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ほんとうの嘘  作者: たろー


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13/14

第十話 往復と前進

撮影の前日の夜。


「明日だっけ?」

母が冷蔵庫から水を取り出しながら聞いた。


「何が?」

ソファに寝転がっていた優が顔だけを向ける。


「撮影」


「あ、うん」


「何時から?」


「十時」


「場所は?」


「えーっと……」

優がスマートフォンを探す、テーブル、ソファの横、自分の腹の上。

ない。

「スマホどこ?」


「知らないよ」

向かいで教材を読んでいた佳乃が言った。

「さっき持ってたじゃん」


「どこ置いたっけ」


「自分で探して」


「お姉ちゃん鳴らして」


「やだ」


「冷たい」

優がソファの隙間へ手を突っ込む。


「あった」


「ほら」


「さすがお姉ちゃん」


「何もしてないから」


優が桐島から届いたメッセージを開いた。

「都内。九時四十五分集合」


「十時じゃないじゃん」


「撮影が十時」


母が少しだけ呆れた顔をする。

「遅れないでよ」


「大丈夫」


「佳乃も一緒?」

佳乃の指が止まった。


「私は行かないよ」


「そうなの?」


「仕事だし」


「ああ、そっか」

母はそれ以上聞かなかった。

冷蔵庫を閉める。

「まあ、桐島さんいるんでしょ?」


「いるよ」


「なら大丈夫か」

あっさりしたものだった。

「あと、契約関係だけちゃんと見せてね」


「桐島さんが説明してくれたやつ?」


「そう。それ」


「分かった」

優もそれ以上気にしていない。


母は時計を見る。

「ごめん、明日早いからもう寝るね」


「おやすみ」


「おやすみ」

佳乃も言う。


「おやすみ。優、寝坊しないでよ」


「はーい」

母がリビングを出ていく。


少しして、優のスマートフォンが震えた。

父からだった。

『明日初仕事なんだって?』


その下に、

『優がやりたいならやってみればいいと思う。学校も忘れずに』


続けて

『佳乃も前の撮影一緒だったんだろ? 二人で相談しながらやりな』


優は読んで、

『了解』

だけ返した。


佳乃が横から見る。

「軽」


「お父さんも軽いじゃん」


「似たんじゃない?」


「誰に?」


「両方」


「最悪じゃん」

優が笑う。


佳乃も少し笑って、また教材へ目を戻した。

それで話は終わった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


翌朝。


「忘れ物ない?」

玄関で佳乃が聞いた。


「たぶん」


「たぶんって何」


「スマホある。財布ある。充電ある」


「充電あるって物じゃないでしょ」


「今日は九十八パー」

優が画面を見せる。

「偉いでしょ」


「当たり前」


「この前怒られたから」

靴を履き、バッグを肩へかける。

優が立ち上がった。


佳乃はその姿を見る。

今日は私服。

現場で着替えるから、服もいつも通りだった。

テスト撮影の日みたいに、佳乃が髪を整えたわけでもない。

メイクもしていない。

本当にただ出かけるだけの格好。


「じゃあ行ってきます」


「うん」


優がドアノブへ手をかける。

一度振り返った。

「お姉ちゃんは?」


「何が」


「今日」


「レポート」


「やるの?」


「……たぶん」


優が笑う。

「じゃ、お互い仕事だね」


「私は仕事じゃないけど」


「似たようなもんじゃん」


「違うよ」


「じゃあ勉強」


「そうして」


「いってきまーす」

ドアが閉まった。

急に、家が静かになった。

佳乃はその場に立ったまま、まだ優がいるみたいに玄関の扉を見ていた。


リビングの方から、時計の秒針が聞こえる。


カチ。


カチ。


普段なら気にも留めない音だった。

一分が過ぎたところで、分針が小さく動く。


カチン。


秒針より少し大きな音に、佳乃ははっとした。


「……行っちゃった」

呟いてから、自分で少し変な気分になる。


別に何日も会えないわけじゃない。

夕方には帰ってくる。

