第一話:三つ子のお腹と、公爵城の過剰すぎる育児警戒態勢
第一節:臨月のアリア様と、大きなお腹の悩み
ヴァルハイト公爵城の陽光が優しく差し込む寝室。
ふかふかの特注ソファに腰掛けたアリアは、ぽろりと小さな溜息をつき、愛おしそうに、けれど少しだけ困ったように自分の身体を見つめていた。
「どうなさったのですか、アリア様? お腹が張ったり、どこかお苦しかったりしますか!?」
傍らで控えていた新人メイドのミーナが、まるで世界が崩壊するかのような焦りようでおしぼりとクッションを抱え直した。
「ううん、身体はとても調子がいいのよ、ミーナ。……ただ、ね」
アリアはゆったりとしたマタニティドレスの上から、ぽっこりと——というよりは、はっきりと大きく大きく膨らんだお腹を撫でた。
「お医者様から『お腹の中に赤ちゃんが三人います』と言われた時は本当に驚いたけれど……臨月を迎えて、こんなに大きくなるなんて思わなくて。……私、なんだかすごく、まあるくて……不格好になっていないかしら?」
三つ子を宿したアリアのお腹は、彼女の華奢な体型からは想像もつかないほど豊かに丸みを帯びていた。鏡を見るたび、自分がまるで小さな風船のようになってしまった気がして、アリアは少しだけ照れくさく、そして自分の姿に自信をなくしていたのだ。
——その、アリアの可憐な呟きが発せられた瞬間。
バターン!! と音を立てて寝室の重厚な扉が開かれた。
「不格好だと!? 誰だ! アリアに向かってそのような不敬極まりない戯言を抜かしたのは!! 今すぐ全軍を率いてその者の喉元を凍りつかせてやる!!」
凄まじい殺気と冷気を纏って飛び込んできたのは、他でもない夫のルーカスであった。
執務中でさえアリアの部屋の音を聞き逃さないよう耳をすませていた冷血公爵は、風のごとき速度でアリアの目の前にひざまずいた。
「ルーカス様……! 誰もそんなことおっしゃっていませんわ。私が……自分でそう思っただけです……」
「アリア」
ルーカスはアリアの小さな両手を優しく包み込み、青灰色の瞳に溢れんばかりの深い愛と熱量を宿して見つめ返した。
「二度とそのような間違ったことを言うな。今の貴様は……言葉では表現できぬほど、神秘的で、可憐で、愛おしく、神々しいまでに美しい」
「っ……ルーカス様……」
「私と貴様の愛の結晶が、三人もその身体の中で育っているのだぞ? 貴様のその美しい膨らみは、我がヴァルハイト公爵家の未来であり、私の命そのものだ。不格好などどころか、世界中のどの宝石よりも輝いている。私の目が狂っていない限り、現在の貴様は人類史上最高の美しさに達している」
真顔で恐ろしいほどの愛の言葉を連発され、アリアの顔は一瞬で耳まで熟したイチゴのように真っ赤になった。
「も、もう……! ルーカス様は大袈裟です……!」
「大袈裟ではない! 証拠に、私が今すぐ貴様のその尊いお腹の形を永久保存するための純金製等身大彫像を庭園に建立させ——」
「絶対におやめください!!」
アリアの真剣な制止により、公爵城の庭園が奇妙な金ピカ像で埋め尽くされる危機は間一髪で回避されたのであった。
第二節:新体制発足! ベテラン乳母と若手影の護衛隊
三つ子の誕生が間近に迫るにつれ、公爵城の過保護体制は従来の「ルーカスの独裁暴走」から「専門職を巻き込んだ一大組織」へと進化を遂げていた。
大広間に集められたのは、公爵家の精鋭使用人たち。
長年城を取り仕切る執事長ジャンに加え、今回は新たな頼もしい(そして気苦労の多い)面々が顔を揃えていた。
「皆様、お静かに。これより『三つ子様ご誕生およびアリア様絶対防護作戦』の最終確認を行います」
中央に立ち、ビシッと扇子を鳴らしたのは、新たに招聘された専属乳母のエレナであった。
王立育児院の元総責任者であり、数々の王族を育て上げた彼女は、冷血公爵の冷気あふれる威圧に対しても微塵も動じない城内唯一の人物である。
「いいですか、旦那様」
エレナはキッとルーカスを睨みつけた。
「アリア様が三つ子様をお腹に宿してどれほど大変か、お分かりですか? 旦那様が過剰に抱きついたり、大声で愛を叫んだりするだけでアリア様の心拍数が上がり、お腹に負担がかかるのです! 本日より、アリア様への密着は一日三回、一回につき十分までといたします!」
「な……!? 何だと!?」
ルーカスが立ち上がり、殺気を放つ。
「この私にアリアに触れるなと言うのか!? 戯言を言うな! アリアの温度を感じられねば私の精神が崩壊する!」
「崩壊してくださいまし」
エレナはあっさりと言い捨てた。
「アリア様とお腹の三つ子様の安全より優先されるものなど、この城にはございません。文句がおありなら、アリア様にお言いつけますよ?」
「……っく!」
アリアの名前を出され、ぐうの音も出ないルーカス。
陰で見守っていた執事長ジャンは、胸の前でそっと十字を切った。
(す、素晴らしい……! あのルーカス様を言葉一つで黙らせる人間が、アリア様以外に現れるとは……! エレナ殿、あなたこそ我が公爵家の救世主だ……!)
