第三話:極上の離乳食と、厨房の過保護大革命
第一節:三つ子の離乳食解禁と、厨房の緊急事態宣言
三つ子たちがすくすくと育ち、生後数ヶ月を迎えたある日の早朝。
ヴァルハイト公爵城の大厨房に、先代公爵の時代すら超える史上最大の緊張が走り抜けた。
「全料理人に告ぐ!! 本日より、我がヴァルハイト公爵城厨房は【離乳食初期・絶対完璧防衛体制】へと移行する!!」
料理長ボリスが、まるで出陣前の将軍のごとく巨大な木製おたまを高く掲げて叫んだ。
ずらりと並んだ若手料理人たちが「ハッ!」と一斉に直立不動の姿勢をとる。
事の発端は、今朝の朝食時に届いた公爵からの直筆指示書であった。
執事長ジャンがいつものように胃薬の小瓶を握りしめ、青ざめた顔で読み上げた内容は、まさに狂愛の極致と言えるものだった。
「『本日より三つ子——レオン、シエル、ノエルの離乳食を開始する。使用する食材は全土から厳選された完全無農薬・最上級品のみ。一粒のお米、一口の野菜スープに至るまで、栄養素、滑らかさ、温度、アレルギー反応の有無を完璧に計算・検証しろ。もし三つ子の口に合わず一口でも吐き出させたり、お腹を壊させたりした場合、厨房スタッフは全員、北極海のマグロ漁船へ永久流刑とする』……とのことだ」
「ひ、ひえぇぇぇっ!? マグロ漁船の刑が継続中だーーーっ!!」
若手料理人たちがガタガタと震え上がる。
だが、ボリス料理長はひげをピンと伸ばし、豪快に胸を叩いた。
「怯えるな、若造ども! 我々はただ処分を恐れて料理を作るのではない! アリア様が命懸けでお産みになられたあの可愛らしき三天使に、この世で最も美味しく、最も安全な『人生最初のごちそう』を献上するのだ! 料理人としてのプライドを賭けて、極上の離乳食を作り上げるぞ!!」
『おーっ!!』
公爵の理不尽な過保護命令を、アリア様と三つ子への愛と職人魂で見事に昇華させた厨房の熱き戦いが、こうして幕を開けたのである。
第二節:一粒のお米に宿る神業と、裏で動く影の過保護
離乳食作りは、もはや超精密作業の域に達していた。
「ボリス料理長! 十倍粥の裏ごし、三回目を完了いたしました!」
「甘い! 三回ではまだ微細な米の粒感が残っている! あのお方の、そして三つ子様の繊細なお口と喉を傷つけたらどうする! 七回の裏ごしを行い、絹のごとき滑らかさに仕上げるのだ!」
ボリスは目を皿のようにして、裏ごしされたお粥を魔法のルーペで拡大検証していた。
使用するお米は、王立農学院が管理する極上ブランド米。水は北部の霊峰から汲み上げた清純なる湧き水。これを特製の土鍋でじっくりと煮込み、米本来のほのかな甘みだけを抽出していく。
さらに、厨房の裏手——窓の外の樹木の上では、影の護衛隊「黒狼衆」が潜伏していた。
「隊長……ボリス料理長が煮込んでいるお粥の湯気に、庭園の花粉が微量混入するリスクを感知しました!」
双子の副隊長ハンジが、手にした魔導風速計を注視しながらカルロス隊長に報告する。
「何だと!? 全隊員、風魔法を展開! 厨房の周囲五十メートルから花粉、ホコリ、微粒子を完全に排除しろ! 三つ子様の離乳食に塵一つ混ぜさせるな!!」
暗殺術を極めた影の精鋭たちが、冷や汗を流しながら厨房の空気清浄のためだけに全力で魔力を消費していく。
こうして、公爵城の全戦力が注ぎ込まれた『究極の十倍粥』と『特製キャロットポタージュ』が完成したのだった。
第三節:三つ子の『はじめてのごはん』と、パパの嫉妬
昼下がり。日差しが温かく差し込むダイニングルーム。
ベビーチェアに並んでちょこんと座る三つ子たち。
長男レオンは銀髪を揺らしながらも冷静な眼差しでお皿を見つめ、
