第二話:三天使降臨! 天変地異の出産劇と過保護の極致
第一節:公爵城、厳戒態勢の陣痛発生
月明かりが静かにヴァルハイト公爵城を照らす、嵐の前兆のような深夜。
静寂を破ったのは、寝室から漏れたアリアの小さな身悶えと吐息であった。
「……んっ……あ……っ」
その微かな音を、お隣の特設執務室で書類を検分していたルーカスが見逃すはずがなかった。ペンを放り投げ、音を置き去りにするほどの速度で寝室へと滑り込む。
「アリア! どこが痛む!? どこに不快感がある!? 今すぐこの命に代えても痛みを肩代わりする魔導具を——」
「ルーカス、様……。お腹が……定期的に、痛みますわ……。きっと……あの子たちが、生まれようとしているのです……」
アリアが可憐な額に汗を浮かべ、消え入りそうな声で呟いた。
次の瞬間、ルーカスの思考は完全に白濁した。
「誕生……!? アリアが……出産!? 全軍、全使用人に告ぐ!! 非常事態宣言を発令する!! 城の周囲百キロに絶対防衛結界を展開! 王立病院の医師、助産師、聖者を全員召集しろ! 間に合わぬなら国ごとここへ引き寄せるんだ!!」
ルーカスの叫びとともに、彼から発せられた膨大な冷気が公爵城の天井を氷漬けにし始めた。
「旦那様! お静かにしなさい!!」
バターンと扉を開けて突入してきたのは、専属乳母のエレナであった。後ろには手早くお湯とタオルを抱えたメイド長マーガレットとミーナ、そして顔を青ざめさせた助産師たちが控えている。
「旦那様が騒いで冷気を撒き散らしてどうするのです! アリア様が冷えてしまいますでしょう! 陣痛が始まったのです、今すぐお出しになりなさい!」
「な……!? 私をアリアの傍から排除するつもりか!? 冗談ではない、アリアが苦しんでいるのだぞ! 私が手を握っていなくてどうする!」
「男手など邪魔です! 廊下で頭を冷やして出産の成功を祈っていなさい!」
ドゴォン! と容赦なく閉められた分厚い重厚な扉。
社交界で『氷の冷血公爵』と恐れられ、数々の暗殺者を一瞬で葬ってきた男が、産室から力ずくで叩き出された瞬間であった。
**第二節:廊下の地獄絵図と、三つの産声**
扉の外の廊下は、もはやこの世の終わりかと思われるほどの緊張感に包まれていた。
「アリア……アリア……!」
ルーカスは廊下の壁に両手をつき、今にも壁を粉砕しそうな勢いで拳を握りしめていた。その全身から漏れ出る冷気により、廊下の床と壁はバリバリと音を立てて凍りつき、まるで極寒の氷窟のようになっていく。
「ど、旦那様! 冷気をおさえてくだされ! 我々の足首が氷漬けになって砕けてしまいます!」
料理長のボリスが悲痛な叫びを上げ、執事長ジャンは激しい胃痛に耐えながら薬の小瓶を煽っていた。
「ジャ……ジャン……。もしアリアに万が一のことがあったら、私は……私はこの国を、いや世界を氷漬けにして自害する……」
「縁起でもないことをおっしゃらないでください!! アリア様はお強いお方です、必ず無事にお産みになられます!」
その時であった。
影の護衛隊長カルロスと、双子の副隊長ハンジ・ルーイが天井の影から音もなく降り立ってきた。
「隊長……報告です。屋敷の屋根の上に、アリア様の無事を祈るための『遠隔魔法障壁』を張り巡らせました。風一つ、虫一匹、産室に侵入させません」
「良くやった、ハンジ、ルーイ。我らの命はアリア様と三つ子様が無事に誕生されるかどうかにかかっている……!」
誰もが息を呑み、祈りを捧げる長い、あまりにも長い時間が流れた。
そして——。
「——おぎゃあぁぁぁぁっ!!」
産室から、元気いっぱいの、甲高い第一の産声が響き渡った。
「産まれた……!? 一人目が産まれたぞ!!」
ボリスが歓声を上げた。だが、これで終わりではなかった。
「——おぎゃあぁぁぁっ!!」
「——オギャアァァァァッ!!」
続いて、第二、第三の力強い産声が重なるようにして響き渡った。
三つの命が、この世界に産み落とされた瞬間であった。
**第三節:三天使との対面と、冷血公爵の涙**
「旦那様、アリア様、どうぞお入りくださいまし!」
