていた方法。


前より少し分かる。


分かるとまた分からないところが増える。


「お姉ちゃん」


「ん」


「もう七時」


「え」


時計を見る。


本当に七時だった。


「ご飯」


「あとちょっと」


「またそれ」


「今分かりそうなの」


優が机の横へ来る。


ノートを覗く。


「国試の勉強?」


「それもある」


「それも?」


「色彩とか、撮影とか」


「へえ」


優は開いたノートを何枚か見る。


「今日いっぱいやった?」


「……まあ」


「じゃ、ご飯食べたら?」


「あとちょっと」


「今分かりそう?」


「うん」


優は少し考えた。


「じゃ、あと何分?」


「三十分」


「ほんと?」


「ほんと」


「じゃ三十分したらご飯ね」


「うん」


優は部屋を出ていく。


佳乃はまた画面へ戻った。


三十分後。


優が戻ってくる。


「三十分」


「あと十分」


「増えた」


「ここだけ」


「さっきもここだけって言ってた」


「もうちょっと」


優は少しだけ眉を寄せた。


でも何も言わなかった。


「先食べてるよ」


「うん」


ドアが閉まる。


佳乃はペンを動かした。


あと少し、ここまで。


ここまで分かれば次はもっと上手くできる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


翌日。


優のスマートフォンに桐島から連絡が来た。


「お姉ちゃん」


「何」


「仕事来るかも」


ベッドに寝転がっていた佳乃が顔を上げる。


「また?」


「まだ決まってないって」


「何?」


「えっと」


優が読む。


「コスメ……Web広告?」


佳乃が起き上がった。


「コスメ?」


「元気じゃん」


「どこの?」


「書いてある」


「見せて」


優がスマートフォンを差し出す。


佳乃が受け取る。


ブランド名、商品の概要、撮影イメージ。


まだ候補の段階。


選考用に追加写真を送ること。


「……これ」


佳乃の目が画面から離れない。


「知ってる?」


「知ってる。リップ有名なとこ」


「へえ」


「この新作なら……」


指がスクロールする。


「春のやつか」


「分かるの?」


「前から見てた」


「お姉ちゃん、こういうのだけ反応早いよね」


「こういうのだけって何」


「さっきまで眠いって死んでたじゃん」


「これは別」


「何が別なの」


「全部」


「便利」


佳乃は撮影イメージを見る。


色、顔、唇、優。


頭の中で勝手に組み合わさる。


この色なら、優の肌なら、目元は。


「……メイク誰だろ」


優が笑う。


「やっぱそこ?」


「そこ大事でしょ」


「お姉ちゃんにはね」


「決まったら教えて」


「決まったらね」


優がスマートフォンを取り返す。


その画面を見ながら、少し首を傾げた。


「桐島さん、何でこんな仕事持ってくるんだろ」


「仕事だからじゃない?」


「そう?」


「そうでしょ」


佳乃はそう答えた。


二人とも知らない。


その仕事の候補に。


桐島が自分から優の写真を持っていったことを。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


数日後。


夜。


優はベッドの上で卒業式の案内を見ていた。


佳乃は机でレポートを書いている。


「お姉ちゃん」


「ん」


「卒業式来る?」


ペン先が止まった。


「……え?」


「卒業式」


「私が?」


「他に誰がいるの」


「お父さんとお母さんは?」


「多分無理だって」


「……そうなんだ」


優は案内をひらひら振る。


「来ない?」


佳乃は紙を見る。


卒業式。

その言葉だけ。

一瞬胸の奥に引っかかった。

自分は出なかった。


卒業証書は後から受け取った。

写真もない。

友達と笑った記憶も。

先生へ挨拶した記憶も。

ない。


でも今聞かれているのは。


自分の卒業式の話ではない。


優の卒業式。


「……行っていいの?」


「何でダメなの」


「家族って、普通親じゃない?」


「お姉ちゃんも家族じゃん」


「そうだけど」


「じゃいいじゃん」

あまりにも普通に言う。

佳乃は少しだけ視線を落とした。

「……行く」


「ほんと?」


「うん」


「じゃ決まり」

優は満足そうに案内を閉じた。


「何着てけばいいんだろ」

佳乃が呟く。


「服」


「分かってるよ」


「じゃ普通ので」


「普通って何」


「普通の服」


「説明になってない」


優が笑う。

佳乃も少しだけ笑って、またレポートへ戻った。

数秒して、

「ゆう」


「ん?」


「卒業式って何日?」


「そこから?」


「予定入れなきゃでしょ」


「三月十二日」

佳乃はスマートフォンを取る。


カレンダーを開く。

三月十二日。

予定を追加する。


『優 卒業式』


保存。


その下には次のスクーリング。

レポートの提出予定、国家試験対策。

少しずつ予定が増えていた。


何もなかった頃よりずっと忙しい。


佳乃は画面をしばらく見た。

それからスマートフォンを伏せる。


「……このレポート、今日終わらせよ」


優が顔を上げた。


「もう十一時だけど」


「あとちょっと」


「出た」


「何」


「あとちょっと」


「ほんとにちょっとだから」


「昨日も聞いた」


「今日はほんと」


優は疑うように佳乃を見る。


佳乃はもう教材へ目を戻していた。


ペンが動く。


一行。


次。


できることは少しずつ増えていた。


だからもう少し、もう少しだけ。

そう思う時間も少しずつ増えていた。

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