第八話:よちよち歩き大疾走と、公爵城のトリプル絶対防護網
第一節:立ち上がった三天使と、過保護のパニック警報
魔導技師シリウスの暴走魔導具騒動から数週間。生後十ヶ月を迎えた三つ子たち——レオン、シエル、ノエルに、さらなる大きな『成長の瞬間』が訪れた。
「旦那様! アリア様! 大変です、歴史的な瞬間でございます!!」
執事長ジャンが、いつもの冷静さを完全にかなぐり捨て、息を切らせてアリアの寝室へと飛び込んできた。手には胃薬の小瓶ではなく、なぜか興奮で震える記録用の羊皮紙が握られている。
「ジャン? どうなさったのですか、そんなに慌てて……」
アリアが困惑したように首をかしげる。
「三つ子様が……三つ子様が、ついに……自力で立ち上がり、二足歩行——『よちよち歩き』を開始されました!!」
その言葉が発せられた瞬間、ソファでアリアの隣に座っていたルーカスが跳ね起き、手にしていた最高級のティーカップを空中で静止させた。
「何だと……!? 歩いた……!? あやつらが、自分の足で……二足歩行だと!?」
「はい! 長男レオン様がソファの脚を掴んで立ち上がられたのを皮切りに、次男シエル様、長女ノエル様も相次いで直立! 現在、三人揃って部屋の中を『よちよち』と歩行中でございます!」
「全軍……全隠密隊に告ぐ!!」
ルーカスは瞳を青灰色の殺気と過保護の狂気で燃え上がらせ、公爵城全体へと響き渡る念話魔法を発動させた。
「これより当城の警戒レベルを【極限二足歩行防衛体制】へと引き上げる! 三つ子たちの歩行軌道上に存在するすべての段差を排除しろ! 床に落ちている目に見えない微小なホコリ一つ、小石一つに至るまで、0.1秒以内に完全消滅させよ!!」
「ルーカス様、落ち着いてくださいまし!」
飛んできた乳母エレナのハリセンが一閃したが、今回ばかりはルーカスの過保護パニックを止めることはできなかった。
第二節:三方向への同時大疾走! 影の護衛隊の極限ミッション
ハイハイと「よちよち歩き」の決定的な違い……それは、移動速度と方向転換の気まぐれさ、そして「転倒した時のダメージ」の大きさであった。
「あー! じょーずー♪」
広大な中央大廊下。
プラチナブロンドの髪を揺らし、両手を翼のように広げて「てけてけ」と楽しそうに歩いていくのは、次男のシエルだ。行き先は、あろうことか大階段の方向である。
「シエル様が階段へ向かわれております! 速度、通常の赤ん坊の二倍!」
天井の梁から見守る影の護衛隊員が叫ぶ。
「任せろ! 『影流・二足歩行専用・超フワフワ人間じゅうたんの術』!!」
双子の隠密ルーイが音もなく降り立ち、シエルの足元へ向けて厚手の高級絨毯を抱えたままスライディング! シエルが歩く一歩手前の床へ、完璧なタイミングでフカフカの生地を敷き詰めていく。
「ぽて」
シエルが足を滑らせてお尻からストンと転んだが、そこはルーイが敷いた厚さ十センチの超高級フェルトの上。
「きゃっきゃっ♪」
シエルは全く痛がる様子もなく、むしろ「面白い床!」と言わんばかりに転がって大喜びだ。
……だが、危機は一箇所ではなかった!
「隊長! 長男レオン様が……ルーカス殿下の冷気魔導具が保管されている危険展示室へ向かって歩行中!」
「長女ノエル様は、アリア様を探して庭園への勝手口へ向かっておられます!」
三つ子たちが、見事なまでにバラバラの三方向へ向かって「よちよち歩き」で大疾走していたのだ!