一方、影の護衛隊「黒狼衆」の側にも新たな動きがあった。
「隊長! 我ら双子、ハンジとルーイ! 三つ子様の足元防衛専門部隊としての訓練を完了いたしました!」
カルロス隊長の前で胸を張ったのは、若手の影の護衛隊員、ハンジとルーイの双子兄弟だった。
「よし、ハンジ、ルーイ。三つ子様が生まれてハイハイを始められた時、三方向へ同時に動かれた場合の対策はできているな?」
「勿論です! 左の若君にはハンジが、右の若君にはルーイが、0.001秒で人間クッションとして滑り込みます! 中央の姫君には……カルロス隊長が身を投げ出してください!」
「任せろ。私の背中はお嬢様のハイハイのマットになるために鍛え上げられている」
暗殺術の最高峰を極めた男たちが、大真面目に「フワフワの人間クッションになる訓練」を繰り返している光景は、もはやシュールを通り越して壮絶であった。
第三節:三つ子の胎動と、父親の誓い
その日の夜。
無事にエレナからの「一日十分の密着タイム」の許可を得たルーカスは、アリアのベッドの脇に正座していた。
「……アリア。本当に、痛むところはないか? お腹の重みで腰が辛くはないか?」
「ふふ、大丈夫ですよ、ルーカス様。エレナさんが教えてくださったマッサージのおかげで、とても楽になりましたわ」
アリアは柔らかく微笑み、ルーカスの大きな手を取って、自分の愛おしく膨らんだお腹の上にそっと重ね合わせた。
「ほら……ルーカス様。今、動きましたよ」
トン……トン、トン。
ルーカスの掌に、微かだが確かな、生命の力強い胎動が伝わってきた。
しかも、一つではない。三つの小さな命が、お腹の中で元気いっぱいに生を主張しているのだ。
「……っ!」
ルーカスの体が、硬直した。
青灰色の瞳が激しく揺れ、じわじわと涙が溢れ出していく。
「動いている……。私の手の中で、三人の命が……アリア、お前の中で懸命に生きている……!」
「ええ……。この子たちも、お父様に会えるのを楽しみにしているみたいです」
アリアが温かい手でルーカスの手を包み込む。
ルーカスはお腹に優しく額を擦りつけ、まるで聖本に誓いを立てる騎士のように、低く静かな声で紡いだ。
「聞こえるか、我が子たちよ……。お前たちが生まれてくるこの世界は、かつて私にとって暗く冷たい場所だった。だが、お前たちの母が……アリアが、私に温もりと光をくれた」
ルーカスはお腹から顔を上げ、アリアの瞳をじっと見つめた。
「アリア。お前が命を懸けて育んでくれているこの三つの宝物を、私は生涯をかけて守り抜く。お前も、子たちも……誰一人として傷つけさせはしない。私を『父親』にしてくれて、本当にありがとう」
「ルーカス様……はい。私、あなた様となら、どんなことでも乗り越えられます」
第四節:迫るその時、爆走子育ての幕開け
数日後。
ヴァルハイト公爵城は、かつてない緊張感と、それ以上のあたたかな幸福感に包まれていた。
厨房ではボリス料理長が、アリア様の出産後に振る舞う「最高級栄養回復フルコース」の仕込みを徹夜で進め、
メイドのミーナとマーガレットは、三つ子用の小さな小さなベビー服を三人分、大切そうに並べていた。
魔導技師のシリウスは、ルーカスから発注された「赤ちゃんが泣いたら全自動で揺れる魔法ベッド」の最終調整を終え、ジャン執事長にドヤ顔で見せて怒られていた。
そして——。
「みんな、準備はいいかしら? まもなく、この城にとても賑やかで可愛らしい『新しいご主人様たち』が誕生しますよ!」
乳母エレナの宣言に、全使用人たちが一斉に拳を握りしめた。
冷血公爵の過保護と狂愛は、これより三倍へと膨れ上がる。
愛する妻アリアと、三人の天使たち。
ヴァルハイト公爵城の、最高におかしく、最高に愛おしい『爆走子育て生活』が、今まさに始まろうとしていたのであった。




