3話:2つ目の決意
皆さんこんにちはるあです。
3話目になりました!
まだまだ続きますが温かい目で見てくれると嬉しいです
一度灯ってしまった心の火は、一晩経っても消えることはなかった。
むしろ夜、ベッドの中で自分の指先を見つめながら、あの小さなリードのザラリとした感触や、耳の奥に残る優しくてどこか寂しげな音色を私は何度も何度も思い出していた。
本当に私にあんな難しい楽器が吹けるのだろうか。
部活で一人っきりなんて、引っ込み思案な私にはプレッシャーが大きすぎるんじゃないだろうか。
不安を挙げればキリがなかったけれど、それ以上に【あの音をもう一度、自分の手で鳴らしてみたい】という、生まれて初めて経験する強い衝動が、私の胸を支配していた。
翌日の放課後。
私はもう、他のどのパートにも目をくれなかった。
終礼のチャイムが鳴り響くと同時に、私は教室の机から滑り込むようにカバンを引っ掴み、早足に教室を抜け出した。
クラスの女の子たちや男の子たちは、
「今日はどこの部活に行く?」
「俺部活この奴にしようかな」
と楽しげに相談していることを背中に聞きながら、私は一人、南校舎の階段を1段飛ばして駆け上がっていく。
目指すは3階の音楽室。
思い木星の扉の前まで来ると、昨日と同じように、廊下まで様々な楽器の音が混沌と漏れ聞こえていた。
トランペットの華やかなハイトーン、サックスの小気味良いフレーズ、重々しく響く低音。
その賑やかな音の渦に、私の心臓はまたうるさく跳び始める。
(今日も、行っていいのかな…。2日連続で行ったら、迷惑だって思わないかな…)
引っ込み思案な私の頭の中に、いつもの悪い癖でネガティブな不安がよぎる。
ドアの前に立ち尽くしたまま、ノックをするべきか、それとも一度頭を冷やすべきか迷っていた。
その時だった。
「あっ!恋々菜ちゃん!今日も来てくれたんだね!」
ガラリと内側から扉が開いた。
そこに立っていたのは、昨日私にオーボエを教えてくれた汐織先輩だった。
汐織先輩は私の姿を見つけた瞬間、弾けるような満面の笑みを浮かべて、私の手首をそっと包むそうして室内に招き入れてくれた。
「待ってたよ。ほら、恋々菜ちゃんの分のリードもう水につけて準備しているからね」
音楽室の片隅、昨日と同じ木の椅子が二つ並んだ小さなスペース。
そこには、小さなガラスコップにに差されたオーボエのリードが出番を持つように静かに佇んでいた。
汐織先輩が私のために、わざわざ準備をして待ってくれたのだ。
その真実にだけで、胸の奥のモヤモヤとした霧が、すっと晴れていくのがわかった。
「さぁ、今日も吹いてみよう。昨日の感覚、覚えてる?」
手渡された楽器は、ずっしりと心地よい木と金属の重みがあった。
小さな本当に2枚の葦が重なった唄口を、唇を少し巻き込むようにして咥える。
周囲のパートからは、大勢の1年生が先輩達に囲まれて賑やかに笑い合う声が聞こえてくる。
けれど、ここのオーボエの席だけは、まるできり取られたかのように静かだった。
私はそっと目を閉じ家でこっそりと聞いてきた大好きなクラシックピアノの落ち着いた旋律を頭の中に思い浮かべた。
そして、お腹の底からぐっと息を押し出す。
ーピィ、ィィィィ………。
細くけれどまっすぐな音が、音楽室の喧騒の隙間を縫うようにして、放課後の教室の空気に溶けていった。
「あっ…」
思わず目を開けると、昨日よりもずっとクリアで奥をキュンと締め付けるような、世界に一つだけの音。
拭くところが小さくて、息を入れる娘には本当に体力がいるし、指の使い方も複雑で難しい。
だけど、この音を聞くたびに私は自分が音楽の世界に深く深く染み込んでいくような、不思議な高揚感を覚えるのだった。
「すごい綺麗な音!昨日より全然安心してるよ。恋々菜ちゃん、本当に筋がいい!」
汐織先輩がパチパチと嬉しそうに拍手を送ってくれるその優しい眼差しが、上手く吹けなく縮こまりそうになる私の心を、そっと温めてくれた。
しばらく並んで音を出し、片付けの時間が近づいてきた頃、先輩が愛しそうに自分の楽器をケースに収めながらふと私に振り返った。
「体験入部は1週間あるからね。明日からフルートとか、他の木管楽器もいろいろ見て、ゆっくり体験して決めていいんだよ?うちの部は無理強いはしないからね」
汐織先輩のどこまでも優しい気遣い。
でも、その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で何かがパチリと音を立てて弾けた。
ほかの楽器なんて、もう見たくない。
人見知りで、クラスでもいつも周りの意見に流されてばかりの私。
自分の意見を主張するなんて、これまでの人生で一度だってやったことがない。
目立つのが怖くて、いつも誰かの後ろに隠れていた。
だけど、この優しくて少し孤独で圧倒的に特別な楽器を、ほかの誰にも渡したくないと思ってしまったのだ。
この汐織先輩と一緒にあの体育館で聴いた圧倒的な音の嵐の中に、私も飛び込みたい。
カバンを握る手にぐっと力を込め、私は下を向きそうになる頭を必死で持ち上げた。
そして汐織先輩の目をまっすぐに見つめた。
「あの…汐織先輩」
「ん?どうしたの?」
「私…他の楽器は、もう見なくていいです。オーボエをやりたいです。オーボエパートに、私を入れてください!」
自分でも驚くくらい、しっかりと芯のある声が口から飛び出した。
放課後の喧騒のなかで私たちの間だけに、息が詰まるような一瞬の静寂が訪れる。
言い切った途端、急にものすごい恥ずかしさと緊張が襲ってきて、私は顔が火を噴くように熱くなるのを感じた。
心臓がトントンと早鐘を打つ。
やり過ぎちゃったかな、生意気だったかなと、不安で視線を落とそうとした。
その時。
「ーっ…」
目の前で、汐織先輩の表情がこれ以上ないほどぱあっと明るく輝いた。
汐織先輩は弾けるような笑顔を浮かべると、勢いよく立ち上がり、私の両手をそっとけれど力強く包み込むように握りしめてくれた。
「ーようこそ、オーボエパートへ!待ってたよ、本当に嬉しい…!」
その温かい声と汐織先輩の手から伝わる微かな震えを感じた瞬間、体中に張り詰めていた緊張がふわりと解けていった。
汐織先輩の喜びが、私の胸をじんわりと満たしていく。
1年生の体験入部期間は、本当は丸々1週間用意されている。
周りの一年生達は、まだあっちの運動部、こっちの文化部と迷いながら、賑やかに校内を歩き回っている最中だ。
どの楽器が自分に向いているか何日もかけて悩むのが、普通の世界。
だけど、私はわずか2日で、自分の進むべき道を完全に決めてしまった。
内申点のため。
高校受験のため。
部活をしないと不利になるから。
そんな、ちょっと冷めた現実な言い訳から始まった。
私の選択は、この日私だけの特別で熱い【青春】へと確かにその形を変えたのだった。