「くっ……! 三位一体の同時歩行攻撃か……!」
護衛隊長カルロスが冷や汗を流す。
「全隊員、フォーメーションデルタ! ハンジはレオン様の進路上で柔らかいぬいぐるみになりすませ! ルーイはシエル様の滑り込みガードを継続! 私はお嬢様が風に吹かれないよう、背後から無音で巨大風よけ板になれ!!」
『了解!!』
国家を揺るがすレベルの暗殺部隊「黒狼衆」が、三人の赤ん坊の「よちよち歩き」を無傷で成功させるためだけに、全生命力を賭した超絶技巧を繰り広げていた。
第三節:パパの手と、はじめての「たっち」
一方、大廊下の中央。
長男レオンが、小さな足を「てけてけ」と動かしながら、まっすぐに立ち尽くす人物へと向かっていた。
そこに立っていたのは、父親のルーカスである。
「レオン……」
ルーカスは冷気も殺気も全て消し去り、その場に深くひざまずいた。
小さな我が子の目線に合わせて両手を広げ、プルプルと震える声で呼びかける。
「おいで、レオン。……ゆっくりでいい。私の手を目指して歩いてこい」
銀髪の長男レオンは、父親そっくりのクールな目元を少しだけ和ませ、
「……あう」
と小さく声を漏らした。
よち、よち、と小さな足が床を蹴る。
一度、身体が大きく左右に揺れて倒れそうになったが、ルーカスが手を差し伸べようとした瞬間、レオンは自分の足でぐっと踏み止まった。
そして——。
ぺた。
小さな、小さな手が、ルーカスの大きな掌をギュッと握りしめた。
「……っ!!」
「……ぱ……ぱ!」
レオンが、ハッキリとルーカスを見上げて小さく微笑んだ。
その瞬間、ルーカスの青灰色の瞳から、大粒の涙がボロボロと溢れ落ちた。
「歩いた……! 私の元へ……自分の足で歩いてきてくれた……っ!」
ルーカスはレオンを壊れ物を扱うように優しく、けれど強く抱きしめ、その小さな背中をさすった。
「可憐だ……! 愛おしい……! お前が生まれたあの日から、毎日のようにお前の成長に心を揺さぶられている……!」
「あら……ふふ、ルーカス様ったら。レオンに先を越されてしまいましたわね」
振り返ると、アリアが次男シエルと長女ノエルの手をそれぞれ繋ぎながら、柔らかく微笑んで立っていた。
シエルもノエルも、アリアと手を繋ぎながら「てけてけ」と上手に足を動かしている。
「ママ! ぱぱ!」
ノエルが嬉しそうに声を上げ、シエルもニカッと笑ってルーカスに向かって手を伸ばした。
第四節:五人で歩む未来と、公爵家の誓い
陽光が優しく差し込む大廊下。
アリアとルーカス、そして三つ子たちが並んで「よちよち」と歩く光景は、絵画のように神々しく、あたたかな幸せに満ちあふれていた。
「アリア……」
ルーカスはレオンを抱っこしながら、アリアの隣に歩み寄った。
「この子たちが……いつか大人になり、自分の足でどこへでも行けるようになったとしても……私は生涯、この手でお前たちを守り続ける」
「ええ……分かっていますわ、ルーカス様」
アリアが可憐に微笑み、ルーカスの腕に優しく寄り添う。
「でも、今はまだ……もう少しだけ、私たちの手の中で、この子たちの『はじめて』をたくさん見守らせてもらいましょうね」
「あぁ……! 当たり前だ! 一秒たりとも見逃すものか!!」
その光景を、廊下の陰で見守っていた人々。
「うぅ……シエル様とレオン様とノエル様が……無事に歩かれましたぞ……!」
人間クッションとして全力を出し切った双子のハンジとルーイが抱き合って感涙し、
カルロス隊長も深く満足そうに頷いていた。
そして、執事長ジャンは手帳にペンを走らせる。
「……ふむ。『三つ子様二足歩行達成記念パーティ』の開催手配と、全城内の床カーペット化予算の計上……。胃薬の在庫も追加しておかねばならんですな」
過保護で騒がしく、けれど世界で一番愛にあふれたヴァルハイト公爵家。
三つ子の「よちよち歩き」とともに、家族の幸せな歩みは、どこまでもどこまでも未来へと続いていくのであった。