いつも優がいると、うるさいと思うことだってある。

今日は静かだ。

その分、集中できる。

そう思った。


なのに誰もいない家は、思っていたより広かった。

佳乃は小さく息を吐いた。


「……やろ」


誰もいない廊下へ言って、佳乃も自分の部屋へ戻った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


撮影場所は、前回のスタジオより小さかった。


大きな白ホリもない。

窓の広い一室に、背景紙とライトが組まれている。

壁際には春物の服。

ニット、シャツ、薄手のジャケット、淡い色のスカート。


「おはようございます」


桐島がスタッフへ声をかける。


優も頭を下げた。

「おはようございます。橘優です。よろしくお願いします」


何人かがこちらを見る。

衣装担当、カメラマン、ブランド側のスタッフ、メイク担当。

視線が、一度優へ集まる。

テスト撮影のときと同じだった。

でも今日は、見られる理由がはっきりしている。

自分を撮るために集まった人たちだ。


「橘さん、こっちお願いします」


「はい」


優はメイク台へ向かう。

椅子へ座った。

鏡の前に見慣れない化粧品が並んでいる。

メイク担当の女性が、優の顔を近くから見る。

「肌きれいだね」


「ありがとうございます」


「普段メイクする?」


「自分ではあんまり」


「誰かにやってもらう?」


「あ、お姉ちゃんが」


「お姉さん?」


「はい。メイク好きなんです」


自然に口から出た。


メイク担当は、

「へえ」

と答えて、下地を手に取った。


優は鏡を見る。

知らない人の指が頬へ触れる。

スポンジ、ブラシ、目元。


テスト撮影では久世がやっていた。

家では佳乃。

今日はまた別の人。

手際がいい。

佳乃より、速い。


優は鏡の中で動いていく手元を眺めた。


今頃佳乃も机に向かっているだろうか。

そんなことが一度だけ頭をよぎる。


「目閉じてください」


「はい」

素直に閉じる。

ブラシが瞼を撫でる。


数分して

「はい、開けて」


鏡の中。

いつもの自分と少し違う。

可愛いというより、明るい。

春らしい。

優は少し顔を近づけた。


なんとなく、違う。

何が、とは分からない。


佳乃が作る顔とも、久世が作った顔とも。


「どう?」


「おお」


優が笑った。


「すごい」


「よかった」


少し離れたところで、桐島が時計を見ていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


一着目。


白いシャツに、薄いブルーのニット。

シンプルだった。


「じゃあ最初、ここお願いします」

カメラマンが床を示す。


今回は優は聞かなかった。

床を見る、テープを見つける、その上へ立つ。


カメラマンが少し笑った。

「経験ある?」


「一回だけ」


「一回?」


「テスト撮影」


「なるほど」

カメラを構える。

「じゃあ、身体少し斜め。顔だけこっち」


優が動く。


カシャ。


「もう少し肩抜いて」


カシャ。


「そうそう」


何枚か。


「次、ちょっと笑って」


優が笑う。


カシャ。


カメラマンがモニターを見る。


一度。


また優を見る。


「……もう少し自然にいこうか」


「自然?」


「友達と待ち合わせしてるくらい」


優は少し考えた。


「友達?」


「うん。休日。天気いい。買い物行く前」


「ああ」


優の身体から少し力が抜ける。


視線がカメラの少し横へずれた。


誰かを見つけたみたいに。


口元が緩む。


カシャ。


カメラマンの指がすぐ動く。


カシャ、カシャ。


「そう。いいね」


優は少し首を傾ける。


次。


視線を落とす。


また上げる。


カシャ。


「そのまま」


シャッターが続く。


桐島はモニターを見る。


テスト撮影で一度見ている。


それでもやっぱり早い。


説明して理解するではない。


言葉を渡した時点で、その先まで勝手に埋まっている。


友達、休日、天気がいい、買い物へ行く前。

カメラマンが渡したのは、それだけだ。

なのに写真の中には、その先に誰かがいる。

待っていた相手を見つけたような目。

その人へ近づく前の一瞬。

