【アナザー⑥】極寒の城に咲いた一輪の花・過去編(ルーカス視点)
第一節:血塗られた銀世界と、心の氷結
氷の城——社交界の者どもは、我がヴァルハイト公爵城をそう呼ぶ。
無機質で無音、冷酷な秩序だけが支配する絶望の領域。私、ルーカス・フォン・ヴァルハイトの心と同義の場所だ。
私が十歳を迎えた年の冬、私の世界は完全に凍りついた。
敬愛する両親は、王都からの帰路、謀反を画策する貴族たちの手によって惨殺された。吹雪の吹き荒れる雪原で、血の海に倒れる両親の冷たくなった手を握りしめた瞬間の感覚を、私は一生忘れることができない。
『ルーカス……生き延びろ。誰もしんじ……真に心を許すな……』
父の最後の遺言は、私の中に強固な呪縛として刻み込まれた。
幼くして公爵位を継承した私を待っていたのは、群がり貪ろうとする群狼のような親族や貴族たちだった。彼らは私の前では恭しく頭を下げながら、背後で毒を盛り、刺客を放ち、領地の権利を奪おうと画策した。
(誰も信じない。感情などという弱さは全て捨てる。世界を害する者は、私が氷となって粉砕する)
私は自らの感情を殺した。
笑うことをやめ、泣くことを捨て、敵対する者は容赦なく血の海へと沈めた。十五歳で領内の反乱分子を一夜にして粛清した際、私の身体を取り巻く魔力は絶対零度の冷気を纏うようになった。
社交界は私を恐れ、『氷の冷血公爵』と呼んで避けるようになった。
それで良かった。誰も私に近づかず、私も誰も入れない。傷つくことも、裏切られることもない。私の心は、決して溶けることのない永久凍土となったのだ。
第二節:一輪の花との、最初の交差
あの日も、胸の悪くなるような王都の社交パーティーであった。
群がってくる有象無象の貴族たちを冷ややかな眼差しで退け、庭園の暗がりへ逃れた時だった。
「まあ……こんなところにお花が咲いているわ」
木々の陰から、かすかな声が聞こえた。
覗き込むと、そこにはボロボロの古びたドレスを纏った少女がいた。華やかなパーティー会場には似合わない、控えめで、今にも消えてしまいそうな儚げな少女。彼女は冷たい夜風に身体を震わせながら、物陰にひっそりと咲く小さな冬の花を、慈しむように指先で撫でていた。
「寒くないかい? もうすぐ雪が降るから、ちゃんと根を張るのよ」
少女——アリアは、花に向かってふっと柔らかく微笑んだ。
その微笑みを目にした瞬間。
ドクン、と。
私の止まっていたはずの心臓が、激しく跳ね跳んだ。
全身の血液が、沸騰したかのように激しく脈打ち始める。
十年間、一度として動くことのなかった私の永久凍土の心が、一瞬にして砕け散り、猛烈な熱量をもって熱狂し始めたのだ。
(なんだ……? 一体、何が起きている……!?)
視界が眩み、息が詰まる。
可憐だ。美しすぎる。守りたい。私の手で包み込み、誰の目にも触れぬ安全な場所で甘やかし、一生を私の腕の中で過ごさせたい。彼女の触れる空気になりたい。彼女の踏む土になりたい。
冷血公爵と呼ばれた男の脳内に、未曾有の大パニックと、超巨大な過保護の感情が暴風となって吹き荒れた。
「ルーカス様、このようなところにおられましたか」
追ってきたジャンが声をかけた瞬間、アリアは驚いたように顔を上げ、怯えた目をして闇の中へと走り去ってしまった。
「待て……!」
手を伸ばそうとしたが、届かない。
去っていく彼女の後姿を見つめながら、私は自身の内に芽生えた「あまりにも重く、恐ろしい感情」に戦慄していた。
(私は……狂ってしまったのか? ひと目見ただけの少女に、これほどまでの執着を抱くだと……?)