次男シエルは待ちきれない様子で小さな手足をバタバタと動かし、
長女ノエルはアリアにそっくりな可愛いお口をほころばせて「あー、うー」と声を上げている。
「さあ、みんな。ボリスさんが心を込めて作ってくださったお粥ですよ」
アリアが優しい笑みを浮かべ、小さなスプーンでお粥をすくって冷まし、まずは長男レオンのお口へと運んだ。
緊張の瞬間。影から見守るボリス、ジャン、そして潜伏中のカルロス隊長までもが息をのんだ。
「あむ」
レオンが小さな唇でお粥を食んだ。
一瞬の静寂ののち——レオンの綺麗な紫の瞳が、パッと輝いた。
「ふちゅ……っ♪」
美味しそうに満足げな声を上げ、レオンが小さな手でおかわりをねだるようにテーブルをトントンと叩く。
「まあ! 美味しいのね、レオン!」
続いて次男シエルと長女ノエルにもお粥が与えられると、二人とも「きゃっきゃっ!」と大喜びで身を乗り出し、ペロリとスプーンを平らげてしまった。
「成功だ……! 三つ子様が召し上がられたぞ!!」
物陰で見ていたボリス料理長が、感涙にむせび泣きながら執事長ジャンと熱い固い握手を交わした。
……だが、その幸福な光景のすぐ隣で。
「……」
ポーカーフェイスを保ったルーカスが、恐ろしいほどの圧迫感を放ちながら、じーっと三つ子(特に男の子二人)を見つめていた。
「アリア」
「はい、ルーカス様?」
「なぜ、あやつらの口にばかりお前が直々にスプーンを運んでいるのだ」
「……え?」
ルーカスは真剣そのものの表情で、アリアの手元のスプーンを指差し、青灰色の瞳を嫉妬で揺らした。
「あやつらはまだ生後数ヶ月だぞ? アリアの『あーん』という世界一尊い給仕を受けるには、100年早いのではないか? 私はこの数年間、お前に直接食べさせてもらったことなど数えるほどしかないというのに……!」
「赤ちゃん相手に本気で嫉妬しないでください、旦那様!!」
飛んできた乳母エレナの容赦ないハリセン(紙扇子)の一撃が、冷血公爵の頭にクリーンヒットした。
「痛っ……! エレナ、不敬だぞ!」
「不敬なのは旦那様の脳内です! ほら、三つ子様が呆れてらっしゃいますよ!」
見れば、長男レオンがどこか冷めたようなポーカーフェイスで父親を見つめ、次男シエルは「あははー」と笑い、長女ノエルはアリアの胸元に顔をうずめて「パパにはあげない」とばかりに可愛らしくおしりを向けていた。
第四節:極上の食卓と、変わらぬ過保護の絆
「ふふ、ルーカス様ったら。三つ子ちゃんたちが美味しいお顔をしてくれて、本当に良かったですね」
食後、ベッドの上でアリアがくすくすと楽しそうに笑いながら、ルーカスの頬を撫でた。
「……ふん。あやつらが健やかに育つのは良いことだ。……だが、アリア」
ルーカスはアリアの手を握りしめ、少し照れくさそうに瞳をそらした。
「今夜は……私にも、お前が淹れてくれた紅茶を一口、飲ませてくれ」
「はい、もちろんですわ。ルーカス様」
アリアが温かく微笑み、ルーカスの額に優しく口づけを落とす。
地階の厨房では、三つ子たちの「全完食」の報告を受けたボリス料理長が、早くも明日からの『野菜ペースト中期メニュー』の試作に情熱を燃やしていた。
「みんな! 明日はかぼちゃとほうれん草のペーストだ! 三つ子様の笑顔のために、そしてアリア様の安心のために、世界一の料理を作り続けるぞ!」
『おーっ!!』
冷血公爵の歪んだ(?)過保護と嫉妬、三つ子の天使のような愛らしさ、そしてそれを食で支える料理人たちの誇り。
ヴァルハイト公爵城の厨房には今日も、最高に温かく、少しだけ騒がしい幸せの匂いが満ちあふれているのであった。