そこまで指示した人間はいない。


桐島の眉間に、ほんのわずかに皺が寄った。

まだ、名前はつけられない。


「一回チェックします」


撮影が止まる。

ブランド側の女性がモニターへ寄る。


何枚か見る。


「可愛いですね」


「ありがとうございます」

優が答える。


その女性が少し考えた。

「ただ、もう少し服が見える方がいいかも」


カメラマンも頷く。

「あー、確かに。顔に持ってかれるな」


優は聞いている。

「服を見せる感じですか?」


ブランド側の女性が顔を上げる。

「そうですね。今回、商品ページでも使いたいので」


「分かりました」

次の撮影。

同じ服。

同じ背景。

でも少し変わった。

さっきまで、見れば最初に顔へ目が行った。


今は、肩、袖、ニットの形、身体の角度。

服が見える。

それでも、優が消えたわけではない。


カシャ。


数枚。


ブランド側の女性がモニターを見る。


「……そうです。これ」


優が聞く。


「こんな感じ?」


「はい。すごくいいです」


「分かりました」


次から同じことは言われなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


二着目。


三着目。


着替える。


撮る。


待つ。


直す。


また撮る。

スタッフがライトを調整している間、優は壁際の椅子に座っていた。

スマートフォンを見る。

佳乃からは何も来ていない。

優も送っていない。

家を出てから、もう二時間以上経っている。

画面を一度閉じる。


集中してるんだろうな。

そう思った。


帰り、じゃがりこでも買おう。


サラダ味。


頑張ったご褒美。


そこまで考えて。


ほんの少しだけ。


頑張れ。

と思った。


わざわざ送るほどではない。


本当に、それだけ。


「橘さん、次いけます」


「あ、はい」


優はすぐ立つ。

スマートフォンを伏せる。


四着目。


薄いジャケット。

今度は椅子を使う。

カメラマンが指示を出す。


「もうちょっと背中預けて」


優が動く。


「そう。片脚少し前」


カシャ。


「目線外して」


カシャ。


何枚か撮ったところで、カメラマンが口を開きかける。


「次――」


優が先に身体を動かした。

脚を組み替える。

片腕を背もたれへ乗せる。

ジャケットの前が開く。

服のラインが見える。


カシャ。


カメラマンが撮る。

優が少し前へ身体を起こす。


カシャ。


また戻る。


カシャ。


ブランド側の女性が、

「今のいいです」

と言う。


優が止まる。


「どれ?」


「一個前」


「これくらい?」


ほぼ同じ位置へ戻す。


「そうです」


カシャ。


「すごいね」


衣装担当が、小さく言った。


優がそちらを見る。


「何がですか?」


「戻せるんだ」


「さっきのですか?」


「うん」


優は少し考える。


「何となく」

衣装担当が笑う。


「何となくでできるんだ」


優も笑った。

「多分」


桐島は少し離れた場所から、そのやり取りを見ていた。


スタッフに好かれる、必要以上に媚びない。

分からないことは聞く。

言われたことはすぐ直す。

空気を読んで、相手が欲しいものを出す。

新人として、かなり扱いやすい。

それだけなら、優秀なモデルで説明できる。


なのに、何か。

少しだけ説明が足りない。

桐島は手元のメモへ視線を落とした。


また一行、書き足した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


同じ頃。


優が出ていってから、佳乃は机に向かっていた。


一時間くらいは、何となく落ち着かなかった。


時計を見る。

スマートフォンを見る。

教材。

また時計。


その繰り返し。

でも優から連絡はない。

仕事中なのだから当たり前だった。

佳乃もレポートを開いた。


昨日読み直した一通。

最後まで確認する。

一か所、誤字を見つけた。

直す。

もう一度読む。


「……」


提出ボタン。


指が止まる。

前にも、何度もこうやって止まった。

でも今回は、前ほど長くなかった。


押す。


『提出しました』


表示が変わる。