第三節:不器用な誓約書と、狂愛の目覚め
城へ戻った私は、何日も執務室に籠もり続けた。
アリアについての情報を集めさせると、怒りで城の庭園が一つ凍りついた。
彼女は没落寸前の実家で不当な扱いを受け、義母や腹違いの姉から虐待され、着るものも食べ物も満足に与えられていないという。
「……許さん」
私の冷気が執務室の床を凍らせ、デスクに亀裂を入れた。
私の天使を傷つける奴らは、一族郎党すべて氷漬けにして打ち砕いてやる。今すぐ全軍を率いて彼女の実家へ突入し、彼女を奪い去り、実家の屋敷を跡形もなく吹き飛ばしてやりたい。
だが——私は踏みとどまった。
冷静になれ、ルーカス・フォン・ヴァルハイト。
私は社交界で『冷血公爵』と恐れられている男だ。そんな私が突然現れて「愛しているから私の城へ来い」などと言えば、彼女は恐怖で心を開かないだろう。彼女を怖がらせることだけは、死んでも避けねばならない。
「……契約だ」
私は震える手で羊皮紙を取り出し、ペンを走らせた。
『冷血公爵』という社交界の仮面を利用するのだ。彼女を助け出すための建前として、「利害関係の一致による契約保護」という形をとれば、彼女も拒否しづらいはずだ。
……そう自分に言い聞かせながら書き始めた内容が、重くなりすぎた。
『一日三回の食事を義務付ける(痩せ細った彼女に栄養を摂らせるため)』
『夜間の単身就寝を禁ずる(寒さで彼女が体調を崩さないよう、私が抱きしめて保温するため)』
『他者と三秒以上視線を交わすことを禁ずる(彼女の瞳に他の男が映るだけで私が狂いそうになるため)』
「ルーカス様……これは……契約書というよりは、呪いの言霊の類では……?」
完成した羊皮紙を見たジャンの顔は、死人のように青ざめていた。
「黙れジャン! 完璧な契約書だ! 法的な穴を無くせ! 彼女がこの城から二度と逃げ出せないよう、完璧な過保護の罠を張るのだ!」
執事長に怒号を飛ばしながらも、私の心は恐怖で震えていた。
もし彼女に拒絶されたら。私のこの過剰で、歪み、過保護すぎる感情を知られたら、彼女は逃げ出してしまうのではないか。だからこそ、私は『冷血』の仮面を脱ぐわけにはいかないのだ。
第四節:冷血の仮面の裏で
そして、ついにその日がやってきた。
ヴァルハイト城の重厚な門をくぐり、アリアが私の前にやってきたのだ。
寒さに震え、怯えた瞳で私を見上げる彼女。その可憐な姿を前にして、私は全身の血が逆流するほどの衝撃に耐えていた。今すぐ抱きしめたい、過保護に甘やかしたい、私の全財産を彼女の足元に投げ打ちたい。
だが、私は感情を極限まで殺し、氷のように冷酷な声を絞り出した。
「今日からお前は、この城で暮らすことになる。……契約に従ってもらうぞ」
アリアは小さく肩を揺らし、「……はい、公爵様」と消え入るような声で答えた。
冷たい応対をして部屋を出た瞬間。
私は廊下の物陰に飛び込み、激しく胸を押さえて座り込んだ。
(可憐だ……!! 天使だ……!! 息が……息ができない……!!)
心臓が破裂しそうなほど脈打ち、顔が熱く煮たたぎる。
後から追いかけてきたジャンが、深く深いため息をつきながら胃薬を口に放り込んでいた。
「ルーカス様……ポーカーフェイスを保ったつもりでしょうが、手が震えて壁を破壊しかけておりますよ」
「ジャン……! 彼女の手に触れてしまった……! 私の皮膚を永久保存する魔導具を作成しろ! 今すぐだ!!」
「無茶を言わないでください……」
あの日から、私の「狂愛の日々」が始まった。
社交界の者どもは相変わらず、私を『冷血公爵』と呼ぶ。
私がアリアのために過保護な警備を敷けば「冷酷な拘束」と勘違いし、アリアのために敵対貴族を叩き潰せば「政治的粛清」と恐れおののく。
勝手に勘違いしていればいい。
私にとって、世界などどうでもいいのだ。この極寒の城に届いた一輪の温かな花——アリアさえいれば。
(アリア。お前が私を『冷血』と恐れようと構わない。私はお前を守るためなら、悪魔にでも、怪物にでもなってみせる)
執務室の窓から、庭園を歩くアリアの姿を見下ろしながら、私は誓った。
たとえこの身が狂愛によって焼き尽くされようとも、彼女を二度と冷たい世界へは戻さない。この氷の城で、永遠に、過保護に愛し続けるのだと——。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「面白かった」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
下にある評価(★★★★★)やブックマーク登録をしていただけると、執筆の大きな励みになります!
感想や一言コメントもお待ちしております。