エレナの声がかかった瞬間、ルーカスは扉を吹き飛ばす勢いで室内へとなだれ込んだ。
ベッドの上。汗に濡れた髪を散らし、疲労困憊でありながらも、世界で一番神々しく穏やかな微笑みを浮かべるアリアが横たわっていた。その両脇と胸元には、小さな小さな、愛おしい三つの毛布の包みが置かれている。
「アリア……! アリア……!!」
ルーカスはベッドの脇に倒れ込むようにひざまずき、アリアの手を狂おしいほど強く、けれど壊れ物を扱うように優しく握りしめた。
「無事だった……! お前が生きていてくれた……! ああ、神よ……アリア、ありがとう……私を一人にしないでくれて、ありがとう……!」
「ふふ……ルーカス様……泣かないでくださいな。ほら……私たちの赤ちゃんですわ」
アリアが愛おしそうに目元を和ませ、三つの包みを指し示した。
毛布の中から覗くのは、小さく、赤く、けれど元気いっぱいに手足をバタバタと動かす三人の赤ん坊たちだった。
「おめでとうございます、旦那様! 元気な男の赤ちゃんが二人、女の赤ちゃんがお一人ですわ!」
乳母のエレナが、珍しく目元を拭いながら声を弾ませた。
ルーカスは震える手で、一人目の赤ん坊——銀髪を丸めた長男レオンの小さな頬にそっと触れた。続いて、プラチナブロンドの次男シエル、そしてアリアに瓜二つの長女ノエル。
「あ……あぁ……」
『氷の冷血公爵』の青灰色の瞳から、大粒の涙が溢れ出し、留まることなく頬を伝って落ちていく。
敵を殺し、血に塗れ、誰も信じずに生きてきた自分の手に、こんなにも小さく、温かく、尊い命が三つも重なっている。
「レオン……シエル……ノエル……。私の子だ……私とアリアの、かけがえのない宝物だ……!」
ルーカスはアリアの額に深く口づけを落とし、誓うように呟いた。
「アリア。お前が命を懸けて産んでくれたこの三人を……私は命に変えても守る。私の一生を捧げて、お前とこの子たちを世界で一番幸せにしてみせる……!」
「はい……ルーカス様。私たち、5人で……幸せになりましょうね」
**第四節:早くも始まる『アリア争奪戦』の予感**
出産から数時間後。
落ち着きを取り戻した室内に、使用人たちがそっとお祝いに駆けつけていた。
「素晴らしい……なんと可憐な赤ん坊たちだ……!」
ボリス料理長が感動に震え、
「今日からこの三つ子様方のお世話で、私の胃は完全に粉砕されるでしょうが……本望です」
ジャン執事長が泣き笑いのような表情でハーブティーを一口含んだ。
影の護衛隊長カルロスと双子のハンジ・ルーイも、窓の外から目元を湿らせて固い握手を交わしている。
そんな中、ベッドの上では早くも「新たな問題」が発生していた。
疲れから眠りについたアリアの左右の腕の中に、長男レオンと次男シエルがすっぽりと収まり、胸元には長女ノエルがすやすやと寝息を立てている。アリアの全身は、完全に三つ子によって占有されていた。
その光景を、ベッドの脇で見つめるルーカス。
「……ぐぬぬ」
「だ、旦那様……? どうなさったのですか?」
ミーナがおそるおそる尋ねる。
「……私の定位置がない」
「はい?」
「アリアの右手側も、左手側も、膝の上も……全てあやつらに占領されている。私の入る隙間が……アリアに触れる隙間がどこにもない……!」
ルーカスは真剣そのものの恐ろしい顔で、スヤスヤと眠る赤ん坊たち(特に男の子二人)を睨みつけていた。
「いくら私の血を引く我が子と言えど……アリアの抱擁を独占することは許さん。レオン、シエル……お前たちとは、これから長きにわたる『アリア争奪戦』を繰り広げることになりそうだ……」
「赤ちゃん相手になんというライバル心を燃やしているのですか、旦那様は!!」
乳母エレナの容赦ないツッコミが室内に響き渡った。
天変地異のような狂乱の出産劇を経て、ヴァルハイト公爵城に舞い降りた三天使。
愛する妻アリアと、三人の愛おしい我が子、そして父親となった冷血公爵。
さらなる過保護と賑やかさに包まれた、最高の家族の物語が、ここから本格的に幕を開けるのであった。