佳乃はしばらく画面を見る。

六通だったものが、五通になる。


「……五個」


口にして、少しだけ笑った。

その瞬間、優の顔が浮かぶ。


『じゃあ出せば五個じゃん』


「……ほんとに五個になった」


誰もいない部屋で言う。

少しだけ変な気分だった。


それからスマートフォンを見る。


今頃優は知らない場所で、知らない人たちに囲まれて、知らない人にメイクされている。

胸の奥から、ざらざらしたものがせり上がってきた。

嬉しい。

初めての仕事が決まったとき、本当に嬉しかった。

今日だって、上手くいってほしい。


でも、その横から別のものが顔を出す。

今頃、誰かが優の顔を近くで見ている。

色を選んで、ブラシを当てて、自分の知らない優を作っている。


佳乃は唇を結んだ。


――いやいや。


優は私のものじゃない。

当たり前だ。

仕事なんだから。

それに、きっと自分より上手い人だ。

その方が優にとってもいい。

分かっている。

分かっているのに。


――でも、私の方が優のこと知ってるもん。


胸の中でそう言ってから。

佳乃は自分で少し呆れた。


「……何張り合ってんだろ」

小さく呟く。

その感情に、まだ名前はつけなかった。

つけたくもなかった。


佳乃は教材へ視線を戻した。

知らないところ、分からないところ、まだある。


なら、今はやるしかない。


優の隣に立ちたいなら、自分が作りたいなら。

もっと、知るしかない。


佳乃は次の課題を開いた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「お疲れさまでした」


最後のシャッターが止まった。


「お疲れさまでしたー」

優も頭を下げる。

予定より少し早かった。


着替えて、メイクを落としてスタッフへ挨拶する。

「ありがとうございました」


ブランド側の女性が、

「こちらこそ。またぜひ」

と言った。


優は笑う。

「はい」


桐島と外へ出る。

冷たい空気。

優が肩をすくめた。


「さむ」


「冬ですから」


「中暑かった」


「ライトがありますからね」


少し歩く。

桐島が聞いた。

「どうでした?」


「何がですか?」


「初仕事です」


「ああ」

優は少し考える。


「楽しかったです」


「そうですか」


「着替えるのいっぱいあって」


「そこなんですね」


「あと、待つ時間長い」


桐島の口元が少し動く。

「仕事なので」


「モデルってずっと撮ってるのかと思ってた」


「むしろ待つ時間の方が長い現場もあります」


「へえ」

少し歩く。


「またやりたいですか?」

桐島が聞いた。


優の足が、ほんの少しだけ遅くなった。

「んー……」


上を見る。

白い息がほどけていく。

今日の撮影は普通に楽しかった。

知らない服を着るのも。

カメラの前に立つのも。

思っていたより嫌じゃない。


それに、佳乃も今頃、自分の方を進んでいる。


なら、自分はこっちにいればいい。


先に進んで。

待っていればいい。

別に急かす必要はない。

佳乃なら、来る。


優は視線を戻した。


「はい。もちろん」

にこっと笑う。


綺麗な笑顔だった。

口元がちょうどよく上がって、目元まで柔らかくて。

初対面の人にも好かれる、感じのいい笑顔。

桐島は、その笑顔を不自然だとは思わなかった。


優はこういうふうに笑う子なのだと。

そう思っている。

佳乃の前でくだらないことで吹き出して、目尻を崩して、声まで変わる笑い方を、桐島は、まだほとんど知らない。


「分かりました」


桐島はそれだけ答えて、また前を向いた。


優も隣を歩いた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


佳乃はノートから顔を上げた。


時計を見る。


四時十二分。


さっき見たときから、十五分くらいしか経っていない。


「……」


また教材へ目を戻す。


数行読む。


一つ分からない言葉を調べて、ノートへ書く。


その途中で、ふと玄関の方へ顔を向けた。


何も聞こえない。


佳乃はスマートフォンを手に取った。


優とのトーク画面を開く。


最後のやり取りは、昨日送られてきた犬の動画だった。


文字を打つところまで指を動かして、止める。


別に、用事はない。


撮影中かもしれない。


佳乃はそのまま画面を閉じた。


「……集中しよ」


誰に言うでもなく呟いて、教材へ戻る。


しばらくして。


また時計を見る。


四時二十九分。


佳乃は眉を寄せた。


今度は、自分でも少しおかしかった。


撮影が何時に終わるのかも聞いていない。


帰ってくる時間だって知らない。


なのに、いつの間にか待っている。


佳乃はペンを持ち直した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


夕方。


玄関が開く。


「ただいまー」


佳乃のペンが止まった。


ほんの一瞬だけ、そのまま動かなかった。


それから、自分でも気づかないうちに小さく息を吐く。


少し間があって、二階から。


「おかえり」


佳乃の声が返ってきた。


優は靴を脱ぐ。

リビングは暗い。

靴も二人分だけ。

優はそのまま階段を上がった。

佳乃の部屋のドアは開いている。


机に佳乃がいる。

教材、ノート、スマートフォン。


「お姉ちゃん」


「ん」

佳乃が振り返る。

「終わった?」


「終わった」

優が部屋へ入る。


そのままベッドへ倒れ込む。

「疲れたー」


「初仕事どうだった?」


「楽しかった」


「ほんと?」


「うん」

佳乃が少しだけ笑う。


それから数秒。

「……メイクどうだった?」


優が顔を上げる。

「そこ?」


「何」


「普通、撮影どうだったとか聞かない?」


「今聞いたじゃん」


「一言で終わった」


「じゃあ詳しく話して」


「メイクから?」


「メイクから」


優が笑う。

「お姉ちゃんほんとそればっか」


「いいでしょ」


「春っぽかった」


「それじゃ分かんない」


「ピンク」


「どこに?」


「顔」


「雑すぎ」

優が笑う。


佳乃も笑った。

「写真ないの?」


「途中で一枚撮った」


「見せて」


「はいはい」

優がスマートフォンを出す。


メイク台で撮った一枚。

佳乃が受け取る。

すぐ目が変わる。


「……これ、チークどこまで入れてる?」


「知らない」


「結構外までいってるな……」


「始まった」


「何が」


「反省会」


「私やってないでしょ」


「じゃあ研究会」


「それ」


「認めるんだ」

優が笑う。


佳乃は写真を拡大する。


その横で優が机を見る。


ファイル、画面。

一つ。


表示が変わっている。


「出した?」


佳乃の指が止まる。

「……うん」


優が少しだけ身体を起こした。

「一個?」


「一個」


「じゃあ五個じゃん」


「……うん」

今度は佳乃も否定しなかった。


優が笑う。佳乃も、少しだけ笑った。


別々の場所で、別々のことをしていた一日。

優は初めて仕事をした。

佳乃は初めて一通を提出した。


朝、同じ家から始まって。


昼は、違う場所にいた。


そして、また、同じ部屋に戻ってきた。


「お腹すいた」

優が言う。


「私も」


「今日何ある?」


「知らない」


「お母さん帰ってくる?」


「遅いって」


「お父さんは?」


「今日いないでしょ」


「そっか」


少しだけ静かになる。


いつもの夜だった。


「じゃあ何食べる?」

佳乃が聞く。


「コンビニ?」


「また?」


「あ」

優が身体を起こす。

「お姉ちゃんにじゃがりこ買うの忘れた」


「何それ」


「ご褒美」


「何の?」


「レポート」


佳乃が一瞬、優を見る。

「……別にいらない」


「じゃあ私食べる」


「それはそれで腹立つ」


「どっち」


「知らない」


優が笑う。

「じゃあ買いに行く?」


「ご飯は」


「じゃがりこ」


「ご飯じゃない」


「ヨーグルト」


「もっと違う」


優がまた笑う。

佳乃は教材を見る。

時計を見て、それから立ち上がった。


「……行こっか」


「何買う?」


「行ってから決める」


「寒いよ」


「言い出したのあんたでしょ」


優も起き上がる。


二人で部屋を出た。


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